心には再生する力も備わっているのです
「もうダメだ・・・」と思うようなショックな出来事が起きてから
私達の心は今まで書いてきた通り、「強いショック」によって、将来の希望や先々のことが全く想像できず、考えるだけで苦しさを感じたり、全く思考が働かない・・・
そんな日々を過ごすときもあるかもしれません。
しかし、そうした「心のプロセス」を経て、起きた出来事そのものや、その後の「心・気持ちの変化」を受け入れていくと、心は回復する・・・それはあたかも「立ち上がる」ような段階を迎えていくんですね。
よく私達の世界では
「感情の死は新しい生まれ変わりを意味する」
と言った言葉を使うことがありますね。
もうこの感情は、この思いは消えないのではないか?と感じるようなことがあっても、ゆっくりと着実にその心のプロセスを経ることで、まるで自分が生まれ変わるかのように新しい段階に入っていきます。
このプロセスに入ると、今までの考え方ではなく、どこか別人になったようなそんな感覚を覚えることもあるんですね。
「・・・そうだよな、このまま悩んでいてもね、前を向こう。」
「もういいか、そろそろ僕も私も変わろうって思うんです。」
「もうくよくよしていたくないな。できることをやってみようと思う。」
そんな感覚が・・・最初は小さな光のようなものであっても、徐々に前向きでパワフルな気持ちが確実に心の中で感じられるようになるんです。
それはまるで、今まで視界を包んでいた霧が晴れたような感覚であることもあれば。
今までモノクロだった日常が、ゆっくりとでもどこかカラフルに感じられるようになっていくこともあります。
「前みたいに辛い気持ちを感じる時間、悩む時間が減ってきたな」とある時ふと気付くこともありますし、周りの人から「最近明るくなったね」と言われて気付く場合もあるようですね。
かつてが、もう無理だ、笑えない。そう思っていた私が変わっている。
不思議ですけど、そういったことも起きるんですね。
それぐらい私達の「心」には、そういったパワフルな力もあるんですね。
そうなると、いわゆるネタといいますか、過去の出来事が「あの時、こうだったんだよねー」と友人に仲間に笑って話せるようになることさえあります。
ここでは「辛い時、無理して笑う」ではなくて、じっくりを向き合ってもう一度笑える私に戻って行く、というイメージが大切。
笑えない時に無理に笑おうとすると、平気なふりをしようとすると、逆に苦しさが増すこともありますから、心の回復プロセスを大切にしてみることが、結果的に近道だったということもありえますね。
また、ショックな経験から「何かを学ぶ」こともできるようになります。
もちろん学べるものは、それぞれのケースによって違いますが、例えば・・・
「人の温かさに気がついた」
「辛い気持ちを通じて人が理解できるようになった」
「人と人とのつながりによって救われることがわかった」
「どこかで諦めなければ何とかなることもあるんだと知れた」
「夢や希望は持ち続けるだけでも十分に意味があると知れた」
こういった学び、成長も感じられるようになるんですね。
特段痛い思いをしなければ学べないわけではないですけれど、しかしどんなことからも学び、成熟することもできる、ということなんですね。
そう考えると、心の回復プロセスをある程度学び、その心に向き合うことが「私に、人に優しいこと」とも言えそうですね。
また、心は決してどうにかなってしまっているわけではなく、僕達が生きている限り、何度でも立ち上がるパワーを持っています。
もちろんそのプロセスに、長い時間を要することもあると思います。実際に僕もそれを知っています。
しかし、そうであっても心は復活していきます。大きな闇からちゃんと抜け出せるんですね。
そういったプロセスを経たとき、人は「まるで奇跡のように感じる・・・」そんな表現をするのかもしれないと僕は思うんです。
もし、あなたが、そしてあなたの大切な人が、何かしらの悲しみや辛さ、ショックに打ちひしがれているならば、みなさんに「この奇跡のように感じる」ような、しかし着実に回復する心の偉大なパワーについて、知っていただければ、と願いを込めてこのテキストを終えたいと思います。