今回もブログネタ募集企画におよせいただいたご質問にお答えしております。
よろしければどうぞ。
うおざさん、いつもブログをご覧いただきましてありがとうございます。
そして、この度はネタ募集コーナーにご協力いただきましてありがとうございます!自己肯定感ですね、素晴らしいテーマをありがとうございます。
そして、超自立男性を愛してしまった忍耐女子でいらっしゃるそうで!しかも彼とはいい距離感のまま!んースゴい!本当に素晴らしいですね!
それではご質問に対する回答へ。
自己肯定感の高い人は、否定的な感情に飲まれないのが特徴です
>仕事で、普段あまり接することのない人たちと何日か過ごす時など、すごく楽しいけど同時に疲れてしまう自分がいます。
これは程度の差はあれ、影響を受けやすい、といいますか、感じやすいことかと思いますよ。
慣れていない場所も同じですが、普段あまり接しない人と一緒にいて、全く警戒しない人は少ないのかもしれませんしね。
そもそも慣れていない人への気遣いって、私が一方的に行っているもの、とは限らないと思うんですよ。相手だって気遣いをするでしょうし、仕事上でのお付き合いなら、完全に素の自分のまま自己表現されているとも考えにくい状況ですよね。
だから、こういったお互いの気遣いの中にいると、見えないんですけど、自分だけでなく、相手の感情の影響も受けていると考えることはできます。共鳴作用と言うんですけどね。
お互いに自分の感情を抑圧(ギュッと押さえ込むイメージ)していると思いますし、気遣いのためにネガティブになりやすく、どこか「怖れ」の感情を(お互いに)使っているでしょうからね。
そういった感情の動きを意識しないところで感じ合っているので、気の置けない人との関係以上に疲れやすいということは起こり得るかも知れませんね。
>そういう時の自分を振り返ってみると、相手の顔色や反応を心配しながら接してることに気が付きました。特に、自己肯定感の高い人に対し、憧れや恐れのようなものがある気がするんです。
これはいい気付きですよね、そう僕は思いましたよ。
自己肯定感の高い人に対して、憧れもあれば、怖れのようなものも感じる。
憧れは、「あの人のようになりたい」ですので、それはそれでよしとして。
怖れは、うおざさんが何かしら怖れを感じるような、怖れとは別の心の動きがそこにあると考えてみてもいいのかなぁ、と僕は思うわけです。
自己肯定感が高い人と、自己肯定感が低い人の心の反応の違い
さて、自己肯定感が高い人と、自己肯定感が低い人の心の反応の違いですが、特に浮き彫りになりやすいのが「自分自身への否定的感情」の違いです。
自己肯定感が高い人ほど、例えば、「問題が起きたとき」や「人との比較・違いを感じたとき」に、それによって自分を責めたり、誰かを責めたりすることはありません。
目の前にある事実だけと向き合うことができます。
「今、問題が起きたのだな」「人と違うだけなのだな」といった風に。
また、普段から人に対しても、謙虚でいられますし、感謝の思いが強いので、とても彼らは穏やかで余裕のある言動を取ります。
もちろんそういった人が怒らないわけではないのですが、怒るとしても「何か理にかなった理由がある時」に怒る事が多くて、理由がないのに怒ることはあまりない、と言えそうです。
一方、自己肯定感が低い人は、問題や人との違いを感じた時、つい自分を責めてしまったり、否定的感情に飲まれてしまうことが起きやすいんですね。
それがあまりにひどく起こると、人を責めたり、「こんなことは起きるはずもない」と感じることが多いんです。
>そういう人って、立ち振る舞いが自然で、凛としたところがあり、すごく好きなんですが、例えば会話をしていて、真顔で見つめたり、他人の言ったことをわりと簡単に否定したりすることがある気がするんですが
こ
こで間違って認識していただきたくないのは、「自己肯定感の高い人」と、「自信家・ステータス・権威を振りかざすような人」との違いです。
今回、うおざさんがおっしゃってくださっている人たちが、どちらなのか?は、今の状態ではちょっと判断がつきませんが、
自信家やステータス・権威を振りかざすような人は、むしろ自己肯定感が低い人、と言えます。
どこか自信がない分だけ、自信があるように自分を演出したり、人を否定したり、誇示している事が多いんです。ま、こういったことは誰しもついやってしまうこと、とも言えそうで、だから必要以上に否定的に見ても仕方がないのですけれどね。
ただ、このあたりが一つの「自己肯定感の高い人」かどうかの、ちょっとした見分ける材料になるでしょうか。
>私はそれに動揺してしまいます。それも疲れる原因のような気がしてます。
>自己肯定感の高い人への憧れと、でも実際どうしたら良いのかよくわからず、またそういう人への若干の苦手意識もあり、もやっとしています…
ここですね、つい動揺してしまうという部分。
これはあなたが自分の中で「何かを隠そうとしている自己概念」があるときに起きやすいものなんですよね。あくまで起きやすい、ということですけども。
例えば、相手が正しくて、自分が間違っている。
もしそう感じれば動揺しますよね。
相手が優れていて、自分は劣っている。
これも同じです。
私たちは世界一自分に厳しい生き物なので、どこか自分に向けた「否定的な感情」によって、自分を疑ってしまうことがありますね。もちろんこれは殆どの人のココロの中で起きることです。
が、やっぱり気分が良くなるコトではないんですよね。だから普段はこういった感情を感じないように抑圧して生きているわけです。
しかし、あなたが目の前で、どこか憧れるような人たちと接すれば、つい「否定的な感情」を感じやすくなると考えることができます。
どこか光の前に立つと、自分の影を感じるようなイメージですね。
そう考えますと・・・
うおざさんが苦手にしているのは、自己肯定感が高い人、と考えるよりは、
私の中の「否定的な感情」「ネガティヴな自己概念」ではないか、と僕は推測できるなと思うんです。
だから、なんだかモヤッとしますし、疲れも感じやすくなる、そんな状況かなとも僕は思いますね。
自己肯定を自分だけで行うか?それとも・・・
実は普段から、あなたがあなたを否定的に扱っていると、なかなか自己肯定につながらないんですね。
自己承認・自己肯定って、自分の素晴らしい部分だけではなく、否定的な部分、弱い部分も「それも私の一部」と認めて受け容れていくことを意味します。
なので、もし、セルフワーク的に自分を高めるのであれば、ここを一つ一つ受け容れていくことが有効ですね。小さいことからコツコツと・・・ですね。
ただ、僕も一応カウンセラーなので(笑)クライエントのみなさんにこのような手法ばかりオススメしているわけではないんですよねぇ。
例えば。
うおざさんにとって「今までの人生で、あなたを受け容れ、愛してくれた人」はいないでしょうか?
あなたが時にはネガティブな感情を表現しても、しかしずっと変わらぬ関係でいる人、近しい人でいてくれた人はいないでしょうか?
もしそういった人がいるとしたら、その人はあなたのことをどんな目で見続けてくれたのでしょうね?
その目を想像してみてください。そこには一体、相手のどんな思いがあるでしょうか?
そしてそこでポジティブな思いを感じることができたなら、あなたが相手の目を信頼できたなら
できればその目に「あなたの全力の感謝」を向けてみてください。実際にその人に会って感謝をしてもいいんですよ。
実はそれだけで自己受容、自己承認できることってたくさんあるんです。私が愛せない私が、人によって愛されていたことに気づく。その思いを受け容れ感謝する。
ここまで実現できると、あなたの自己概念に、強くてしなやかな、いい影響を与えていくことができますね。
これを「許し」と私たちは呼んでいます。
あなたが自分では愛せない私が、既に愛されていたことに気づくだけの成熟さを持つことができれば、また更に自分を愛せると思います。
もし参考にしていただけるなら、あなたの周囲にいる「人の想い」に上手に反応しながら、自分を大切にしてみてくださいね。
以上、何か参考にしていただけましたら幸いです。
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