幸せになりたいのにそうなれないというお悩みの解決法
今朝は、名古屋駅のスタバでアーモンドミルクラテを買って出勤。
今、新幹線の中です。
最近アーモンドミルクラテを飲むと脳が喜んでいる感覚がするのですよ。
僕は断酒して1年以上経ちますが、最近は美味しいお茶やコーヒーを口にすると、僕の脳や心をめちゃめちゃ満たしてくれる事に気づきます。
以前は「仕事終わったら飲むでしょ?」「うまいお酒こそ癒やし」としか思えなかったので、実は飲まない人の気持ちに共感できなかったのですよね。
今だから言えますけど「人生損してるよ?」ぐらい思っていたのです(^^;
今思うと、これも自己概念の一つだった気がします。
「お酒を飲まない人は人生の楽しみを一つ損している」→「自分がお酒をやめたら損をした気分にしかならないだろう」
そう思うとかつての僕は「飲まない幸せ」を知らないままでいたから、そのように思い込んでいたわけですね。
とはいえ、僕は今でもかなりの酒好きな人間であることには違いがないのです。断酒しましたけど、好きは好きなんですよ(笑)
ただ僕の中で変わったのは「お酒をやめたら損する」という自己概念なんです。
損どころか、別の楽しみが増えたし、正直体が楽でしょうがないってのが本音ですね。
たまにアイラのフレーバーの記憶が脳内で蘇って「味わいたい」と思うこともあるんですけどね。そんなときは正露丸の匂いをかぐだけで、なんだか飲んだ気になってしまいます(笑)
※ピーティーなArdbegの香りは正露丸とそっくり。今でもArdbegがかなり好きで変わりません。
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どうして今日はこんな話を書いているかといいますと、この考え方が「幸せになりたいのにそうなれない」というお悩みを解決していく一つのヒントになるからですね。
かつ、「幸せになりたいのになれない」と思う自分を責める必要はまったくない、という流れで今日のコラムを展開していきます。
そもそも幸せになれないことは悪いことではないのです。
ただ、観念として「幸せに対してネガティブなイメージ」を持っていると、幸せに近づくと葛藤状態になったり、辛くなることがあるわけです。
そう考えますと「幸せになれないこと」が残念なことだと考えるよりは、「幸せに近づこうとすると葛藤したり、不安や怖れが強まって、幸せになりたくても近づけない」ことが切ない、と考えたほうがよりリアルなのかもしれませんね。
幸せをどう感じ、どう見ているか〜自己概念の話〜
心理学には「自己概念」という言葉があります。
自己概念とは「自分で自分を捉えたときのイメージ、自己像」のことを指します。
今回取り上げる自己概念は「自分が幸せな自分を捉えたときのイメージ、自己像」です。
言い換えれば、『もし自分が憧れている「〇〇な幸せ」を手にしたら、自分はどうなってしまうだろうか』という、自分の中にだけ存在するイメージです。
僕の例で言えばこんな感じです。
「もし自分がお酒をやめたら人生の楽しみを一つ失う、損をする」
だから、長い間お酒を飲み続けてきたし、時には味わって楽しみ、時にはお酒で失敗してきたわけですが(^^;このとき、お酒を飲まない自分のイメージがネガティヴなものになっていたことは間違いないことです。
ただ、実際は「断酒することで手に入った幸せ」もあるのです。
これはかつての僕の自己概念から逸脱した、いわば想像できなかった自分なのです。
この考え方を使って「幸せになりたいのになれない」という事実を見つめるとどうなるでしょうか。
例えば「私は幸せな結婚をして温かい家庭を持ちたいのに、そうなれない」という事例を使えば、このように考えることができます。
まず「私は幸せな結婚をして温かい家庭を持ちたい」という部分は願望です。
ただ「そうなりたいという願望を持ちながら、そうなれない」と思うなら、そこには「私が実際に幸せな結婚をして温かい家庭を持ったら、どうなるのか」という自己概念がある程度影響しているものでしょう。
この自己概念を見つめ直すときに参考になる要素が「自分自身が他人をどう見ているか」です。
いわば「幸せな結婚をして温かい家庭を持っているだろう他人」と触れた時、自分自身がそのような感情を抱くのか。
ここがヒントになるということですね。
もし、そこで「素晴らしいな」と心から素直に感じられたら、きっと幸せにならない理由は見当たらないでしょう。そのまま幸せに近づいていけると思いますし、葛藤も少ないはず。
しかし、例えば「幸せになるって大変なんじゃないの」「ちょっと調子に乗ってるんじゃないの?(嫉妬)」「幸せになってもその状態を維持することが大変」「順風満帆にはいかないわよ」と思っているとしたら、どうなるでしょうか。
これは自分が「幸せな結婚をして温かい家庭を持つ」という事実と出会ったときに、「自分が苦労する」「人から嫉妬される?嫌なことを言われる?」「維持するために大変な苦労をする必要がある」「いつも幸せでいられるわけではない」と感じる可能性を示します。
どこかに「誰かと生きること=苦労が増える」と思っている、つまり「自分が幸せになったら苦労が増える」と思うなら、わざわざ苦労を望んで結婚をするなんてことはしたくないはずなのです。
もちろんそう思うことが悪いわけではありません。そう思うには事情があるのでしょうから、なんら罰がふさわしいことでもなんでもありません。
ただ、もし自分の中に「幸せな結婚をして温かい家庭を持ちたい」という願いがあるとしたら悩みが生じるのですよね。多くカウンセリングで伺うお話は「そうなりたいのになれない」というものですから。
だとしたら、「あなたは自分がなりたい私になることや、実際に幸せを手に入れたとしたら、一体自分がどうなるって思っていますか?」という質問が有効になってくると考えられるわけです。
「幸せになれない」は「幸せになりたくない理由がある」と考えてみる
今日の話をまとめると『「幸せになれない」は「幸せになりたくない理由がある」と考えてみると、自己概念に気づけるかもしれませんよ』ということです。
ここで見えてくるのは「愛されない理由」ではありません。「幸せになれない外的な理由」でもありません。
自分が幸せを遠ざけたり、近づくと葛藤する理由です。
例えば「幸せになれないのは私が素敵ではないから」というカタチの答えは出てこないんです。
この場合は「素敵な自分で居続けることが大変だと思うから、自ら愛されることから遠ざかっている」という自己概念に気づけるかどうかなのです。
全ては「自己概念」が影響した自分の観念、行動なのです。
ただ、繰り返しになりますけど、だから自分がダメなんだ、欠点があるんだと考えるのは行き過ぎ何だと僕は思っています。
この話はいわば「食べ物の好き嫌い程度」の認識でいるほうがいいと僕は思います。
真剣に自分の将来と向き合うことと、何でもかんでも深刻に考えることはイコールじゃないと思いますからねぇ。
ただ、好き嫌いも克服するにはある程度のチャレンジやエクササイズは必要かもしれませんね。そのあたりのサポートこそ、感情を扱う私達カウンセリングサービスのカウンセリングの強みでもあったりするのです。
自分の自己概念や感じ方が変われば、幸せに近づきやすい私になれますからね。
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