恋愛・夫婦の心理学

パートナーに「こんな自分でも受け容れてくれますか?」と聞かれたら

今日のコラムは答えがない話といえばそうかもしれません。

ただ、一つの考え方として参考になればと思い、少しまとめてみようと思います。

パートナーに「こんな自分でも受け容れてくれますか?」と聞かれたら

実際の恋愛や夫婦関係についてのご相談の中には「パートナーが信頼関係を壊すような行動に出た」というケースが少なくないわけですよね。

浮気はその典型例ですし、それ以外にも浪費や何かしらの対象に対する依存、一方的な批判、コミュニケーションが全く取れない、なんてこともそれに当たるときがありますよね。

その後、話し合っていくとお互いの間に起きている問題は解決していないまま、相手から「自分は自分で変わらない。こんな自分でいいなら受け容れてほしい」なんて声を聞くことになって、さてはてどうしたものか、と考え込んでしまわれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

「パートナーになったし、今も相手のことを愛しているから、相手のことを受け容れられるものなら受け容れたい。」

と思いつつ

「しかし、相手の行為はそう簡単には受け入れられるものでもない(苦痛を感じる)」

とも感じる。

一体どうしたらいいの?と悩まれることもあるのかもしれません。

いや、かなりしんどい悩みになりますよ、これは。

愛せるものなら愛し対し受け容れたい、けれど、自分自身の気持ちも大切にしたいと思えば、どうしたらいいのか分からなくなっちゃいますからね。

実際、「パートナーのことを受け入れ愛せない自分が不十分なのか」と考え込んでしまう生真面目な方もいらっしゃいますし、自分自身の「相手を大切にしたい・愛したい」という気持ちを折るような行動をするパートナーに対して「私のことを本気で傷つけようとしている」と思い、深い失望や怒りを覚える方もいらっしゃるのかもしれません。

そんな気持ちになったときの考え方について、なんだか最近ご質問が多いような気がしていますので、少しまとめておこうと思った次第です。

 

「こんな自分でも受け容れてくれますか?」と聞く側の気持ちについて

素晴らしいパートナーシップを持ち続けることを考えた時、何より欠かせないことは「お互いが絶えず変化すること」です。

ありえない話と思われるかもしれませんが、例えば、もし30代の自分が10代の頃から自分が何も変わっていないとしたら、おそらく30代のオトナのロマンスって感じられませんよね。

つまり、パートナーシップで最も大切なロマンスは「自分自身の変化」によって続いていきます。

しかし、僕たちは何かしらの事情で、自分自身の変化を止めてしまうことがあるわけですよね。

もちろん殆どが恐れによって自らの成長・変化・成熟を止めてしまうことがあるわけですが、こうなるとその関係はとても退屈で時には意味のないもののように感じてしまうのです。

そんなときほど「相手がつまらない」「相手に魅力を感じなくなった」と思うことが少なくないようなんですけどね。

 

そう考えると、「こんな自分でも受け容れてくれますか?」と聞く側の気持ち・態度とは、「自分は変化を怖がっていますよ」というサインだと考えることができるわけです。

例えば、パートナー間に問題が起きて「自分は問題をやめられない」「自分は変わらない」という人がいるとしたら、それは今までも自分の気持ちを隠して接してきたということでもあり、「素晴らしい関係性と向き合うための変化が怖くて(どうしたらいいか分からなくて)変われない」と解釈できる、ということです。

この話は、それほどまでに「私たちにとっての変化」は、とても怖いものという意味で解釈してほしいんですよね。

そして、変われない自分のままだけど、愛してくれるか、と聞いているわけです。

まぁ言われた側は「そう言われましてもねぇ」「相手はいつも自分のことばかりだ!」と思われるお気持ちも分からなくないです(^^;

だから、「私のために変わってくれない」「愛がないから変わるつもりがないんだ」というお気持ちも分からなくもないですし、実際にそう感じている人もいるのかもしれませんしね。

ただ、少なからず僕は「この関係性の問題だけでなく可能性を見る必要がある」という考え方のもと、このようなスタンスで向き合わせていただいているところです。

そして、「自分自身が変化できない」ということがどれだけ問題につながるか、ということを知っておいていただきたいと思うわけです。(変化できないことで自分を責めてもしゃーないのですが(^^;)

また、そこに事情があるという側面もありますが、自らが頑なに「変わらない」という選択を取ると、どうしても自らが支払うべき代償が増えたり、物事がうまくいかず、大切な関係を維持できないことにもつながっていくわけですよね。

 

「こんな自分でも受け容れてくれますか?」と言われた側の気持ちについて

カウンセリングの現場にいると、みなさんからいろんな恋愛・ご夫婦のご相談をいただくのですが、そのほとんどが「うまくいっていないとき」のお話になります。

かつ、ほとんどの人にとっての「今の恋愛・夫婦関係」は、よりよいものにしたい、成就させたいと思われています。

ただ、「今の関係をより良いものにしたい」と思うからこそ問題が起きている場合もあるんですよ。

それが「今起きていることに無関心だった」「自分が感じていることを否定し、信頼しなかった」ということなんです。

今、二人の間に起きていること、相手の様子、もちろん自分自身の気持ちの変化を含めて、あまり関心を持てずにいたり、「うまく行っているはず」と考えていたり、「自分は相手に好かれている」「相手は現状に満足している」「うまく本当の自分を隠せている」「これぐらいのことで問題にはならないだろう」といった思い込みを強めてしまうことがあるんですよ。

もちろん皆さんに悪気なんてないことのほうが多くて、むしろ無意識的に行われているので、相当意識していないと(それでも)気づけないもの、とも言えるのかもしれませんね。

ただ、このような状態が続くと、これまた自分自身が変化しません。

もちろん相手も変化しませんし、このままでいいんだと思うようにもなるかもしれない。

※そこはもうお互いの良心によってなされることで、何がいい悪いと僕が言えるようなものではないと思うんですけどね。

そもそも「今のままでいい」と感じてしまうことが罪だとは言えないと思うのですが、「今のままでいい」としか思えない自分が積極的に変化を求めるか、というとそうではないですよね。

その結果、お互いの間にロマンスや信頼関係が失われ、パートナー間に問題が起こるようになるわけです。

つまり「今のままでいい」と思っていた側、つまり「こんな自分でも受け容れてくれるか?」を聴かれた側もまた、気づかないところで「変化を怖れていた」と考えることができます。

もちろんパートナーの問題が分かり、相手から「自分は変われない」「こんな自分でも受け容れてくれますか?」と言われた側のお気持ちって、おそらく「もう勘弁してくれよ」「なんでなのよ」と思われるだろうと僕は想像していたりします。

「どれだけ私があなたを信じ、あなたのために頑張ってきたと思っているのよ」と言いたくなる気持ちがあったとしても不思議ではないですし、そのとおりなのだろうと僕は思います。

ただ、カウンセリングを長くさせていただいていると、こんなお話を伺うことも稀じゃないんです。

「今となって思えば、薄々こうなることに気づいていたような気がします。」

いわば直感的・感覚的に、もしかして?という未来に起きる「危険を予知」していた人が少なくないわけです。

しかし、その直感・感覚などをそのまま受け容れて相手を疑ったり、不安を感じるなんてことはしたくないですよね。不安になるのもしんどいですからね。

だから、「あえて」自分の感覚などを信頼せず、それを否定して見ないようにしていたから、悩ましい問題や結果を抱えてしまうこともありえるースだと言えるのですね。

もちろんそうなるにも事情がありますけど、自らが自分の気持ちや自分自身が変化したいと思っていることに「気づけない(気づかない)」からこそ、「変わらない」という選択を取ると、なぜか大切な関係が崩れていくこともあるようなんですよね。

 

「こんな自分でも受け容れてくれる?」という悩ましい事態は、感じていたことを無視すると起きやすい

例えば、ようやく好きになれる人ができて、結婚が決まった途端に、相手の問題が分かったり、急に相手が「別れたい」と言い始めたり、なんてケースが典型例です。

もちろんそれが結婚後に分かったというケースもあります。

そんな問題があってはじめて「こんな自分でも受け容れてくれる?」と聞いて悩むことになった

だとしたら、相手の「こんな自分でも受け容れてくれる?」という話は、2人の間の問題に直面すること(その勇気を持つこと)ができなかった結果だと見ることもできそうです。

もちろん、これら全てお互いが「なんとかうまくいかせたい」「相手を失望させたくない・傷つけたくない」といった気持ちがあるからこそ起きたことかもしれません。

そう思うと、なんとも切ない話だなと個人的には思うわけです。

しかし、「うまくいかせたい」という気持ちが強すぎたために(言い換えると「私はうまくいかないという気持ちが強かったということ」)いざ幸せになるぞ!と決めた途端に、今まで向き合ってこなかった問題が表面化するとしたら、超切ない話ですよね。

だから、問題が起きた今でも「相手はそのうちわかってくれるはず」などと、楽観的になりすぎたり、相手のことを考えられなくなってしまったりもします。

また、不安があったとしても「相手を疑うことになるからもっと信頼してみよう」と我慢したり、なぜか自分がポジティブになりすぎてしまって無理が来てしまうこともあるんです。

まぁこの辺の話はホントポジティブさをネガティブさのバランスの話なので、なかなか難しいわけですし、どうすればいいの?と悩んでしまうものかもしれません。

ただ、どこか自分の思考や思い浮かぶ意見(本当の願いではないよ)にこだわりすぎてしまうと、パートナーを愛する人、自分を愛してくれる人、として扱えず、ロマンスどころから全く逆の問題が引き起こされることにもなるわけです。

そう考えると「今起きている問題は、何かしら(自分の気持ち・相手の気持ちなど)に気づいていないサイン」であって、逆に言えば、「そのサインに気づくことによって問題を乗り越えていくことができる」と考えることもできるのかもしれませんよね。

 

「こんな自分でも受け容れてくれる?」と言われたらどう考えるか

「こんな自分でも受け容れてくれる?」と言われたらどう考えるか、についてですが、これは難しい問題かもしれませんね。

受け容れるか、しかし、受け容れないか、に関して、絶対的な正解はないでしょうから。

ここは「自分がどうしたいか」になると思うのです。

ただ一つ言えることがあるとしたら、あまりに今のパートナーとの問題によって冷静さを欠いていたり、怒りや悲しみなどの感情が強いときは、まずご自身のケアを優先されたほうがいい、ということでしょうか。

あまりに自分の感情が溢れてきているときは冷静な判断もできないですし、そもそも自分が本当にどうしたいのか、も分からなくなってしまうんです。

起きている問題が自分にとって受け容れられないものならばなおさらですよね。

また、例えば今までの関係が「うまくいっているはず」などと思っていたのであれば、そもそも自分を受容できていなかった部分もあったのかもしれません。

そんな自分を攻め続けていたり、いつも問題ばかり考えていても気が滅入るだけとも言えそうですけど、必要なことに関しては、自分の大切な感覚、気持ちに蓋をしたということは、これまた「自分を疑う感覚が強かった」ということなのかもしれません。

だから、自分のために時間を使って、自分の気持ちを整理することや、人に気持ちを話すことも大切なことかもしれませんね。

また、「こんな自分でも受け容れてくれる?」と言われたときの一つの考え方として、「逆の立場で考えてみる」という方法もありますよ。

多く、パートナーの話(提案)は、その意見がこちらとしては「えー」って思えるものであったとしても、多くの場合、その人なりに思い悩んだ結果であることが少なくないんですよ。

ここで最も避けたいのは「その意見を意味のないものとして扱うこと」です。

例えば、こちらがすぐには飲めない要求を話してきたとしたら、「それはありえない」と言ってしまいたくなる状況だと思うし、そう言ってしまっても不思議ではないわけです。

ただ、ここでは「そんな事を言うなんて、相手は何を怖がっていて、何が難しいと感じているんだろう」と見つめることもできるわけですよ。

例えば、浮気の問題があって、相手が「浮気はやめられない」と話しているなら、ぶっちゃけそんな人とは一緒にいられないわ、と思う人がいても不思議ではなく、別れを考えることもあるでしょう。

しかし、自分の中に「相手を受け容れ、愛してあげたい」という気持ちがあり続けるならば、「相手は何を怖がっているからそう伝えてくるのだろう」と考えることもできるわけです。

例えば、浮気という問題の場合、まぁよく聞くケースとしては「恋愛や結婚をすると自分の自由がなくなる」とか「自分は縛られることが嫌だと思っている」という話が多いわけですよ。

そこに意識が取られていて、なかなか一人の人を愛したり、コミットすることができなくなっている、とも考えられる場合もあります。

そもそも、そのような思いに縛られている、自由がなくなると思っているのは相手ですよね。(もちろんこちらがガチガチに束縛したという話なら別ですけどね)

だとしたら、恋愛関係や夫婦関係になることは「不自由である」と思っているから浮気をするのかもしれない。

ここで、それは何故なんだろうと気づこうとしてみることもできるわけです。また、「それなのに相手はどうして私と恋愛や結婚をしたのだろう」と考えることもできそうですよね。

また、二人の間に自由や束縛ではない、もっと素晴らしいつながり温かさがあればどうなるだろうか、と考えてみることもできるわけです。

もちろん、相手を手放すという愛し方をしてあげよう、と考えることもできるわけです。

もちろんこれは「そう考えなければいけない」ということではなくて、最後の最後まで自分から相手を理解し、愛してあげることを続けることによって、自分がより成長できるし、より解放できる側面がありますよ、ということなんです。

その第一歩が、相手の意見を意味のないものにしない、ってことです。

しっかり聞いて、一旦受け止めて、そしていろいろと考えてみる。

かつ、そこでは自分の気持ちも意味のないものにしないことが重要なんです。

自分の意見も、相手の意見も闇雲に否定してしまうと、自分も相手もどんどん意見を言えなくなってしまいますからね。

これまたどうしたらいいのか分からなくなってしまうわけですよ。

 

と、こういった話をすると「相手が私の意見を無碍に扱ってくるんです」というお声がたくさん聞こえてきますし、それは本当に辛いことだとも思うのです。

が、ここで自分の気持ちを大切にしながら整理して、どう相手を見つめていくかを考えるのか。

それとも、相手だって私と同じじゃないか!と自分の愛を止めてバトルのか。

その違いはおそらく自己価値の違いや、自分の気分や自己概念の違いとして跳ね返ってきますからね。

もちろんこの話は何が自分にとっての最良の選択なのか、という答えを導くものではないかもしれません。

が、自分自身がよりよい感情を感じながら、大切な人を愛し、人に支えられて生きることを考えるならば、こういった考え方の中で色々と考えて気持ちを整理することもまた意味があるのではないかなぁ、と僕は考えているところなのです。

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