実際にカウンセリングにお寄せいただくご相談の中に「完璧主義傾向が見えるからこそ生じる問題があります。
いつも疲れてしまう、やる気が起きない、物事に対して積極的になれない、といったものがその代表例です。
また、一般的に完璧主義はあまりよろしくないものと捉えられる傾向があるのかもしれません。
ただ、完璧主義の人ほど、人から信頼されやすいという側面もあります。
反面、何事にも全力で取り組むからこそ、人一倍疲れやすいという特徴もあります。
そこで今回は、完璧主義についての解説を加えながら、完璧主義ゆえに抱えるストレスや生きづらさからの解放についてご紹介します。
Index
完璧主義だからこそ抱える大きなストレスとご相談事例
例えばこんな事例が「完璧主義」によって生じる問題です。
私、何でも完璧にできないと嫌なんです。だから人のミスにイライラするし、恋人にも完璧を求めたくなるんです。(その結果何度も別れてきました。)
何事も完璧にできればミスはないし、傷つかないって思うんです。でも、その生き方に疲れてしまって最近は何に対してもやる気が起きません。
仕事で大きなプロジェクトのリーダー任されてしまいプレッシャーを感じています。全く自信がないんです。どうすればいいのかわかりませんし、自分では務まるとは思えません。
私は完璧でないと愛されないって思ってしまうんです。きっと幸せな人は私よりも完璧なんだと思ってしまいます。そう思うと自分の容姿や器量に自信が持てず、恋愛に積極的になれないでいます。
完璧主義とはなにか
「完璧主義」について辞書で調べると、次のような記述となっています。
「物事に不十分な部分があることを許さず、不足や欠乏のない状態であることを求める考え方や性格などを指す表現。」
「妥協を許さないさま、ほどほどの加減を知らないさま。」(出典:Wabilo辞書)
何かしらの理由で「完璧であることを自分に課している様子」が見えてきますよね。
つまり、完璧主義者ほど「何事も完璧にできないと思うならそもそも行動しない」のです。
それぐらい「できること」より、「完璧さ」を優先する傾向があるんですね。
ただ、完璧主義が「物事に不十分な部分があることを許さない表現」ならば、そもそも人には不十分な部分があって普通だ、ということのように思いませんか?
しかし、完璧主義者さんほどそう理解していても、なかなかやめられないと感じてしまうものかもしれません。
完璧主義者の内面を描写するとしたら
さて、完璧主義者さんの内面を描写するとしたら、どんな感じになるでしょうか。
これ、冷静に考えるとなかなか怖ろしい様子が見えてくることになるんですよ。
そもそも「完璧主義」とは、物事に不十分な部分があることを許さない、といった状態ですよね。
だとしたら、物事や他者だけでなく、自分自身にも一切の不十分さを許さない、という状態になるのです。
この「物事や他者に対して完璧を求める姿」を強調して、完璧主義者さんを批判的に捉えることもあるのかもしれません。
が、僕はそうとだけ考えているわけではありません。
そもそも完璧主義者さんの内面は「自分に完璧を強いている状態」です。
完璧主義者さんの内面は「一切のミスや妥協が許されない感覚」に満ち溢れているようなイメージです。
そして、その自分の期待に自分がうまく応えられないことで失望し、自分を責めるのです。
つまり、今の自分のあり方を認める姿勢を持とうとしていないわけです。
この状態に限界が来て、感じている感情を抱えきれなくなったとき、つい人と責めたり、人にも同じことを求めてしまうんですよ。
だから、一度考えてみてほしいのです。
もし、自分自身がミスを全く許されないとしたら、どんな世界を生きることになるだろうか、と。
すると、こう思いませんか?
ミスを全く許されない世界に、そもそも正解など存在しない、と。
つまり、何をやっても不正解だと感じる、もしくは、なんとか許されなくて済んだとしか思えない世界だと理解できないでしょうか。
完璧主義となる理由
さて、完璧主義となる理由自体について考えてみましょう。
これは「不完全な自分を嫌っている(自己嫌悪など)」という部分になります。
これは自分に期待ばかり向けていて、不完全な自分を受け容れていないと解釈することもできます。
が、今まで自分の不完全さを許されてこなかった場合も考えられると思うのです。
だから、不完全な自分を受け容れたら誰にも必要とされないのではないか。
そんな自分では、誰にも相手にしてもらえないのではないか。
そんな「自分への批判」を持つようになるのでしょう。
その自分への批判や、その裏側にある怖れがあまりに強いからこそ、つい完璧を求め、完璧になることで傷つかない自分になろうとするのでしょう。
ここでのポイントは、傷つかない自分になることであって、幸せや豊かさを感じることではない、という部分ですね。
これ、本当に苦しい状態だと僕は思うのですが、さていかがでしょうか。
完璧主義であることをただ批判することは避けたいもの
確かに完璧主義に陥るにも、やはりそれなりの理由があります。
ただ、何事に対しても問題意識を持つことはいいことですが、自分を責める反応をより強めるような考え方を続けても辛いだけ、と僕は思ってしまうかなぁ。
どこか完璧主義に陥っている人は、苦しいと分かっていながら、それでもやめられないから更に苦しむのではないでしょうか。
また、そもそも何事も完璧にすれば傷つかないと考えるなら、それ自体が「ミスを許されてこなかった」「人に罰された経験がある」といった可能性を示していると僕は思うのです。
つまり、完璧主義になるには、内的要因だけでなく、外的要因による場合もあるだろうということです。
だから、僕は完璧主義であることを、その事情を全く勘案せず、またその人の内的問題によるものとして批判することは避けたいものだな、と考えています。
また、完璧主義であることはそのご本人、また関わる人にとってとても苦しいことでありながら、しかし罰せられるべきことでもないだろうと思うのです。
もちろん、自分が完璧を求めているからといって他者や物事に完ぺきを求めることも、相手を批判していることに近いので、手放しておきたいですよね。
つまり、完璧主義は闇雲に批判されるようなものではないが、手放すメリットが大きいもの。
僕はそう考えてお話を伺わせていただいています。
完璧主義を手放していくための考え方
さて、ここからは完璧主義を手放していく方法についてまとめていきたいのです。
が、今日はあれこれ具体的な方法を書くよりは、考え方についてまとめたいと思います。
完璧主義の方ほど、具体的な方法を完璧に行おうとして挫折する、ということを繰り返して更に完璧主義を強めることが多いものなんです。
だから、あえて今日は考え方・視点をまとめようと思います。
「できない」という不安は信頼できる人と分かち合おう
完璧主義者さんが苦しんでいることの1つが「できないと言えない」「怖いと言えない」ことです。
「できないことがある=不完全である」と認識することが多い完璧主義者さんは、いつも「一人でできなけれなならない」と考えがちです。
だから、自分の内面で「そんなことできない」「それは怖い」と感じていても、「できない」「怖い」と人に伝えた経験があまりに少ない方も多いのです。
だから、安全な場所で、信頼できる人に、素直な気持ちを伝えて受け止めてもらうだけでも随分気持ちが軽くなることが多いようですよ。
そもそも完璧主義者さんの行動動機は「自分が決めた目的をやり遂げるために言い訳しない」いう部分にはありません。
「ミスをしたら自分は終わりだ」ぐらい感じていて、これが行動動機になっています。
その世界観を変えるキッカケとして、「できない」という言葉を誰かに受け止めてもらう経験があってもいいのではないかと僕は思うんですよね。
逆に「できないと言わない」という態度を見て、他者が「すごくタフで頼れる」とか「なんかプライド高いんじゃない?」と誤解する可能性もあるのでそのあたり気をつけてみてください。
不完全な自分を受け容れたくないなら、「今できること」に意識を向けよう
僕たちは完全になる必要はなくて、むしろ「今、何ができるか」を考えていくほうが得策なのです。
ただ、自分の不完全さを嫌い、許せずに、誰よりも責め続けて受け容れないようにしているのが完璧主義者さんです。
ただまぁ完璧を求める気持ちには怖れがつきまとうので、ホント果てしない旅になってしまいますよね。
また、どうしても不完全な自分を受け容れられない(受け容れることが怖い)と感じることが多い完璧主義者さんもいるでしょうし。
だとしたら、まずは自分が今できること、できていることにコツコツ意識を向けて行動していきましょう。
完璧主義者さんにとって、不完全さを受け容れることは想像以上の怖れを伴うことが多いです。
完璧主義に陥っていない人には想像できないほどの怖さがそこにあるんですよ。
だから、いきなり不完全さを受け容れるより、できること、できていることにコツコツ意識を向けていきましょう。
その積み重ねで感じる自信のようなものが、不完全な自分を許し受け容れる鍵になります。
一人でできること・できないことの区別を学ぼう
実は完璧主義者さんほど「何でも一人でやらないといけない」と考えています。
もちろん、そう考えて自立することに意味はありますし、一人で頑張る意思がないと僕たちは心理的に自立できないのです。
ですが、完璧主義者さんほど「どこまで一人で頑張るべきで、どこから人に頼るべきか」の線引がうまくできない傾向があります。
全部自分で引き受けちゃうのでその裁量がわからないままなんですね。
例えば、仕事でリーダーを担うとしたら「どこまで自分でこなし、どこまで同僚や部下に任せるか」の線引が、経験的によく分からないと感じるのです。
恋愛の事例であれば、どこまで相手に依存して、どこまで相手を愛すればいいのか。相手が何を求めていて、こちらのことをどう感じているのか。
そのバランスをどう取るのか。
このあたりの線引が分からないと感じるのです。
これがプレッシャーになってしまうので、また「全部引き受けよう」と考えてしまい、燃え尽きたりしんどい思いをすることになるのです。
このあたりの線引は、人との関わりの中で学ぶこともありかな、と思います。
例えば、今まで自分が関わってきた人の中に、自分を受け容れてくれた人がいたとしたら、「その人がどれだけ自分を肯定的に見てくれていたのか」といった部分に気づいて受け容れていくこと。
もちろん、自分自身が人を肯定的に見て受け容れてきたこともあるでしょう。
こういった人との良い面での関わりを見つめることが、完璧主義を手放すキッカケになっていくことも多いんです。
自分にとって信頼できる人、肯定してくれる人との関係であることが必要ではありますけどね。
ただ、実際に人と関わる、相談する、自分の気持ちを伝えるという行為自体が、完璧主義を手放す一つのツールになり得ることもありますよ。
信頼できる人がいるなら「相談する」ことから初めて見るといいと思いますよ。
ま、それが苦手だってお気持ちもすごく分かるんですけどね(^^;
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