恋愛・夫婦の心理学

訳アリの彼と別れられない理由をあえて深堀りする。

今回もまたリクエストをいただきました。

こんな話についてコラムにしてほしいというお話です。(よって今回のお題は架空の話ということになりますね。)

やんごとなき事情が重なって訳アリの彼と付き合い始めちゃった私。
その彼との未来はないだろうって理解しています。
だから、できれば幸せな結婚などなど次の進みたいと思うんです。
しかし、どーしても彼との関係を終わらせることができません。
彼とは距離を置こうと思っても、連絡が来ると安心している自分もいます。
自分でもどうしたいのかがわからないのだけれど、今のままでは切なすぎます。
今後自分を変えていくにはどうしたらいいですか?

まぁ僕としましては「どんな恋愛も、それはやはりあなたにとって大切な恋愛ですよねー」とお伝えしているところです。

ただ、恋愛関係に身を投じた結果、いつも切ない、寂しい、苦しい、幸せではないと感じるとなると、ちょっと話は別になるのかもしれませんね。

ということで、今回は「どうして訳アリな彼との関係が手放せないのか」について、1つの視点に絞って少しだけ深堀りしてみたいと思います。(他の視点もありえますよということであり、それはまた別の機会にコラムにします。)

ちなみに今日の話は心の準備なしに読むと、心に突き刺さりやすい話になるかもしれません。

そのあたりまずご理解いただいた上で読み進めてください。

よろしければどうぞー。

やっと受容できた異性だから別れられない!

さて、「訳アリの彼」と言いましても、実際様々なケースが考えられそうですね。

よく出会う案件は、彼に家庭があった、彼に経済的な問題があった、彼は浮気ばかりしてる、なんてケースですけども。

そんな彼となかなか別れられないというお悩み、確かに伺う機会がありますよ。

では、ここから「どうして別れられないのか?」の理由について考えていきますけどね。

ここからの話は「彼が訳アリな人であり、彼の影響がどうのこうの」という視点ではなく、彼と付き合う私の「異性との関わり方」という視点で見た話なのですよ。

つまり、今の彼が「私がようやく受容できた異性だった」という視点。

このままでは分かりにくいのでもう少し解説します。

ポイントは、訳アリの彼にあるわけではなく、「男性(異性)を受容できた私」の「その意味と価値」です。

例えばですよ、この世に住むすべての人が「すんなり異性を受容できる」とは限らないわけですよね。

すんなり異性を受容できる人もいれば、そうではない人もいる。まさに人によって違うわけです。それにいいも悪いもありませんよ。

そもそも僕たちは、異性同性に関わらず、価値観が異なる人を受け入れがたいと感じることがありますけども、恋愛を意識しやすい異性であればなおさら「なんか違う」と感じる機会があっても不思議ではないわけですよね。

で、ですね。

もし自分自身の人生の中で

「好きな異性はいた」としても、実際に異性の存在をすんなり受容できない状態にあったとしたら、さて、どんなことが起こるでしょうか。

「今、目の前に受容できる異性がいる」という現実は「今までの私とは違う自分を示すことになる」と思いませんか?

つまり、「今、目の前にいる訳アリの彼(異性)を受容できている自分」に、大変な意味や価値を感じる可能性が出てくるわけですよ。

隠れているのは誰も受け入れられなかった私への批判

ここには「今まで異性を受容できなかった私」への批判というか、まぁ否定が隠れていることが多いです。

つまり、「恋ができない私って・・・」という自己否定的な観念が隠れているのです。

そもそも異性を受け入れられるかどうかだけで人間の価値が決まるとは僕には思えないのです。

しかし、僕たちはいわば「お年頃」になると「誰も愛せない自分(受容できない自分)にヘタレ感を感じるようにもなる」わけですね。

これがいわばアイデンティティ・クライシス(私が何者なのかよく分からないと感じること)につながることもあり得ると僕は見ています。

彼を受け入れられていることの価値はやはり大きい

しかし今は違うわけです。

今までなかなか受け入れることができなかった異性を、たとえ「訳アリの彼」であったとしても受け入れられている事実があるわけですよね。

特に、今の彼をどこか違和感なく、抵抗感なく受け入れることができたと感じているならば、その経験を手放せなくなっちゃうこともあると思うのです。

だから、訳アリの彼であっても

「やっと私を必要としてくれる異性が現れた」
「ようやくこの人なら受け入れてもいいかもと思える人と出会えた」
「やっと私が心から愛おしいと思える異性が現れた」
「彼と身体を重ねたとき、はじめて嫌だと思わなかった」
「彼ははじめて何かしてあげたいと思えた異性」

そう感じることもあると思うのですよ、僕はね。

よって、意識では「訳アリの彼=愛しにくい彼、未来のない彼」などと分かっていても、その彼の存在を大きく感じて別れられなくなる人もいる、と僕は見ています。

もし、訳アリの彼が「私の新たな世界を開いてくれた人」となりえるならば、「こんな人はじめて」となるのではないか、ということです。

だから、もともと愛情深い人ほど、訳アリの彼であってもその気持ちに答えたくなるだろうな、と僕は想像していたりするんです。(実際にそんなお話も伺いますし。)

なので、まぁ彼を手放すことは「昔の自分に戻ることになりそうで嫌だ」と思う人がいても不思議ではないだろう、と思うわけでございます。

要は「もっと他にいい人がいるよ」と他人に言われても、「私が受け入れられたのは彼だけ」だと思うので、未来でまた異性と愛し合えるとイメージできないこともあるんじゃないか、と。

もしこのように考えるならば、いわゆる執着の話だけでは済まないよね、って僕は思ったり思わなかったり思ったりします(どっちやねん)

総じて「彼を手放したあとのイメージがうまく持てない場合」が多いでしょうか

まぁこの他にも様々な理由で訳アリの彼との関係が手放せないようになるものでしょう。

(例えば「彼と心理的な共犯関係となっていて離れられない」なんてこともありますね)

このあたりはいくらアタマで考えても「でも離れられない」と感じることは確かに有り得る話かなーと思います。

そして、その理由を探し始めればきりがないといいますか、どれが正解と言える話でもないのかなと。

言うてしまえば「ただただ切ない」「ただただ私の周りに彼以外誰も(愛せる人・つながっている人)いない」といった感覚があればあるほど、ついつい目の前の人との関係にこだわってしまうものではないか、と僕は思うわけでございます。

そしてそれにいいも悪いもないと思っています(自分勝手に他人の権利を侵害していないなら、ってことですけど)。

この場合、「彼を手放したあとのイメージがうまく持てない」場合が多いようです。

少なくともそんな実感が僕にはありますよ。

結局、彼じゃなきゃダメな理由は「彼以外に信頼できるものがない」ということを示していることが多いみたいですよ。

これを「無意識の加害」という視点で表現するならば「彼以外の人を信頼していないのは自分」ということになるわけですよ(アイタタタ・。)

が、実際にこの状況になると不安や孤独などを感じることになるでしょうから

「彼を手放して私が幸せになれるとは思えないし、一人ぼっちになってしまう」

と、いわば受け身な感覚で捉えてしまう場合が多いのかな、と思います。

ということで、実は「訳アリな彼と離れられない本当の理由」は

「彼以外の人とのつながり、関係性」という部分にあるのかもね、というオチであることも少なくないんです。

つまり、彼ではなく、それ以外の人たちとのつながり、関係性の中に潜む「人を遠ざけている意味での加害意識」が自分を追い込んでいる、という話ですね。

ここをしっかり見つめて手放していく方向に進むと、より簡単に幸せになれるイメージが手に入るのですけど、まぁ今日の話はやっぱり分かりづらいと思うのですよ。

この分かりづらいと感じる感覚こそが「心理的な抵抗」なんですけど、更に分かりづらいわなー(^^;

ということで今日はこのへんで。

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