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「自分のやりたいことがわからない」
「彼と別れたら次にいい人見つからないのでは?」
というお悩みと「犠牲」について考えてみた
パートナーのこと、家族のこと、仕事のことを思って犠牲してしまうことはあると思いますよ。
だから僕は、つい犠牲しちゃうタイプの人に「なんでそんなに頑張ってんの?」とは思わないですよ。
むしろ、「いやーよくご相談に来てくださいましたねー」といった思いでお話を伺わせていただいているところです。
ただ、これを続けることで生まれるデメリットもあるのかなー、というお話です、今日は。
■「やりたいことがわからない」と「犠牲」の関係とは
この犠牲のパターンを持っている方ほど
「自分のやりたいことがわからない」
「この先、自分にとっていい仕事、恋人と出会えるとは思えない。」
これはとても切ない気分になるだろうな、と思うんですよ。
ただ、一度こう考えてみると、「素敵な未来や、やりたいこと」が浮かばない理由、見えてこないでしょうか?
もしあなたが今、犠牲を続けてきたとして。
この犠牲があと10年、20年続く・・・としたらどうでしょう?
たとえあなたの犠牲が思いやりの気持ちから生まれているものであったとしても、どんな気分になるでしょうか?
そりゃ「自分のやりたいこと」を見つけたら大変だって感じになりませんか?
自分の生き方、そのパターンが犠牲になっていると、やっぱり未来は見たくないものになりやすいんですよ。
未来に希望や楽しさ、喜びやワクワクを感じられず、「なんかしんどいんでない?」と感じるわけです。
だから前向きな気分になれないし、やりたいこともやるべき事のような気がして気分が滅入っちゃうんですよね。
そんな皆さんほど「やりたいこと」を見い出せば、きっと自分もいい気分になれるのかも?とお考えになるのですが、そもそも犠牲のパターンが続けば、また切ないしんどい気分に飲まれてしまうことも有り得る話なのです。
だからカウンセリングでも
「今の仕事、もう頑張れそうにありません」
「夫といても虚しくてどうしようもない」
「人に気を使いすぎて疲れ果てています」
それぐらい「自分を大切にしない選択」を続けてしまう方がでてきます。
犠牲をしているとき、人は与えてはいるけれど全く受け取っていない状態になります。
これは苦しいですし、自分をちっぽけに感じてしまうのでなかなか自信も感じられないんですよね。
だから更に未来に夢を描けない、というパターンも出てきちゃうという話もありますよ。
「今の彼と別れて、次、いい人が見つかるとは思えない」
「今の仕事を辞めたら、もうこれ以上の仕事はないんじゃないかと思う」
それが執着や、自分を大切にしない選択をせざるを得ない理由になっている、というお話は意外と少なくないものです。
■犠牲的だった自分、それはそれでいいんでない?
僕は犠牲的になる事自体、それなりの事情がある、と考えています。
むしろ今まで犠牲的に生きてきたことが間違いだったなんて自己否定をしてしまうほうが辛いと思うのです。
自分が今まで「いい」と思ってきたことを否定的に見るって苦しいですからね。
これからやり方を変えればいいだけのことですから
「まま、今までの自分は自分でいい、と思ってみません?」なんてお話をすることも無きにしもあらずですよ。
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なぜなら「犠牲していた私が間違っていた」と考えて自立する事が多いのかもしれません。
例えば「犠牲していた自分がダメなんだ」なんて思うと、人からの支援や愛を求めずに生きようとし始めたりします。
もっと頑張らないと、という気持ちが強まるんですね。
これがネガティブな意味での自立、孤立の始まりになることも少なくありません。
これが続くと大人になっても人からの支援や愛情を受け取れない、なんてことにもなり
恋愛や夫婦関係でのパートナーとの分離が激しくなったり
他人に対する意識が厳しくなったり(お前甘えてんじゃねーよ、的な)
人に依存できなくなったり(まだ甘えてんのかよおめーは、的な)
対等な対人関係を作ることが難しくなる
なんてことが起きることもありますよ。
まま、どこか「必要以上におせっかい」になるってことですね。
それはまるで自分が試してよかった健康食品を、お友達に「絶対にいいから買いなさい!」とゴリ押しするようなイメージ。
オススメ・紹介、ではなく、ゴリ押し・強制、みたいなね。
なぜゴリ押しするようになるか、といえば
「今までの自分が間違っていた、私はよりよい正しさに気づいた」と感じているから。
その思いも否定されるべきことじゃないけど、まま、人は人で好きに生きているのだから、相手が求めない限り、相手の思いも尊重していいのではないでしょうか。
■犠牲をしていると自分の価値が受け取れない
犠牲していると、本来の自分のイメージがネガティヴになってしまうことが多いもの。
犠牲して頑張り続けていると、「頑張っている表面的な私」に価値があるような感覚がして、それがやめられないわけですが
その内面にある私のイメージは
「犠牲でもしていないと不十分だと思う私」
「犠牲して無力感や不満感を抱えまくっている私」
「人や家族に怒りを抱えている私」
「苦しくても苦しいと言えない私」
などなど、まぁあまりいいとは思えないイメージが出てきてしまうんです。
本当はこのイメージの更に深いところに「愛があって喜びの存在である私」のようなものが存在しているわけなんですけど、それが感じられないんですよねー。
■とりあえず緩もう。そして自分の内面を見つめよう。
ということで
「自分のやりたいことがわからない」
「彼と別れたら次にいい人見つからないのでは?」
といったお悩みがあるならば
「とりあえず緩みましょう、心を緩める時間を作りましょう。
旅行に行ったり、美味しいものを食べたり、気の合う友だちと話したり・・・
自分が思いつく「したいこと」でいいからやっていきませんかー。」
これは犠牲、を一旦止めるためのご提案なんです。
その本人は当たり前すぎて気づかないですからね、犠牲が続いていることに。
まずはゆっくりしましょうかー、とお話することも多いです。
カウンセリングやセミナーでは、もう少し内面的なお話について扱わせていただくこともありますよ。
そもそも僕たちが犠牲的になってしまうにも訳があって、理由があって
その内面的な事情を見つめていくことができれば、犠牲も手放せるようになって
「やりたいこと」「次の恋愛」も前向きに感じていけるようになるってことなんですよ。
「どうしてあなたはそんな風に犠牲するようになったのかな?」
「一体、誰のために、何のために、何を大切にするために、自分から犠牲の道に足を踏み入れてたの?」
その内面的な部分に隠れている感情や、今はちょっとネガティブになっている自分と向き合う時間をご提供することもあります。
それはね、もう一度自分らしさ、そのすばらしさを感じるためのプロセスなんです。
決して自分の間違いをさばくようなことではないんです。
僕は「犠牲=愛」だとは言えないし、「犠牲が常にいいこと」とは言えないですよ。
けれど、あなたの中に「犠牲してもいい」と思えるほどの思いがあったなら
それはそれとしてちゃんと見つめてほしいなと思うのです。
どんなことにも愛がある、どんなことにも思いがある。
それがなければ僕たちは悩まないし苦しまないはずです。
ただ、犠牲を続けてしまうと、自分の未来が曇ってしまう。
だから、本来の愛があって素晴らしい自分をもう一度取り戻してみてください。
あなたが笑顔になったとき、きっと全てはうまく回っていくはずですから。
そんなお話することが多いんですよね。
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