前回からの続きです。
どこか相手を無意識にちっぽけな存在してしまっている「悪意なき加害者」の問題。
あなたの中の正しさに基づいた行動が、結果的に相手との溝を作ってしまうという構図。
結局のところ、ここで大切なのが「あなたの自信」です。
まず自分の大きさ、素晴らしさを自覚すれば、少なくともあなたは自分のパートナーや、自分の未来を信頼できるようになりますからね。そこからあなたが何を選ぶか?という発想が必要になってきます。
逆に、「私はこれだけ愛したのだから私が選ばれるとか、報われる」など、若干受け身なスタンスでいればいるほど
「頑張っているのにどうして上手くいかないのだろう」という結論に行き着くことが多い。
なので余計に、相手を信頼して愛するのではなく、相手の気持ちをコントロールしようとしてしまいがちですから。
そんな時
「どんな不安にも負けない私になれればうまくいく」
「パートナーのどんな部分も受け入れて愛すればきっとうまくいく」
とお考えになるガッツのある方もいらっしゃるかもしれませんが、それが上手くいかないから焦るんですよね。
逆にこの発想も、あなたが相手に不満と問題があると感じているという意味で、相手の気持ちを信頼できなくなっていますし、相手の機嫌を取るために下手に出ることもまた同じことを意味します。
結局、ここではパートナーとの対等さが失われているのです。
そんな時、ではあなたが、「どうして相手を無意識にでもちっぽけに扱わなければいけないのか?」ということを考えていくと
どうしてもあなたの中にある「相手をちっぽけに扱わなければ感じてしまう脅威、怖れ」の存在は否定できなくなります。
もちろん多くの方が気づいているようで普段は気づいていない感覚です。
本当は愛されているのか自信がない。
本当に相手は私を選び続けてくれているのか不安。
ほぼ30代以前のあなたであればあなたの若さや未来の可能性で払拭してきた不安。
うまく機能していた時期のパートナーシップの中では「安心の裏に隠れていた」不安。
何よりあなたが「相手をただ愛するという行為で払拭していた」不安。
その部分と、失恋、浮気や離婚の問題の多くは、そういったあなたが隠していた不安を的確に刺激されるケースが多いように思います。
しかも、もう20代のような若くない時期に。だから焦りますよね。焦るし不安だし、今のパートナーシップを手放すのが怖い。
ここで感じる怖れには不信感がつきまといますね。
相手は私のことを愛してくれているのだろうか?
私は相手を十分に愛せているのだろうか?
あなたがこれだけ努力して愛してきたのにもかかわらず、です。
しかし、あなたがその手に自信を感じるようになれれば。
どこか「そもそも私はいろいろな人に愛される存在であり、今までも愛されて生きてきたのだ」ということを自覚できる度合いだけ、あなたがパートナーを愛する動機が変わります。
そこでは、自分がいろいろな人に愛されたように相手を愛することもできるでしょうし、私が愛する意味もあなたは感じることができるでしょう。
何より、相手を尊重できるようになります。
受け入れるところは受け入れ、相手が乗り越えるべき部分は相手に渡すことができる。
私もパートナーも素晴らしい。だから、お互いに信頼し合える。
私もパートナーも完璧じゃない。だから、お互いに必要で、支え合える。
この感覚を両立させていくことが対等さですし、信頼~相手を信じる、自分を信じる~ことになっていくわけですよね。
今までパートナーをちゃんと愛してきたあなたは、きっと十分な存在です。
無意識に相手に不信感を映しださなくても
ムリに頑張らなくても十分な存在なはずです。
そんなあなたを脅かす不安があるなら
あなたを不安という動機で突き動かすものがあるとしたら
それは一体何なのでしょうか?
多くカウンセリングの現場にいると、そういった不安を小さくすることで関係性が向上するパートナーシップ、またはお互いに自分の幸せを考えられる関係性に向かうケースを、たくさん扱わせて頂いてきた気がします。
なりたい自分になるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。
ブログ読者の皆さんからのご質問に浅野がブログ上お答えする「ネタ募集コーナー」は現在も継続中。よろしければあなたの訊いてみたことを↓のページから送ってくださいね。
