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「この人はやめておいたほうがいい」と理解しつつも、なぜか追いかけてしまう理由を考える
いきなりですが、よくテレビや動画などで
「この続きは次回!」
って展開、ありますよね。
これ、何だか気になって次の回や動画を見たくなってしまうことってないでしょうか。
これ、心理学では「ツァイガルニク効果」なんて呼ぶことがあるのです。
ツァイガルニク効果とは、達成できた事柄より、達成できなかった事柄や中断している事柄のほうをよく覚えているという現象のこと。
この考え方を恋愛に応用すると、どうでしょう。
「うまくいった恋愛」「こちらから別れを告げた恋愛」よりも、「うまくいかなかった恋愛」「まだ道半ばで終わってしまった恋愛」「一方的に別れを告げられた恋愛」などの方が、心に深く残る傾向がある。
そんな事が言えそうですね。
僕たちはどこかで「うまくいかなかったこと」「中途半端に終わったこと」「自分ではどうすることもできなかったこと」を心に残しがちだから。
未だ、別れたあの人のことをずっと覚えている、なんてこともありえるのでしょうね。
ときには「もしあのとき私が〇〇していたら、別の展開があったかも」なんて考えてしまうのかもしれませんし。
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さて、この考え方、僕は「この人はやめておいたほうがいいと理解しつつも、なぜか追いかけてしまう」という状態を作る一つの要因になると考えることができそうです。
実際のご相談でも「この人はヤバい」「この人と一緒にいても幸せになれない」とどこか感じているけど、つい追いかけてしまう。
もしくは、その人が気になりすぎて今のパートナーや他の男性のことが目に入らなくなる、なんて事例もあるわけですよ。
もちろんそれがいいかどうかは別にして。
どうしてこのような事が起こるのかについて、あくまで一つの見解ではありますが、いつもながらニッチなコラムを展開してまいります。
よろしければどうぞ。
追いかけてしまう理由は「私が愛しきれなかった関係」にある
さて、先に書いたような「やめたほうがいいと思う人を追いかけてしまう」という状態。
これって恋愛でのできごとですから「過去の恋愛が影響しているんだ」と考えがちなんですけども。
実際のところ、過去の恋愛に限定される話ではないだろうと僕は考えています。
恋愛であれ、家族であれ、自分が「愛しきれなかった」「いい関係を築けなかった」といった経験があり。
その事実を未だどこかで気にしてたり、引きずっている場合も同じだろうと思うのです。
なんていうんでしょうね。
こう、「自分が中途半端で、素直になれなくて、しっかしていてなくて、十分に好きな人のことを愛せなかった」という記憶はやはり残りやすいんですよね。
後悔する恋愛って、ほぼほぼこんな感じじゃないでしょうか。
「あのとき、こうしていれば」と思うことの殆どって、「自分がそのように振る舞えなかった」という事実を伴っていますからね。
すると、いいか悪いか別にして
「今度はちゃんと人を愛せる自分で、大切な人を幸せにしたい」という前向きな動機に
「あの頃の中途半端だった自分を克服しなきゃ」みたいな意識がくっつける人もいるようです。
だから、なぜか「愛し合える人」を選ぶのではなく、どこか「クセのある人」「直感的に『この人は大変そう』と思う人」を選んでしまう場合があるようなのですねぇ。
もちろん難しい恋愛のすべてがそうだ、とは言えないわけですけれども。
3つの具体例
例えば、
「元彼との関係がうまくいかず中途半端な状態で別れた。それからの恋愛は、何故か愛してくれそうだとは思えない人と関係を持つようになった(友達からやたら「大丈夫?」と心配されることが増えた)」というケース。
これは「過去、愛すると決めた人との関係がうまくいかず、自分が相手を愛し抜けないことが気がかり」となっている状態です。
この状態で新しいパートナーや幸せな関係を欲するようになったけれど、気がかりは「中途半端な関係(自分)」なんです。
自分が相手を愛するという意味でも、相手に愛されるという意味でも中途半端感が残っちゃうようなイメージです。
すると、次の恋愛もなぜか「中途半端に愛してくれる人」から始めてしまう、なんて場合もあるのです。
むしろ、ガッツリ愛してくれる人に愛されても自分の気がかりは解消されず、むしろその気がかりが劣等感となって残る可能性もあるわけです。
だから、相手がちょっと難しい人でも「私は今まで中途半端にしか恋愛をしていない」という意識がある分だけ、超情熱的に頑張る人も少なくないんです。
目の前の人に冷たくあしらわれていたとしても、粘って耐えて頑張ってしまうんですよね。
それがいいかどうかは別にして、ですよ。
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また、別の事例を挙げれば
「お姉さんとひどく葛藤していた女性が、お姉さんとの葛藤を手放して関係を良くした途端、結婚が決まった」
なんてお話があります。
これは、家族の中で「中途半端に家族を愛している私」という部分が引っかかっていたケースなんですね。
この中途半端に家族を愛していた私、に、どこか肯定感を抱けずにいたわけです。
また、中途半端に愛している(自ら葛藤している)家族を最愛のパートナーに見せたい、とはなかなか思えないわけですよね。
だから、実際に結婚を考えた彼がいても、家族と彼が接触することへの不安が強くて、なかなか結婚に踏み込めず、その間に相手が離れていった、なんてことも実際に起こり得ることなのかもしれません。
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更に別の事例を挙げれば
「厳しい両親の元で育った女性。両親の期待に答えるために勉学などかなり頑張ってきたのだけれど、気持ちの限界を迎えてしまって挫折し家を飛び出した。それからずっといい恋愛をしてこなかった。」
なんてケースもあります。
この場合「自分がどれだけ苦しみに耐えて頑張っても、結局は中途半端な結果になるなら、最初からいい恋愛なんて望まなきゃいい」ぐらい感じている方もいなくはないのかな、と思います。
これは頑張った自分を評価している状態ではなく、頑張れなかった自分に意識が向いているような状態ですね。
このように「私が愛していなかった」「私が中途半端な状態を作った」「愛しきれなかった」という気持ちは、僕たちの心に残りやすいのかもしれません。
その影響が今の恋愛やパートナーシップのあり方を形作っていると見ることもできるのです。
気持ちの整理、関係の修復は「よりいい観念の残すためのプロセス」
ただ、僕たちが「うまくいかなかったこと・中途半端に終わったことを心に残しがち」という事実が問題なのではないのですよ。
そういった傾向がある以上、その自分とどう付き合っていくか、がポイントではないか、と思うのです。
また。自分の気持ちを整理したり、過去の関係から学んだり、自分を再評価して見る視点を持ってみたり、家族など親しい人との関係をより良いものにする、といったプロセスが、自分の中の「気がかり」を手放す方法になるわけです。
そもそも僕たちは誰かを愛しながら成長する側面があります。
つまり、愛するということも「失敗」をしながら成長している部分もあるわけですよね。
そう考えると、まぁ過去の自分を必要以上に恥じたり、完璧を求めるような意識は持たなくてもいいし、自分を罰する必要もないのでしょう。
ただただ、心の奥底にある「中途半端なままは嫌だ」という気持ちと、そこにある「私なりにちゃんと愛したいのだ」という気持ちを自分に許すことが重要なのではないかな、なんて思ってます。
その気持ちで恋愛や夫婦関係を見れば、やっぱりやるべきことを中途半端にはしたくないと思うでしょうし、もし「愛してみたけどこの人はもう無理」と思うなら、悩むでしょうが比較的ラクに別の展開を考えられるようにもなるんでしょうね。
※本コラムは2022/4/6にアメブロ恋愛テクニックに投稿した記事の再編集版です。
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