恋愛・夫婦の心理学

パートナーも好きだけど他の人も好きになっちゃう心理とその背景

パートナーも好きだけど他の人も好きになっちゃう心理とその背景

今日もパートナーシップ、特に夫婦関係に関するテーマにコラムを一つ。

「今の家庭を壊したいわけじゃないけど、でも好きな彼がいます」

これっていわゆる「浮気心の話」で終わらないような、結構深刻なお悩みになっていることが多いんですよね。

家庭を壊したくない=今の生活を大切にしたい気持ちは強い。

しかし

好きな彼がいる=愛する人がほしい、心の支えになる人がほしい=今の状態では私が幸せだって思えない。「それではパートナーや家族を上手に愛してあげられない」ってことでしょうし。そんな心の根っこにある気持ちに気づいておられる方って少ないのかもしれませんけど。

だから、こういった状態になりたくてなっていないと思っている方も少なくないように僕は感じています。人によってはとても悩まれていて、今の自分を肯定することが難しくなっちゃってることも多いんですね。

もちろん表面的な問題は浮気ですからね。

こういった話を聞くと「浮気は問題じゃないし、パートナーにも問題があるんだよ」とか、「なんだよ。それって自分がかわいいだけじゃんかよ」「家族のこと考えたことあんの?」みたいな声も飛んできそうなケースではありますよね。

僕もそういった意見も「なるほど」と感じているところです。そう言いたくなる方のお気持ちも僕なりに分かります。

ただ、ご相談くださる方が「自分でも本来望まない状況になり、葛藤されている」ってことであれば、僕はこう考えるのです。

「今、起きている浮気のような状態がいいかどうかの問題よりも、自分が強く葛藤するような状態がどうして生まれているのか?」

この視点から、その方がもう一度幸せで安心できる毎日を過ごすためにはどうしたらいいかな、とサポートをさせていただいているところです。

そもそも「今の生活を大切にしたい気持ちはあるのに、他に愛する人がほしい、心の支えになる人がほしい」と思うこと自体、ちょっと切ない話だと思いませんか。

もし、自分自身が満ち足りていて、愛する人のために与える意識を持てていて、かつ、愛する人からの愛を受け取ることができていれば、このような葛藤は起きないだろう、と僕は考えるんですよね。

我慢が作る葛藤

さて、このようなお話をじっくり伺う中でよく出てくる心理状態がありますよ。

それが「我慢」なのです。

ここでの我慢とは、いわば「相手に合わせるための我慢」ですな。

例えば、。夫の仕事に合わせる、妻のペースに合わせる、子供のやりたいことを優先する。

これらは与えるという意識の上では我慢ではなく愛情になるものかもしれませんが、とかく今の気持ちを我慢して、時にはうんざりした気持ちを抱えながらも毎日頑張っておられる方も少なくないんです。

なぜなら「我慢」は自分の意志だけでできることですからね。この言い方がいいかどうかわかりませんが「我慢ってもっとも手っ取り早い『愛情表現に似た方法』」とも考えることができそうです。

ただ、我慢を続けるうちに、ついついパートナーに「要求(不満とも言う)」したくなることが増えている場合も少なくないわけです。そりゃまぁ我慢していれば要求したい気持ちは増えますからね。(禁止は欲求を作るの法則)

いわば「相手にアレコレして欲しい」というわかりやすい要求もあれば、「相手に期待してももう無駄だわ」と諦めている場合もあれば、まぁいろいろです。

ただ、誰も好き好んで我慢や要求ばかりしようなんて思わないですよね。できればお互いに気持ちよく過ごしたいと思っている方が多いでしょうし。

しかし、我慢や要求が募れば募るほど、「もうパートナーと向き合う気力もなくなった」のような状態になってしまうことも少なくないようです。

そこで登場するのが「他の心の支えが欲しいかも」って気持ちなのですよ。

いいかどうかは別にして、そんなときに実際に心の隙間を埋めてくれるような他の誰かと出会ってしまったら、ついつい今まで募った我慢を解放したくなる気持ちを抑えられなくなってしまうこともあるのかもしれませんね。

 

そう考えると、このようなお悩みを抱えている方って、基本的に普段から何ごとも「頑張っている人」が多いのかもしれません。

ただ、「相手のためになにかいい影響を与えたい」と思っている度合いだけ、今の自分に強く失望してしまうのかもしれませんね。

積もりに積もった我慢の行き先

さて、このような事情で我慢を続けてきた方って、いわば「家族やパートナーへの愛を持ち、相手の幸せを願う気持ちをお持ちだった」ってことになります。

じゃなきゃ、我慢なんてしないと思いません?

そう考えると、どこかパートナーと仲良く過ごすために自分を抑えていた人ほど、我慢の限界が来てしまった結果、その積もりに積もった我慢の行き先を他の誰かに求めたってことになるのではないか、と僕は思っています。

ただ、いつも我慢していると、つい「自分の本当の気持ち」に気づきにくくなっていくものなのですよ。

まぁ我慢が募れば苦しいですから、現状維持で手一杯になってしまうものなんです。

だから、我慢が募れば募るほど、「自分が何を感じ、何を求めているのか」なんてことよりも、「今のこのモヤモヤや苦しさから逃れたい」と思うようになっても不思議ではないのですよ。

ただ、パートナーがいながら、自分の我慢の行き先を他の誰かに求めたとしたら、そこでもまた「我慢」が必要になることが少なくないんですよね。ま、なかなかオープンな関係に離れないですからねぇ。

しかし、たとえそうであっても我慢が解放されたと感じるような人との関わり、刺激ってものをもとめてしまいたくなるぐらい、我慢が募った結果としての「感情の麻痺」が起きているケースもあるわけです。

こうなると、基本的に我慢の解放自体が「闇の中に潜る」ようになります。要は家族、友達、親友など普段付き合っている人との関係では感情の解放ができなくなっていき、どんどん「闇の住人」を必要とするんです。

あ、ここでの闇ってのは比喩で、罪悪感の世界って意味です。

つまり互いに罪悪感を共有する浮気相手じゃないと自分の気持ちを解放できず、本来のパートナーでは解放できなくなっていくってことです。それがいいかどうかは別にしてね。

なので、この手の浮気問題って常習性や依存性が強くなりがちです。やめようやめようと思っても、自分の心が救われる(といっても一時的に罪悪感が刺激で解放されているだけですが)ような時間、人、場所を手放すと辛いので、なかなかやめられない止まらない、なんて側面があるといいますかね。

問題が起きる心理的背景

さて、こういった問題の根っこにはこんな心理的背景が存在します。

「本来、自分が表現したい言動との間に乖離がある」

この乖離の分だけ問題が生じるものだと言われています。

ま、我慢し続けていたってことが「本来、自分が表現したいこと」ではなかったってことですね。

そして、その乖離(つまり我慢など)が大きいほど問題意識も大きくなる、と考えることができるんですよ。

問題意識が大きくなるから、起きる問題もでっかくなるってことです。

つまり、そもそもの自分は「パートナーの幸せを願い、そのように行動したい」と思っているし、その思いに変わりはないけれど、しかしつい我慢ばかりして自分のホント雨の気持ちを表現できなくなっていくので、自分の本願がかなわないどころか、でっかい問題がやってきちゃう、ってことです。

すなわち、どんな動機があったにせよ、我慢し続けた結果、大切な人を心から愛せなくなってしまうのです。

そんな自分を許せないままでいると、その自分にふさわしい問題ってのがやってくるわけです。

つまり、この問題は「愛せない辛さ・罪悪感」を感じ続けているような状態だ、と見ることができるんですね。

だから、実際に他に好きな人ができたとしても、「私って本当にちゃんと愛せているんだろうか」と思う人も少なくないんです。

つまり、「相手は私のことをいいって思ってくれているんでしょうか、そうじゃなきゃ不安で」という受け身なスタンスが生じやすいんです。

うーん、書いていてなんとも切ないお話なんですけども。

取り戻すべきは自分自身の輝き

さて、こういった問題が、そもそもそのご本人の悪意(意図的)や、明確なパートナーへのあてつけの意味で引き起こされているなら、話は別なのかもしれませんよ。

あてつけで浮気するってことは復讐心なので、まず自分のためになりませんしね。

ただ、本来は今のパートナーを愛したいと願っていたのに、ズルズル沼にハマっていっちゃってるようなケースの場合は、「パートナーがいるのに」「パートナーを愛せなくなっている自分がいけないんだ」と反省ばかりしても、もはや泣きっ面に蜂といいますかね。

そんな自分が嫌すぎて、今の自分を無理に肯定しようとしても、更に自分を肯定できなかったりもしますしね。

まぁ、確かに起きている事実の責任に関しては反応することが求められますけどね。しかし自分を責めても誰も救われんのですよね。

 

じゃ、僕はどう考えているかといいますとね。

ここでは「セルフラブ」って意味での「自分を愛すること」を取り戻すことがいいんじゃないでしょうか、なんて考えています。(今の自分を甘やかすってことじゃないですよん)

こういった問題の背景には「我慢ばかりしてきた事実」が影響していることが多いと書きましたが、その我慢がいいとか悪いとか考える前に、こう考えてみてはいかがでしょう、というご提案をしているんです。

「もし、自分の我慢が自分のためにもパートナーのためにも、いわば誰の幸せにもつながっていなかったように感じる」としたら、さてはてどう思いますか?と。

たとえ我慢であれ、大切な人のためになされたことなら、そこには一定の意味があると思うんです。

だから、今まで我慢してきたことを責めてみても、間違っていたと思ってみてもおそらく問題は解決しないような気がしていますよ、僕は。今までは今までとして「しゃーない」と思うことがもっとも前向きな選択肢のような気がします。

しかし、我慢ばかりしていれば、自分も辛いし、大切な人は幸せそうじゃないし、しかも問題を抱えちゃって自分も追い詰められちゃったとしたら、もうしんどすぎるわけですよね。

「自分ってこんなに我慢して頑張っているのに、どうして幸せを実感できないの?」
「自分って頑張っても頑張っても幸せになれないような人間なの?」

なんてふうに感じても不思議ではないわけですからね。

だから、そこにあるしんどさや、「自分自身の選択が誰の幸せにもなっていないのではないか」といった悲しみをまずなんとかすることが先だよね、と僕は考えていたりするのですよ。

このとき、ものすごい無力感や無価値感を感じるので、正直放っておけないというか、ここを放置して「我慢ばかりしてきたのはなぜか」とか考えても、まぁまぁ気持ちはスッキリしないかな、と思うんです。

だって、そもそもこの「我慢」は大切な人のためになされたことなんでしょ?自分のためになされている部分もあるでしょうが、それって愛情表現の代わりだったんでしょ?

それがうまく伝わらないって悲しみを無視して「我慢は良くない」とか言われれば、それって自分の愛情を否定されたことになんないかな?と僕は思うんですよねぇ。

ま、人それぞれ考え方があろうかと思いますけど。

だから、我慢してきた自分を責めたり、後悔してもねぇ、辛いだけじゃね?とか考えているのです。

たとえ辛い我慢であっても、良かれと思い、ときには最善手だと思い、私が大切な人のためにできることとして行動したことなら、その根っこにある気持ちは尊重されていいことだ、と僕は思っています。

つまり、「私は大切な人の喜びになりたい」という気持ちですよね。

そもそもこの感情がなきゃ、我慢も犠牲もしないだろうって思うんです。大切な誰かを愛せない辛さを感じるぐらいなら、自分を犠牲にしちゃう人もいるってことですよ。

 

だからここでは「セルフラブ」って考え方がぴったりなんじゃないか、と僕は考えています。

もし、「自分って存在が誰かの喜びになれている」「誰かの癒やしや支えとして機能している」と実感できているならば、おそらく過剰な我慢はしないはずです。

少なからず自分自身の言動や愛してきたという事実にいい意味でのプライドを感じられるはずです。

もし、もう一度パートナーと向き合って幸せな生活を取り戻したいとか、自分らしい人生を歩みたいと願われるなら、その自分を取り戻すってプロセスがめっちゃ大事だよなーって思っています。

 

ただし。

このような「私は誰かの喜びになりたい」という気持ちを我慢や犠牲ばかりで表現するってことは、そもそも何かしらの罪悪感に影響されているってことのようですよ。

だから、この罪悪感を麻痺させるような作用のある、より強い罪悪感を感じるシュチュエーション、つまり他の誰かとの関係に踏み込んじゃうのではないか、と僕は見つめていることがあります。(全てのケース出そう考えているわけじゃないですよ。)

まるで毒をもって毒を制しているような感じですけどね。

ただ、毒は毒なので、自分の素晴らしさや愛してきた実感などを感じられることはあまりないんです。依存心は満たされたとしても、自分が誰かの喜びになれている実感があまり得られないんです。

だから、いくら心の支えを得ても気持ちも重くなるし、この「他の誰か」の言動に散々振り回されてしまって、すごく傷ついた経験をされる方も少なくないんですよね。

このとき、その他の誰かに執着して自分自身を見失ってしまうなんてこともよく起きるんですけど、実はこれって「他の誰か」に執着しているわけじゃなく、「自分は誰かの喜びで、癒やしで、役に立っているんだ」という感覚を失いたくないって思っていることが少なくないものでしょう。

だから、せめて誰かのために、誰かのそばに、って感じちゃうのかもしれません。この気持を愛情だと思っている人も少なくないようですけど、これは「喪失への恐れ」に近くないでしょうか。自分の意味がなくなっちゃうことへの恐れ、といいますかね。(実際は自分の意味がなくなることはないのですが、なくなるように感じちゃうんですよねぇ)

だとしたら、自分の外側に意味を見出すよりも先に、自分の内面に意味を見出すプロセスのほうが重要じゃないかな、って僕は考えていますし、その方向でサポートもさせてもらってますよ。

いいか悪いかは別にして、あなたは辛い我慢をいう方法を通じて誰かの喜びになろうとしたのではないでしょうか。

もしそうだとしたら、今、必要なものは、我慢でも犠牲でも罪悪感でもなく、自分が誰かの喜びになれるのだという感覚ではないでしょうか。

これが取り戻せれば、もう一度自分が愛したいと願う人を愛せる自分になれますしね。

この感覚を実感していくプロセスで必要なものは、自分自身が納得できる、安心できる、少なからず強い罪悪感を感じないような人とのつながりやその時間でもあります。

もしあなたの周囲にお友達や仲間など、信頼できる人がいるなら、その人たちと関わりながら、時にはサポートを受けなら、じっくり自分を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

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