心理カウンセラー浅野寿和です。いつもありがとうございます。
今日も福岡面談デーですね。いやいやとてもいい清々しいお天気が続いています。
朝から近くの公園の中を散歩していたんですが、それだけで気分が軽くなりました。
それでは今日のコラムです。
よろしければどうぞ。
人は人と比較してしまうもの。同時に自分には自分の良さがあるもの。
当たり前の話ですが・・・世の中にはいろんな人がいます。
リーダーシップがあるタイプ。
若干、女性性が強めで共感力があるタイプ。
欲があるようでない、おおらかなタイプ。
怖れをもろともせずツッコんでいけるタイプ。
物事淡々とこなす能力に長けているタイプ。
繊細な感情を感じられるタイプ。
男性的な包容力があるタイプ。
が、カウンセリングの現場にいますと、どうやら人にはそれぞれ得手不得手があるように「自分の良さ」があるのですが、その良さをあまり自覚されていないことも多いようです。
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先日、
ある男性と話していたときのこと・・・
その男性はいわゆる「マスオさん」で、奥さんの実家で住まわれているんです。奥さんも、奥さんのご実家も、もちろん奥さんのご兄弟ともいい関係を築いておられる。
だから奥様方のご家族からは「とてもいい人でよかった」と喜ばれている事実があるんですね。
しかし、その本人はこうおっしゃるわけです。
「いや、僕が鈍感なだけなんだと思うんです。僕の生活ぶりを友人に話すと『俺には無理だわ、嫁の家族や親戚と常に関わり続けるって、お前よくやるよね、普通は難しいし気を使うし、嫌だと思うと思うよ』と言われるんですよね。
やっぱり僕はそのあたり、人に気遣いができないのか・・・よく分からないタイプなんでしょうね・・・。」
ここでこうも考えられないでしょうか。
その気遣いが気遣いでないぐらい自然にできないと、人を受け入れる度量がないとなかなかできないことじゃないですか?と僕は思うわけですが、当のご本人はその逆、をイメージを持っている。
それもこれも「人の意見(一般的な意見)」と自分を比較しているから、そうなるのかもしれないですけどね。
彼の友人にとっては普通ではないこと、でも、彼には普通に受け容れられる、ということ。
これこそ良さ、才能につながっていることでもあると思うんですが、なかなか人は人のいいところを受け容れられず、「他の人との比較」にハマってしまうのかもしれません。
あとは「自分の中にある才能・魅力は、どうやら普通なものだと感じているらしい」。
どこかで、「私ってスゴイのよ」「超魅力的でね」「こんなにステータスがあってね」といったひけらかしを恥にしてしまっているのかもしれません。
まぁ、人に私スゴイでしょ!褒めて褒めて~なんて形でひけらかしたり、自分の価値を使って人をマウンティングするなら「もうちっと相手の事情を考えようよ的な大人感」が時には必要なのかもしれないですが、自分で自分を認めるのは全く問題なくないですか?とも僕は思うんですね。
そのあたりのバランス感覚で悩まれている方も多いのかもしれません。
自分を認めちゃったらどうなっちゃうんだろう。なんか恥ずかしくない?バカっぽく見えない?とかね。
それこそ自分を認めることに対して、そういった観念のラベルを貼って禁止してきたのかもしれませんけどね。
だからといって「自分を認めない、自己価値を受け取りません」となると、それはそれで弊害が起きるもの。それこを誰かに認めてほしくなっちゃいますからね。
そんなときは淡々と自分を認めたり、自分の価値を認める意味・目的をハッキリさせると良いのかもしれません。
「素敵なパートナーシップのために」
「もっと夫や妻を愛せるように」
「もっと自己実現するために」
といった風にね。
その目的、できればネガティヴな設定はさけるといいかもしれないですけどね。
何事も目的・目標設定する意味は大きいと思うんですよね。
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