ほぼ30代からの心理学

人に頼れなかった自分の話をまとめてみます

人に頼れなかった自分の話をしてみます

今日は僕自身の気づきについて少しまとめてみようと思います。

このコラムは僕自身の気づきの話ではありますが、読むと少しチクッとするかもしれません。気になる方はここでストップして、後日じっくりご覧くださいませ。

 

自立を強めて人を頼れない自分

一言で表現するなら「自立」なのかもしれませんが、とにかく僕は「一人」を好む人間で、かつては今の何十倍も孤独だったんですよね。

そしてとにかく「人に頼れない」という問題が常にありました。

前職時代なんて特にひどくて、自分ひとりで抱える必要のない問題まで一人で抱えて、胃に穴が空くんじゃないかと思うほど悩むんですけど、結局「人に頼るよりはマシだ」と思い、自分でかたをつける、なんてことばかりしていた記憶があります。

とにかく人を頼ることができず「あのぉこれお願いできます?」って言えない人間でした。

常に一馬力で稼働していますから、そりゃ限界もきますよね。でも、人に頼ることが苦手すぎて、そうするしかないと思い込んでいたわけです。

人に頼るって、なんだか相手の時間を奪っているようで、申し訳ないようで、きっと相手は怒るし不快になる(かも)って思っていたんですよね。

そう、これこそ僕の投影だったと気づくのはもっと後の話なんですけどね。

 

意識上では、自分は決してプライドを強めているわけじゃないと思っていました。

むしろ逆で、自分にプライドなんてない(自信・自己肯定感すらない)と感じていましたし、その当時の僕は自分をモノ扱いしてばかりでしたよね。

しかし、周囲の人から見ると「プライドが高いやつ」に見えていたのでしょう。たまに「お前なぁ」みたいな態度の人と接しては、表面上は強がっていましたけど、心のなかではビビりまくっているなんてことがよく起きておりました。

ただ、今思うと、人からガンガン責められた体験はありましたけど、その記憶がたくさん、かつ鮮明に残っているわけでもないのです。忘れられない経験もありますけど、今思うと僕は意外と人に恵まれていたのかもしれません。

しかし、とにかく申し訳なくて人を頼れない、という意識が強く残っていたことだけはハッキリ覚えているんですよね。

 

ある人の一言が僕を変えるきっかけになった

人にお願いができず、あまりに申し訳ないとばかり感じていた僕は、この話をある人(カウンセラーじゃなく知り合いね)に相談します。

すると、こんな言葉が帰ってきたんです。

「それは人を信用していないってことでしょ。自分の体裁ばかり気にしているのだろう。プライドが高いんだよ。」

「つまり、自分を信じている人のことすら信用できていないってことなんだと思う。だから人を頼れないんだよ。(俺には頼ってくれているけどさ)」

この言葉は正直受け止めることがキツかったかな、と思います。今もハッキリ覚えているぐらいですから。

ただ、この言葉は僕にとって大きな気づきになっていったんです。

 

ここでのポイントはこうです。

「僕は人に頼ることが申し訳ないと思いこんでいた」わけです。相手に悪い、相手に負担だ、と。そこには「僕は相手を気遣っている」という意識があるわけですよ。

が、実際は「他人というものは、自分が頼ると怒る、嫌な顔をする、負担だと言うだろう。そのようなとても嫌で危険な存在だ」と判断していたのです。

それが自分の認識だったってことになります。

確かにそう思うには理由があって、ひどいアトピーを抱えていましたし、対人関係で嫌な思いはしたってことでもあるんですけどね。

ただ、その当時の僕は「相手が素晴らしい人だ」「世の中には素晴らしい人だっているんだ」と思うどころか、人はとてもケチでチンケで自分勝手な人間に違いない、と思い込んだわけです。

そして、そのまま人に頼ろうとしていたってことなんですよね。

うーん、書いていて胸が痛い(^^;

しかし、今思うと、たしかに僕はそう思っていたのです。それは事実です。

いつも人を「自分を罰するもの」としてしか捉えることができなかったんですよ。

だから、きっと自分が頼ると罰されるだろうという被害者意識ばかり感じ、相手を無意識的に悪者に仕立て上げていた。

そして「自分は悪くない、間違ってもいない、そもそも罰されるような人間じゃない、お前たちとは違ってね」という妙なプライドによって自分を支えていたような気がします。

この状態を今の僕が見るなら「それぐらい自分に価値を見ていなくて、自分にはなにもなくて、なにもできなくて、誰の喜びにもなれないチンケなやつだ」と思いこんでいるのだ、と解釈できます。

だから、そりゃ誤解だな、と思えます。

が、かつての僕はそうは思えなかったわけですよ。

子供時代は実際に「いじめ」られたこともありましたしね(いじめた側にいたこともありましたけど)。

自分は人と違ってとんでもなくクズで、醜くて、どうしようもない人間だと感じていた。

それを他人に気づかれたくなかったのです。

「自分は何もできない、人よりも劣っている。(だから努力を続けなきゃ!)」

自分はそういう人間だと信じ込んでいましたよね。

誰かにそう言われたの?と聞かれると、うーん(まぁ言われたことはあるけどね)って感じなんですけど、いつしかそう思い込んでいましたよね。

 

そんな僕は、自分を呪いまくりますわねぇ。

でも、その呪いに耐え続けることはできなかった。

だから、人を悪者にしたわけです。

出会う人を悪者に(自分の中で仕立て上げて)自分よりもダメな人間はいる、と「他人の価値をゼロにした」のです。

これは防衛です。

自分にどこまでの悪意があってそうしたかまでの記憶はないけれど、いつからか「人はひどい存在で、怖い存在で、自分を責めるもの」としか思えなくなっていたんです。

だから、人に頼れないのです。人に頼るどころか、頼れば責められるとしか感じられなかったわけですわねぇ。

 

自分から相手の良さを見ること

「だからさ、プライドを捨てなよ」

そんなとにかく「ぐさっ」と刺さる言葉をくれたその人は、ある意味僕を救ってくれた人でもありますよ。その時はめっちゃ痛かったですけどねぇ。

ちなみに今の僕はこう考えます。

「そこまで自分を呪っていればプライドも防衛も必要になるのではないか」と。

だから、僕はその自分の生き方を否定していないんです。しゃーなかった、と思っていますよ。

ただ、そのままの自分でいようとも思ってはいないんです。

人の価値を見ることは意識するようにしているんです。

それぐらい自分以外の人の中には素晴らしい人がいるんだ、と。

すなわち「自分から人の価値を見る」ということを心がけていった、というわけです。

僕の場合、自分がいかに受け入れられるかなんて考えても、自分の中の闇があまりに深すぎてどうにもならんかった、というのが本音ですねぇ(^^;

自分のことを「好きだ」とは全く言えるような状態じゃなかった。とてもじゃないけど、そんな状態じゃなかったんです。

だから、友達にも自分のことを話せないままでした。自分を知られたくないとしか思えない。愛してくれる人がいてもそれを受け入れられなかったわけです。

それは家族、パートナーにだって同じでした。

 

そんな僕に残された手段はたった一つだったんです。

「自分から人を信じること」

今の自分のまま、人を理解し、受け入れること。まぁ我が師の教えそのものです。

相手の素晴らしさを見よう。相手の良さを知ろう。相手だってこちらのことを警戒するに決まってる、きっと相手も怖がる。全部理解しよう、受け止めよう、と。

今考えると、もっと他にもソフトランディングな方法があっただろうに、と思いますし(^^;、クライエント様にはその方法をご提供することも多いですよ。

ただ、なんていうんでしょう。

自己不信が強かった僕は、もうそれしかない、と思い込んだわけですね。

 

すると、少しづつ少しづつ、自分が変わり始めます。

自分が信じた分だけ、人の素晴らしさ、温かさが見えるんです。

人ってなんて素晴らしいんだ、と思える体験をたくさん積むことができたんですよ。

それが僕の大きな癒しになり、僕は次第にプライド(人と人との心の壁)を取り去ることができるようになっていったわけですね。

 

「自分を信じる」ことができるならそれでいい

「自分が人からどう思われるか」という気持ちは、誰の中にも少なからずあるものではないでしょうか。

ただし、あまりに人を頼れないままであるという問題は、全く別の問題(燃え尽きなど)を作るという意味で切実です。

そんなとき、どんなカタチでもいいから「自分を信じる」ことができれば解決していく、と僕は考えています。

自分を認めてもいい。長所をコツコツ受け入れてもいい。手段はなんだっていいんです。

ただし、あまりに自分を信じられないときは、自分のために自分を信じたってどうにもならないことがあるとも思います。

それは、コンプレックスや劣等感などの影響だけでなく、失恋直後とか、うまくいかないことが続いたときなども同じでね。

逆に「自分が人からよく思われようとしているうちは、人からいくら愛され、承認されても、ホッとするだけ」なんですよね。

自分を信じられないし、相手の気持ちって受け取れているわけじゃないことが多いんです。

 

こんなときは「自分から信じてみる」ってことがオススメです。

自分の内面に向いた意識を外に出すんです。相手のことを見るんです。そして相手の思いや、時には「怖れ」を理解するんです。できれば利害関係があまりない人から始めるとやりやすいかもしれませんねー。

もちろんビビっていてもいいんです。めっちゃ申し訳ないと思っていてもいい。嫌われるかもって思っていてもいい。

それでも相手を見るんです。

あなたが信じた(信じたいと思った)人なら、もう一回信じて見る価値はあるはずですよね?

その相手の価値、良さを見てみると、いろんな事がわかってきますよ。

相手も怖がっているんだ、自信がいつもあるわけじゃないんだ、自分が相手の役に立てることもたくさんあるな、と。

もっと相手のことを好きになってあげれば、きっと相手も元気になるんじゃないかとすら思えるようになるんです。

しかし、そもそも自分が毒だと思っているうちは、人の良さなんて見ない。むしろ相手のダメなところを見て、相手の価値を自分の中でゼロにするものです。

だから、そんな自分の価値もゼロになっちゃうんですよ。

そんな自分を知られたくないから、人と関われなくなるともいえます。

ここから抜け出すことってすごく大切ではないでしょうか。

自分から人を価値を見ることで、罪悪感なんて真実じゃねーと証明して見せればいいって感じです。

それが人を頼れないという問題を作る「自分の中にある罪悪感なんて誤解だよ」と感じられるきっかけになります。

確かに人に頼れないのは罪悪感の影響なんだけど、その罪悪感を解放する視点の持ち方一つでプロセスは変わってきますよね。

人を許すこと。自分を認めること。それも効果があります。

ただ、なかなか自分を信じられなくなったときは「理解と貢献」がいいんじゃないでしょうか。

すると、いつか人はそんなに悪い人ばかりじゃない、いや、味方か、と思えることも増えると僕は思いますよ。

 

え?味方だから負担をかけたくない?

だったら、相手に甘えてみればいいですよ。きっと「水臭いな」って言われますから。

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