アサノのコラム

誰かの制限は愛を生むこともあると思うのだ

カウンセリングサービス・心理カウンセラー浅野寿和です。

いつもありがとうございます。

さて、明日から東京出張でございます。今月も早いうちに満席をいただいております。

直前のキャンセル枠もいつもご予約いただけまして、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございますm(_ _)m

それでは今日のコラムです。

今日はアサノのコラムを更新。ふっと思ったことをまとめてみました。

いつものコラムっぽく書きますけど、いつものコラムじゃないです(笑)

よろしければどうぞ。

まず僕の制限の話から

何を隠そう、僕は幼い頃からのアトピー持ちです。

特に食べ物は常にロシアンルーレットっぽくなりますなぁ。

うっかりアレルギー反応をする食べ物を口に入れると、まぁ後で大変なことになります。

今ではずいぶん楽になりましたが、子供の頃は何気なくお菓子を食べているだけで真っ赤っ赤~になることも多かったですよね。

だから、昔から食べ物に関しては常に慎重にならざるを得なかったわけです。

まぁその分、自分が食べられるものを自分でつくろうともしたので、今でも料理は好きですけどね~。

ただ、食に関する「うっかり」が大変なことにつながるわけですから、どうやったって「これは食べても大丈夫か?」と考えては慎重になるわけですよ。

よって、僕は美食家にはなれず・・・なのです。

うーん、違いの分かる大人になりたいとは思うのですが、このジャンルでは無理ですなぁ。

この自分自身をかつてはとても不自由だと感じていたのですよ、僕は。

こうだから、自分はしんどいんだ、うまくいかないのだ、と思い込んでいましたよね。

しかし今はそうでもないなぁ、と思うんです。

この違いってものすごく大きいんです。

制限を制限のまま扱うのではなく・・・

この話、あえてカウンセリングで伺うようなお話に置き換えるならば・・・

「私が〇〇だから。本当は△△のようになれれば、きっと幸せになれるのでしょうけど、それが難しくて・・・」

という話につながります。

本当にそれが真実です?

その考え方、本当に自分にメリットがあるのでしょうか?

僕はそう問いかけさせていただくことがあります。

「自分は〇〇だからうまくいかない」

たしかにこの考え方は、自分の制限になりますよね。

その制限の中にいれば、悲しい思いを抱えたり、自分のことを肯定できないような気分になることもあるかもしれないですよね。

また、時には自分ではどうしようもない制限を抱えることもあるでしょう。

僕の体がそう、といえばそうなのかもしれない。

もちろん制限の中にいると、ついつい自分を信じられなくなることもあると僕も思いますし、「どうしようもない」と思うことも増えるとは思うんです。そこを否定したいわけではないんです。

それは大切に、そして丁寧に癒やされるべき気持ちなのだと思うのです。

ただ、その制限。

自分の中で制限のままにするか。

それとも見方を変えて、受け容れるか、または自分にとってメリットのあるものにするか。

それはきっと自分で選べる部分があると思うのです。

昔、しれっと考えたことがあるんですよねー。

もし「40年アトピーを患っている夫が作る極上の家庭料理レシピ」なんて本を出したら、・・・興味持ってもらえるかも?売れるんじゃないだろうか?とかね(笑)

まぁ僕にそんな料理の腕はありませんけど(なんやそれ・笑)

僕が食せない素材はものすごく多いですからねぇ。

そこから旨い飯を作るって・・・なんか浪漫を感じませんか(笑)

今の自分が、どんなものを生み出すか。

価値創造ですけど、そこを考えていくならば、きっと意味のあるもの、人に喜んでもらえる可能性があるものを作り出すことができるんじゃないか、と思うのです。

だから自分のモノの見方って、ものすごく重要だと思うのですよ。

自分のモノの見方次第で、感じるものはガラッと変わります。

そして、自分のモノの見方を作るものは、感情であったり観念、過去の体験などでしょう。

つまり自分のモノの見方を変えるのは(自分の制限自体を変えるのではないですよ)

感情の癒やし、観念の書き換え、自分を受け容れること・・・などなど。

そこにつながるプロセスとして、人と関わることなのでしょう。

僕がかつて自分というものを全く受け容れることができなかったとき。

おそらく僕の体はただの制限でしかなかったのです。

もう生きているのが辛いと思うほど、自分に絶望していましたよね。

しかし、僕にとって全く意味のないと思っていたこの体(制限)を、意味があるものとして扱ってくれる人に僕は出会ったのですね。

実際には、カウンセリングサービスのカウンセリングを利用したり、その母体・神戸メンタルサービスの癒やしのセミナーに出かけて、自分から出会いを求めにいったのですけども。

僕の家族、仲間、先輩、師匠、そして妻・・・

その人達が僕を見て愛してくれていなければ、その思いを僕が拒絶せず受け容れていなければ、おそらく僕は自分の制限を恥にしかしていなかったでしょう。

しかし今は「うーん、まぁこれが自分だからしゃーないわなぁ・・・」と思います。

そうなれたことが僕にとっては大きな変化ではあるんですよね。

誰かの制限は愛を生むこともあると思うのだ

話は変わりますが・・・

実は僕の娘も、ちょっとした食事制限が必要なのです。

しかし今はありがたいことに制限が必要な子でも、食べられる食材がたくさんあるのです。

だから娘は食で困ることは殆どありません。

これ、親としては凄くありがたいことなのですよ。

ただですよ。

僕は娘を持つまで、世の中にここまで食事制限の子供の為に作られた食材があることを、あまり知らなかった、お恥ずかしながら。

まぁ知識として知ってはいましたが、あんまり興味がなかったといいますか(恥)

それは間違いなく「自分はいつも制限の中で生きてきたから」と、全く疑問を持たずに思い込み、自分で世界を決めつけていたからです。

娘が生まれてようやく

「世の中にはこんなにも食事制限が必要な人達に向けて開発された食べ物があったのか」

と、事実として知ったというわけです。

うーん、ホント、受け取ってないのは僕でしたね・・・。

人を、世の中を、その変化を、見ようとしていなかったのは僕でした。

そういったもの、たしかに僕の子供時代はなかったですから。

自分の思い込みの影響って強いな、と思うんです。

ただ、こうも思うんです。

どこかの誰かが、他人の食
の制限を見て「どうにか食を楽しんでもらえないだろうか。美味しく食べてもらえないだろうか」と考えてくれた結果が、今につながっているのだろう、と。

僕が知らないところで、

どこかの誰かが、誰かの困った姿を見て

なんとか愛してくれようとしたから

いま、僕も娘も「豊かさ」を享受できているってことじゃないだろうか、と。

それぐらい「その人の笑顔が見たいと願った人たちが、この世界にはたくさんいる」ってことなんじゃないか、と。

うーん、急に話が大きくなってしまいましたけど、でもそう解釈することもできますよね。

それがビジネスチャンスになるなら、まさにWIN-WINだよな、と思うわけで。

これ、気づくか気づかないかで大違いだな、と思うんです。

そうだなー。

どこの誰がこんなに素晴らしいものを作ってくれたのか分からないけれど。

しかし、本当に感謝だなぁ・・・って思うんですよ。

そして僕たちはいつも「選べる」のだろうなぁ、って思うんです。

自分の制限の中にいつづけるか。それとも人の愛を受け取るか。

自分が誰かの困った顔を見て、なんとかしてあげたいなぁといった愛を選ぶか、それとも無関心を選ぶか。

たとえば、自分の周りにいる人、パートナー、家族、仲間、同僚・・・

今、出会う人達のためにできること、祈りを捧げることはたくさんありそうです。

そういった一つ一つの選択は、今の僕たちができることそのものです。

自分の選択が今はまだ些細なことだと思えても、それを積み重ねることができたとしたら、きっといろんなものが豊かになるのではないかと思うのですよ。

今、僕が受けている恩恵も、きっとそういった誰かの積み重ね。

これを受け取ることができたから、ならば、僕も積み重ねようと思うのです。

もらったものをそのまま返す必要はないでしょうけど、やっぱり循環させたいですからね。

僕にできることはカウンセリングとセミナーですけどねぇ。

うーん、今日は話がまとまりませんね。

ただまぁ今日は個人的な話と思いをまとめただけなのですが、こんなことを書いてみたかったということで。

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