ほぼ30代からの心理学

正しさより愛を選ぶとは? その2

心理カウンセラー浅野寿和です。いつもありがとうございます。

さて、今日は時間ができたのでガツガツブログ更新していきます~。

今日2本目のコラムです。よろしければどうぞ。

前回のコラムの続きです

では、どうして私たちは「自分のやり方にこだわり」、「相手の思いに気づけない」ようになるのでしょうか。

 

ここでよく登場する理由として考えられることが・・・

 

「私が私の依存心を嫌ってる」
「人に頼るということにネガティヴなイメージを貼り付けている」
「自分が間違っている?という疑いがとにかく強く出る」
「実は人に関われると、自分の感情が乱されたり、傷つくと感じている」

 

私達が自立、自分なりのやり方にこだわるようになった理由が登場することも多いんですよ。

***

 

「私が私の依存心を嫌ってる」

「人に頼るということにネガティヴなイメージを貼り付けている」

これ、自立している方に多く見える部分ですね。

もちろん依存心を嫌っていたり、人に頼ることに対してネガティヴなイメージを持っているのがマズイんですよ、と言いたいわけじゃありません。

それこそこっちの正しさになってしまいますから、それは少しお伝えしたいことの意味とは違うんですよね。

依存を嫌う、ネガティヴなイメージを持っているということが意味するものは

「依存したら傷ついた、分かってもらえなかった」そんな経験があると可能性であったり

「依存するということは人次第、人の意見を飲むということ、そんな不自由さはもうたくさんだ」と感じた過去がある

そういった経験の中で「もうこれ以上傷つかないように・・・」と自立した経験があるのかもしれない、ということ。

少なからず多くの人が依存時代、すなわち子供時代に、多少なりとも傷ついた経験を持っているものです。

自分の思いが伝わらない、理解されない。親や大人の方法の前に自分の気持ちが否定されていく・・・

そんな想いをすればつらいですから、それ以後、自分なりの方法論、正しさを模索し、自立していくわけです。

ここで手に入る要素は「自信」ですね。自分なりに成功する、うまくいく方法なので。

だからこれが手放せなくなります。

私なりに、僕なりに、考えた愛し方、やり方。

これがきっと相手の役に立つと思うわけですが、反面「人の思いに振り回されたくもない」と考えている部分もあると思うんですね。

だから、正しさとは自分の正しさであって、相手の欲しがっているものとは違う、ということは往々にしてありえますし。

いちいち自分のやり方を貫きたくなるのは、自分が相手の思いに影響されたくないと思うがゆえに取っている行動である、とも言えるのです。

が、それに多くの場合は気づきません。だって「正しさ」なんですから。

間違っていることは間違っていると気づきやすいですが、まさか自分が相手のためを思って使っている「正しいこと」が、相手とのトラブルを起こしているとはあまり考えにくいと思うんですよね。

でも、実際は正しさの裏に隠れている「自分の思いを大切にされないのではないか?」といった不安が強まっている方も多いようですよ。

あるカウンセリング事例では・・・

「僕は、妻のために仕事も妥協しなかったし、全部頑張ってきたつもりなんです。でも、妻が離婚したいといい出して・・・」

もちろんその男性が頑張ってきたことを誰も否定などできないし、その思いや努力は尊重されるべきだと僕は思います。

が、そのウラで「自分の思うように頑張ることで、実は自分の思いを大切にしてもらえない恐れを拭っていた」なんてことも実際にはあるんです。

こうなると相手の意見はあまり尊重されません。聞いているようで、自分のやり方を良かれと思って貫きます。

だから相手の「気持ち」、いや「愛情が宙に浮く」んです。

つまり男性に悪意なんてないのでしょうが、いつしか相手は自分の愛情を受け取ってもらえない・・・と傷ついていたのかもしれません。

またその女性側も自立していた場合、被害者(依存的)にはなりたくないでしょうから、もう別れる・・・と決めてその気持ちを翻すなんてことは、したくない。相手にこれ以上振り回されたくないでしょうからね。

今回は男性の話で書きましたが、この男女の構図が逆になっているケースも少なくありませんね。

お互いに愛があるのに衝突する・・・切ないですね。しかしそれが自分なりに培ってきた自信という名の「正しさ」が理由になっていたとしたら、こんなに切ないことはないですね。

こんな時、「正しさよりも愛を選択する」ことが抜け道になるんです。

自分なりのやり方、考え方、方法論に「込められた思い」のコミュニケーション。これが求められていたりもするんです。

が、それは自分(自分のやり方・今までの私)を否定して、相手に従うことではないと思うんです。

「私の正しさ」にこだわった私を責めるのはある意味「無意味だ」と僕は思っていて、その正しさに込められている「相手に振り回されることへの恐れ」は癒し、手放して、そこに込められた愛情をしっかり相手に伝えていくことが、大事なんだろうな、と思うわけです。

正しさのウラにいつも「間違い」があるわけじゃないんでしょう。

どこか私が傷つきたくない思いや、実は相手に向けた「私の思いが隠れている」のだと思うんですね。

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