恋愛・夫婦の心理学

可憐な愛したい女子が幸せな恋愛を手に入れるプロセス

可憐な愛したい女子と家族の関係を見つめてみると、幸せへの答えが出てくることがある

さて、今日は前回のコラムの続きを書きますね。

可憐な愛したい女子の憂鬱とその解放

よろしければどうぞ。

自分喪失が起きているのは、自分を失っても大切にしたいものがあるから?

可憐な愛したい女子のみなさんの恋愛パターンは「犠牲」とよく似ている場合があります。

彼を大切にするし、二人の関係を大切に育て、慈しもうとする反面、自分のことはおざなりになることも少なくないんです。

もちろん自分以上に大切にできるものがあることは素敵なこととも言えますが、これはもっともっと先のプロセスの話。

もっともっと自分の中に成熟さがもたらされた時の話でしょうし、その場合は犠牲ではなく、本当に豊かさの分かち合いになります。

つまり、恋愛や結婚においての「私の幸せ」に「私がいない幸せ」って、ほぼありえないはずなんですよね。

それはパートナーである彼も同じであるはず。

「愛する彼女がいない幸せ」「愛する人が幸せではない幸せ」ってありえないことのはず。

可憐な愛したい女子の幸せこそ、人を幸せにするもの。

そのために幸せや豊かさ、人の好意を受け取ることが求められるのです。

ただ、愛したい彼女たちほど、自分のために行動したり、人の愛や好意、豊かさを心から受け入れることが苦手な人が多いように僕は感じています。

その理由を見つめると、そこには「願掛け」ともいえるような、心から「何かを望む」気持ちがあるわけです。

その「何か」の典型例が、自分の家族や身近な人の幸せ。

これはもはや彼女たちが成長プロセスで得た才能、性分ともいえるのかもしれません。

彼女たちは家族を思い、自分以上に家族の幸せを願っている人が多いんです。

そう家族を思うことが、自分自身の意味・心の支えになっているケースも多いものです。

「私は、この家族の幸せを願うために生まれてきた」

といった感覚を持っている方もいます。

そこに家族の役割意識を持つ人もいますし、無意識的な感覚として、自然と強くそう感じている人も少なくないんです。

自分を満たすことよりも先に、自分以外の人を愛する、というわけです。

他人のためにエネルギーをどんどん使うのですね。

すると、どうしたって心のガス欠になります。

今までのように頑張れなくなるし、頑張りたくても文句や不満がどんどん出てきます。

そんな自分自身を「頑張れない私」と否定的に見る彼女たちは、いつも「私にはそんなに愛がない」と僕に伝えてくれます。

が、僕の見立てからするとその逆なのです。

そこに「他の誰にも、自分以上に家族を愛している自分に気づかれなかった」という悲しみ・寂しさを見るのです。

誰も気付いてくれない、私の思い、考え方。
誰も共感してくれない、私の思い、考え方。

その悲しみ、寂しさが、自分を疑う理由になっている。

たった一人で身近な人のために、大切な人のために頑張っている彼女たちの様子がそこに浮かび上がってきます。

「私と関わる誰もが幸せでいてほしい。その中で過ごすことが私の望み。」

そして、その思いの裏には、自分自身が安心できる環境で過ごしたい、もっと大切な人との繋がりを得たいという願望も見えてきます。

2.自分を喪失する理由は、家族との関係性から生まれている

だから、家族のことも、恋も仕事も手が抜けないわけですよね。むしろ手を抜いたら大切なものを失う怖れとぶつかるでしょう。

それほどまでに不安や怖れを抱え、同時に自分を喪失しながら生きている状態とも言えます。

心理的には、家族や仕事、恋愛であればパートナーと癒着のような関係になるからこそ、 自分が何者か分からなくなっているとはなかなか気づけないかもしれませんね。

それほどまでに、大切な人との心理的距離が近いんです。

実際、可憐な愛したい女子のみなさんが、実は実家から出られずにいて困っている、という話も伺います。本当は実家から出たいけど、いろいろ家族が心配で、と。

また、実家から出ても、仕事が忙しすぎて何もできない、と、今度は仕事と癒着っぽい関係になっているケースも散見されます。

もちろん恋愛、彼との関係もとても距離が近いので、彼の様子一つで自分の気持ちが振り回されます。

彼に好かれたくて、彼のためにと頑張りすぎて、「気持ちが重い」と言われたというご相談も多数です。(どこが重かったのかが分からないという疑問つきで。)

逆に、あまりに近い関係だった家族の中から飛び出して、遠い距離を取ろうとする人もいます。

遠くにいないと心が動いてしまう(感情的に揺さぶられてしまう)から、パートナーや家族と距離を取るんです。


 
このような場合、確かに自分自身の価値を見つめていったり、自分を受け入れていくことも行うのですが、その前に「家族やパートナーに対する癒着を解消する」目的のセッションをすすめることが、僕は多いんです。

実は癒着状態って、自分喪失状態に近いので、いくら自分を受け入れてみても、なかなか自分は自分でいいと感じられないままなんです。

感じたことがある人いませんか?

いくら頑張っても、仕事で評価されても、周囲から励まされても、自分自身の感覚として「私が今のままでいいと思えない」という感覚。
これ、癒着がもたらす感覚であることが多いんですよ。

疲れ果て、燃え尽きているときも、同じような感覚がもたらされることがありますが、そうではない場合も意外と少なくないものなんです。

特に、今までの家族との関係性を否定せずに、しかし今の自分として見つめ直すことや、実際の「絆のかけかえ」は、大きなテーマになりますね。

今までの親子関係という絆から、親子ではあるけれど、大人同士の絆にかけかえる感じ、といえば分かりやすいでしょうか。

だから、子供時代から抱えてきた感情、思い、心の痛み、などは、できれば癒やし、手放しておきたいわけですね。

ちなみに、このプロセスの第一歩は、「家族に言えなかった言葉」を実際に表現してみること。

カウンセリングセッションの中でも、実際に今まで言えなかった言葉を家族に伝えるようなイメージワークを行うと、ビックリするぐらい「自分の気持ちを表現できていなかった」と気づかれる方も多いです。

これ、癒着の効果とも考えることができて、心理的にお互いの気持ちが張り付いているからこそ、「言わなくてもいいか」「言わなくてもわかる、よね?」と感じやすいんです。

※逆に言えば、言わなくてもわかるはずなのに、どうして分からないの?という不満を感じやすいともいえます。

ここで、しっかり自分の意見を表現する体験し、癒やしのプロセスを進めていくことで、家族とも彼と、適度な心理的な距離がある対人関係になっていくきっかけを掴めます。

特に「言わなくてもわかるよね」という感覚は、家族や彼との関係の中で癒着による安心感をもたらす一方で、「お互いに一人の人間として尊重する」という感覚を曖昧にするんです。

それは「自分自身が一人の人間として、家族の一員として、どこか尊重されないという感覚」をもたらします。

この感覚があるからこそ、可憐な愛したい女子は頑張っているケース、僕は少なくないと見ています。

私がいつか近しい人たちに愛されるために、受け容れられるために。

いつかちゃんと尊重される私、になるために。

そんなスローガンのもとに頑張り続ける女子たちです。

しかし、実際は自分のことが後回しになっていますから、頑張っても疲れや徒労感のほうが先に来てしまい、「こんなに頑張らないと尊重してもらえないのか」という感覚を感じます。

だからまた「手が抜けない私」になるんですけどね。

だから、この「言いたいことが言えないほど、私が尊重されていないのではないか」という感覚からの卒業は、とても大切な要素になります。

もちろんこのプロセスを進めるには、自分からも、家族や彼に対して「一人の人間として尊重する」という態度が求められます。

お互いに尊重されるという態度のもとに、相手と関わり、話し合うこと。

すると、お互いがお互いを尊重できる関係になっていけます。

癒着がもたらす曖昧さは、自分も曖昧にし、相手との関係も曖昧にする。

この曖昧な関係の中では、真にパートナーを、家族を、そして自分を尊重することは難しいということですね。

また次回に続きます。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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