恋愛・夫婦の心理学

「望まない恋愛ばかり」繰り返す理由は「怖れ」にあるかもね、という話

「望まない恋愛ばかり」から卒業したいというご相談

今日はネタ募集ではない形でリクエストをいただきましたので、そのご質問にお答えしたいと思います。

例えばこんなケース。

私、望まない恋愛から卒業したいんです。

私の恋愛はいつも既婚者(もしくは積極的に愛してくれない彼)ばかりなんです。

いつも「今度こそはいい人と」と思うけれど、つい相手に押されると負けてしまって、付き合うことになってしまいます。

別れるときはいつも私がフラれる形になることが多いです。

自分でもどうしてこんな恋愛ばかり続けてしまうのか、と思うけれど、なぜかいつも同じような恋愛ばかりになってしまいます。

きっと押しに弱くて、「断るのも悪いな」と思い、相手を受け入れてしまう私に問題があると思うのですが、どうすれば改善できるのか分かりません。

私も結婚やこれからのを考えるようになって、でも今のままではずっと一人かもと思うと不安になります。

でも、私がいい恋愛ができるとも思えません。

もしこの状態から卒業する方法があるなら教えていただきたいです。

望まない恋愛からの卒業、というご相談はカウンセリングでも多数扱わせていただいてきた案件です。

実際、この手のご相談をくださる方って「普段から、異性から好意を持たれることがある」という方も少なくなくて、ご相談者さんからも「私のことをいいと思ってくれる独身の人(リスクのない人)を選べばいいのかもしれないけれど、どうしてもそんな気分になれない」というお声もたくさん伺っています。

そして、ご相談をいただく多くの方は既に分かっておられます。

「いつも切ない恋愛を重ねるのは、私が理想の相手を選んでないからかもしれない」と。

ただ、恋愛が始まるとき、相手の気持ちを受け入れるその時は「きっとこの人が理想の人」と捉えようとすることもあるんじゃないか、と思うのです。

実際、どんな事情があったとしても、自分に好意を向けてくれる人の思いを受け止め、また、自ら相手に愛情を向けるとなれば、「この人が理想の人(じゃないかな)」と思うこともある、といいますかね。

時には「この人は最愛の人とは違うかも」と感じていても、しかし、その違和感を否定して好きになろうとする場合もあるのではないでしょうか。

だから、「寂しさ・切なさ、そして漠然とした不安も抱えながら、その彼を受け容れ、愛そうと頑張ってこられた」なんて方とお話させていただくことも稀ではありませんよ。

かつ、その「愛する」「相手を受け入れる」という行為自体、僕はネガティブに見ることはないんですよ。

どんな事情があれ、覚悟して相手を受け入れようとしたその気持ちはおそらく誰にも否定できないものだと僕は思うのです。だから、僕はそのお気持ち自体は支持させてもらいたいと思っています。

 

問題は「どうして自分が望む(理想の、もしくは納得できる)相手が選べなくなっているのか」にあります。

言い換えるならば、「自分が本当に自分の気持ちに素直になり、自分らしさを発揮できる、そんな状態でないときに恋愛が始まってしまうことにある」と言えるかもしれません。

今日はそのあたりの話を少しマニアックに掘り下げていきたいと思います。

よろしければどうぞ。

望まない恋愛を続けしまう理由の一つが「怖れ」だとしたら

では、どうして「望まない恋愛ばかり」を続けてしまうのでしょうか。

この理由を見つめていくために欠かせない要素こそ「怖れ」。

例えば、自分の中で「望む恋愛で感じる怖れ>望まない恋愛で感じる怖れ」となっているならば、おそらく望まない恋愛を選ぶ人が出てくるだろう、ということです。

私たちは恋愛や幸せに興味を持ち、価値を感じる人が少なくありませんよね。

ただ、幸せな恋愛・パートナーシップ、本当に親密な関係を望む気持ちが強ければ強いほど、恋愛や幸せは「怖いもの」となります。

いわば「自分にとって価値のあるものと向き合うときほど、怖くなる」というわけです。それは恋愛だけに言える話ではなく、仕事でも友人関係でも、どんな物事でも同じように言えます。

逆に、大して興味のないものにそこまで怖れは感じないわけです。

だとしたら、幸せや親密感を得ることで感じる怖れはかなり強いものになるわけですが、多くの人は、この怖れ、日常の中で自覚しているわけではないのです。

もし自覚する瞬間があるとしたら、誰かに一目惚れした時とか、相手に夢中になっている状態、また、まさか好きな人から告白されるだなんて、なんて状況になってようやく自覚する事が多いようです。

そして、その状況になって初めて「自分が怖がっている」と自覚するわけです。

この怖れという観点で「望まない恋愛を重ねる」という事実を見ると、次のようなことが考えられそうなんです。

例えば「幸せや親密感を得るときに感じる怖れ」より、「自分自身の将来の不安や問題を引き受けることで感じる怖れ」に慣れている人や、その深層心理で「親密感への怖れ>将来の不安」のように感じている人がいるならば、おそらく「より怖くない選択(慣れている怖れの方)」を選択するようになる可能性は否定できないことでしょう。

 

例えば、親密感や幸せを得る際に感じる怖れが「80」程度の強さがあるとします。

一方、将来の不安やなにか問題を引き受けることで感じる怖れは「60」程度の強さだったとします。

(※人間の感じる感情を数値で表すことは難しいのですが、わかり易く表現するためにあえて数値を使っています。)

この状態にあれば、おそらく「より怖くない選択」、つまり「60」の怖れの方を選ぶ人が少なくないと考えられるのです。また、自分が「60」程度の怖れに慣れているなら、慣れていない「80」程度の怖れはなかなか選ばないことも考えられそうです。

 

また、ぶっちゃけた話をすれば「幸せや親密感への怖れ」より「将来への不安」を感じていたほうが、自分でコントロールできるとか、自分次第でなんとかなる、と感じられるものだとも考えられないでしょうか。

だから、ついつい「将来への不安」に意識が向いて、そこをなんとかしようと考える人も少なくないのかな、と僕は思うこともありますよ。

 

それぐらい僕たちの心は、自然と「より怖くない方向」に流れていく傾向があるわけです。よほど強い興味や目的があるなら話は別ですが、普段は怖くない(辛くない・苦しくない)選択を選ぶものだろうと僕は考えているのです。

 

そしてこの親密感や幸せを得るときに感じる怖れは、自分自身のセクシャリティや自己イメージなどの状態にかなり影響を受けます。

どこかで自分自身のことを(望まないにしても)ネガティヴに捉えている度合いだけ怖れが膨れ上がります。

いわば、自分自身の存在自体にあまり興味を持っていなかったり、自分自身の価値を低く見積もりすぎていると、親密感や幸せを得るための怖れという心のハードルが高くなってしまうんです。

だから、つい「超えられそうなハードル」を選ぶというわけです。

これがいわゆる「押しに弱い」とか「望まない恋愛を選ぶ」理由になっている場合もあります。

ただ、このような「超えられそうにない怖れのハードル」があるなら、そりゃ尻込みしても不思議ではないし、「自分には無理だ」と感じることも不思議ではないと僕は思っています。

むしろ、そこまでハードルが高いと感じる感覚の中で、それでも幸せになりたいと思い続けているコト自体、ものすごい努力だよなぁと思っているところです。

そして、やっぱり仕事柄マニアックな性分が出てきますので(^^;、「なぜそう感じるのかという事情」が気になるわけでございます。

抜け道と考え方について

この怖れのハードルは、ある程度自分の取り組み次第で下げることができるとも考えられます。

それが「不安や怖れについて誰かに話す、不安や怖れを解放する」、「自分の価値を受け取る・高める」といったアプローチです。

日常の中でできることならば、自分の気持ちを誰かに聞いてもらうとか、今日自分ができたことを認める、自分の良さを受け容れる・褒める、といった行為がそれにあたります。

また、不安を感じているのは自分なんだよなぁと、自分を責めず、自分の感じていることを捉えてみてもいいでしょうね。(もちろん無理は禁物ですけれど)

しっかり自分の価値を認めていくことで、幸せになる怖れや、幸せになれないのではないかという怖れを少しづつ小さくしていくことができます。いわば自分を認めることや、自分に「できるという自信」がつけば、そこまで怖れは感じなくなるだろう、ということ。

また、実際に異性と関わってみたり、今感じている怖れをある程度認めて受け容れていくと、心がしなやかに強くなり、そこまでの不安を感じることも少なくなる可能性がありますよ。

ただし、何を怖がっているのかその理由が明確にわからなかったり、慢性的に怖れを強く感じるなら、もう少し深く自分自身を見つめたほうがいいかもしれませんけれども。

最後に

今日は怖れという視点で書きましたけど、実際この手の話は書き始めると止まらないぐらい、怖れ以外にも望まない恋愛を繰り返す事情はあるものだと思います。

なので、この続きはまた別の機会に書きたいと思います。

ただ、望まない恋愛を繰り返すということは、まるで「砂漠のキャラバンに出かけ、喉の乾きが限界になった頃、ようやく見つけたオアシスの前で水が飲めずにいる」という状態に似ていると僕は思うのです。

そのオアシスの水が何故か濁っていたり、飲んでみたら多量の鉱物が溶け込んでいてとても飲める味ではなかった、といった状態を想像してもらうといいのかもしれません。

しかし、このオアシスを離れたらいつまたオアシスを見つけられるかどうかわからないと思うならば、目の前の水が飲めないと思ってもここから離れることはできない、と考えてしまうのかもしれません。

ただ、そんなとき、通りがかった人がペットボトルを何本かくれたとしたら、それで喉の乾きを潤せたり、また旅立てることもあるかもしれない、って思いません?

もちろん実際の砂漠ではそんな人と合うことも偶然会うことも難しいのかもしれませんけれど、今の日常の中であれば、Lineや電話で「頼むわー」といえば、助けてくれる人がいるならば、その人とつながることもできるのではないでしょうか。

かつ、通りがかった人のペットボトルの水って、必ずしも自分が思う最愛の人がくれるものではない場合もある、と言えそう。

そんな「人の気持ち」が自分を生き返らせてくれる、本当の自分に気づかせてくれる、ということもありえるのではないでしょうか。

もちろん目の前の飲めない水にこだわってしまう気持ちにも理由がある以上、それが悪いことだとが言えませんし、誰もそんなあなたを責めることができないでしょう。

しかし、自分にとって今必要なものがどこからやってくるかはわからないものかもしれません。

だから、少し自分自身の視野を広げていくと、今の状況を変えるヒントや手がかりを得ることはできるかもしれませんよね。

ま、僕の個人的な思いを書くとしたら、通りがかりにホイっとペットボトルを置いていけるような人間でありたいな、とは思っているなんて書くとちょっと恥ずかしいけど、そんな感じなんですよ。

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