恋愛の心理学

頑張って頑張って、でも傷ついて

頑張って頑張って、でも傷ついて

失恋に関するご相談はたくさんいただいているところです。

それがいいことかどうか別にしてですけどね。

「できれば失恋って起きてほしくないよね」という意味も込めつつ。

ただ、やはり恋愛においてもっとも悩ましい問題って「ハートブレイク」ではないでしょうか。

だからこそ、「あのとき私は深く傷ついた」という経験は、その後の幸せに影響しやすいものかもしれません。

だから、「過去に傷ついた経験があってそんな自分を忘れたい」だとか、「もう傷つくことがいやだ」「もう誰も傷つけたくはない」といった深刻なお悩みも伺います。

それからずっと恋愛や好きな人からあえて距離をおいてきた、というご相談は少なくないものです。

それでも、そろそろ自分の結婚、子供のこと、未来のことを考えたくなって、気になる人と付き合って、でも気持ちが前に向かなくて、というお話も伺うんですよね。

僕もカウンセリングやセミナーのご依頼をいただくたびに、なんとかお力になりたいな、と思うんですけども。

このようなお話を伺っていると、その背景にこんな感覚が見えてくることがあるんですよ。

「好きな人のために頑張って、でも傷ついてしまって」

頑張ったのに傷ついた、いや、頑張るほど傷ついた、という経験をされている方のお話を伺うことも稀ではないのです。

 

恋愛で傷つくという体験

一口に「恋愛で傷つく」といってもさまざまな形があると考えられますが、つまるところ「喪失の体験」をした、という場合は多いように思うのです。

大切な人のことを失うことを「対象喪失」と呼ぶんですけどね。

このとき、大切な人を失ったことで、悲しみ、無力感、悔い、寂しさ、孤独なども感じるでしょう。

と、同時に相手を慕う気持ちも強く感じることがあるでしょう。

だからこそ苦しいわけですよね。

好きな人のことをすぐに嫌いになんてなれないでしょうから、だから、まだなんとかなるんじゃないかと思って必死に関係をよくしようと頑張ったって経験をされている方も少なくないのではないでしょうか。

パートナーの様子が変わっちゃってから不安で、でもなんとかもとに戻したくて、と頑張った方もいるかもしれません。

でももし、頑張るほど傷ついたとしたら、ちょっと絶望に近い感覚を感じちゃうかもしれませんね。

その結果、恋愛から距離をおいたり、もうあんな思いはしたくないって思う事があっても不思議ではないと思うんですね。

もちろん多くの方がこう思っていらっしゃるようなんです。

「たかが恋愛で傷ついただけ」「一人の人と別れただけ」と。

でも心は全く違うことを感じていることって少なくないんですよ。

特に「頑張るほど傷ついた」という経験は、たかが恋愛、という言葉では収まりがつかないような痛みになることもあるんです。

だから、なかなか過去の喪失体験を忘れられず、ずっと不安や怖れを抱えていらっしゃる方もいるんですよね。

 

頑張るほど傷ついた経験とどう向き合うか

さて、まずもっとも重要なことを書きます。

もし、あなたが頑張って頑張って、でも傷ついて、という経験をしたことがあるなら、その自分を決して意味のない存在にしないでいただきたい、と思うのです。

頑張ったことには意味があります、絶対に。僕はそうお伝えしています。

ただ、同時に傷ついたという事実がネックになるとも思います。(それはあたかも自分だけが一方的に傷ついたような印象があるかもしれませんが)

普通に考えて、頑張るほど傷ついたなら、頑張ることをやめますよね?もうこれ以上自分をちっぽけに感じたくないですから。

そんなときはまず、頑張ることをやめた自分をねぎらう必要があるのかもね、って僕はお伝えしています。

頑張ることをやめた自分って、頑張れないところまで頑張って愛した自分じゃないですか?

この自分を頑張ることを諦めた自分という認識のままにするか、そこまで頑張っていた自分という認識にするか、ここは選べると思うんです。

でも、うまくいかない恋愛とは時に残酷なもので、「私は頑張ったのは事実だけど、私が諦めたんだよ」という声を自分の内面で聞くことにもなるんですよね。

もう傷つけないって思ったのは事実だけど、それでも諦めたのは私。

自分から愛することをやめたのは、私。

これって罪悪感なんですけど、この罪悪感がいわば「重さ」を作るんです。本気になったって重いだけなんじゃない?って思うようになる。

だから、それからの恋愛はどこか割り切るしかないって考える人がいても不思議ではないし、愛する自信を失ってしまうことだって考えられますよね。

だから、この罪悪感を解消していけるように「頑張ったけど傷ついた私」=「愛ある私」だと受け止めていくことって大切なんですよね。

 

例えば、私は愛した、という感覚と、でももう頑張っても傷つくだけだから、って感覚。その矛盾をゆっくり解消するために、過去の自分をゆっくり丁寧に受け入れていく感じですかね。

僕はいつもこう思います。いくら自分を責めても、自分も、相手も、未来に出会うであろうパートナーも、そして過去の自分も、誰も救われはしない。

でも、痛烈なハートブレイクとはなかなか向き合えないから、自分を責めてしまうのかもしれません。

それはもう致し方ないことです。

でももし、頑張るほど傷ついたって過去の恋愛、その体験に縛られた自分を解き放って、もう一度幸せを目指したいと思われるなら、どうか自分に言ってあげてください。

「あなたの本気を一番知っているのは私だよ」と。

そして、こうも伝えてみてください。

「痛みは優しさに変えられる。もっといい恋愛ができるようになっているんだよ。」って感じでね。

 

愛を止めないための許しと手放し

その上で、あなたが喪失した相手に感謝したり、理解したり、手放し、相手の幸せを願うといった許しのプロセスを進めていきましょう。

特に「喪失した相手のことを今も嫌いになったわけじゃないけど、好きだと思うと辛いから、だから感謝もしないし、思い出さないようにしてる。時にはなんであんなふうになっちゃったんだろう、としか考えない」なんて状態は、自分の愛を制限するという意味で切ないものです。

この状態になると「次、誰かを愛する」ことが難しくなるんです。

自分から誰かを愛することを制限しているからですね。

だから、制限している愛の分だけ、私らしくない恋愛をしたり、つい相手に尽くそうとしたり、無理をして頑張っちゃうなんてことがおきます。

この状態を「愛している・頑張ってる私」と認識している方も少なくないんです。

ただこれは自分の中での愛情の出力が落ちているということをどこかで感じている、つまり「私はベストを尽くしていない」とどこかで感じているから、その埋め合わせをしようとしているようなものなのです。

だから、自分も苦しいし、恋愛が楽しいと感じられなくなってしまいます。

頑張って、頑張って、でも傷ついて、って状態こそ、この状態を示すものではないかな、と僕は思うんですけどね。

そうなってしまうには事情があるわけですから、自分を責めたり罰する必要はないものです。

ただ、自分が愛を止めていると、その「投影」で、相手もあまり自分のことを好きじゃないんじゃないか、という疑いを感じやすくもなります。

だから、どんな理由があったにせよ、ゆっくりと確実に「愛を止めない私」になることが、幸せな恋愛を培うための大きなポイントです。

いわば、「愛さない」「愛せない」という状態を続けることで、人は勝手に罪悪感を感じ、私は愛されるにふさわしくないと感じやすくなってしまうということなんですね。

そのための許しは、自分だけを許すことにとどまりません。

あなたが大切だと思った人を最後まで思える「より成熟した私」になることです。

そうなろうと思えれば、きっとそうなれます。

僕はせっせとそのお手伝いをさせてもらってる感じなんですけどね。

僕の臨床経験からお伝えできる確かなことは、過去の喪失にこだわってしまうことが問題だというわけじゃなくて、そりゃしゃーないことでね。

ただ、例えば僕のクライエント様の中で、幸せな結婚をされた、新しい恋人と幸せになった、なんて結果を出してくださる人ほど、過去出会った大切な人に「ありがとう」「幸せになってね」って言えるようになっていることは、ほぼほぼ間違いないですね。

むしろ言えずにいると、また別れちゃうなんてことが増えるんですよ。

つまり、人を許すってことは、自分のためなんですよね。許しは人のタメならず、って感じですね。

 

※本記事は2021/2/10にアメブロ・恋愛テクニックにアップした記事の大幅加筆・修正版です。

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