ネガティヴ思考の自分が嫌いだと思ったら
いわゆる一般論としての話ですが「何事もポジティブに物事を考える方がよい」と考えることって多くないでしょうか。
「何ごとも否定的に見たのでは前進しないし生産的ではない」だとか、「いつも否定的な意見ばかり聞いていると気が滅入る」など、どうやらネガティブ思考の人というのは敬遠されがちな傾向があるのかもしれないですね。
だから、自分自身がネガティヴ思考だと自覚がある方の中には「ネガティヴ思考の自分のままじゃダメだと思う」「もっとポジティブに物事を考えられるようになりたい」と思い、カウンセリングの扉を叩いてくださる方も少なくないのです。
ただ、僕はこのようにお伝えしています。
「ネガティブ思考でいることであなたが辛い気持ちになることは僕なりによく分かります。なんとかしたいですよね。だから、僕もそのお手伝いをさせてもらおうと思いますよ。
ただね。そもそもネガティブ思考の自分が嫌だからといって、無理やり変える必要はないと思いますよ。」
もちろん「一体何を言っているんだ」と思われる方もいらっしゃるかもしれないんですけどね。
ただ僕はこの「無理に変える」「無理やりポジティブになろうとする」ということはご提案しないのです。
それはなぜか。
即答できる答えは2つ。
・そもそもネガティヴ思考自体が悪いものではないから。
・ネガティヴな人が無理やりポジティブになろうとして「すっごいポジティブになりました!」と言い張ったところでバレてしまうことのほうが多いから。
まま、ネガティヴ思考ってのはその捉え方次第で魅力にも人に与えられるものにもなるものです。
ネガティヴ思考である人が、今の自分のあり方をひた隠しにしたり、一生懸命否定したところで癒やしは起こらない。少なくとも僕はそう考えています。
そもそもネガティブ思考とは「ネガティブな考え方ができる」ってことを意味しているだけであって、それ以上の話でもそれ以下の話でもない、と僕は考えています。
もちろんポジティヴ思考も同じ。そうである、ということであって、それ以上でも以下でもないのです。
むしろ、ネガティヴ思考の自分を変えたいと、自分を疑ったまま変化を求めると、心理学でいうところの「補償行為」〜埋め合わせの行動(無理にポジティヴになろうとすること)〜ばかり続けることになり、その結果、自分を偽る癖ができたり、自己肯定ができなくなっちゃうことが多いものなんです。
そりゃ何も変わっていないどころか、自分を偽り、その自分で人を偽る、いわば偽物感や罪悪感を感じやすい状況ができてしまう可能性も否定できないんですよね。
もちろん「自分を変えたい」という思いや努力は決して否定されるべきものではありません。
ただ、ネガティヴ思考を手放したい人にとって重要なテーマは「ネガティブ思考をポジティヴ思考に変える」ではありません。
扱うべきテーマは「ネガティブ思考である自分を嫌い、否定していること」にあります。
いわば「自己否定」こそ扱うべきテーマなのです。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い?
自分自身がネガティブ思考に陥ると、どうしたってネガティブに自分のことを見つめ始めますよね。
そもそも思考、物の考え方がネガティブなので、自分自身にも容赦なく否定的な観念をぶつけていくでしょう。
僕はこの状態を「自分で自分を焼き尽くしているような状態」と喩えることがあるぐらいです。
こうなると、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃないですが、自分が嫌だからさらに自分が嫌になるというエンドレスループにハマるわけですね。
ネガティブ思考な自分が嫌い、ダメだと思う。
↓
そんな自分が嫌い、許せない。
↓
だからポジティブ思考になろうと頑張ってみる。
↓
しかし自分の中のネガティブ思考が消えてくれないし苦しい。
↓
自分にがっかりする。
↓
そんな自分がさらに嫌になる。
↓
そんなときに「またネガティブ思考になっている自分」に気づき、落ち込む。
↓
今の自分じゃダメだと思い、またポジティヴ思考を目指してみるが・・・
もし、このような状態になると、もはや自分が何者か、何をどうすりゃいいんだか分からなくなるんじゃないでしょうか。
個人的には「超絶きっつい状態」が続くと思うんですよね・・・。
でも、実はこの自己否定にも一定の意味があって、この自己否定をしていないと、更に最悪な気分を感じてしまうから、ずっと自分を責めているってケースも少なくないんですよ。
いわば何かしていないと自分に絶望しちゃうから、みたいなイメージです。
これも一つの防衛ってことだと考えられます。
*
こんなときはそもそもの「ネガティブ思考な自分が嫌い、ダメだと思う」ってところから見つめ直してみるといいんですけどね。
そもそもネガティブ思考は悪いものではないですから。
ネガティブであることが好きか嫌いかはあくまで個人の価値観の問題だと思うのですが、ダメ、悪いってのはちょいと違うよん、と僕はご提案していますよ。
今までは自分を責めることで自分と向き合ってきた、という状態を、どう変えて、どう自分と付き合うかがポイントなんです。
そもそもネガティブ思考の特性って何?
ネガティブ思考ってのは基本的に「ない」という部分を見つめている考え方でもあります。
また、物事のポジティブではなくネガティブな面を見つめている感じですよね。
簡単に言い換えちゃえば「そもそも今の考え、状態、自分、現象は”ベストではない”」と見つめている感じです。
これが自分自身に向けられると、まぁ容赦のないダメ出しの嵐になるわけですよね。
何をやっても「これじゃダメ」「今の自分じゃダメ」「十分ではない」と思っちゃうわけですから、何より自分自身がきつい思いをするのは間違いないでしょう。
また、自分にダメ出しばかりしている人と関わると、なんだか気分が重くなることもあるのかもしれません。落ち込んでる人を励ましても「自分はだめです、ホントごめんなさい」なんて感じで返されたら、ちょっとがっかりしちゃうかもしれませんよね。
おおよそ一般的なネガティブ思考にまつわる話って、この「重い感じ」だけ取り上げられて論じられている気がするんですね。
だから、ネガティブ思考が過ぎると人に嫌な思いをさせるし、周りも落ち込ませるからやめたほうがいい、みたいな考え方になるでしょう。
でもこれ、ネガティブ思考ゆえに起きる一つの結果を示しているだけであって、全てについて話しているわけじゃないと僕は思うんですよね。
むしろ、自分も他人も重たい気分になってしまうのは、物事に対して「これはベストではない」と考えているからではなく、「自分を完膚なきまで叩きのめすほどに否定しているから」ではないでしょうか。
つまり、自己否定や物事に対する疑いが強いから、その結果重い気分になるってことです。
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そもそもネガティブな思考というのは、新しいものを生み出すためには必要なものです。
「そもそも今の考え、状態、自分、現象は”ベストではない”」と思うからこそ、「新しいもの、価値観」に気づけるものですよね?
今がベストだとだけ信じていれば、それ以上のものはなかなか生み出せないのではないでしょうか?
つまり、物事に対して「これがベストではない」と思うからこそ、向上、成長、発展が見込めるとしたら、ネガティブ思考はやはり意味のあるものではないでしょうか。
僕はそう考えるので「ネガティブ思考は悪いものではないですよ」といつもお伝えしています。
・ネガティブ思考が得意な人は、新しいものや美しいものを生み出せる人。
・ポジティブ思考が得意な人は、人を喜ばせること、いい気分にすること、エンパワーメントが得意な人。
つまり、各々の役割が分かれているだけであって、どちらもこの世の中に不可欠なものではないでしょうか。
そして、ここに優劣はなく「互いを補完し合う関係」なのでしょう。対立するものじゃなくて、お互いに支え合う関係にあるもの、ということです。
だから、ネガティブ思考であることを隠すな、胸を張れ、って思うんです。それでいいんだってことです。自分を否定したり疑う必要なんてないんじゃない?と。
ここが腑に落ちれば、先に書いたような「終わらない自己否定のループ」は根っこから断ち切れると思うのです。
だから、自分を責めない、少しずつでも受け入れて認めることにチャレンジしてみるといいでしょう。
どうしても自分に染み付いた「自分をネガティブに捉える癖」はなかなか抜けないこともあるでしょうし、自分を嫌う気持ちが消えないこともあるでしょうが、何事も千里の道は一歩からですよ。
ゆっくり「それも自分だな」「しゃーないよなぁ」と完璧を求めず、ゆるりとするりを受け入れてみちゃってくださいな。
ときには、「ポジティブ思考」に憧れを持つかもしれませんけど、ネガティブ思考の自分を大切にすると、実は「こんなに新しいもの、美しいものを生み出せるんだ」というポジティブさに触れることもできるようになりますよ。
もちろん自分の気持ちに余裕がないと受け止めきれないこともあると思うので、そんなときは自分の気持ちを整えたり、人と話して受け止めてもらう経験を積んでもいいと思いますよ。
少しだけ僕の話をすると・・・
そもそも、今日のブログに書いたようなことを毎日考えて過ごしている僕自身、超絶ネガティブ思考の使い手ですよ(笑)
間違いない。
ま、自覚ありです。
何事も「これでいい」ってなかなか思えないんですよねぇ。
つい「これでいいのかな?」って思っちゃう。
昔はそんな自分を嫌い、うわーめっちゃ暗い!と徹底的に否定していたので怖れや不安だらけだったんですけど、とりあえず自分を否定することだけやめてみると、それだけで気分が変わっちゃうんですよね。
今では「だからこそ気付けることがたくさんある」と感じています。
ま、ポジティブ思考の人からすると「よくそれで疲れないね」って言われるんですけど(^^;、疲れていたらネガティブ思考の使い手じゃないっしょ?こっちは年季の入ったプロだっつーの!って思ってますよ。
ただ、ポジティブ思考の才能がある方を見ると、なんだかキラキラしていて魅力的で羨ましいとも思います。おいおい、なんでそばにいるだけでそんなにいい気分にさせるんだよ〜と感動しちゃいますね。
そう思うとカウンセラーとしての僕のあり方は「ネガティブな視点から物事を見つめ、最終的に(逆説的に)人の価値や素晴らしさを見る人」ってことになります。
それが僕が磨いてきた部分ですし、僕の心理学の使い方はこのあたりにあります。
ネガティブな視点を持つからこそ、人の隠れた素晴らしさや愛情を見つめることができるのですよ。きっと今、ネガティブな自分を嫌っている人も同じ才能があるはずです。
ただ、この物事の見方はどうしても「ネガティブ〜ベストではない〜視点」から物事を見るので、使い方を間違うと、問題点ばかりにとらわれて人や物事をズタズタに切り裂いてしまうという弱点もあるのです。
この欠点を自覚して、その上で「どう使うか」「どう自分を表現していくか」を考えていくことがすごく大切なことなんですね。
また、世の中には「ポジティブな視点から人を勇気づけ、承認する方」もいるのです。
美しい言葉、人を引きつける魅力で人を勇気づけ、癒やす才能にあふれている方もいるのです。
が、あまりにそれをやりすぎると、自分や相手に間違った許可を与えてしまうことにもなりかねず(訂正するべきことを指摘できない、スルーしてしまう)、このあたりがデメリットになるでしょうか。
ま、物事一長一短って感じですね。
でもまぁ、これはいい悪いではなく、違いなんですよ。そしてその人個人の「能力の使い方」と「自覚」によって、いいも悪いも決まってくるものなんだろうと思います。
内面のバランスを取る意識を大切に
最後になりますが、どんな人の中にもポジティブさとネガティヴさの両面があるものです。
このバランスを上手く取ることを考えることが、自分らしい自分と出会う秘訣です。
人は一面的じゃありません。プラスとマイナス、ポジティブとネガティブの両面がある。
どちらかに偏ってもまぁそれはそれで弊害が出るもの。それは自立・依存と同じなんですよ。自立は必要ですけどやりすぎると自分が持たないし、依存も悪いものではないですが、やりすぎると何もできない自分になる。
だから、どんなことも心のバランスを取ることが重要です。
そう考えれば、何か一つの要素を徹底的に嫌ったり否定するってことは、アンバランスさにつながるって思いませんか?
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