アサノのコラム

敗者の振る舞い、勝者の振る舞い

今日はアサノのコラムを更新。

心理学とは全く関係のない話をただ書きなぐる雑記のようなコラム。

もちろんツッコミどころ満載ではありますが、ツッコミは全てスルーの方向で驀進する無双のようなコラム。

よろしければ暇つぶしにでもどうぞ。

敗者の振る舞い、勝者の振る舞い

とかく僕たちは「勝つ」ことばかりを考えてしまうものなのかもしれない。

もちろん「勝つ」という目標が悪いわけではない。

しかし、「勝つ」こと自体にどれだけの価値や意味づけができるかは、自分の振る舞い次第なのかもしれない。

そして、同じことが「負ける」ことにも言えるのではないだろうか。

「負ける」こと自体にどれだけの価値や意味づけができるかは、自分の振る舞い次第なのかもしれない。

最近、そんなことを感じる出来事があった。

一部の浅野マニアな方はご存知がもしれないが(セミナーや講座でよく話しますからねぇ)

僕は今、競技麻雀を見ることにハマっている。

「Mリーグ」という競技麻雀のプロリーグである。

高度な頭脳戦、心理戦である麻雀は本当に面白いのである。

絶対に勝てるという確証もなく、絶対に負けるという確証もないこのゲームだからこその面白さがたまらなく好きなのである。

故にAbemaプレミアムに加入し、いつでもどこでも対局を視聴できる状態を作っているのである。

かつ、今年は推しチームがレギュラーシーズン首位で駆け抜けてくれたこともあり、こっそり喜びを噛み締めているところである。

その中での出来事である。

レギュラーシーズン成績、年間1位の選手と2位の選手の直接対決が最後で起きた。

そして、年間1位の選手が逃げ切り、MVPとなったのである。

が、その対局が終了した瞬間、2位の選手が1位の選手に手を差し出し

「おめでとう」

と伝えていたのである。

もちろん1位の選手は感激し、涙を浮かべていた。

この光景を見て

「一体どちらが勝者か分からない。

いや、そもそもそんなことはどうでもいいことなのかもしれない」

と感じたのである。

すぐに勝者を称えた2位の選手の振る舞いは、本当の勝者の振る舞いのように見えたのだ。

そして、敗者の振る舞いが勝ち負けを超えたなにか別の価値観を作った瞬間のように思えたのである。

もちろん1位の選手は優れた成績を残したことは事実であり、素晴らしいことであることは間違いない。

***

先日、ありがたいことに取材協力させていただくことになったセキララゼクシィさまの記事。

僕はこのような話をさせてもらった。

相手のいい気分になってもらう、という気持ちで人と関わるようにしよう。

目の前の人に興味があろうがなかろうが、自ら相手をいい気分にさせる態度を取ること。

この行動は自分や眼の前の相手だけでなく、その様子を見た周りの人たちにかなりの影響を与えることになる。

第三者の立場から見たことは強い信ぴょう性があるからこそ、自分の意識だけに入り込むことはそれなりのリスクが出てくる。

ときには裸の王様のような状態にもなりかねない。

つまり、「自分の振る舞いが与える影響力に関する視野の広さをどこまで持てるか」という話である。

自分の振る舞いは、目の前の物事に対してだけ影響力を持つものではない。

自分の振る舞いが、他の誰かに対しても影響することは十分にありえる。

もし、自分が負けたとき、悔しいと涙を見せたとしたら、それこそ「本気や情熱」を感じさせることになるだろう。

もし、自分が負けたとき、負けた言い訳や誰かのせいにしたら、それこそ「自分の本気や情熱、努力」は人に伝わらりにくくなるだろう。

もし、自分が負けたとき、勝った相手のすばらしさを認める度量を持ち合わせているとしたら、おそらくどちらが勝者で、どちらが敗者であるか、分からなくなるかもしれない。

自分が負けて悔しい思いをしたとき、どのように振る舞うか。

それを選択できるだけの視野の広さとメンタルを持っているかどうかで、自分がほんとうの意味で負けるのか、そうではないのかが決まる、と思うのである。

もちろん勝った側もそうだ。

負けた相手を見下すのか、それとも謙虚に相手と向き合うのか。

そこでの勝者の振る舞いは真の勝者であるかどうかを決めるものになるだろう。

 

そう思うと僕は、そもそも勝ち負けという考え方自体、どうでもいいように思えるのである。

勝ち負けはあくまで順序尺度、いや、名義尺度のようなものでしかないような気がするのである。

それよりも、自分が勝ったとき、負けたとき、どのような振る舞いを見せるのか。

その視野の広さが成功や人望というものに大きく関わってくるのではないか、と思えてならないのである。

 

かくいう僕も、どちらかというと負けると悔しくて眠れないタイプである。

ただ、自分の中でこう思う自分もいるのである。

「自分が負けたときほど、自分のことばかり見るのではなく、勝者を心から賛えたい」と。

そして、この視点を持つには普段からの努力だけでなく、そもそも勝ち負けを超えた、人としての振る舞いについて深く見つめておく必要があるように思うのである。

それこそ「自分がどうありたいのか」そのもののような気がしてならないのである。

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