ほぼ30代からの”仕事に活かせる”心理学

休みたいのに休めないとお悩みの方に贈る心の話と処方箋

休みたいのに休めないとお悩みの方へ

例えばこのようなご相談をいただくことがありますよ。

「情けない話なんですけどね。最近、仕事で「もう限界だ」と思うことが多いんです。

周囲に相談すると「ちょっと休んでみたら」と言われます。

でも、休めないというか、休むこと自体に抵抗があります。

休もうと思うことはあっても、「でも今抱えている案件がどうなるだろう?」とか「周囲に負担を強いるのではないか」「みんな頑張っているのに職場に居づらくなるかもな」「休んだって結局仕事が溜まるだけで結果的に同じじゃないか」と思うんです。

すると、休むことに意味あるのかな?と思ってしまうんです。

だから毎日仕事に向かうんですけど、正直、もう今までのように仕事ができないというところが本音なんですよね。

一体どうしたらいいのか?自分でも悩んでしまっています。」

こういったご相談をいただくと心情的に「分かるわぁ」と深く同意してしまう僕がいるのです(^^;

まぁ僕も休めない?休まない?傾向があるらしいのですが(本人はほぼ自覚がない(^^;)しかし、放っておくといつの間にか「うーん、ちょっと今日は冴えないな」と思う日が増えてしまうので、自分メンテの意識は常に持っているところです。

あぁ、もちろんカウンセリングの中では僕の個人的な感情で物事を見ないように心がけているんですよ。

僕の経験とクライエント様の経験が常に一致するわけではないですからね。

ただ、心理学や心の法則を使ってこの問題をじっくり見つめていくと、まぁいろんなことが見えてくるんです。

いわば「休めない本当の理由」がね。

ということで、今日はそんな「あなたが休めない本当の理由」とその対処法についていろいろまとめてみたいと思います。

よろしければどうぞ。

 

「休めない」は「怒り」かもしれない

信じられないと思われるかもしれませんが、多く「休みたいけど休めない」というお気持ちをお持ちの方の深層心理を見つめると、ほぼほぼ「怒り」が存在しているものだと僕は感じています。

意識的には「怒り」を使って、そのエネルギーで仕事や困難なことに向き合っているような、怒りをセンタリングしてモチベーションとして活用しているような様子が窺い知れることも少なくないんです。

怒りはセンタリングするとやる気、集中力に変換することができますからね。

だから、今に始まったことじゃない。普通に頑張れているときから「怒り」が存在していたんだろうな、といった様子の方も少なくないんです。

誤解を恐れず表現するとしたら、「普通に頑張れているときから、いつかガクッと力を失う時が来る方法を採用していた」とも言えそうなんです。

ときにはクライエント様ご自身が「このままだといつか潰れるかも」といった不安をずっと抱えておられた、なんてケースもあるぐらいです。

なので、僕たちの世界では「ハードワークは怒り」なんて話があるくらいなんですよね。

 

怒りが使えなくなった時点で不安が湧き出してくる

ただ、この怒りが、単純にやる気、モチベーションになるものだけならば、「最近疲れているから休もう」と思えるものなのかもしれません。

実は、怒りという感情は「感情の蓋」の役割を担うことが多く、要は「怒り」を使うことで感じたくない他の感情を切り離すために作用していた、なんてことも少なくないんです。

だから、「怒りが使えなくなった=燃え尽きてやる気が出なくなった」その時点で、今まで抑え込んでいた不安や怖れがわんさか湧き出してくることもあるわけです。

先に書いた事例で言えば「休むことに意味あるのかな?」と考えている、その動機・理由を作るものが抑え込んでいた不安や怖れに当たるわけですね。

「でも今抱えている案件がどうなるだろう?」
「周囲に負担を強いるのではないか」
「みんな頑張っているのに職場に居づらくなるかもな」
「休んだって結局仕事が溜まるだけで結果的に同じじゃないか」

これらはどこか「自分一人で仕事をしている」といった意識から生じるものだと思いませんか?

結局のところ、いわゆる「自立」の問題、人に頼れない、人を信頼しきれないから起きることだと言えないでしょうか。

ただ、人は「自分が人を信頼していない」という認識を持つことを避けたいわけですよ。

「人を信頼していないって、そんな悪いやつだとは思いたくない」というわけです。

だから、必死になってその言い訳を考えるんですよね。

それが「人に迷惑になるんじゃないか」とか、責任感を持つことは良いことなのですが「責任を果たさないと」といった思いを持ち、いつまで経っても人を信頼しないままでいる、なんてことが起こるわけです。

もちろん、そういった方が悪意から人に不信感を抱いているわけではないでしょう。

だからその方の性格がひん曲がっているとか、やな感じ〜って話ではないのです。むしろそのような視点を持つことで、この問題が解決できなくなることのほうが多いと僕は思っているのですよ。

だから、何ががダメだの、自分の〇〇がヤバいだの、正確がひん曲がっているだの、考えているうちは、自分の助けられないし、人のことも上手にサポートできないと思っておりまする。

そうではなく、休めない人って「人を信頼するとちょいと厄介なことが起きるのではないか」と思っている可能性が高いのです。

それは人を信頼したくない、というわけではなく、人を信頼することで生じる心理的なリスクが大きいと感じている可能性が高いのです。

だから、いつまで経っても他力を信頼せず、自立を強めている人が少なくないってことなんです。

そして、その自立を強めるために必要な感情が、不安や恐れを切り離すための「怒り」だった、というケースもまぁまぁ少なくないわけなのです。

だからでしょうか。

このタイプの方があまりに仕事が辛いからと言って、無理やり休んで心安らぐ時間を過ごしても全く安らげないとか、余計に不安が強くなったなんて話も意外と伺う事が多いんです。

こうなるとまさに泣きっ面に蜂で、休みたいんだけど休んでもしんどい、という状態になるわけです。

そんな人に「もう休んだら」と伝えるなら、話していることの意味は間違っていないのでしょうが、しかしその方にとっては苦しい気持ちを抱える理由になるだろう、ぐらい僕は感じていたりするのですよ。

 

とはいえ、僕自身がカウンセリングの中で「休んだら?」と伝えないのか?というと、意外と伝えることも少なくないんです(^^;

なんじゃそれって思われるかもしれませんが、休むことを考えてみましょう、とご提案することも少なくないですよ、ホント。

ただ、休めない理由を無視しないってところがポイントかな〜と思うのです。

そのあたりはこの仕事をしている経験上、なんとなーく理解しているつもりなので、その方が「休めるような方向」にサポートさせていただくというわけですね。

「休めない事情の解消」と「休むことの実践」、両輪で考えていく感じなんですよね。

まぁ、これは余談になってしまいますが、僕は常に「できない(やりたくない)にも事情があるはずだ」と考えさせてもらっています。

まぁ何でも答えや一般的に言われる正解だけを伝えることってのは簡単なのかもしれません。

しかし僕たち、たとえ理解することができても、しかし飲み込めないモノだってありますよね?

その答えが正しくても、どうしても飲み込めないから苦しむことってありませんか?

そして、飲み込めない自分にがっかりしちゃうことってないでしょうか?

ならば、「どうして飲み込めないのか?」について、僕が必死こいて考させてもらうのが僕の仕事だろうな、と思っているわけでございます。

それゆえ、僕の辞書の中には「何でできないの?」という言葉はないのです。

かといって「できないって辛いよね」と伝えるだけのカウンセリングをしているわけでもありません。(僕のクライエントさまなら「ほんまこいつはそうやで」と頷いておられると思うのですが(^^;)

ただ、人が悩むその事情を考え、その抜け道を一緒になって考えることも愛だと思っているだけなんです。

ちょっと青臭いこと書いちゃいましたけど、でもどこかでそう信じているんです(^^;

 

「見られている怖れ」が作る休めない問題

本題に戻します。

さて、では「休めない人」はどうして「人を信頼するとちょいと厄介なことが起きるのではないか」と思っている可能性が高くなるのでしょうか。

その答えは「人を信頼することで生じる心理的なリスク」にあるわけですが、それこそ「人にどう見られているか」「人の期待に応えないと何が起きるか」といった観念だと言えます。

要は「人に見られている怖れ」が「休めない」という状況を作り出しているということなんです。

それぐらい休めない人ほど責任感が強いとも言えそうですが、どこか「人と関わる」「お互いに支え合う」といったことに怖れを感じやすいのかもしれません。

 

かつ、「相手からどのように見られているか」ということに警戒心を抱いていると、この「人と関わる」「お互いに支え合う」ということに恐れを感じるようになることが少なくないんです。

ニュアンスとしては「相手の要求や期待に答えないとけっこう大変なことになる」といった怖れ・警戒心を抱きやすい方って意外といらっしゃるように僕は思っています。

普段は「自分は自分」「相手は相手」と認識しているんだけど、実際に人と絡んだり、自分からなにかお願いしたり頼ろうとする状況になると「相手の要求や期待に答えないとけっこう大変なことになる」というプレッシャーを感じる方もいます。

それはまるで忘れていたことを思い出すかのように、ふわっと怖れが浮かぶんです。

だから、休めない。頼めない。

相手に任せたあとのことが怖くて止まれない。

だから、気を使うようになる。頼むって申し訳ないなって思うようになる。

その結果、自分で行動したり、背負ったほうが気が楽だと感じるようになる。

 

このような状態の心理的背景には「人は自分をどう見るか」というより「見られている」という不安、怖れがあると僕は考えます。

その「見られている」という状態を回避したいと思いながらも、しかし相手の期待や要求などに応えないとそれはそれで面倒なことになる、と思うようなイメージでしょうかね。

そういった方が見ている世界を想像すると、まるで「もぐらたたき」のような状態なのだろうと僕は思うのです。

実際に相手がこちらに要求や期待をし続けているかどうかは別なのですが、終わらないもぐらたたきのようにボンボン要求されているように感じる。

そしてそのゲームをやめてしまうと、自分自身が総攻撃されたり、否定されてしまう、なんて感覚を抱いている方もいるかも知れない。

 

相手の期待や要求に応えないと大変なことになる。

しかし応え続けることが苦しいし、限界を感じる。

でも、止まれないし降りられない。

それこそが休めないって状況を作る感覚なのかもしれません。

 

もしこういった感覚を感じるから休めないとしたら、「どうしてこういった感覚を感じるのか」について見つめていくといいんです。

特に家族関係に起因する投影について見つめていくといいでしょうかね。

特に家族の中で感じた親の期待やら、母親の過保護さなどから、親の気持ちに応えないとマズイことになる、といった思いを持ち続けていて、その思いに取り込まれちゃっている、なんてケースも少なくないんです。

もちろん親の期待や過保護な状態から遠ざかったことで罪悪感を感じている人もいます。

「期待に応えられずに申し訳ない」とかね。

それが職場や対人関係の中で映し出されて再現されている場合もあるかな、と僕は見ています。

だとしたら、家族との関係、特に母親への思い、関わり方などについて見つめ直していくことがポイントになってくるかなーと僕は思うわけですが、そのあたりは実際のカウンセリングの中で扱うようなちょっと難しい話。

まずは「私ってはいつも人を自分を責めるもの、監視するものにしてしまうのはどうしてだろう?」と考えてみたり、周囲にいる信頼しやすい人から信じてみる、アテにしてみるなんてことをしてみると、ちょっと休みやすくなるかもしれませんね。

それでなんとかなるならそれに越したことはないわけでして。

それでもなかなか休めないって場合は、かなり強力な観念が存在している場合が多いので、じっくり自分を見つめて「なぜそう感じるのだろう」と考えてみたり、自分の過去について振り返ってみるといいかもしれませんねー。

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