Index
パートナーになった男性が死んでしまうのではないかという不安
いつも楽しく読ませていただいてます。
質問は、昔から、パートナーになった男性が病気になって死んでしまうのではないかとよく不安に駆られることです。
もちろん私自身が大病をわずらうことも怖いのですが、パートナーの男性の健康を心配し始めると、いてもたってもいられなくなり、ついうるさく口出ししてしまいます。
時にヒステリックに責めてしまいます。
小学生の頃に心臓発作で突然最愛の父を亡くしているので、それが原因だろうことは薄々想像がつきます。
病気になることを予防したい、というより死んでいなくなってしまうことが怖いのです。
私に、父やパートナーへの愛があることはわかります。
でも、ここまで心配になったり、不安になったりするのは、愛とは違うような気もします。
人の生き死にはどうすることもできないので、相手の運命を信じてあげるしかないのではないかとも思うのですが・・私が助けてあげられるのではないか、と焦燥感に駆られた時が辛いです。
どういう気持ちでいれば楽になるのか、アドバイスいただけるとうれしいです。
ネタ募集ネーム:Mさん
Mさん、大変おまたせしました。ネタのご協力ありがとうございます。
実はこのご質問の回答、何度も書いてみたのですが、何度書いてもしっくりこず、ついお答えするまでに時間がかかってしまいました。すみません。
では、僕なりにご質問にお答えしますね。
何かを失う不安と、その意味を考えてみる
質問は、昔から、パートナーになった男性が病気になって死んでしまうのではないかとよく不安に駆られることです。
もちろん私自身が大病をわずらうことも怖いのですが、パートナーの男性の健康を心配し始めると、いてもたってもいられなくなり、ついうるさく口出ししてしまいます。
時にヒステリックに責めてしまいます。
小学生の頃に心臓発作で突然最愛の父を亡くしているので、それが原因だろうことは薄々想像がつきます。病気になることを予防したい、というより死んでいなくなってしまうことが怖いのです。
この記述の、特に最後の部分は、その通りなのでしょうね。
お父様を亡くされた経験があり、もう二度とそのような思いはされたくない、とお感じなのかもしれません。
大切な人・家族を失うことは本当に辛いことだと僕は思いますし、このような喪失感や痛みは丁寧に、ある程度時間をかけて癒やしていくべき、繊細な事柄だと思っています。
ただ、そういった体験を通じて、「今もまた大切な人を失うのではないか」といった不安を感じるとしたら、ついつい感情的になることがあったとしても不思議ではないのかもしれませんね。
こういった自分自身との向き合い方は、まず今の自分を否定的に見つめないように心がけることでしょうか。
感情的になってしまう自分を否定的に扱うと、辛くなりやすいですからね。
2つの「もう愛せない・・・」について考える
私に、父やパートナーへの愛があることはわかります。
でも、ここまで心配になったり、不安になったりするのは、愛とは違うような気もします。
人の生き死にはどうすることもできないので、相手の運命を信じてあげるしかないのではないかとも思うのですが・・私が助けてあげられるのではないか、と焦燥感に駆られた時が辛いです。
僕もMさんがこのご質問を送ってくださっている時点で、お父さんやパートナーさんへの愛があることを感じますよ。
ただ、あまりに心配が強くなったり、不安が強まるとしたら、たしかに愛のように感じられないかもしれませんね。
さて、僕の学ぶ心理学では、愛の対局は「怒りなど人と分離する感情」だ、といわれていいます。もちろん無関心さもそうなんですけどね。
だから、僕たちが「もう愛せない・・・」と思うとき、怒りや分離感というものは常に感じる事が多いのです。
この場合の「もう愛せない・・・」は、「もう頑張れない(燃え尽き・自立の限界)」という意味合いが強いのですけどね。
が、今回のご質問の場合、『私に、父やパートナーへの愛があることはわかります。』と書いてくださっていますから、もう頑張れないという意味での「もう愛せない・・・」という感情を強くお感じではないのかな、と思うんです。
むしろ、あなたの中には今も大切な人を愛する気持ちがある、と僕は感じています。
だとすると、ここでは『もう一つの「もう愛せない・・・」』について考えていく必要があるのかな、と思うんですね。
もう一つの「もう愛せない・・・」とは、
「その人と、もう出会えなくなって、自分がどれだけ愛してあげたいと思っても叶わない」
という意味です。
もし、Mさんがおっしゃる、パートナーさんの健康に対する不安や恐れを感じるなら、たしかにここで感じる感情自体は愛ではないと感じるでしょう。
ただ、その心の根っこの部分で「もう二度と大切な人を愛せない経験はしたくない」感じているなら、パートナーさんに「ちゃんと体のこと心配してよ!」と強く伝えたくなるかもしれません。
もちろん、ここには「大切な人を失いたくない」という思いも存在するでしょう。
ただ、僕は今回のご質問を読ませていただいて、失いたくないという気持ち以上に「大切な人とずっと一緒にいたい、愛し合っていたい」という気持ちがあるのではないかな、と感じたのです。
失いたくない、ではなく、ずっとそばにいたい、です。
だとしたら、パートナーさんへの愛があるMさんが、感情的になる理由も見えてきますよね。
こう書いてくださってあることも同じ意味ではないでしょうか。
キーワードは、ずっとそばにいたい、愛していたい、です。
自分と相手の愛情をもう一度受け容れる
もしこの話が仮に真実に近いものだとしたらの前提で、Mさんの気持ちが楽になる方法を考えるとしたら「受け取る」です。
お父さんはもちろん、パートナーさんやあなたの周りにいる信頼できる人の「想い」を受け取ることです。
*
今回のお話を読ませていただいて、Mさんは「与える側」の方なのだろう、と 僕は感じています。
ただ、僕たちは誰かを愛していたり、与える気持ちが強いときであっても、人の思いを受け取ることを忘れ、それでも頑張り続けたり、愛し続けていると、一人ぼっちを感じるものなのですよ。
だから、「失う」ことを恐れ、「失う」を想起させる現実の前で感情的になることが起きるのです。
が、その深層心理では「もう与えられない」こと、すなわち「もう愛せなくなる」ことを怖れている場合も多く、これは時として「執着」のように感じることもあります。
この「もう愛せない」を怖れるから、もう愛さないと決める人もいますし、相手に愛情を受け取らせたいと願う人もいます。
ただでさえ、大切な人を愛せないことは耐え難い感情を伴うできごとですよね。
が、その辛さの根底には「もう自分の思いを届けることができない」という、癒やしきれない痛みや罪悪感が横たわっています。
そして、この感情を癒やすことを考えるなら、いわゆる自立(一人)の状態では難しいのです。
僕が学ぶ心理学の中にはこんな言葉があります。
「愛する人のためにもう何もできないと感じたときに、できることはその弱さを相手に差し出すこと」
しかし、それがなんとも難しいので、ついつい自分で抱えて頑張っちゃうんですよね。
あなたがどれだけ大切な人を思っているか。まずその自分を「受け取る」こと。
愛している自分がすごい、と褒めるよりは、淡々と「私ってそんな存在なんだよな」と感じてみることです。自分を盛って褒めても、なんだか嘘くさいものですからね。
そして、あなたが愛してあげたいと思っている人、その気持ちに思いを馳せること。
あなたのことを大切に思う人の気持ちを受け容れてみよう(認めてみよう)と思うこと。
自分の中に愛があることを認めることも大切なことですが、それ以上に勇気が必要なことがあるとすれば、自分の想像を超えた人の思いや愛情を受け取ること。
私達の罪悪感は、愛されることを拒み、相手に私に対する愛があることを認めようとはしないものですが、それを超えて、たとえば「お父さんにとってあなたがどれだけ喜びであったか」を感じることができたなら、あなたの気持ちはバランスが取れて、楽になっていくように思います。
これ、実際のカウンセリングでもよく行うセッションなんですけどね。
今日は以上です。なにか参考にしていただければ、幸いです。
本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。