ほぼ30代からの心理学

噂話や人を貶める言葉が好きではありません。でも、自分も同じだと思うと自己嫌悪です。私が愛ある行動を取るにはどうしたらいいでしょうか?

心理カウンセラー浅野寿和です。いつもありがとうございます。

さて、今日はいただいたご質問にお答えしています。

よろしければどうぞ!

浅野さんへの質問

 

「ネタ募集」の言葉が浅野さんのブログにあったもので早速お願いします。

 

私は愛ある行動を取りたいのですがどうしたらいいでしょうか?
職場やママ友、ご近所付き合いなどで、ゴシップネタ、噂話が好きな人。そして、本人がいる場所でのディスり、または本人がいない場所での貶し言葉で場が盛り上がる状況があると思います。
私はそういった態度や行動が好きではありません。どうしても嫌悪感を抱いてしまい、でも自分の心の中でやっていることは同じだと思い自己嫌悪です。
表面的には親しげに接してこられても、実は違う状況に落ち込んでいます。

 

(匿名さん ※原文のまま掲載します)

そうお考えの匿名さんは、きっと優しい人なのでしょうね~。僕はそう感じますよ。

私はそういった態度や行動が好きではありません。どうしても嫌悪感を抱いてしまい、でも自分の心の中でやっていることは同じだと思い自己嫌悪です。

そうですね。

僕も人を貶めるような発言、ディスる言動が「好きなのか」と訊かれれば、好きじゃないですよ。

そこは多くの方が同じなのではないでしょうか?と僕は感じています。

さて・・・。

もし、人が誰かを貶める言葉を使ってその場が盛り上がる、としたら

そこにどれだけの悪意があるのかは別にして・・・

その人は

「わかってほしい」「助けてほしい」「愛してほしい」という表現を素直にできないのだろう

と僕は考えている部分があります。

つまり、本気で誰かをディスっている人ほど

人に「分かって欲しい」などと言えない人なのかもしれない、と僕は考えます。

僕たちの世界には

『攻撃は助けを求める声』という言葉がありまして。

素直に気持ちを表現できない人ほど、人を攻撃する傾向があります。

怒る人も同じですね。

そもそも人の悪口や貶める言葉を人に向ける理由を考えてみると

「怖れと分離が強まっているから」

というケースが圧倒的です。

自分が何かを怖れていたり、誰ともつながっていないときほど、人は人を攻撃するものです。

だから「悪口で人とつながると盛り上がる」ことがあるんですよね。

そこには妙な安心感が生まれるんですが、それは安心ではなく不安・怖れが一時的に消えた、とも言えるのです。

また、人によっては、人の悪口を話すことで、自分に関心が向けられていることを感じ、安心している人もいるかもしれませんし。

まぁ、悪口がいいかどうかは別にして

それが人と繋がる手段になっている、という感じでしょうか。

ただ、ここにも例外があって

関西でいうところの「イジり」の場合、これは悪口などではなく、親密感の表現なので、このあたりの違いは知っておく必要がありそうですけどね。

ちなみに「怖れと分離」の逆・・・

「愛と親密感」が強まっていて、相手のことをボロッカスにいう、ということがありえるとしたら

「超恥ずかしがり屋」
「昭和の頑固オヤジさんタイプ」
「イジり」

ぐらいしか考えられないですよねぇ・・・。

一般的には、愛と親密感が強まっていると、相手を愛したくなるし、いい部分で繋がりたいと思うものですしね。

***

さて。

もし、ここに書いたような心の動きが、匿名さんの心の中でも同じように起きているとしたら・・・

さぁ、どうお感じになるでしょうか?

つい、私の中でも、人を貶めるような言葉が出てきているとしたら、

それはあなたが「性格の悪い嫌な自分」と解釈し、自己嫌悪するのか。

それとも「もしかすると私の中に怖れや分離があるのではないか?」と解釈するのか。

その違いで自分への解釈や扱い方が変わってくると思いませんか?

そして、あなたの周りにいる人~特に関わりのある人~が、噂話や人を貶める言葉を使っているとしたら・・・

それを恐ろしいもの、自分に向けられると厄介なもの、とだけ解釈するのか。

相手には、怖れや分離が強まっているのかも?と解釈するのか。

それであなたの「愛ある行動」に繋げられるかどうかも決まってきそうですね。

自分は「人からの悪口、攻撃」から逃れたい。

だからそれは嫌だ、私はそういった行動はしない、と思いながら生きるのか?

自分は人から攻撃されるのが嫌だから、と、人に合わせ流されて生きるのか?

もしくは人を攻撃しながら生きるのか?

それとも・・・

そもそも人の分離や恐れが強まっている時に、「悪口、攻撃」が起きるのだとしたら、

自分自身は何を怖れ、何から分離しているのだろう?
相手は何を怖れて、何から分離しているのだろう?

そう考えながら自分を見つめ、人と接するのか?

この違いが

「愛ある行動をとるきっかけ」

になるのではないかなぁ、と僕は思います。

 人や何かしらの感情・行為を「許す」ことは、

自分の「感情」や「行為」にもOKを出す、ということですから。

そうですねぇ、今回の場合は

「愛ある行動を取りたい、という正しさにこだわるあまり、自分が平気なフリばかりしない」ということでしょうか。

自分が感じていることには、すべて意味がありますからね。

***

ちなみに、悪意や噂話で人とつながる・・・。

人が人のことをどう思い、どう話すか、には、その個人の自由と責任がありますから、僕は基本的にどうのこうのいいたいわけじゃないんですよね。

が、あまりに人をけなしたり、悪く言い続けると、その人自身が

「人は私の価値を見てくれるのだろうか?むしろ悪口を言っているんじゃないだろうか?ミスをしたりスキを作ると私が攻撃されるかもしれない・・・。」

という思いを強く持つようになるかもしれませんね。

それこそ、自分が感じていることを人に映し出す「投影の法則」ですけれど。

それがさらに分離を怖れを生んでしまい、また人とつながる時に人を悪く言うとしたら・・・

人が人を責める心理を理解し、その上で自分のココロも理解し

自分が自分と大切な人のために「何を選択するか」を決めてみてもいいのかも
しれませんよね。

何か参考にしていただければ幸いです。

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