恋愛・夫婦の心理学

パートナーがいない現実に慣れる 〜別れ・喪失と感情のプロセスについて〜

パートナーがいない現実に慣れるとは何か

失恋、離婚などを経験すると避けて通れないプロセスといいますか、どうしても直面してしまう現実が「パートナーがいない毎日」ではないでしょうか。

実際、ご相談の中には「いつも一緒にいたパートナーがいない現実にどう対処したらよいか」というお声もいらっしゃるぐらいです。

そして、このプロセスほど悩ましいと言うか、うまく現実を受け入れられなくて困ることもないのではないだろうか、と僕は思うのです。

人によっては、パートナーがいないという現実を受け止め難いからこそ、新しい恋に向かったり、すぐにパートナーを作るなんてこともありえるのかな、と。

そのように行動することがダメだとは誰も言えないと思うのですが、しかし新しいパートナーがいるからといって、喪失体験で感じた感情や違和感が消えるとも限らないんですよね。

人によっては、一つの別れ、一つの喪失から「誰と一緒にいても楽しめなくなった」なんてお声も伺うことがあるわけです。

なぜこのようなことが起きるのかを考えてみると、これは一つの考え方ではありますが

「パートナーを失った」「大切な人がそばにいない」

という事実を受け止めたときに、ちゃんと悲しめていなかったり、そのパートナーがいないという現実に慣れていない場合に起きることがあるのです。

今日はそんな喪失にまつわる話を少しまとめてみようと思います。

パートナーがいないということ 〜別れ・喪失と感情のプロセスについて〜

実際、別れ・喪失とそれに伴う感情のプロセスについては、様々な考え方が存在します。

ここでは僕が師匠や先輩からよく学んだ考え方をご紹介しましょうか。

人は別れや喪失という体験をすると

  • ショック状態となる(現実で何が起きているのかわからない)
  • 強い怒りを覚える(起きている現実を否認したくなる)
  • 次第に現実を受け入れはじめ、喪失に伴う悲しみを感じるようになる
  • 徐々に今の状況を受け止めらえるようになり、日常に適応し始める
  • 喪失に関しての新しい意味付けができるようになり、新しい日常を過ごせるようになる

このようなプロセスを辿ることが少なくないようです。

もちろん全ての人が同じプロセスをたどるとはとてもじゃないけど言い切れないわけですけども。

そして、このプロセスで、まずしんどいと感じるプロセスが「現実を受け入れはじめ、喪失に伴う悲しみを感じるようになる」となる方もいるかもしれません。

特に、愛する人、自分にとって特別だと感じる人を失うと、文字では表現できないであろう程度の悲しみや痛みを感じることがあると思うんです。

だから、どうしてもその悲しみなどを感じきれず、過去に執着したり、「まだ会えるのではないか・復縁できるのではないか」という可能性ばかりを探ったり、悲しみを感じないような振る舞いを続けたり、といった行動を取る方が出てきても不思議ではないな、と思うのです。

それこそある意味では「そうなるべくしてなること」といいますか。

ただ、その別れや喪失がどれだけ辛いものであったとしても、そこで「ちゃんと悲しめるかどうか」は、その後のプロセスにかなり影響するといってもいいだろうと僕は思います。

むしろ、ちゃんと悲しめないとしたら、それ以降、その悲しみから逃げ続ける、いわば回避行動を取り続けてしまい、結果的に更に辛いを思いをしたり、愛し愛される関係を楽しめなくなってしまう、なんてことも起こり得るんですよね。

つまり「そのパートナーがいないことに慣れる」ということも、自分自身の心が幸せや豊かさを感じるために必要なプロセスでもある、と言えるんです。

このことを一般的には「ちゃんと現実を受け止めよう」という言葉で表現することもあるのかもしれませんね。

ただ、だからといってすぐに悲しみに突入しようとしたり、一人で引きこもって悲しみまくるなんて極端なことは考えないほうがいいのかもしれませんけども。

パートナーがいない現実に慣れることの難しさ

ただ、最愛の人、今までそばにいたパートナーがいないという現実に慣れるということは、想像以上に難しいことである場合も少なくありません。

人によっては、喪失という経験で感じる感情があまりに厳しいものであって、とてもじゃないけど一人だけでは引き受けられない、という場合もあるでしょう。

また、癒着傾向がある方にとっては、喪失経験がどこか自己否定とつながってしまい、今の現実を受け入れると自分の存在意義を見失うと感じる場合もあるでしょう。

パートナーシップであれば、例えばパートナーに対して依存の位置にいた人にとっては、「これからどんな風に生きていけばいいのか」がわからなくなり、ひどい無力感を感じる場合もあるでしょう。

人によってはパートナーを恨む、憎む気持ちが湧き出すことだってあり得るんですよ。

自立の位置にいた人は「自分はちゃんと相手を愛せていたのか」と自問自答し、喪失を体験した自分を責め続けてしまう人もいるかもしれません。

それ以降、何かと関わる・愛する自信を失ってしまったり、気力がわかなくなるなんてこともありえるでしょう。

つまり、僕たちが何かしらの喪失を体験したときに、それに伴う悲しみだけを感じるわけではない場合も多いんです。

それがパートナーがいない現実に慣れることの難しさだと僕は思うのです。

パートナーがいないことに慣れるには

では、どうすればパートナーがいない現実を受け止めることができるようになるのでしょう。

悲しみを一人で抱えないこと

まずは、悲しみを分かち合える人がいるかどうか、は大きいと思います。

が、実際にはなかなか自分が抱えてる悲しみを分かち合える人となかなか出会えないものかもしれません。

多くの人が、目の前にいる喪失体験した人を、責めたい、苦しめたいとは思わないでしょうし、できれば援助したいと思う人も多いでしょう。

それぐらい多くの人が温かな心をお持ちなのではないでしょうか。

しかし、喪失体験をした方の悲しみが深ければ深いほど、受け止める側は「その悲しみがどういうものかを想像することが難しく感じる」こともあると思うんです。

なぜその人はそこまで(一つの喪失体験の影響で)悲しむのか、怒るのか、落ち込むのか見当がつかない、と。

つまり、喪失を体験すると、なぜか「自分の気持ち、その温度感を理解してくれる人がいない」という孤独感を感じてしまう場合もあるのだろうと想像します。

なので、自分の悲しみをある程度でも分かってくれる人がいない、という現実は、どうしても喪失対象への依存を作る理由にもなるのでしょう。

いわば、いつまでも失ったその人を忘れられない、ということ。

どこか失った人に執着しつづけてしまうのは「その人しか自分の気持ちを分かる人がいない」と思うからではないでしょうか。

ただ、完璧にではなくとも「自分の悲しみを知ろうとしてくれる人・分かってくれたと感じられる人」がいるとしたら、もしかすると「その悲しみの向こう側」に進むことができるようになるかもしれませんよ。

そういった意味では「一人で悲しみを抱え続けないこと」も重要なことだと僕は思います。

つまり、その出会いを求める、支援を求めるということは、勇気が必要かもしれませんが、しかし自分の幸せや豊かさのために必要なこと、とも言えるかもしれませんね。

悲しむことは恥ずかしいことではない

また、悲しむこと、嘆くことを恥ずかしいことと捉えてしまうと、なかなか悲しめないこともありますよ。

「いつまでもくよくよしていても」と思い、くよくよしている自分を恥じて、悲しむことをやめてしまう人も実際にいると思うんです。

ただ、いわゆる「くよくよしていても」という話は、気にしなくていいことまで気にする必要はないよ、という意味だと僕は解釈しています。

つまり、喪失体験を経験して悲しい、ということは、それだけのことが起きたということであって、悲しみを感じるだけの事情があるということではないでしょうか。

特に、喪失対象が自分にとって重要な人、愛する人であれば、当然のように悲しみは湧き出すでしょうから。

なので僕は「悲しむことは決して恥ずかしいことではないですよ」とお伝えすることもあるんです。

悲しみの大きさは人それぞれ違う

また、一つの喪失体験を経験したときに感じる悲しみの大きさも、人それぞれです。

だから、例えば周囲の人から「私は大切な人を失ってもそこまで悲しまなかったよ」という意見を聞いても、そう思えない自分を責める必要はないと思います。

そもそも、人が人をどれだけ愛せるか、強い思いを持つか、そして失ったときに悲しみが湧き出すか、には個人差があると思うんです。

むしろその個人差があることが自然だと思うんですね。

僕たちの体つきが人それぞれで違うように、心のあり方、感じ方も人それぞれで違うもの。

そう考えることが、いわば個性を認め尊重することになるように、僕は思うのです。

だから、人と比べる必要はないんです。

もちろん喪失を乗り越えた人の経験を聞いて学ぶことは有効なことです。

が、それを使って自分を責める必要はないんですよ。

パートナーがいないことに慣れるの別解

最後に、「パートナーがいないことに慣れる」についての別解について書いておきます。

もしあなたが喪失体験を経験したなら、繰り返しになりますが、まずは無理をしないこと、悲しみを分かち合える人と出会うことなどをお考えいただけたらな、と思います。

その上での話ですが、もしあなたが悲しみを超えて「パートナーがいない現実を受け入れて慣れる」としたら、それは

「失った人を自分の痛みにし続けない」

ということが実現できているとき、といえるかもしれません。

逆に言えば、喪失体験の悲しみは、本来の自分が失った人に向けていた思いをかき消すほどに大きな感情なのだ、ということ。

つまり、パートナーがいないということに慣れるということは、あなたがその人に向けて思い続けていた「自分のほんとうの気持ちを大切にできている」ということにもなります。

もちろん理屈でいうほどこのプロセスは簡単なものではないかもしれません。

が、少し気持ちに余裕ができたとき、考えていただきたいのです。

自分が愛した人、大切に思った人に

いつまでも(この人しか今の苦しみをわかってくれる人はいないと)しがみついたり。

失ったことを痛みとして抱え、誰も愛せなくなってしまったり。

もう二度と失うなんてことは避けたいと、誰も愛さなくなってしまうとしたら。

「あなたにとってその人との出会いは、どんな意味となるか」を。

 

何度も繰り返しになりますけど、パートナーがいないという現実を受け止めるには、それなりのプロセスが必要だと思います。

だから、無理は禁物なんですよね。

ただ、そのプロセスを丁寧に進めることで手に入れられる恩恵もある、とどこかで知っておいていただけるといいのかな、と思う次第です。

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