ほぼ30代からの心理学

自分癒やしを義務に感じず、心を解放する方法はあるのでしょうか

浅野先生へのネタ?質問です。

 

超自立系男子を好きになってから忍耐女子の沼にはまり、心理学の記事を読み漁っています。
そこでいつも出てくる「自分癒し」…私にはどうしても出来ません。
何度かチャレンジしてみるのですが、どうしても「自分は罰せられしかるべき存在だ」という思いがこびりついて離れません。実際、チリチリと胸が痛くなります。
幼少期、親との関係が原点ということですが、自分自身そんなに大きな問題を抱えていたとは思えず、むしろ自由奔放で自分勝手に過ごした記憶しかありません。

 

自分を愛し、自分を認めてあげる…と思えば思うほど、それが「~ねばならない」に変わり、それができないからダメなのだ、自分を愛していないから愛されないのだ、と自己嫌悪の沼に落ちます。
こういった記事を読んでいるということは何らかの形で解放されたいのだと思います。でもそれに抗う自分もいるんです。自分のことも自分で解決できないなんて、とそこでまた自分を罰します。
自分癒しが義務に感じず、心を解放する方法はあるのでしょうか。

 

(匿名さん ※原文のまま掲載しております)

匿名さん、お待たせしました!今日はあなたのご質問にお答えしますね。

ご質問を読ませていただいて、おーこれも良いご質問!と思い、早速お答えさせていただきたいと思います。

自分癒しをブロックする感情とは・・・

>そこでいつも出てくる「自分癒し」…私にはどうしても出来ません。
何度かチャレンジしてみるのですが、どうしても「自分は罰せられしかるべき存在だ」という思いがこびりついて離れません。実際、チリチリと胸が痛くなります。

自立男子を好きになった忍耐女子の沼・・・んー、たしかに沼があるのかも・・・。

そこでいつも出てくる「自分癒し」ですが、それができないとのこと、ですね。

なるほど。

いただいたご質問に書いてくださっていることは、いわゆる「罪悪感」についてのことのようです。この出方が変わると「無価値感」となることもあると思うんですけどね。

「自分は罰せられてしかるべき」って、罪悪感ベースで物事を見るとこう感じるようになりますね。

 

>幼少期、親との関係が原点ということですが、自分自身そんなに大きな問題を抱えていたとは思えず、むしろ自由奔放で自分勝手に過ごした記憶しかありません。

自分癒しの基本的なモノの味方・考え方としては、親との関係に注目する、が王道なんですけどね。

ただそれだけでは紐解けないこと、現時点では感情や感覚が抑圧されていて、なかなか親との関係の「何か」に気づけないなんてこともありえます。

もちろん親との関係だけが全てとも言いきれないわけですけれど。

ただ、自由奔放で自分勝手に過ごした記憶・・・という部分が、

本当に自由で親御さんが寛容さを持って接してくれたという話なのか、

それともその頃から「家族との関わりの中で、どこか一人で過ごしていたことが多い」のか。

これによっても今の影響は変わるといえば変わるんです。

両親にとても寛容さと包容力を持って接してもらったのであれば、いい感じなのでしょう。

が、どこかで自分一人で過ごす時間が多かったとなれば、「関わり」より「分離」が強まるわけですね。

そうなると「誰かに関わってもらうことに何かしらの抵抗感や違和感を感じる」から、一人で過ごすことが多い、となることもあるんですよ。

あくまで一つの可能性の話ですけどね。

すると・・・ねぇ、「超自立男子」ってそんな生き方していないでしょうか?

どうして忍耐女子のみなさんが超自立男子を好きになるのか?を、わざわざお節介にも分析していくと・・・

「実は自分も自立してた。だから相手の孤独がやけに理解できたり、共感できる。」

なんてケースもあるとかないとか・・・。

特に自立的に生きてきた方って、そのスタンスが当たり前なんですよね。だから特段問題意識も持たないでしょうし、それが普通ですが何か?みたいな感覚をお持ちなんです。

が、実は蓋を開けてみると「めっちゃめちゃ自力本願?じゃないですが、昔から自分次第で生きている」ケースも散見されます。

すると、どこか自分を締め付けて生きるようになることも多いんです。

締め付けるという表現を使いましたが、実際は少し自分に対する監視の目や、自分を律する感覚が強まるんですよ。

ね、これも超自立男子がやっていそうなことですよね?自立しすぎて自分を追い込みすぎているような感覚、でもありますけどね。

こういった感覚があるところには、どうしても罪悪感が出やすいんです。

どこか自分一人で生きねば、と思っているフシがありますから、自分自身の依存心や弱音を自分で律して生きていくことが普通なんですよ。そうじゃないと自立的には生きられないですよね、特に子供時代は。

>自分を愛し、自分を認めてあげる…と思えば思うほど、それが「~ねばならない」に変わり、それができないからダメなのだ、自分を愛していないから愛されないのだ、と自己嫌悪の沼に落ちます。

この「~ねばならない」こそ、自分を律し厳しく扱う感覚の一つの現れ、かもしれませんね。

「~ねばならない」に変換しちゃうんでしょうね。「○○できればいい」「○○すればいいだけ」という発想を。

これこそ「自立的」に生きている方の特徴ですね。なんでも義務感や使命感に変換する業。

もちろんこれがダメとはいえないんですけど、あまりに行き過ぎると「自己否定」に繋がってしまうのでちょっと注意したいところですね。

なので

「自分を癒し、愛そうと思っても、それができないからダメなのだ、自分を愛していないから愛されないのだ」

と、できないことを愛されないことの理由にしてしまうんですね。ここに「自分はダメだ」という罪悪感的発想が入りこんじゃっているのかもしれませんね。

カウンセリングでは「どうしてそうなっちゃうのか?」の理由を見つけては、気づく、解放するなんてアプローチを取っていくんですけどね。

そもそも僕がいつもお伝えしていることは

「あなたにできないことがあっても、あなたは愛されるんですよ」

なのです。

もちろんあまりの無力感や依存心から、ただ人の力を頼ろう、相手から何かを奪おうとしても、ロクなことは起きません。

が、今、あなたが自分なりに生きられているなら、できないことがあっても全く問題なんてないんです。できない部分があるから人はあなたを愛せる。

だから、自分を癒せないことで悩む必要はないですよね、うん。

むしろ、どうして自分に癒しや愛情を注ぐなど、自分を肯定するような要素を向けると、そのココロが葛藤したり、違う方向に進んでしまうのか?を見つめていくことが大切ですね。

今回いただいたご質問を拝読すると、僕には、あなたの中に

「自分だけで何かを成し遂げなければならない」
「人の力を借りてはならない」

ぐらいの感覚を感じるんですけどね。

ね、どうして私がこう感じてしまうのかが分かれば、どうして超自立男子が私の愛を受け取らないのか?が見えてくると思いません?

これも一つの超自立男子の基本生態、ですからね。

>自分癒しが義務に感じず、心を解放する方法はあるのでしょうか。

ありますよ。

「○○せねばならない」と考えたほうが、今の私には楽なんだ、ということ。まず気づいてみていただくといいのかもしれません。

僕はよく、学校の話で例えるんですが・・・

例えば、義務教育の頃は、多少自由が制限されて窮屈でも、学校に行っていれば卒業まで向かうことが多いですよね。そこには、誰かが用意したレールのようなものがありそう。

しかし、大学に進学すれば、まだレールはあるでしょうが、自分の意志でシラバスを見て取るべき単位を取りにかかりますね。そこはもう自由ですが、どうしようっかな?と悩むことが増えそうですね。

社会に出て自己実現をしようとすれば、その自由度は更に増します。もちろん社会のルールはありますけどね。自分で自由に決めていけるだけ、人によっては迷うし恐れも感じるでしょう。

だから、実は、「自分を締め付ける発想」「○○せねばらなない」という感覚を持っている方が、実は楽だということって僕はあり得ると思うんです。

それは自由が嫌い、なのではなく、どうすればいいか分からなくなるのが不安、なのでしょう。

だから、自分のことも同じように扱うんですよね。こうすれば間違いない、という自分なりの法則・やり方を持つようになる方もいらっしゃいます。

その自分なりの法則、やり方が「自分を締め付ける、義務感を使うということだった」という話は、カウンセリングの中でも扱わせていただくことがありますよ。

それこそ私達の成長プロセスの中で、比較的早い段階でオトナの手を煩わせないように、と考える「いい子パターン」「自立が早いパターン」の場合、どうしても子供が一人で頑張る時間が増えます。

だから、その不安を切るために、「○○せねばならない」という感覚を用いることは意外と想像しやすい話ではないかな、と僕は思います。

ただ、この「○○せねばならない」という感覚は、「○○せねばならない」ぐらい思っていないとダメ、という感覚になることが多いので、結局自分を評価しているわけではないことが多いですね。

そして、「○○せねば」と思ってできない私、ほど、ネガティヴに見てしまうでしょう?

だからそこに罪悪感が入り込んでくるんですね。

でもそもそも、自立が早いだの、自分の力で頑張ろうとすることが悪いわけじゃありません。

そうではなく「自分を評価するって、愛するってどういうことなのか?」その感覚的な理解がついていっていないだけ、という場合もありえます。

だから、自分ひとりで頑張って癒やすのも良いんですが、誰かと関わりながら自分を癒すと

「あぁ、自分を愛するって、肯定するってこういうことか・・・」

と理解しやすくはなると思いますよ。

自分に厳しい目を持っている自分だけでは、どうしても手が回らない「愛すること」を、まずは人の手を借りて感じてみる。

実は僕達が子供時代にちゃんと経験しておくと良いことは、「人によってちゃんと愛され、肯定される」という経験なんです。何も頑張って何かを成し遂げることだけではないんですよ。

それを今、大人になってからしっかり経験しても、まだ遅くはないのだろうと僕は思います。

ということで今日のまとめは

「義務感や、○○せねばならない、という言葉は確かに自分に厳しい目を向けてしまう理由になるが、実はそのほうが楽なんだ、と感じることもある」

どんなことにもメリット(良い悪いではなく、その瞬間には利益になることがある)があるようですね。だから、なかなか生き方や自分を変えることが難しいわけです。

何か参考になりましたら幸いです。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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