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「自分で決めたことなのにやる気が出ない」と感じたら補償行為について考えてみる
仕事でも恋愛でも子育てでも同じなんですけどね。
「うーん。なんだかうまくいかないな」って思うときってないでしょうか。
思ったような結果が出ない、いまいちしっくりこない、達成感を感じられるような数字が出ない、うまく言っている実感がない・・・。
僕のもとにもこのようなご相談をいただくわけですけども、実は「なんだかうまくいかない」と感じている方ほど、ある共通した考え方にこだわっていることが多いんです。
「何がダメなんだろう」
もちろんこの考え方が間違っているわけではありませんよ。いわゆる「ネガティヴな視点」がなければ新しいものは生み出せないだろうと僕は考えていますしね。
ただ、「うまくいかないこと」ばかり意識を取られているときに「何がダメなんだろう」と考えすぎてしまうと、心の中でネガティヴな観念、感覚がどんどん強まってしまうものなんです。
例えば、今の自分は不十分だとか、ダメだ、と必要以上に感じすぎてしまうんですね。
この状態になると、どうしてもいい気分になることができず、「うまくいかない」という思いが作る「嫌な気分」が強まっていきます。
すると、やはり「嫌な気分」にはなりたくないですから、嫌な気分を避ける意識が強まってきます。
補償行為は楽しめないだけじゃなく、本来の目的を見失う理由となる
その結果、今の行動の目的が「嫌な気分にならないために」と変化してしまうわけです。いや、そういったケースがめちゃめちゃ多いんですね。
そもそもは自分がワクワクして幸せを実感するために求めた目的(恋愛・仕事・夫婦関係・子育てなど)がうまくいかなくなると、いつしか「嫌な気分を感じさせる対象」にすり替わってしまうのです。
「何がダメなんだろう」と考えすぎているうちに、そもそもの目的を忘れてしまったり、目的を達成するモチベーションを失ってしまうなんてことが起きるわけですね。
と同時に、そもそもその目的(恋愛・仕事・夫婦関係・子育てなど)は、自分の意志で掲げたとだから、「自分で望んではじめたことをやめる・投げ出そうと思う」自分を肯定的に見つめられなくなるわけです。
「自分で望んだのに、今、めっちゃイヤイヤ行動している自分に嫌気が差す」
だから、実際のご相談でも「恋愛がうまくいかない私が嫌なんです」「うまく子供を愛せない私って良い母親ではないですよね」と感じはじめ、この「嫌な気分を解決する」ために、「うまくいくこと」を考え始めるというわけです。
これを僕の学ぶ心理学では「補償行為〜埋め合わせの動機〜」と呼びます。
この補償行為自体を否定的に見る必要はないと僕は考えていますが、しかし補償行為ばかりしていると、ついつい嫌な気分になってしまうものなんです。
今回の例であれば「嫌な気分になりたくない、という目的」と「目的を達成するための行動」という感じ。
嫌な気分にならないということが目的で、幸せが目的になっているわけじゃないのです。
だから、たとえ物事が「うまく進んで」も、喜べないし、幸せや充実感を感じられない事が起きるんですよ。
この状態で「自分の意志ではじめたことなのに・・・」と思うことで、どんどん自分が追い詰められちゃうこともあるんですよね。
今までの補償行為には「しゃーない」と言おう
と、まぁやる気やモチベーションを失うのは、今の行動が補償行為になっているからかもしれませんよ、というお話でしたけどね。
まま、今までの補償行為に気づいたら「やめよう」「やめたい」と思う前に、「まぁしゃーないなぁ」と思うことを僕はおすすめしています。
たとえ補償行為であれ、今までの自分の行動、プロセスを嘆いたところであまり良い効果はないからです。
まぁしゃーないよな、それも無駄じゃなかったと思うよ、って感じで過去を扱うこと。
これも大切な自己受容のひとつだと僕は考えております。
心理学では「補償行為を手放して自立せよ」なんて話があって、それもまぁ正解ではあるのですけどね。
あまり言いたくないですが、「いつも正解どおりに物事進むなら、カウンセラーなんていらんわなぁ」と僕は思っちゃう。
たとえ補償行為であっても、必死で頑張ってきた方に向けて「それがあかんねん、問題やねん」なんて言葉を伝えたいわけじゃないですよ、ってことでもあるんです。
もちろんみなさんにも同じことをお願いすることになるんですよ。
あなたの今までの行動がたとえ補償行為であっても、その自分のプロセスはまず大切にしてほしいな、と。
目的の再設定を
もしあなたが「自分で決めたことなのにやる気がでないぞ」と思われたならば、補償行為に気づいて、目的がずれちゃってる事に気づいて「目的の再設定」といいと思います。
自分で決めたことの「そもそも目的は何だったのか」を思い出してみてもいいですし。
補償行為にはまぁ諦めがつきものなので、「自分は何を諦めちゃったんだろう」と考えてみてもいいですね。
「自分で決めたことなのに、どうして補償行為になっていたのだろう」と、いつしか目的がずれた理由を探してみてもいいでしょうし。
一歩踏み込んで「私は何を埋め合わせる(隠す)ために頑張ろうとしているんだろう」と、自分と向き合ってみてもいいですね。
すると、次第に「本当に自分は何がしたかったのだろう」という部分から出てくる目的に気づくことができるでしょう。
最後にもう少し突っ込んだことを書くとですね。
補償行為には「自分には無理」「自分にはできっこない」といった自分だけの「制限」が隠れていることが多いんです。
つまり、「自分には無理かも」という気持ちを隠したまま頑張ろうとすると、本来の目的とずれた動機・目的を持つようになるってことなんです。
だから、もし「自分で決めたことなのにやる気が出ない」と思われたなら、「一体自分は何を無理だと思っているんだ?」と考えてみてもいいんですね。
また、補償行為中の人は、往々にして孤独を感じていることが多いです。もし、自分の何かを埋め合わせるなら、「自分だけのチカラで埋め合わせなきゃ(至らない自分がバレちゃいけない)」と思うことが多いでしょうから。
なので、「自分はたった一人で考え込んでいないだろうか」と考えてみてもいいかもしれないですよ。
三人寄れば文殊の知恵じゃないですけど、人に訪ねたり、他の考え方に触れるだけで「あーそうか、その方法があったか」「その考え方で目的設定するのね!」と気持ちを切り替えられることも少なくないのでね。
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