恋愛・夫婦の心理学

愛する人への怒りは親密感を遠ざける

愛する人への怒りは親密感を遠ざける

私、望まない恋愛から卒業したいんです。

私の恋愛はいつも既婚者(もしくは積極的に愛してくれない彼)ばかりなんです。

いつも「今度こそはいい人と」と思うけれど、つい相手に押されると負けてしまって、付き合うことになってしまいます。

別れるときはいつも私がフラれる形になることが多いです。

自分でもどうしてこんな恋愛ばかり続けてしまうのか、と思うけれど、なぜかいつも同じような恋愛ばかりになってしまいます。

きっと押しに弱くて、「断るのも悪いな」と思い、相手を受け入れてしまう私に問題があると思うのですが、どうすれば改善できるのか分かりません。

私も結婚やこれからのを考えるようになって、でも今のままではずっと一人かもと思うと不安になります。

でも、私がいい恋愛ができるとも思えません。

もしこの状態から卒業する方法があるなら教えていただきたいです。

望まない恋愛からの卒業、というご相談はカウンセリングでも多数扱わせていただいてきた案件ですが、その心理的背景について更にマニアックな話をします(^^;

今日のテーマは「望まない恋愛ばかり」を続けてしまう理由が「最愛の人に対する怒り」だったという話です。

無意識的に、元カレ・元カノとか親などに対して向けている怒り、という感じですね。だから表面的には全く怒っていない方であっても、実はこの話の対象になることがあるわけです。

それほどまでになんとも分かりにく話なのですが、しかし意外とカウンセリングの中でよく出てくるテーマです。

もし自分自身が最愛の人に怒りを感じているとしたら

もし自分自身が「最愛の人だと感じている人」に対して怒り(激怒)を感じているとしたら、おそらく「最愛の人」は選ばない、つまり「今後幸せになれると思える人」は選ばないということになる、ということです。

・・・ん?って思いませんか?

普通「今まで愛されなかったとしたら、次は自分を心から愛してくれる人を探す」と思いますもんね。

それは意識としては正解だと僕も思います。

が、深層心理レベルで「愛してくれる人を探す」としたら、そもそも「望まない恋愛」で苦労することと矛盾してしまうというわけです。

もちろんそれがいいかどうかは別にしてね。

だとしたら、深層心理レベルでは「最愛の人に出会うと何かしらの葛藤が生じるのではないか」と考えたほうが今起きていることの理由に筋が通る、ということなんです。

また、この話をあえて消去法の視点で考えると「今後幸せになれそうではない人」を選ぶということでもあります。(それが嫌だから一人でいる、という選択もあります。)

多くの人が「最愛の人を傷つけたい」とは思わず、「最愛の人をこれ以上傷つけたくはない」と思いうものでしょうから、ならば「誰も選ばないほうがいい」と感じてしまう可能性があるわけです。

だからでしょうか。

恋愛のご相談をいただくとなんとなーく「私は好きな人を選んではいけない(幸せになってはいけない)気がする」とおっしゃる方も少なくないんですね。

その話を少し深堀りしましょう。まずたとえ話から。

例えば、Aさんという女性に最愛の人(Zさん)がいたとしましょう。

AさんとZさんさんは相思相愛で素敵な関係を作っていました。

しかし、Zさんは急にAさんの前から姿を消しました(事故や病気などの事例を想定するとわかりやすいかと思います。)

その時、Aさんは強いショックを受け「まさか」と現実が受け止められません。

そしてその後で、ジワジワっとAさんが「Zさんがいない」という現実を実感し始めると、「どうして私の前からいなくなったのよ!」「こんなことになるなら出会わなきゃよかった」「私は何もできなかった」と怒りを感じ始めたのです。

この時のAさんの怒り、実は「最愛のZさん」に向けられているものなのですよ。

このようなとき、起きた現実を受け止められるプロセスの前には「最愛の人に怒りを向ける」という状態になりやすいのですね。(必ずそうなるとは限らないのですが)

この状態はあまりに起きた現実が受け止められないときに起こるものなのである意味致し方ない状態ではあるのですが、見方を変えれば「自分から最愛の人を責め続けている」という状態であり、愛していた最愛のに愛せなくなっている、という状態でもあります。

繰り返しになりますけど、そうなってしまうにも事情がありますし、致し方ないわけですけどね。

ここでお伝えしたいことは、いわゆるカウンセリングのご相談として上がってくる「望まない恋愛」とは、そもそも「今の相手に対する怒りを感じやすい状況そのもの」ということなのですよ。

満たされるようで満たされない。
愛されているようで愛されていない。
愛しているようで愛しきれない。
そばにいるようでそばにはいない。

そんな思いを感じやすい状況は、どこかで「目の前に最愛の人がいなくなった状態」と似ていると僕は思うのです。

ならば、「どうして愛してくれないの」「どうして愛を受け取ってくれないの」と感じたって不思議ではなく、その思いがあるからなかなか諦めきれないと思うことだってあると思うんです。

また、何よりしんどいのは「愛している人に(自覚なき)怒りを向け続けているのは自分」ということ。

この状態は「望まない恋愛」に陥ったときに生じるものというより、それ以前に何かしらのハートブレイク(恋愛や家族など親密な人との関係で感じた心の痛み)によって引き起こされる可能性も否定できないんです。

要は「最愛の人に愛されていない」だとか、「最愛の人に必要とされなかった」といった痛みがあると、つい「最愛の人に怒りを向けてしまうという状態」が続いてしまうことがあるということです。

もちろんこれもそうなるような事情があったということで、それ以上でもそれ以下でもないわけですけどね。

この場合は、実際に痛みや悲しみなどを受け容れたり、解放すること、またそもそも怒りを向けている人との関係を改善することによって、今の恋愛パターンをより良い方向に向けることを考えていくわけですが、なかなかね、この手の怒りは手放し難いものなんですよ。

なぜなら、「最愛の人に愛されていない」だとか、「最愛の人に必要とされなかった」といった痛みがあるとき、自分もまた「最愛の人を愛していないし、必要としていないこと」が多いからです。

これはまるで「自分にとっての最愛の人を失った(いないと感じる)ような痛み」ですから、この痛みを理解して、もう一度最愛の人と向き合うことは容易なことではないときもあります。

そこでは一旦「私は最愛の人から愛されていないと感じている」「受け容れられていないと感じている」と、そこで怒るのではなく、自分を責めるのではなく、自分の思いを「そう感じているんだ」と、自分の責任の上で受け止める必要があるからです。

もちろんその思いが真実ではなく誤解やただの疑いであったとしても、自分が感じている思いとして受け止める必要が出てきます。

これが超難しいんです。

それこそ「人の愛を疑い、拒絶しているのは私」と認めることであって、そんな自分でありたいと願っている人はほぼほぼいないからです。

ただ、この思いを認めることができると、そこで「本当の自分」と出会うことも可能になります。本当は人を信じ、愛し、最愛の人のために何かを与えたいと願っていた自分を理解できるようになります。

しかし、その思いを受け止めきれず、最愛の人に怒りを向ける状態を続ければ、自分から愛することも、相手からの愛を受け容れることも難しく、いつも満たされない状態が続いてしまうこともしばしば起こります。

だから、つい「私は十分ではない」と感じてしまい、その自分と釣り合う人をパートナーに迎え入れてしまうことも起こり得ることです。

この話はちょっと難しい話なのですが、しかし実際にはこのようなことも起こり得るのですよね。

抜け道と考え方について

この場合は最も自分と馴染む人、自分を好きになる人、大切だと言ってくれる人に対して、過去の「最愛の人」の影を映し出し、「この人もいつかいなくなるのではないか」「思いが届かないのではないか」という不安を感じている状態にあることが多いんです。

いわば怖がっているんですね、恋愛がうまくいくかどうかを。

その状態をいかに手放すか、ということに尽きます。

その視点から自分の心のケアを進めていったり、時には「過去の恋愛(失恋)や対人関係(友人関係)」や「家族や両親との関係」にフォーカスして、どこかで「愛されていなかった」だとか「自分を理解されなかった」といった思いを整理し、過去の恋人、自分や両親、家族などを理解し許す、といったプロセスが有効になる場合が多いですね。

 

また、ぶっちゃけた話をすれば、悪い意味ではなく「人は一人で生きて、一人で死んでいく」ものという考え方を少し頭の隅に置いておく、なんてことも有効になるケースがありますかね。

このような孤独はぶっちゃけ逃れられるものではない、と僕は思うのです。

また、孤独があるからこそ、人とつながることができるし、わかり合うことの喜びを感じられます。

また、残念だけれどご縁がない人との出会いを手放すこともできるでしょう。

実はこの手の怒りがある人ほど、寂しさと孤独を恐れている場合が少なくないように僕は思います。自分が一人ぼっちになるのではないか、という恐れが強いんです。だから、そばにいる人に対して怒りを感じやすい。

ここでは前向きな意味で「自立する」ということが求められている場合もあると思います。

 

また、孤独や寂しさを受け容れることと、我慢して孤独が消えることを待つことは違うことですし、「孤独」と「分離(自分は人と違うと感じること)」は違うこと。

自分が人と違っていても、わかり合うこと、つながること、相手の気持ちを受け取ることは可能です。

しかし、自分の孤独は自分が感じていることでもあり、ある意味誰もが感じているものであるからこそ「どこか自然な理解として受け容れ、できれば人の孤独を理解する」といった意識を持っていたほうがいいと僕は思うのです。

この辺の気持ちを整理できると「やっぱり自分が選択することは自分にとってベストであるほうがいい」と思えるようになると僕は思うのですよ。

孤独にならないために無理をしてしまうことが少なくなるように、ね。

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