恋愛の心理学

まだ別れた人のことを思い出す私ってしつこい?と思ったら読むコラム

しつこく別れた人を思い出す私ってどうなの?

さて、今日はいただいたリクエストにお答えするコラムです。

いきなりですが男女ともに「しつこい人は嫌われるよ」なんて話を聞いたことはないでしょうか。

例えば、相手に執着する、別れたのにいつまでも相手のことを思い続けるだとか。

時にはもう過ぎた出来事にこだわりすぎたり、相手のミスをずっと根に持つとか。

ただ、実際のカウンセリングの中では、この「しつこい」という表現を使って、自分を否定的に見続けている方がいたり。

ただ愛情の表現を続けていただけなのに(それが相手にうまく伝わらなかった)、そんな自分を否定的に見ている方と出会うことがあります。

そんなとき「そもそもしつこい人ってどんな人なんでしょう」というご質問をいただくことも稀ではないんです。

いわば、執着とそうではないケースの違いって何?というご質問です。

そこで今日は一つの考え方ではありますが、しつこい女とそうではない人の違いについて考えてみたいと思います。

よろしければどうぞ。

愛情と執着の違いについて愛情と執着の違いについて今日はまとめています。そもそも執着とは「自分のためになにかにしがみついている状態」で、相手を愛している状態とは全く異なるものなのですよ。...

しつこい人とそうじゃない人の違いって何?

さて、いわゆるしつこい人とそうじゃない人の違いって何?という話なんですけどね。

まず「しつこさ」という言葉の意味から考えてみたいんですよ。

Goo国語辞書さんによると

【しつこい】

・味・においなどが濃厚すぎて、後に残る感じである。くどい

・物事にこだわって煩わしい感じである。また、つきまとってうるさい。執念深い。

とあります。

いわば「しつこさ」の意味は「執念深い」という意味になるんでしょうね。「物事にこだわって煩わしい感じ」といいますか。

この「物事にこだわっている感じ」が、恋人や別れの経験、うまく愛せなかったという後悔と結びついたときに、私ってしつこい女なのかしら?という疑問を持たれるのかもしれませんよね。

ただ、これは不思議な話なのですけどね。

実際僕たちが何かに執着し、こだわり続けているときって、その思いを自分の中で正当化していることが多いんです。

だから、自分の考え、やり方を無意識的にであってもゴリ押ししてしまいがち、といいますかね。

つまり、実際に執念深くなり、物事に煩わしいぐらいこだわっている人ほど、自分がしつこさを露呈している自覚があまりない場合も少なくないんです。

むしろ、「こだわることは正しいこと」ぐらい感じているので、先に書いたような「私ってしつこい女かな?」という疑問を持たない場合も少なくないものなんですよ。

そう考えますと、例えば「私ってしつこい女なのかも?」と疑問を持っている方がいるとしたら。

その時点で、もしかするといわゆる「自分の考えや思いが絶対的に正しい」という意味でのしつこさを持っているとは限らないのかもね、と僕は思うわけなのです。

しつこさと許し・理解

じゃ、「私ってしつこいのかしら?」という疑問の多く(全てじゃないですよ)は、どのような意味であることが多いのか、というと。

これは僕の考えですが、その「しつこさ」の意味は、僕たちが学ぶ心理学でいうところの「許しや理解の対極にあるもの」ではないかな、と思うのです

ここでは許しや理解の詳しい話まではしませんが、

許しとは、「自分や他人など許せないものを許す」もしくは「自分に許可していないものを許す」という意味です。

理解とは、今ある状況、相手や自分の気持ちを理解することです。

つまりは、恋愛の悩みでも対人関係の問題でも、どこか問題が起きたときに

「今までの自分のやり方が間違っていたの?(間違っていたという事実が許せない)」
「今までの自分が間違っていたのではないかと思い、不安になったり自分を責める」

といった疑いがあって、それにこだわってしまう、なんてコトもあるんじゃないかな、と思うのです。

つまり、しつこさとは許しや理解などではない、どこか疑いや問題意識にとらわれているような状態に似ている、と僕は思うのですよね。

しつこさとは自分の感情にこだわっている状態でもある

あとですね、しつこさっていわば「自分の感情や思いにこだわっている状態」でもありますよね。

例えば、あれはこうすべきよ!こうあるべきよ!としつこくこだわる人がいたとしたら。

そのこだわりって自分自身の内面にあるき持ちや考えに向けられているものですよね。

意識的にはそれが正しい、相手のため、と思っていても、こだわっているものは自分の中にしかないわけです。

そう考えると、いわゆる「もうしつこいなぁ」と思われるようなこだわりって、結局「自分のためだけに用いられるこだわりのようなもの」と言えなくもないよな、と僕は思っています。

そのこだわりがどれだけ素晴らしいことであっても、誰かの幸せにつながるような意識がないと、しつこさを呈するものなのかもしれません。

しつこさと愛せなかった後悔は分けて考えてみよう

例えば、別れたパートナーへの執着、忘れられない思いがあるとしてね。

そういった思いを持っているだけでは「しつこい」といい切れるわけではないのでしょう。

もし、しつこく過去に執着することがあるのだとしたら、それは自分のプライドのため、もしくは、自分が見失ってしまった何かを取り戻したいという目的のためになされていることが多いのかもしれません。

例えば、別れた事実がつらすぎてなかなか受け止めきれずに、別れたパートナーのことばかり考えてしまうとかね。

逆に言えば、「別れたパートナーへの思い」が、どこか「私ってちゃんと愛せたのだろうか」「もっとうまく愛せたんじゃないか(相手を喜ばせることができたんじゃないか)」といった形になっているのであれば、それはしつこさよりも後悔に近いと思うんです。

今はもう別れてしまった相手のことを思っての後悔、といいますか。

だとすると、この後悔には愛が含まれているように僕は思うんですよね。

だから、一概に過去の恋愛や出来事のことを思い出すからといって、しつこいと言い切れるものではないだろうな、と僕は感じています。

実際、カウンセリングの中でも

「あなたがもっと上手に相手を愛せたかも、といつも思うなら、それは執着というより後悔であって、あなたが相手の事を考えた証ではないでしょうか」

なんてお伝えすることもあったりするんですよね。

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