ほぼ30代からの心理学

自分の強み・長所がよくわからないと悩んだときの処方箋

自分の強み・長所がよくわからないと悩んだときの処方箋

「自分の長所がよくわからない」というご相談はとても多いものです。

人からは褒められるけど、自分ではそうは思えない。自分の良さってさっぱりわからない、なんてお話を伺うことも稀ではありません。

だから、不安を感じ、人に気を使いながら生きていて、めっちゃ疲れるなんてお話を伺うこともありますし、「自信さえつけば(自己肯定感を感じられれば)と思うけど、なかなかそれが難しい」なんてお話も伺います。

また、どこか過剰とも言えるほどの「優しさ」「気遣い」をして、職場の人や、彼・夫などに自分の思いを伝えるために、「魂を削る」なんて表現がぴったりなほど「気を使いすぎる人」のご相談を伺うことも増えているんですよ。

優しさこそ正義、豊かさだと思って頑張っていたんだけど、気づいたら優しさを生み出すために自分を削ってしまって、残っているのは虚しさだけ、みたいなお話です。

そこで、今日は自分の長所の探し方と自分の癒やし方について、サクッとまとめてみようと思います。

例えば「優しさ以外に取り柄がない私」って事例から

自分の良さがわからないというお話を伺うとき、このような思いを伝えてくださる方が少なくないんですよね。

「私って何も取り柄がないんです」

私のいいところってどこだろう。強みってどこだろう。推せる要素ってなんだろう。

そこにどう興味を持ったらいいか、分からなかったのかもしれませんね。

だから、どんなことでもつい優しくする=私が我慢する、と考えて、人に気を使いまくっている人もいます。

実は、あまりに気を使いすぎたり我慢ばかりすると、大事な時に人に気を使えない事も起こります。

普段ネガティヴな意識を使いすぎて、大切なときにネガティブな意識を使える気力が残っていないってことになるので、注意不足的なミスが多発したり、人の気持ちにより添えなくて相手の地雷を踏むなんてことも起こるんですよね。

だから、私って優しくない、いい加減だと思いこんでいる方も少なくないわけですよ。

こうなると、更に自分の長所、良さってわからなくなっちゃうかもしれませんね。

さて、こういった人は、やはりめっちゃ優しいし受容する力を持っている場合が多いです。なぜなら、人が決して積まない我慢というトレーニングを積みまくってきたので、やはり優しさとストレス耐性が身につくわけですよ。

いいか悪いか別にして、自分をぶっ壊さない程度のことなら、その部分は自分の努力の賜物という意味で受け取っておくほうがお得だと思います。苦労や痛みは優しさに変えられるものですからね。

その一方で、この手の人は、自分のホントの気持ちを表現できずにいることが多いのです。

いわば「優しさしか取り柄のない私が、ホントの気持ちを伝えてはいけないんじゃないか」って思っている人が多いってことなんです。

誰がそんなこと決めたんや?って話なんですけどね。

答えはもちろん「私」ですよね。

ここが問題なんですわねぇ。

気を使いすぎる人が感じている投影の世界

さて、いわば魂を削って人に気を使い、優しくしながら、かつ我慢しまくっている人が感じている世界って、「渡る世間は鬼ばかり」的です。鬼はなし、ではなくてね。

魑魅魍魎が跋扈するとまではいいませんけど、まぁ敵だらけな感じです。

とかく家族の中でも自分を表現できず、愛されたって感覚を持てない人にとっては強烈です。だから、社会に出るのが怖いみたいな感覚を持つ人もいるぐらいですしね。

 

だから、彼や夫などパートナーができると、その人がいわゆる「オアシス」になるんです。心の拠り所といえばそうなるし、ようやく自分が安心できる場所が見つかった、みたいなね。

しかし、そもそも鬼ばかりな世界で見つけたオアシスって貴重なので、まぁ失いたくないと思うようになる人が多いんですね。

だから、またパートナーに気を使い始めたりするんです。失わないために。

 

このような感覚を持っている人って、全く自覚されていないようなんですが、ある2つの感覚を持っている方が多いんです。

一つは「自分に対する不信感」

もう一つは「自分以外の人に対する攻撃性」

この2つの感覚が「投影」となって、周囲の人達に張り付くんですよ。

だから、人は自分を責める。私は気を使って生きてなきゃいけないよ、って感じる世界で生きているんです。

つまり、自分自身のことを信じられずにいるので、自分は人からの責められたり罰されるんじゃないか、って思い込んでいるんです。

いわば罪悪感なのですね。自分は毒で罰を受けるような人間なんじゃないか、って感じている部分がある。

だから、これは無意識的に起こることですけど、周囲の人が脅威になるので、その人達を遠ざけるって意味で警戒し、隠れた攻撃性を持ちます。

が、このタイプの人は、ケンカを好まず人のことは責められない人も多いので、その攻撃性は自分に向います。自分を責めちゃうんですね。

ただこの状態は「自分をボッコボコに責めている状態を、自分の周囲の人(パートナー)に見せている」って状態でもあるんですよ。

私は自分を責めてますよ、ねぇあなたもいい気分にならないでしょ、という引きこもり的な怒りの表現なのです。

直接的に相手を責めている人と怒りの向きは違うんですが、これも一つの人の対する攻撃性です。

だから、自分を責めて「取り柄なんてない」と思っていないと怖くて仕方がないわけです。それをやめたらいつ人から責められるだろう?みたいに思っているわけですからね。だから自分を責めないように心がけても、いつまで経っても責める必要性があるわけです。

「自分に対する不信感(何もできない私)」って感覚がある限り、これは続くよってことです。

「私の強さは〇〇です」と覚悟して受け入れること

さて、あなたにどんな事情があるにせよ、人に優しくできるなら、まず「自分はすんげぇ優しい!」と胸を張りましょう。

そして、それを心から与えていく意識を持つことがおすすめです。

人はよく「この程度のことで」と思うものですが、そう思うことが後々大きな問題になるのですよ。

そもそも、今まで生きてきた自分をガラッと変えることなんてことは相当時間がかかります。

なので、自分が磨いてきたものを使って幸せになったほうが手っ取り早いと思いませんか?

世の中には、たくましい人、面白い人、エレガントな人、意思の強い人、行動力がある人、いろんな人がいる。そしてあなたは人に気遣いができて優しい人なら、それでいいじゃないか、ってことです。

ないものを探すより、あるものを認めていけばいいんです。

 

そして、今、自分が感じている世界、人に与えたいことの中に、自分の強さがあります。

自分は人に、仲間に、同僚に、パートナーに、家族に、なにがしたいのか。

それは人によって変わるものですが、まずそこに気づいて「自分は〇〇を与えたい人間なのだな」と一旦受け入れてみることですよ。自信がなくてもいいので、まずそう気づいてみることです。

その上で、実際にかんたんなことからでいいので、自分の与えたいものを人に与えてみましょう。

優しくしたいなら、気遣いを。
支えてあげたいなら相手のことを手伝う。
美味しい料理を作ってあげたいならそれを行う。
何か教えてあげたいなら相手のわからないことを教えてあげる。

なんでもいいです。行動してみることです。行動していけばどんどんその部分は磨かれて上手になっていきますよ。

 

長所を見つけるために必要な意識について

ただし、この長所って磨いているだけでは受け入れられない場合もあるんですよ。

物事必死で頑張っても、自身が感じられない、長所がよくわからないってことは十分にありえることです。

実は、ここに超注意すべきことがあります。

 

1つ目は、僕たちの持つ長所(強さ)は、他の人にとっての短所(弱さ)である、とよーく知っておくことです。

ここが超重要なことなんです。

例えば、もし自分の強さが優しさなら、周囲にあなた以上に優しさを持った人がいなかったかもしれません。

自分の強さが料理を美味しく作ることなら、周囲にあなたを満足させる料理を作れる人はいないかもしれません。

自分の強さが仕事で稼ぐことなら、周囲にあなた以上に稼げる人はいないかもしれません。

だから、「自分が思うように〇〇してもらえない」という失望や悲しみを感じる可能性は十分にありえます。

つまり何も意識しないでいると「傷つく」ってことです。

 

例えば、あなたが親に優しくしてもらえなかった、友達やパートナーに分かってもらえなかったという痛みがあって、そこにこだわってしまうことってないでしょうか。

いわゆる不満や「人を許せない」だとか「どうして自分と同じことができないんだ」という要求を持つことってないでしょうか。

ときには自分を理解しない人をバカにしたり、不十分だと責め立てたくなることってないでしょうか。

ただ、自分の身近な人の中に、自分以上に優しさを持っている人はいなかったのなら、それはある意味「しゃーないこと」なんです。

自分と同じように行動することを相手に求めても、それはとても虚しいことなのです。

なぜなら、自分の強さ以上の強さを人を求めたとしたら、それは自分が負けることを意味するので、自分を認めることができません。これは自分が負け続けることを意味します。

人によっては、誰かに依存したくなるき持ちが消えないものなのです。

だから、自分の強さを認めるには、自分が求めていたものを与えてくれなかった人を理解し、許すしか、前に進む道はありませんぞよ。

とはいえ、僕もかつて、この部分では散々悩みましたよね。

かつてはもっと強い男になりたいと願い、まるで父のようにごつい人間になるべきだと思っていたのですが、残念ながら僕には父のような生き方はできなかったのです。

いわば、父のようになれない自分を責め、そして力なき僕を父も責めたのです。

いつしか劣等感ばかり感じ、父を許さないようになった僕は、まぁケンカばかりしていていましたよね。いつかやり返す、ぶっ飛ばす!という怨念しかなかったかな(笑)

しかし、心について学び、父を許そうと思い、僕から歩み寄り感謝をし、実際に和解したとき、普段は何も言わない父からこう言われたことがありました。

「お前は誰よりも優しい」と。

まぁ「思ってるならはよ言えや」って話なんですけど、そりゃ僕のニーズですわねぇ(笑)

自分から父に歩み寄って感謝したことによって、その言葉は僕の中に入ってきましたよね。

そしてこうも思ったのです。

父は、僕が父のようになれないと知っていた。

そして、父は僕のようにはなれないって知っていたのだ、と。

まぁ「だったらもっと早く言ってよ〜」って話なのですが、それもまた僕のニーズですねぇ。

すなわち、自分の人生は自分だけのもので、自分に与えられた天分ってものがあるんだな、ということが分かったわけです。

その時気づいたんですね。

なぜ自分の中に、父から優しくしてもらえず、理解されなかった不満が生じていたのかが。

父は、僕以上の強さを持っていましたが、僕以上の優しさを持って生まれていなかっただけなのです。ただ、息子の僕はその事実がどうしても認められなかったわけです。

俺の父親なんだから俺より優しいはずだろう?と思っていたし、そんな父を認めたくなかった子供の僕がいたわけですね。

ずっと自分が子供の位置にいることで、父の不足を責めながら、「理想の父」を父親に押し付けていたんです。これが投影となるので、社会や人にも同じように理想を求める人間になっていたのが昔の僕ですね。

だから、自分も「完璧じゃないとまずい」と思い、まぁ虚勢を張って生きておりましたし、本当の自分を知られれば、きっと愛されないわな〜と思っておりました。

でも、父に歩み寄ったときに分かりました。

「そりゃ求めても無理だわな」と。

ま、笑うしかない話です。

僕の優しさとは、僕が父に向けるべき強さだったのですよ。それをサボってたのは僕だったってことですな。

そう思うと、父はきっと苦しかっただろう、とまで思いましたね。子供に優しくしようと思っても優しくできない苦悩を抱えていたでしょうからね。

そこで、ほんとうの意味で父という人間を理解できた気がします。

それからですよ。

僕がカウンセラーとしての本格的な腕磨きが始まったのは。そこまではどこか自分が半端な気がしていて、自分の強みもわからず、何をするにもやる気が出なかったんですよ。

誰か(父)のように生きようとしていたから、とにかく息苦しかったんです。

でも、父の持つ強さは僕にはないと認め、自分の強さを使う気になってから、まぁ意識は変わりましたよね。

むしろ、父の強さは既に十分に発揮され、僕たち家族を養う力になっていたというわけです。

そもそも自分の強さってものは、自分が生きている意味を教えてくれるものでもあり、誰かの弱さを愛するためにあるものです。

だから、自分と同じ強さを、より強く放つ人が身近にいない事が多いんです。(違う強さを放つ人はいてもね。)

もちろん自分よりすごい強さを持っている人もいますが、それは敵ではなく「同志」であったり「偉大な兄、姉、弟、妹」なのです。

また自分を理解してくれる人がいたとしても、同じ強さを持っているかどうかはわからない。

この事実を受け入れようとすると感じる「欲しいものがもらえないのかという失望」は、もう超えるしかないよね(笑)

しかも、この失望の強さって、自分の強さの分だけ大きくなる気がします。

やはり人は、自分に当たり前にあるものを人に求めるし、手に入らないことで傷つくからね。

え?どう超えるのかって?

そこで使えるのは「理解」と「許し」ですね。

自分が欲しいものをくれないと思っていた人間を許す、すなわち、欲しいものは自分が持ってるものだったんだと自覚することです。

言い換えれば、自分のできることを行わず、自分と同じものを人に求めても虚しいだけってことですかね。

 

だから、「私の強さ」を理解することは、単純に自分の良いところを褒めることじゃないと僕は思うのです。

自分が欲しくても得られなかったモノこそ、自分の強さだったんだと知ること。

まぁ人によっては「めっちゃ損」な感じがするかもしれませんけど、その「損したくない」を「しゃーねぇなぁ〜」という気持ちに変えて、その向こう側に進めば、「そうか、自分が光なら周囲は影になるわな」と理解できるようになります。

 

だから僕はこうお伝えしたいのです。

自分を否定し、変えるなんてことはしなくていい。

ただ、その「欲しいものが得られなかった悲しみ」を「許し」によって超えよう、と。

すると、きっと自分の強さ・光が見えてくるはずです。

それを使うことです、迷わずに。

そして、自分の強さが見えれば、人の強さ、素晴らしさも見えてくる。つまり人を信じられるのです。

 

自分の強さの影響力を知ること

また、自分の強さって、その使い方を間違えると、相手をダメにしたり傷つけることにもなります。

これは強さを使うなってことじゃなく、強さの使い方には気を配る必要があるよってことです。

まま、無自覚に使ってると、結構トラブりますよってことです。

 

例えば「自分よりすごい人を見るとつい嫉妬しちゃうこと」ってあるでしょ?

それは相手の強さ、素晴らしい部分で自分のちっぽけさを感じるときに起きることです。

これと同じことが自分の周囲の人にも起こります。

私達の強さは、使い方を間違うと「人を傷つけるナイフ」になります。

優しい人は、人から「あなたみたいに優しくできない」と思われます。

根性がある人は、人から「あなたみたいに頑張れない」と思われます。

知性のある人は、人から「あなたのように考えられない」と思われます。

 

「自分もそう思われるんだな」ということは自覚しておいたほうがいいですね。

そこから無理に降りようとして自分の価値を下げようとしても、逆に嫌味っぽく取られかねませんしね。

一旦受け入れて、とぼけておいたほうが絶対にマシ(笑)

いや、強さを使って与えている方が楽です。

だから、人の嫌味にならないようにと気を使い、自分の価値を下げておいた上で、無自覚にゴリゴリ使ってしまうと、まぁ人を傷つけます。

こーいうのを悪意なき加害っていうんですよね。恋愛で言うなら無自覚のハートブレイカーになっちゃうってことです。

自分の強さがわからないと、正しいと思っていることでやらかしちゃうんですよ。それこそ「そんなつもりはなかったのに」「どうしてうまくいかないの?」と思う瞬間です。

つまり「自分にはなにもない」って状態でいると、こういったリスクが出てくるってことなんですよね。

特に優しさなど見えないものは無意識に使いすぎてしまうと、相手をズタズタにしていたり、ズブズブの依存の海に叩き落としていた、なんてこともよく起こることです。

それこそ自分の影響力を自覚できず、劣等感ばかりにこだわっていると起こります。

こういった自覚なき加害によって、対人関係やパートナーとの関係が壊れちゃってることも多いんですよん。

 

テーマは「自分を信じる」ってこと

ここでのテーマ・課題は「自分をどう信じるか、感じるか」に尽きます。

この「自分を信じていない」ってことが意味することは「私はちゃんと欲しいものをもらえていないという依存的な感覚がある」ってことです。

この部分を誰かに(パートナーなど)に許して欲しいって感覚があって、そんな自分を受け入れてほしいって願っているわけですが、同時にそんな自分は罰されるとも思っているんです。

これが「何もしていない、甘えている私はダメ」って感覚を生む要素です。

別に何もしていないことが悪いわけじゃないんですけどね。(自分がスッキリするかどうかは別にしてね)

だから、もっと気を使って頑張らないといけないなと思う人もいるでしょう。自分にない要素(もっと気を強く持たなきゃいけないだとか)思い始める人もいるでしょう。

ただ、そこにこだわってるってことは、まだ自分の強さを理解していないってことかもしれません。

もし、自分の強さを知りたいなら、発想の転換が必要でしょうか。

誰かと同じじゃなくていいんです。

「自分が欲しくてたまらなかったものを見ればいい」のです。

「自分にこれがあればよかったのに」と思うことをクリエイトすればいいんです。

それこそ、自分が持っているものであり、提供できる強さかもしれないよ、ってことです。

それを受け取って、与える、使う、磨くことです。

 

寂しくて仕方がないって人がいるなら、絶対に人を寂しくさせない光になる、ってこと。

自分を認めてほしいって気持ちが強いなら、本気で人を認める力を持つ、ってこと。

分かってもらなくて不満ばっかり溜まってるなら、人を本当に理解できる人になる、ってこと。

虚しさばかりでやられているなら、人の虚しさを報い、喜びを感じさせる人になる、ってこと。

もっと美しさが欲しいと思うなら、人を美しくする人になる、ってこと。

誰かに導いてほしいなら、迷っている人を導ける人になる、ってこと。

愛情がもっとほしいと思うなら、死ぬほど愛を与えられる人になる、ってこと。

自分が毒だと思うなら、人の毒を浄化し、解毒できる人になる、ってこと。

 

そんな自分になれたと思うなら、なんか胸が温かくなりません?ジワるっしょ?

そして、自分の強さを使って自分を生きるなら、頑張る意識なんて持たなくても勝手に人に貢献して与えます。

誤解を恐れず言っちゃえば、それを何かしらの事情で表現できないと罪悪感にハマるんです。

「自分はやるべきことをやっていない」っていう罪悪感ね。

だから、受け取れないって理屈ですねん。人の愛情、お金、豊かさ、喜び、生きがいとかね。

そして、どう考えてもこの感覚から逃れることはまぁできないでしょう。

というか、逃れることは無理だから諦めよう。

そもそも与えないってことがダメではないんだけど、確実に自分を小さく扱うってことなんでね。

特に、感性豊かな人、強い光、強い強さを持っている人ほど、すごく苦しむポイントですな。

だから、まぁいい意味で開き直っちゃうほうがいいような気が僕はしていますよ。

「あー、もう、しゃーないなぁ♡」と。

 

おまけ

さて、この手の「自分の長所がよくわからない」ってお話をしてくださる方って、「人の役に立ちたいよ」って思っておられる方が多いんです。

だから、僕にも「カウンセラーのような人のためになることがしたいんですけど」とおっしゃってくださる人がいますよ。ありがたいことに。

そのとき、僕はこうお伝えしているんです。

「もう既にこの手の仕事に興味持っちゃったんでしょ?」って(笑)

自分も散々しんどい思いをしてきたのに、泣けるほど苦労してきたのに、悲しい別れを経験してきたのに、それでも人の役に立ちたいって思っちゃたんでしょ?

そこになにかジワる感覚を感じるってことなのであれば「いける」と思いますよ、とも言います。

それでも悩んでいる人の場合「ねぇ、できるかどうか悩むんだと思うんだけど、そもそもあなたに他の選択肢でもあるのかな?」って聞いちゃいます♡

追い込むよね〜(笑)

たまに「もう、分かってるなら黙っててください!」とか言われちゃうんですけどねー(笑)

また、最近なぜか「浅野さんはどうしてカウンセラーになったの?どうやってなったの?」と、よく聞かれます。

ご興味を持ってくださるのはありがたいことです、ホントm(_ _)m

実は昨日も聞かれたんですけどね(^^;

ま、気の迷いです。なりゆきです。やってたらそうなってました。

なんだか恥ずかしいので、普段はそう答えてます。

 

昔は「人の役に立ちたかったから」とか答えてましたけど、正直な話を書くと、この仕事には、なんだか呼び寄せられた感があって、それ以外にないもないんです。

コレが答えかなぁ。

この仕事が、僕の使いたかった強みを使えるものだった、って感じかな。

そんな僕のことを「すごく頑張っていて、挑戦していて」と言ったふうに、よく思ってくださるのでしょう。

でもそれは皆さんの投影ですよ、きっと(笑)

僕はただ流れでやって来たものは、基本逆らわない感じ(やれって言われても流れにあってないことはやらない)なので、もし僕が今までうまくいった理由があるとしたら、そんな感じかなぁ。

だから、ずっとブログ書いて、カウンセリングしているのかもな〜と自分で思いますね(笑)

そうしていたら結果的に今こうなった、って感じですし。

これも「生きている間にできること」ってことでしょうしね。

こんなこと書くと怒られちゃうのかもしれないけど、ま、自分の意味が終わったらどうせ僕は死ぬだろうって思ってるし、生きてる間はなにか自分に意味があるんじゃないの?とか思ってるのでね。

たとえ僕が死んでも、サーバ上のデータが消えない限りこのブログは残るしねぇ(笑)

僕がいなくなってからも「だれやねん、この浅野って?」と言われながら、誰かのお役に立てるならそりゃ本望だわ、とかたまに考えますよね。

・・・よし、サーバの料金は払い続けてもらおう、誰かに(笑)

カウンセリング・セミナーを利用する
カウンセリングを受ける

なりたい自分になるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。

カウンセリングのご案内ご予約可能時間のご案内

 

あなたの質問にお答えします

ブログ読者の皆さんからのご質問に浅野がブログ上お答えする「ネタ募集コーナー」は現在も継続中。よろしければあなたの訊いてみたことを↓のページから送ってくださいね。

ネタ募集企画のお知らせカウンセリングサービス・心理カウンセラー浅野寿和です。 いつもご覧いただきましてありがとうございます。 さて唐突ですが、この度このブ...