日常に使える心理学

別れの痛みと心理パターン その2

心理カウンセラー浅野です。いつもありがとうございます。

前回のコラムの要旨は「僕が過去の失恋で大ダメージを受けた一つの要因として、「自分が何かを求めることが苦手」というものがありましたよ、というものでした。

この自分から何かを求めることが苦手・・・とそう感じることが僕のココロの癖、心理学では「心理パターン」と呼ぶものだったわけです。

この心理パターンをよーく眺めていくと、恋愛だけでなく日常的・慢性的な「強い我慢」「感情をとにかく抑えて表現しない」といった要素が見えてくるわけです。その裏には愛される秘訣であったり、いい子でいつづけようとする心理があった。

そしてどこかそれが当たり前になっていたんですね。

そこで出てきた僕の課題・・・とまでは言いませんが、僕にとって変化させるといい部分は、こんな感じでした。


・「いい人」「いい子」であることをそろそろやめてもいいんじゃないの?という部分。
・感情を言語化することすら難しかったので、とにかく自分の感じている感情を表現すること。

ということで今日は1つ目。「いい人」の部分について書いてみたいと思います。

さて、一般的に言う「いい人」って、いい人ですよね(笑)言葉の意味が分かりませんよね、これじゃ・・・。

いい人って他人に迷惑をかけない、人に優しくする、といった好意的に捉えられる行動をする人のことをさしますよね。

そしてあまりネガティヴに捉えられることは少なく、いい人であることはむしろ歓迎されるといった側面を持つように思うんです。

しかし、その「いい人」っぷりが自分の我慢や犠牲、役割を演じることでで成り立っていたとしたら?それはいい人をやってる本人にとっては辛いことになってしまいます。

そして我慢や犠牲、役割で成り立っているいい人はどこか持続性に欠けます。いい人を愛を動機にやってるわけではないから、すぐ疲れがくる。愛というエネルギーではなく、役割や防衛、義務でやっているので、心がガス欠になってしまうのですね。モチベーションが続かないのです。

また、誰かに愛されるために、誰にも責められないためにといったニーズの裏返しや、自分を守る「防衛」としていい人をやっていると、自分の中にどうしても後ろめたさがやってきます。

いわゆる罪悪感。誰かを欺いている感覚や、自分の本心を伝えていない感覚がやってくるんですよね。

これが辛いんです。

しかも、誰かに愛されるために、受け入れられるために「いい人」をやっていると、愛されなかった時の恨みつらみや怒りは更に倍!って感じです。

誰にも責められないようにいい人をやっていて、それでも批判が飛んでくることがあると、その批判した人を打ち落としたくなるほどの怒りを感じることもあるでしょう。

言葉を選ばずに書けば、「とにかくムカつく」んです。

これだけいい人をやってるのに、どうして分からないんだ!となってしまうわけです。

こんな状態で失恋すれば・・・そりゃ心中穏やかなわけがありません。

そして、いい人を演じたリターン、恩恵はあまり多くありません。自分が思っているよりも少ないリターンしか帰ってこないことが多く、その度に自由に自分を表現している人をみて羨ましくなったり、疎ましくなったりすることがあるわけです。

何故そうなるのか?

これはちょっとショッキングなお話になるかもしれませんが、あえて・・・。

実はここで言う「愛から行動していないタイプのいい人」って「ココロのエネルギー的に何も与えていない」ことがとっても多いのです。

むしろ自分のためにいい人を演じていることが多いのです。もちろんこれがいいかどうかは別の話です。

(むしろ善悪の判断をするとややこしくなりますので、それは横においておいてくださいね。ココロの世界に善悪判断の基準はありませんので。)

だから、いい人をやっていても、気分がよくなることもないし、自分は何もやっていないような罪悪感を感じやすくなります。

たとえ誰かのためにと必死で頑張っていたとしても、この心理パターンがあると、自分の行動や頑張りの成果を認めにくくなったり、自分のやっていることが「大したことじゃない」といった感じにしか捉えられなくなっていきます。

ここでは空虚感や無意味感といった空しい感覚を感じることが多くなり、対極にある自由さや充実感を感じる機会を逸していきます。

なんともやるせないお話なのですが、ココロの中ではこういうことが起きているわけなんです。

とはいえ、もちろん悪意など無く必死でいい人をやっていた僕にとって、この事実を知ったとき、結構な衝撃を受けたものでした・・・。

正直、「自分のやってきたことが間違っていた」「徒労でしかなかった」「今までの苦労は誰のためにもなっていなかった」という認識を持ったので、本当に腹が立ちましたし、何だか情けない気分になった記憶があります。

しかし、本当はそういう意味ではなかったんです。

むしろ、「そこまでいい人ができると言うことは元々ハートがタフだったり、本質的な優しさや愛を持っているはず」

なのに、いつどこで?かは分からないけれど「このままじゃ自分は愛されない」と思ったときから「いい人」を演じるようになった。

問題の本質は「その誤解」にあるんだよ、ということだったのです。

演じなくても、そのままで十分愛せるはず、ということでもあるわけです。

僕はこの誤解を拭うことができずにいい人になろうと躍起になって、自分本来の姿を見失っていたのですね。

自分を見失っていくら努力しても、自分の中の充実感は満たされませんし、何をやっていても他人事のような感覚しかやってこないものです。そりゃ人生楽しくないよなぁ~と今になってそう思います。

では、僕がどうして自分を見失ってしまったのか?いい人を演じるようになったのか?なのですが。

そこには、僕のココロの中に眠っていた「感情」が大きく作用していたわけです。

「自分が欲しいものを欲しいといえない」その理由はこのあたりにあるわけですが・・・。この続きは次回にします。次回はちょっとエモーショナルなお話になるかと思いますが、よろしければお付き合いくださいね。

それでは、また!

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