浅野寿和さんのブログで質問募集してたので。
人嫌いが加速して、老人の特に男性を見ると、見るだけでかなり気持ち悪いと感じます。若い男性も気持ち悪く感じることが多々あります。
それは例えば満員電車の中で、耳の穴に指を突っ込んだり鼻の穴を平気でほじり、鼻くそを弾きとばす男性があまりにも多いから。
席に座って隣に女性がいようと耳の掃除を延々する人が多いから。トイレの後手を洗わない男性の知り合いがいたから。
シルバーセンターから来ている駐輪所で働いている老人があまりに横柄な態度が多いから。
電車の中で、卑猥な言葉を投げ掛ける変態老人に何度か遭遇しているから。
そういうろくでもない老人が多すぎて、例えば政治家も老人ばかりだし。警察署とか。知り合いの老人から肩触られたり、好意を持たれるだけでも気持ち悪い。
むかしは私もラピュタの後半盛り上がるとこで、ムスカ大佐の人殺しを見ては心が痛くなるような純真さだったのに、今はムスカ側の人間のようです。
人の幸せを喜べないのは余裕がないからだ。もっと自分を癒すべきだ、という記事を見て、私も余裕は全然なく、荒んだ心がさらに怒りと憎しみを産み、過去に体験したり見聞きした陰惨な出来事やニュースを思いだし悪循環になっていて、でも自分を癒すだけでは人嫌いは治りそうにありません。
どうしたらいいでしょうか。
駄文なので、簡略化でも削っても変えても何でもいいので取り上げられるか検討してください。
糸口も探せず、何年も経ってしまいました。
よろしくお願いします。
(匿名40代独身女さん ※原文のまま掲載させていただきます)
この話、嫌悪感の話と見るか、怖れの話と見るか
今回書いていただいてあるお話、そりゃマナーという意味でみれば嫌だし、気持ち悪さ、嫌悪感を感じても不思議はないと僕は思いますよ。
ただ、この問題を嫌悪感に関するもの、だから「人嫌い」がテーマと見ることもできるのですが、
僕には「怖れ・脅威」がテーマだ、と思えるんですよね。
今回、書いてくださっているような男性などが「あなたの脅威になっている」という見方。
だから、その脅威の対象である男性を、嫌うことで近づかない、身を守っているようなイメージ。
この僕の見方の違い、何を意味しているのか?といいますと。
「私が人に嫌悪感を感じて相手を拒絶している」と解釈すれば、あなたが感じる嫌悪感・怖れが強まり、あなたがご自分を責める理由に簡単になりそうです。
しかし、実は、「私は脅威に囲まれて疲れ果てちゃっているのだ」と解釈すると、まだあなたの感じる嫌悪感や怖れ、自分を責める理由が減りそうだな、と僕は感じているんですよね。
どこか、あなたの中での「問題」の意味が変わるのではないだろうか、と思うんです。
拒絶すると罪悪感を感じる、の法則
人はなぜか、どんな事情があっても「人を拒絶すると罪悪感を感じる」ものです。
それを実感できているかどうかは別にして。
だから、あなたが人に嫌悪感を感じて距離を取ると、その内面で罪悪感を感じ、なんだか私を肯定できなくなる。
どこか罪悪感ふさわしい自分・・・自分自身がどうにもいい人のように思えなくなる、という心の動きがありそうですね。
これが繰り返されてしまうので「ムスカ大佐側のような人間」と表現してくださっているのかな?と僕は思うのです。
投影と戦争の心理
また、あなたにどんな事情があるにせよ、「あなたが誰かを攻撃している(敵意を持つ)と、今度は私がその人から攻撃を受けるのではないか?」と感じやすくなります。
これが投影の法則です。
だから、あなたにとって、最初は「嫌だなぁ」と思っていた程度の「嫌悪感」であっても、あなたが、その嫌悪したものに攻撃的な気持ちを向けると、今度は「その脅威が私に向くのではないか?」と感じるようになるのですよね。
だから、あなたは今まで以上に脅威を感じるようになり、だからさらに嫌悪するものに強い拒絶や攻撃性を持つようになります。
すると、またその強まった嫌悪感・脅威に備え攻撃性を持つので、さらに強まった脅威に備えるために・・・・
このように延々と繰り返されループが待っているということになり、終わりのない話になっていくわけです。まるで「エンドレスもぐらたたき」のようなイメージです。
これはまるで愛とは対極の、「戦争の心理」とも言えるものだと僕は思います。
最初は小さかった脅威の火種が、私の攻撃性や拒絶によって、より強い脅威に感じるようになる、という。
これは対人関係の問題だけでなく、恋愛や夫婦関係で出てくる問題も、このように出来上がっていることも少なくないものです。
例えば、
一度夫のことを「ウザい」と攻撃すると、どんどんウザくなっていく、のもそう。
(夫をウザいと思っている自分が実はウザいけれど、夫が私をウザがらせているとしか感じない)
あなたが人の好意を悪気はないけどお断りしたら、相手は傷ついて影で私の悪口をいうのではないか?と感じやすくなることもそう。(実際はとてもいい人なのに、つい相手を疑う)
だから心のレベルでの「問題」は「自作自演」なんだ、ということなんですけどね。
索敵モードのスイッチが一度オンになると・・・
さて、このあなたの中の「索敵モード(脅威を察知するモード)」のようなもの。
そのスイッチの正体は「怖れの感情」ですけれど。
このスイッチがずーっと入っているとすれば、あなたの心はなかなか落ち着けないかもしれませんね。
そこに加えて、「私が人を拒絶している」という、自覚なき罪悪感で自己肯定感が下がってしまうと、さらになんだかなぁ・・・・と感じてしまいやすくなり、人に愛されるだとか、助けてもらえるとも思いづらくなる。
すると更に自立(いかに傷つかないかを考える)が強まり、あなたの心が窮屈でストレスフルな状態になってしまうんですね。
自分にご褒美をあげると、その心は解放されていく
例えば、
もし、あなたがいい気分でいる時間が長ければ、脅威の投影はあまり起きないので、更に気分が良くなる時間が増えるでしょう。
また、あなたがいい気分の時、自分のことを責めていじめる人は少ないですから、罪悪感を手放すこともできますね。
僕はそう考えるので、少しあなたの心を癒やす、心に余裕を持つことは有効なこととお伝えしているんです。
逆に、自分の身を守るために状況をコントロールしようとすることは、あなたの怖れを強めてしまいますから、私達がお伝えしている問題解決方法とは逆の考え方になる、と思っていただければいいのかもしれません。
そのために日常でできること・・・オススメは「転地」です。
思い切って場所を変えて、ゆったり自分の好きな場所でリラックスする時間をつくる。自分のためにご褒美を与えるようなイメージで、ゆったりのんびり・・・。
心がすぐに休まらなくても、そういった時間を増やすことで、あなたが「怖れ」や「脅威」を感じない時間、すなわち罪悪感を感じにくい時間、を作ることに意味がありますよ。
まとまった休みを作って、数ヶ月ぐらい繰り返したいところですね。
それが難しい時は、あなたの「お気に入りのカウンセラーとのカウンセリング」を日常に取り入れることも「有効な方法」ですね。
ちなみに「ずっと自宅でゆったりするだけ」ですと、そこが日常の脅威から唯一の自分を守るシェルターっぽいイメージになりやすく、なかなか心が落ち着かないこともありえますので、少し注意してみてくださいね。
最後になりますが、どんな理由があるにせよ、私たちは「人を脅威に感じたり、嫌悪する」と「自分のことを良い存在」と思いにくくなるものです。
これは大きな疲れや、自己嫌悪の理由になってしまうこともあるでしょう。
しかし、その状態で悩まれているということは、きっとあなたは「人を理解し、愛したい」と思う人なのかもしれませんね。でなければ、きっと悩まないでしょうから。
そういう意味では、今も「ラピュタのムスカ大佐の人殺しを見ては心が痛くなるような純真さ」は、なくなっていないのかもしれませんよ?
だから、どうかご自分を大切にしていただければと僕は思います。
以上、何か参考になりましたら幸いです。
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