恋愛・夫婦の心理学

不倫中の彼が別れと告げたことをきっかけに吹き出す不安と自分癒やしのプロセス ~セックスレスと私とパートナーの価値~

パートナーを愛していたがゆえに、満たされない気持ちを拭い去れないことも

今日はセックスレスと不倫のお話。まぁこういった話はあまり書かないのですが、今日はまとめてみよと思った次第です。

ちょっと刺激的な記述もありますが、よろしければどうぞ。

パートナーを嫌いになったわけではない。しかし・・・

「正直、もうどうしたらいいか分からなくて」

そんな切ないお声とともに始めるカウンセリングの中には、「私、パートナー以外の人と関係を持っているんです。もちろんパートナーには内緒です。

その彼との関係が今、ダメになりそうで。彼との関係が切れると私は耐えられそうにありません・・・。」

お話をよくよく伺わせていただくと、自分自身が浮気や不倫状態にある、というお話なんです。

今のままではいけないと思いながら、長く関係を続けてきた。でも彼が心の支えだった。

こういったお話を伺うときって、なんとも追い詰められたクライエントさまのお気持ちと向き合わせていただくことが多いんです。

先に書いておきますが、僕自身、不倫はいけない、浮気は問題だ、とだけ考えているわけではないんですよ。

もちろんパートナーと向き合えればそれに越したことはないし、不倫や浮気の問題って周囲に与える影響が少なくないものですよね。

ただ、パートナーがいたとしても、他の異性と関係を持つにも、なんとも切ない事情が隠れていることもあるわけです。

例えばセックスレスが理由のケース

例えば、数年単位で夫婦がセックスレスの状態にある、というお話を伺うことがあります。

この状態はいわゆる「セックス」を通じて愛し合うことがなくなり、今の自分自身のあり方に疑問を持つことが苦しくなった、なんてお話につながっている場合がありますね。

今までも夫婦関係を何度も改善しようと努力してきた、というお声も伺いますし、なかなか夫婦の生活に対して向き合うことに抵抗があったり、パートナーが向き合ってくれない、という場合もあります。

倦怠期、という言葉だけでは片付けられないような切なさと痛み、耐え難い満たされなさを感じて、つい婚外の異性に自分の意味を見出そうとするお気持ちがあるなら、僕なりにその心情を理解できる気がするんです。

例えば、ちょっとリアルな話で申し訳ないですけど、自分が選んだパートナーがいて、そのパートナーにまだ愛情があって。しかし、いつも横で眠るだけのパートナーの姿を見ながら、自分自身を慰めつづけているとしたら、やはり耐え難い気持ちになっても不思議ではないと思うんですね。

それでもなんとか耐えようとした自分がいるなら、その自分ってどんな自分なんだろう?ってぜひ考えてみてほしいんですけど。決して情けない自分ではないはずですから。

ただ、存在の耐えられない軽さ、という表現がいいかどうかはわかりませんが、あまりに大きな虚しさを感じて、自分の存在を肯定できない場合もあるかもしれないですよね。

だから

「夫のことが心底嫌なら別れています。でも、今のままでは本当に耐えられないんです。」

そんなお声も伺うこともありますね。

「自分でも今の状態は異常だって分かっています。まさか自分が、と思いましたし。今の彼も別れたほうがいいと分かっているけれど、でも別れることだけは絶対に嫌だって思うんです。」

そうおっしゃる方もいます。

「きっと浅野さんも、彼とは別れたほうがいいって思われているんですよね」

そんな直球を投げてくださる方もいます。

こういったお話って、いわゆる浮気や不倫の心理、依存性や罪悪感の話だけで片付けてしまうと、なかなか抜け道って見えてこないよなと僕は思うんですよ。

だから、丁寧に丁寧に、その方の気持ちを見つめながら、カウンセリングを進めさせていただいているところです。

また、今の満たされない状態、自分自身が悩み、追い詰められている状態をいかに和らげるか、という意味でのカウンセリングをご提供していることが多いでしょうか。

愛するがゆえに、無価値をいう罪を感じることもある

そもそも今回のようなお話って、快楽的なセックスを求めた浮気や不倫のケースとは違うと僕は見ています。

パートナーのことをちゃんと愛している、向き合ってきた方が抱える葛藤だと僕は見るのです。

パートナーのことを愛していなければ、愛されないことで傷つくことはないだろうと思いますし。

なにより、夫婦であることを優先して、パートナーが愛してくれないという事実を受け入れようとしたこともあったのではないか、とも思うからです。

しかし、恋愛でも夫婦関係でも「愛している人に愛してもらえない」という事実は、やはり重いですよね。いくら自分で自分を納得させようとしても、気持ちがついていかない場合もあるでしょう。

なにより、愛して欲しい人の前で自分を慰める、としたら、それこそ悲しみが吹き出してきても不思議ではないように思うのです。

心理的に見て、確かに自分を慰める行為(マスターベーション)には、自分を受容する意味合いが含まれていると考えられていますが、問題はそこではなく「自分の愛が届いていない」「自分をちっぽけに感じてしまう」という無価値感を刺激される状況にあります。

実はこのとき、深層心理では「自分に価値がないのではないか」ということを通じて罪悪感を感じてしまう方もいるのです。なかなか気づけないかもしれませんけども。

だから、まるで自分に価値がないような感覚がすると同時に、「今ここにいること」が耐えられなくなるかたもいます。

それはまるで、無価値であることと、自分が存在してはいけないような気がする感覚が同居する、といってもいいかもしれません。だとしたらもう針のむしろのような気持ちになっても不思議ではないと思うんですよ。

この状態に耐えられなくなると、外に意識が向かうしかなくなるのですが、もちろん多くの方が自制し、ギリギリまで耐えられているものだと思います。

しかし、一度そのタガが外れてしまうと、罪悪感を感じているがゆえの「依存性」が登場します。

一度、自分が満たされる関係を持つことに依存するんです。

だから、別れ、というキーワードをきっかけに不安が噴出して、さらに彼に執着することもあります。

ね、これ、「遊び」って感覚じゃないって思いません?むしろ自分が自分でいるために彼が必要だ、と感じていても不思議ではないんですよね。

それぐらい自分の外側に、自分の価値を見出そうとしているとも言えます。

しかも、浮気や不倫の心理って「罪悪感のつながり」なんです。お互いに関係の中で罪悪感を溶かし合っているので、強い刺激を感じながら、罪悪感から一時的に逃れられる感覚がするんです。

こうなると余計に彼の存在はとても貴重で、強い心の支えのような気がするんです。

ここが失われることに強い恐れを感じるんですね。

自分が特別な存在でありたい、愛されたいという満たされなかった気持ちを、外側から満たしたい気持ちに駆られることも多いでしょうから。

失われた自尊感情を取り戻すこと

僕自身、こういったカウンセリングはかなり繊細なものだと思っています。

なにより、その方の価値そのものがかかっているお話であり、感じている感情自体複雑であり、そもそもこうなるべくして結婚をしたわけではない、と多くの方が思っていらっしゃるように思うからです。

ただ、今のこの状態のままでは自分の気持ちが持たない、とお感じになり、カウンセリングに駆け込んでくださっているように思います。

また、僕の考え方としてですが、この状態からの癒やしを考えていくならば、彼といかに別れないか、ではなく、「失われている自尊感情を取り戻すこと」が目的となったほうがよりベターな選択、と感じています。

「自分は誰かの喜びになっている」という実感が失われた状態から、いかに早く回復するか、ということですね。

その対局の感情、「罪悪感」という自分にふさわしくない感情の影響から抜け出して、もう一度自分自身を取り戻すプロセスが大切なんだろう、と。

もう一度自分を取り戻せば、夫婦関係にあり方自体にも向き合いやすいですし、今後のことも前向きに考えることができそうだと思いませんか?

こうなって夫婦の問題も、彼との問題も手がつけられるようになっていきます。

しかし、今、彼との関係が途切れそうであり、夫とも向き合えない事情があるとなれば、自分が喜びになるどころか、罪悪感に飲み込まれてしまうので、次の選択がどんどんネガティヴなものになっていく可能性があるんですよね。

今、起きている事実をどう評価するかは別にして考えるならば、それはもう本当に苦しいことだと思います。

さらに、人は強い罪悪感を感じているとき、自分で自分を認めることが難しくなります。

罪悪感を否認したり、自分を慰めることはあっても、受け容れ、認めることはとても難しい。だから自分のことしか考えられなくなります。どんな自分になれば、自分がどうすれば彼と別れずに済むか、という部分に意識が向きすぎるんです。

そのとき、彼の気持ちには意識が向かず、自分の不安に意識が向くので、今の関係もどんどん手のつけようのないものになることもあります。こうなると、いくら相手の気持ちを知っても、手を打ってもなんとも空振ることが多くなりがちなんです。

このような状態は、あまり長く続けると自分のデメリットが大きくなるものだと僕は見ています。

だから、今後どんな選択をするとしても、そのために「自分自身を認めていく方向にシフトする」というご提案をさせていただくことが多いんです。

現実的にどのような選択をするかは、みなさんの自由ですから、という意味も込めて。

これ以上、大切な自分を苦しませないために。

そもそもの始まりは愛し合うということではなかっただろうか

こういったお話は「うまく愛し合えなかった」という部分に遡ることができると思っています。

本当はうまく愛したかったし、愛されたかった。けれど、それが難しくなったとき、自分で自分を引き受けるしかなかったという切なさが隠れている気がします。

そしてその我慢の限界をパートナーに知らせても分かってもらえずに、誰にも分かってもらえない悲しみの中で、自分を支える何かを必要としたのではないかと。

もし、そもそもうまく愛し合えなかったと良い部分がこの話の源流なら、そこに立ち戻って、もう一度自分自身の愛とつながることが大切なんでしょう。

ただ、現実がこんがらがっていると、なかなか自分の中にある愛を実感することって難しいかもしれません。そもそも自分自身の愛を見つめたときに、痛みや悲しみが伴っているならば、もう向き合いたくないと思うかもしれない。

だからこの話はとても繊細で、その方の尊厳にまで関わってくる問題だと感じることも多いのです。

それは罪悪感や無価値感の影響よりも、そもそもあなた自身が持っている大切な愛情をなんとか癒やして大切にする、という意味で、です。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。