恋愛・夫婦の心理学

「違い」は愛し合うところ。罰するものではない。

お互いの「違い」は愛し合うところ。愛し合えばもっと分かりあえる

僕のもとにいただくご相談をじっくり見つめていくと、「多くの問題の原因はここにある」と言えるような要素。

それが

「違いが愛し合うところになっていない。むしろ罰の対象になっている。」

例えば恋愛なら、自分と相手では考え方、嗜好、感じ方は違う、と分かっているのだけれど、ついつい「なんで分かってくれないの?」と伝えたり、分かってもらえないことで悲しみを感じたり。

そんな過去の反省から、お互いの違いを認めて我慢すればいいんだ、と思う愛深き忍耐女子のみなさんにとって、この違いはなかなか扱いにくいものでもあるようで。

お互いの違いを認めようとし、我慢に我慢を重ねた結果、自分が辛くなりすぎたりもするようです。

ときには、自分と相手、また別の異性や他人、時には、見たことも出会ったこともない「一般的な人という概念」と自分を比較して、劣等感を感じる部分を隠したり、自分自身でダメ出しを続けてしまって、恋人のそばにいることが苦しくなることもあるようです。

 

例えば夫婦関係なら、一緒にいると決めた人の考え方、自分との違いについていけなくて、相手のことを「私を愛さない人」として扱い始めたり、相手の違いを受け容れられなくて何度も訂正するように迫っていた、という場合が考えられますね。

愛し合うとは受け容れ合うこと、心理学の言葉を使うなら「相互に受容する関係」になるはずが、お互いの違いをつつきあい、時にはシバきあう関係に変わってしまうこともあるようです。

だから、相手が間違っている!(自分が正しいんだ!)と声高らかに叫ばれる方もいれば、愛する人と自分の違いを受け容れることができず苦悩されている方もいます。

特に、大人になればなるほど、「互いの違いを受け容れられていないのは自分だ」と気づくことが増えるものです。心が成熟すれば、相手が間違っているのではなく、相手のあり方を受け容れられずにいるのは自分だと気づきますから。

すると、自分の内面でも同じようなことが起きて、「相手の違いを受け容れられず嫌って批判していたけど、その違いを愛せなかったのは自分」と感じますから、自分が自分の愛に反していること、また、自分が大切な人を愛していなかった事実を前に、自分自身をちっぽけに感じたり、とても苦しい気持ちになるものです。

 

このようなことはパートナーシップだけでなく、対人関係、職場の人間関係でも同じようなことがいえます。

「もっと上手に相手の違いを愛してあげられれば、こんなことにはならなかったのに。」

これは、カウンセリングなどを通じて、自分自身を見つめ、自分の愛を実感しながら自分というものを取り戻していかれる途中で、クライエント様が僕に伝えてくださることなんです。

私がパートナーを、家族を、両親を、友達を、同僚を、愛してあげたかった。

けれど、相手と私の「違い」という壁の前に、上手に愛することができず、相手を受け容れることを自分が拒絶した。

自覚があるかどうかは別にして、ついついそう感じるものだから、人間関係でのトラブルは自分の価値や自分のあり方そのものに強く影響をあたえるものになるのだろう、と僕は考えます。

特に、違いを受け容れあえないことで、自尊感情〜自分は誰かの喜びである〜という感覚を感じられなくなってしまうことも少なくないですからね。

本来はお互いが幸せになるためのパートナーシップが、大きな問題や苦しさとなる理由はここにあると言えそうです。

 

「違い」に罰を与えているのは自分自身かもしれない

ただ、カウンセリングの中で「互いの違いを受け容れられない」という苦しさを伺うこともありますが、同時に「自分の『違い』を許せない」という状態と出会うこともあります。

どこか自分の個性、それが生む他人との違い、時には異質感が、劣等感や恥の感情を刺激して、自分が自分であることを否定的に見て、その個性を罰し続けているかたもいるのです。

その典型的な例は方言です。

僕は、方言とは自分が育った地域の色であり、何ら恥ずべきものではないと考えます。

また、自分で直してもいいし、直さなくてもいいものだと思います。それは自分がどうありたいかを選んだ結果でしょうしね。

ただ、時には「何その喋り方?」と方言に対する違和感を伝えてくる人とも出会いますし、難癖をつけられる理由として「その喋り方が嫌」と言われた経験を持つ方もいるわけです。

そりゃ辛い話ですよ、そもそも方言なんて自然に身につくものですからね。何ら悪くない「違い」を他人から罰されれば、悲しい気持ちにしかならないでしょう。

ただ、この時、他人の方言を罰した側もネガティヴな反応を見せています。私は自分と他人の違いを認められないぐらい、他の人との違いを「自分に許していません」と言っているようなものですから。

つまり、他人の違いを受けいられない人ほど、自分の中にある違いをも受け容れられていない、ということ。

自分は自分でいい、と感じているわけではない、ということ。

どこか生存戦略ともいえるような「人に合わせる方法」を常に考えてきた可能性がある、ということ。だから異質なものに怖れを感じ、排除したいと考える人もいるでしょう。

その分だけ、他の人との違いがある今の自分ではダメ、と自分を罰することが多くなるものでしょう。

つまり、他人の違いを罰する人も、他人から違いを罰されて傷つく人も、「違い」とは罰の対象になる、と考えている可能性がある、ということです。

もし人の違いを受け容れられないのに、自分の違いを罰していないなら、それはあまりに身勝手で、世界の中心は自分だ、という勘違い野郎になってしまいます。

でも多くの方はそうじゃないでしょう?

そもそも自分のことだけ許していて、他人の違いを許さない人が、誰かを愛する人のために頑張ろうとか、もっと上手にパートナーを愛したいとか、社会に貢献したいなんて考えないはずですから。

だから、うまく愛せない、分かりあえない、どれだけ愛し、どれだけ願えば私の気持ちが相手に伝わるのか?という声を僕自身たくさん伺っていると思っています。

 

パートナーを愛している人が、パートナーからのダメ出しに苦しむことも。

愛する人に文句や私的ばかり言ってしまう人が、いつもつらそうにしていることも。

子供との関係が疎遠になったお母さんが、子供を愛しているのに苦しむことも。

つい家族と口論になってしまったお父さんが、怒りながら、同時に嘆き悲しんでいることも。

「もし、私が相手との違いを受け入れあえる人間であれば、こんなに苦しむことがないのに・・・。」

意識として気づいているかどうかは別にして、多くの方がそうお感じなのだろうと僕は思います。

そして、目の前に存在する「違い」を受け容れられない自分に、それが誤解であっても、無力さ、非力さ、未成熟な感じを感じては、また自分を罰してしまうのかもしれません。

それはいつしか罪悪感となりますから、「人と違う自分はダメ」「うまく人を愛せない自分は罪だ」と感じ、人と関わり合い、違いを認め合う世界ではなく、たった一人の世界を目指すようになることも少なくないのかもしれません。

 

「違い」を認め、愛しあえる自分になる第一歩

自分には結婚は無理。誰かと一緒にいると、相手のことが嫌になってイライラするから。

パートナーが私を理解しない。どうしてこうなのか。

どうすればパートナーに私の気持ちが伝わるか分からなくて辛い。

家族に理解された気がしない。いつも私は一人だった。

 

そんな経験をする中で、もうこれからは一人でいると決めた、という方とも、たくさん出会ってきたように思います。

そんな方ほど「どうすれば相手をうまく愛し、いい気分にさせることができるのだろう」と考えている方が多いと僕は思っています。

そしてそれは「自分なりの愛を与える」ということであり、とても素晴らしいことです。

しかし、愛を与えても、相手と自分の違いは変わらないこともありえるものです。

自分なりに必死で相手を愛することで、相手に感じる違和感を払拭しようとされている方もいますが、その努力はいつしかコントロールとなり、ときには不満となって問題を作る理由にすらなります。

なぜなら、そもそも「違い」は、そこにあっていいものだから。

みんな同じ、みんな同じ性格、みんな同じ考え方、なんてことはありえない話ですよね。

 

だから、お互いに違いを認め、受け容れ合うことさえできればいいのです。

このときテーマになることは「自分が相手の違いを認めようとしたときに感じる『感情』についてしっかり扱えるかどうか」です。

相手との違いを認めようとした時に、嫌な気分を感じたり、不快な感覚がするなら、それは「自分自身が相手の持っている要素を受け入れようとしていない」ということを暗に示唆します。

自分に禁止した要素、自分の中で生き残れなかった要素、自分が「こんな自分にはなれない」と感じた要素、がそこにあるのです。

 

例えば、パートナーがとてもマイペースな人で、それが受け容れられずあれこれ言いたくなるとしたら

・自分自身が「マイペースであってはいけない」という禁止を持っている

・過去に「マイペースで過ごしていたら両親や仲間から批判的な目で見られた」という経験があり、それから「マイペースで過ごすこと」自体を諦めた

・いつも人を目を気にしたり、他人の意見ばかり気になるので、自分自身のままでいいとは思えずにいる

このような事情が自分の中に隠れていることが少なくないんです。

そこには「自分が人と違う」ということを、自分自身で否定的に見つめる理由が存在するものです。

このような心理状態で人の違いを認めようとしても、なかなかうまくいかず、むしろ葛藤してしまうことも少なくないものなんですよね。

だから、実際のカウンセリングでは「いろんな自分を認めましょう」「自分は自分でいいんですよ、と自分を受け容れることを進めていきましょう」なんてご提案をさせていただくんです。

 

また、自分を受け容れることだけでなく、「自分を認め受け入れてくれる人なんていない、という感情を癒やし、その存在に気づくこと」によっても、自分を受け容れるプロセスが進むことがあります。

それは他人に受け容れてもらわなきゃ無理だ、癒やされないということではなく、「既に自分を受け容れてくれる人がいる」という事実を受け止めることで自分の中の禁止や誤解を解き、人の思い、目に対する理解をすすめることなのです。

 

 

違いを認める成熟さを自分に許す

違っていても愛せるし、愛される。
互いの個性を受け容れ合うことこそ成熟した関係性。

そう思える自分への(心の)成長を考えるなら、やはり「自分を受け容れること」が大切です。

また、人(家族や両親、パートナーなど)との葛藤・競争・批判などを手放すことと、自分の中に存在する葛藤、疑いを超えていくことがポイントです。

「自分が自分であってはいけない」と感じさせる、自分や人への批判や文句を減らし、自分や人を「許すこと」ですね。

取り組むと、一時的に嫌な気分がするプロセスでもありますが、超えていけばどんどん素晴らしく、楽な自分と出会っていくことができるようにもなります。

 

だから僕も「あなたのここが問題です、だからあかんです」とは(必要な時以外は)お伝えするつもりはありません。

それは甘やかしているのではなく、癒やしのための適切な要素をご提供したいという思いからそうしています。

むしろ「あなたはあなたでいい」ですし、「あなたの良さを伸ばしましょう」とお伝えしますし、「あなたは大丈夫ですよ」とお伝えするんです。

自分をまるっと認めていき、さらに良さを伸ばすことを通じて、自分に対するOKサインを強く出していくのです。

すると、何より自分がいい気分になるし、自分が自分であることを徐々に受け容れることができるようになるのです。

そして、今までの自分がどれだけの人に支えられてきたかを感謝することができるなら、さらに自分を受け容れ、認めることができます。いわば被受容感を感じられるからこそ、自己肯定感が高まるのです。

すると、頑張って違いを受け入れようとは思わず、自分が自分を受け容れているように、相手を相手をして受け入れてみよう、ありのままを認めてみようと思えるようになります。

 

こうなると徐々に「違い」は認めるもの、愛するもの、差し出すもの、と感じられるようになりますよ。

自分から自分の存在を差し出すこともできますし、相手の違いも無理やり扱うことなく、認めて愛することができるようになります。

それはより大きくて、寛容な自分への変化。

ここまでいけばパートナーシップで悩むことは激減しますし、対人関係も楽になっていきますよ。とにかく我慢が減るので自分が楽なんですよ。

特に、相手との違いを我慢して受け容れるって、犠牲になってしまいやすくて、不満や文句の原因になるんですよね。

だから、パートナーや家族など身近な人、職場の人などを、愛しているのに文句を言いたくなるし、相手のことが気に入らないとなるわけですよ。

 

最後に、我が師匠はよく言います。

「我慢ばかりしないこと」

僕はこの言葉の意味を「寛容でハートの器の大きな人間になること」だと理解できたのは、正直数年ほど前のことだった気がします。

自分を認め、受け容れること。そして人を認め、受け容れること。

そのプロセスを通じて、自分が受け容れられる感情を増やすことだった。

我慢しないって、好き放題のイメージがあると思うんですけど、そりゃちょっと違うんですよねー(^^;

我慢しないと受け容れられないものって一体なんだろう、と考えてみると、その答えが自ずと出てくると思うんですけどね。

カウンセリング・セミナーのご案内
カウンセリングを受ける

なりたい自分になるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。

カウンセリングのご案内ご予約可能時間のご案内

 

ブログ上であなたの質問にお答え

ブログ読者の皆さんからのご質問に浅野がブログ上お答えする「ネタ募集コーナー」は現在も継続中。よろしければあなたの訊いてみたことを↓のページから送ってくださいね。

ネタ募集企画のお知らせカウンセリングサービス・心理カウンセラー浅野寿和です。 いつもご覧いただきましてありがとうございます。 さて唐突ですが、この度このブ...