心理カウンセラー浅野寿和です。いつもありがとうございます。
さて、今日のコラムは、最近やけに僕の記憶に残っているご相談について。
よろしければどうぞ。
夫のことが好きなのかどうか分からない・・・といっても理由はいろいろありそうですよ。
パートナーにときめかない、愛想が尽きた、好きという気持ちが感じられない。
こういったお話を実際のカウンセリング案件で扱わせていただくとき。
ぶっちゃけた話、それは罪悪感だの、無価値感だの、僕はあまり考えない事が多いんです。
そうではなく、そこにある「葛藤」に注目するわけですね。
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パートナーのことが「嫌い」と「愛せない」はちょっと違う。
僕はそう見ています。
例えば、
「夫が嫌い」は、そのままの意味なんでしょう。
だから、ご相談内容としては「もう別れたい、けれど不安が多い」になることが多いんです。
しかし「愛せない」は、「愛したくない」かもしれない。
もちろんそう感じる理由もいろいろなんでしょうが、善悪判断だけでは語れそうにない葛藤がそこにはありそうですね。
だから「自分の不安・気持ちの区切り」がつかないんですよね。
どこか「愛せない」は、「できることなら愛したい、けれど・・・」
そんなニュアンスを孕む事が多いようです。
だから、ちょっと「別れ」が遠いイメージになりがちですね。
別れたほうが楽になるとは思うけど・・・といった心の引っ掛かりが残る感じ。
これを執着や依存と考えることもできるのでしょうが、僕はもう少し慎重に見たいな、と思うタイプのカウンセラーですね。
むしろ、どこかその方の葛藤がもたらす「燃え尽き」や、今までの「犠牲」「忍耐の限界」といった感覚が強く残っているケースも多いので。
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パートナーのことをどうしたら愛せるのか。
そう考えている時点で、愛がないわけではないんだと思います。
しかし愛があるのに愛する気になれない、ってものすごくつらいですよね・・・。自信も失うかもしれないし。
その中で「いい気持ちの持ち方、愛し方が思いつかない」つい自分に対して「愛の無さ」を感じ、責めてしまうこともあるのかもしれません。
だから、この問題を孤独の中で考えると、ものすごく苦しさを感じることもあります。
その結果、自分の欠点や不完全な部分を見ては、疑ってかかることもあるかもしれないですし。
こうなると、「そんなに嫌なら別れればいいじゃない」が腑に落ちなくなるんですね。
しかし「頑張って愛する選択に辛さも感じる」ようになります。
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こんな時は「つい愛せないと葛藤してしまう理由」を見つめて、手放していく方向性が有効な場合が多いようです。
そもそも愛せないことが問題になるぐらい、あなたはきっと愛することに意味を感じているのかもしれません。
だから、うまく愛せないことで悩むのではなく、夫が愛せないという葛藤はどこから生まれているのか?
カウンセリングではそこからクリアリングや癒しを起こして、できるかぎりシンプルに、気持ちの面でスッキリ・軽くなっていただく方向性を模索するわけですけどね。
それから考えても遅くはない気がします。
これからどう向き合うか、は。
そこにある葛藤を、できるかぎり整理し軽くすることこそ、自分を責めたり、疑ってしまう心の動きを和らげ、あなたらしさを取り戻すことに繋がるのだろうと僕は思うんですね。
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