恋愛・夫婦の心理学

「パートナーが何を考えているかわからない」と思ったら読むコラム

【今日のコラムの概要】

「パートナーが何を考えているかわからない」という疑問は、相手より自分のほうが上手に愛せているという競争心や、相手の気持ちをスルーしているのは私、という隠れた罪悪感の切り離しによって生じることが多いのです。相手の気持ちに気づけないのは「相手の気持ちを受け止めていないから」なのです。

さて、今日のコラムはなかなか理解しづらい心の話について書いています。

僕たちがどうしても否認したいと感じる罪悪感、特に加害者意識について触れているので、テキストを読み進めても「よく分からない」とお感じになるやもしれません。

が、パートナーのことを理解して愛し愛される関係になるために、避けては通れない話もでありますので、長文覚悟で書いてみました。

お時間があるときにでもじっくり読んでみてくださいませ。

よろしければお付き合いください。

どうして「パートナーが何を考えているかわからない」と思うのか

「パートナーが何を考えているかわからないんです」というご相談は多いものです。

僕のもとにもたくさんいただいています。

もちろん「相手のことが分からない」ならば、それはもう怖れを刺激される状況ですから、何かしら怖れを取り除きたいと思うことは自然なことだとも言えそうです。

ただ、僕は長くカウンセリングをさせていただく中で、こう思うようになりました。

そもそもよほど遊びを目的とした関係でない限り、パートナーが考えていることも『相手(あなた)は何を考えているのだろう』ではないのでしょうか?

つまり、パートナーはパートナーなりに「あなたのことを考えているはずでは?」ということです。

かつ、相手がよほど自信がなかったり、恋愛を怖がっていない限り、「相手のために何ができるだろうか」と考えている(いた)のではないだろうか、と思うのです。

しかしそれが難しいと感じたとき、パートナーは何も言わなくなってしまうのかもしれませんし、時には「別れ」を切り出すこともあるのではないか、ということです。

これはあくまで僕の所感なのですが、そうでなければ、相手にとっても関係を続けてきた意味ってあるのだろうか?と僕は考えてしまうのですね。

カウンセラーという仕事は少し不思議な仕事でもありまして、いわば「別れたくないと思う側」からも、「別れたいと思う側」からもご相談をいただくのです。(もちろん利害関係にあるお二人から同時にお話を伺うことはありませんけどね。)

だから、別れたくないと思う側のお気持ちも、別れたいと思う側のお気持ちも知ることになるのです。

その経験から言えることは、どちらも「相手のことを考えていたことがあった」ということなのです。

しかし、その気持ちがなかなか相手に伝わらないことで、自分が思うような結果にならなくて困惑したなんて経験を積み重ねた結果、「もう無理、別れたい」と思う人もいるのでしょう。

ただ、相手が何を考えているかわからないと思えるほどに、二人にはコミュニケーションが不足していたのでしょうか。

自分なりに考えた良かれと想ったことを繰り返していたのでしょうか。

それがすれ違うたびに、今まで自分なりに頑張って相手に向き合ってきたことの意味や価値が感じられなくなっている方が少なくないのです。

ただこのときも「できればこういった関係にしたかった」と別れを伝えた側も、別れを切り出された側もお感じのようなのです。

つまり、繰り返しになりますけど、よほど遊びを目的した関係ではない限り、パートナーはパートナーのことを考えている(た)ようなのです。

しかし僕たちはこの事実に何故か気づけないという事態がしばしば起こります。

「パートナーが何を考えているかわからない」に隠れた競争心の話

さて、実際、パートナーとなかなか上手に向き合えない、といったお話を伺う中で「もし相手があなたのことを考えていたとしたら」といった質問をさせていただくと

「いやいや、そんなはずはない」
「私のほうが考えていて相手は考えていないのでは?」

もしくは

「そうだったんですか?私はなんてひどいことをしたんでしょう・・・」
「私の考えが足りなかったのでしょうか」

といったお声を伺うことが少なくないのですよ。

どちらも違った意味合いで「パートナーが私のことを考えているという事実を否定したくなっている」のですよね。

前者は「そんなことはないはず」、後者は「相手が私のことを考えていた事実を使って自分を責める」という形になっているのですけどね。

ね、不思議だと思いません?

パートナーには好きでいてほしいと願うものだけど、なぜか「相手は私のことを考えていない・愛してくれているはずがない」と思い込んでしまうようなのです。

仮に、相手の行動や表現に問題があったとしても、自分の気持ちを受け取ってもらえていないならば、まぁ怒るか、もしくは嫌な気分になるかもしれないですよね。

もちろんそれはお互いに、なのでしょうけどね。

ここにはどうやら「私のほうが上手に愛している」「私のほうが相手のことを真剣に考えている」といった競争心が隠れていそうなんですよ。

これ、なかなか気づかないけれど「競争」ですよね。

それぐらい自分のことをいわば「愛している側に置きたい」と感じているのかもしれません。

だから「相手は私のことを考えていない・愛してくれているはずがない」と思い込んだり、「相手が愛していてくれたことで自分を責めてしまう」ようなのです。

もし、お互いが「自分のほうが上手に愛せている」そんな気分をお互いに与えあっていたとしたら、二人の関係は非常にやばくなるとご想像いただけるのではないでしょうか。

自分なりに相手のことを考えていて、かつ、愛されたいと願っているのに、それがことごとく裏目に出るとしたら、なんとも切ない話ではないかなぁ、と僕は感じていたりします。

つまり、相手の愛情の価値、自分の愛される価値を知っているかいないかで、恋愛の展開は超変わるものではないか、なんて思うのです。

そして、よほどの自信家ではない限り、自分の愛に絶対的な自信なんて持っていないもの、と言えそうですよね。

いくら相手のことを考えて愛そうと思っても、正解なんてわからないわけです。

つまり、「これでいいのかなぁ」といった不安はいつも付きまとう。

だからこそ「自分はちゃんと愛しています」と思っていたいわけです。

このとき、自分の意識・興味は「自分」に向いていますから、「パートナーが何を考えているかわからない」と感じるようになるわけです。

ただ、あなたがそう感じている間も、相手はあなたに対してなにか考えていて、できれば自分の気持ちをちゃんと受け取っていてもらいたいと感じているのでしょうね。

ここでお互いの気持ちを理解し、お互いに上手に受け取れないと、まぁ関係がこじれちゃうようなんですよ。

逆に、「そうか、相手にも(そうは見えないけど)不安なんだ」と気づいて「ありがとうね」と上手に受け取れる人は、やっぱりいい関係を創っていけるものなのでしょうね。

お互いが相手の不安に気づいて、そっと拭ってあげることができるなら、きっと関係はいいものになっていくのでしょうね。

「パートナーが何を考えているかわからない」に隠れた罪悪感の切り離し問題

うーん、随分前おきが長くなりましたがここからが本題です(^^;

さて、どうして私たちは、二人の関係が怪しくなると「相手はどう思っているのか?」と考え始めるのだと思います?

そもそも関係がうまく行っていると感じているときは、「相手がどう思っているか」ってそこまで考えないですよね。

なにか二人の間ですれ違いが繰り返されたり、不安を感じるような出来事があるから「相手はどう思っているの?」と気になり始めるのですよね。

多く、このご質問をクライエントさまにさせていただくと、答えとして「今の不安や危機を乗り越えたいから」とお答えくださります。

もちろんそれも大正解だと僕は思います。

ただ、僕はそうとだけ考えているわけではないという、若干ひねくれた、もとい一つの分析を持ち合わせております(^^;

「相手が何を考えているかわからない」と感じているとき、自分自身の深層心理下で「私は相手の気持ちを受け止めていない」という加害者意識が存在している可能性は非常に高い、と僕は考えています。

つまり、「相手の気持ち・愛を拒絶しているのは自分(遠慮という形を含む)」というわけです。

これ、すごく分かりにくい考え方なのですが、しかしここに気づけないとなかなかこじれたパートナーとの関係を癒せないことも少なくないのですよね。

パートナーとの関係をより良くしたいと願われている方ほど、「もっと上手に愛してあげたい」「私も愛されるようになりたい」と思っていらっしゃるようなのです。

それは大切な気持ちだと言えます。

が、全く自覚のないレベルで「相手の気持ちをスルーしていたのは私」という感覚を覚えていることが多いものなのです。

言い換えるなら「相手は相手なりに思ってくれているんだよな」と、なんとなーく、漠然と理解されている方が多いのですが、その自分の思い・感覚を信じていいのかどうかわからないと、「うーん、相手はそこまで考えていないのかも」「むしろ、今の相手の態度を見ていると私のことを愛していないんじゃないの?」と考えてしまうようなイメージですね。

つい、相手の気持ちを否定したくなってしまうというね。

どうしてこのような無意識的な感覚が生じるのかと考えていくと、僕は「罪悪感を切り離しているからだ」と考えます。

 

少したとえ話をします。想像してみてくださいね。

僕たちにとって、とても心苦しく、苦々しい思いを覚えるときってどんなときでしょうか?

それこそ「自分に向けられた好意に対して『ごめんなさい』とお断りすること」ではないでしょうか。

例えば、あなたが誰かに告白されたけれど、その気持ちは受け取れないなと思うとき、どんな気分になるかを想像してみていただきたいのです。

できれば自分に好意を向けてくれた人を傷つけたくないし、できればお互いに傷つけあいたくないと思うからこそ、Noと伝えるときに心苦しさ、いわば罪悪感を感じますよね。

なぜなら相手の好意を断ることで「私は相手を傷つけるだろう」「相手との関係が悪くなるかもしれない」と思うからですね。

このような加害者意識・罪悪感から逃れたくなって、どうしたってそれだけは嫌だと逃げ回る人がいます。

このとき「相手は私のことをそんなに考えていないでしょ」「そこまで私は魅力的でもないし」と自分や他人をちっぽけに扱うことがあるのです。

人の好意・愛・気持ちを受け取れないことが「心苦しい」からこそ、普段から人の好意を受け取らないようにしている人が多いんです。

すなわち「相手は愛していない」「私は愛されない」という思いを、罪悪感を感じないために、自らの意志で抱えている、とも言えるのです。

この考え方を用いると「パートナーのことがわからない」も全く同じ心の動きで説明できる、と僕は考えているのです。

ここでの「わからない」は「わかりたくない」となります。

いわば「パートナーの気持ちがわからない」のではなくて、「パートナーの気持ちを分かりたくない」と感じている可能性が高いのです。

パートナーの気持ちが分かると「相手の気持ちを受け取らずスルーしていたのは私」という罪悪感に気づき、加害者意識が出てきてしまうわけです。

そこでは「私が受け取っていなかったのが悪かったというの?」といった気持ちになるのです。(これも罪悪感ですけどねぇ)

だから、多くの人にとって「相手なりの好意」を「私がスルーしていた」なんてことは徹底的に認めたくないことなのです。

だから「相手の気持ちなんてものはわかんねぇなぁ」となる。

これは、罪悪感に対する防衛なんです。

このとき、自分や相手をちっぽけに扱えば、相手の好意をスルーしたことで感じる心苦しさを軽減させられると思っている、ということなのです。

ただ、その弊害として起こることが「自信喪失」や「感情の麻痺」です。

どれだけ愛されても不安。

どれだけ好きって言われても嬉しくない。

どれだけ頑張って愛しても相手に伝わっている感じがしない、といった感覚がやってきます。

ここで無意識的に感じているのは「私は相手の愛をスルーしている」という罪悪感・加害者意識ですから、「自分が愛されるにふさわしい」とも思えません。

それぐらい僕たちは「人の気持ちを受け取れらないが辛い」と感じると、相手の愛を素直に受け取らないだけでなく、いわば「素晴らしい自分」でいることを避けるようになる、というわけです。

そう考えると、パートナーのことを理解したり、相手の気持ちを受け取れる自分になるには、この「相手の気持ちをスルーしていたのは私(遠慮して止めていたのは私)」という罪悪感、加害者意識に気づいて通過していく必要があるのですよ。

しかし、罪悪感的視点で見ると厄介なことかもしれませんが、そうであったとしてもあなたを愛する人はあなたの価値をちゃんと見てくれています。

それはきっとあなたが親友と呼べる友達の価値を、なんの苦労もなく見続けているようなものだろうと僕は思うのです。相手から「私の価値を見てね」と頼まれてもいないにもかかわらず。

なのに、恋愛ではそれがうまくいかないのはなぜだろう、と考えていくと、罪悪感を引き受けたくないから、「私にはそんな愛される価値がない」とか「実際に愛されていることを信じない、否定したい」と思っていて、相手の好意を信頼していないときなのではないか、と僕には思えるのです。

まさか、私が相手の愛を打ちのめしていて、相手を傷つけているだなんてことに気づかず、しかし、罪悪感は受け容れたくない、と思っているわけです。

だから「相手が何を考えているかわからない」「相手がどんなに切ない思いをしているかと想像ができない」のではないか、ということなのです。

そして「別れの危機」が訪れて「自分が相手の思いに気づいていなかった」と気づいた時、相手の思いにどれだけの価値があったのかと実感するのかもしれません。

そう考えると、パートナーの気持ちを真に理解する事を考える時、悩ましいことではありますけど、「どれだけ自分が相手の愛情をスルー、もしくは否定してきたか」について受け止める必要があるといえます。

それぐらい、あなたは誰の愛を(悪意なく)拒絶してきたのでしょうか。

誰の愛情をはねのけたり、遠慮して受け取ってこなかったのでしょうか。

その問いに向き合う必要があるということですね。

 

ただ、このプロセスは、ちゃんと気づきさえすれば、自分の気持ちに素直になるだけで済む話でもあります。

「ごめんね、あなたの気持ちを理解できていなかったのは私だったね。」

「君はなんにも悪くない。僕が素直になれなかっただけなんだ。」

そんな自分の弱さに飛び込んで受け入れる勇気を持てばいいのです。

その時、分かるはずなんです。

相手がどう思っていてくれていたか、という事実がね。

つまり、自分が人の愛を拒絶しまくっていたという罪悪感から逃れようとすると、愛されていても愛が受け取れず、かつ、不安や怖れに飲み込まれ、自分の価値をも見失ってしまうということなのですよね。

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