恋愛・夫婦の心理学

彼に合わせてばかりの恋愛パターンに潜む心理 〜パートナーを幸せにしたい人のための恋愛心理学・スピンオフ〜

彼に合わせてかりの恋愛パターン

恋愛でも夫婦関係のカウンセリングでも同じなんですが、「もう恋愛(結婚)なんてえぇわ」「男性と一緒にいても疲れるだけ」なんてお声を伺うときがありますよねー。

例えばこんなケース。

「昔付き合っていた人がいたんですけどね。

その彼は私が彼に合わせいることに気づいてない人だったんですよ。

こっちはいつも我慢していたんですけどね。こっちも我慢の限界ってものがあって、そのたびに言い合いになっていたんです。

でも、それでも彼が好きだから・・・なんで好きになっちゃったんだろうと思うんですけど、相手のことムカつくけど悪い人じゃないし、と思って、いつもケンカのあとはごめんって私から謝っていたんです。

そしたら、ヤツ(彼)がこう言うんですよ。

「なんかケンカばっかりでさ、一緒にいてもなんかつまんない」とか言ったわけですよ。

はぁ?とか思いますよね?流石に愛想が尽きたわ!と思いましたよ。

でも、その時はまだ彼のことが好きで・・・_| ̄|○

私、自分でもどうかしてると思うんですけど、また私からごめんって謝って、その彼とは3年一緒にいました。

でもやっぱり辛くなって別れちゃったんですよ。

それから、もう恋愛なんて懲り懲りって思って、それから彼を作ってません。いいよってくれる人がいても断ってましたし、それでいいって思ってました。

でも最近、友達が結婚していったり、子供を産んで幸せそうにしていると羨ましいなって思うんです。

私だってきっと、って思うけど、昔の恋愛のことを思い出すと恋愛する気持ちにもなれなくて。

どうしたらいいのかなって思って、浅野さんのカウンセリング受けてみようと思ったんです。」

この話を僕がどう捉え、どのような癒やしをご提供していくことになるかは、また後で書くとして。

今日のコラムは、あるコラムのスピンオフ的内容なんです。

僕の所属するカウンセリングサービスという団体が毎週更新している「すぐに役立つ心理学講座」というコンテンツがあるんですけどね。

僕もそこで講師として講座を執筆しているのです。そして、明日から僕が4回に分けて担当するシリーズ講座がありまして、その1回目のテーマが「我慢や犠牲ばかりの恋愛をどう手放すか(2021/2/18にアップされます)」なのです。

この記事もまた読んでいただけるとありたがいな〜と思うのですが、この記事で書ききれなかった内容を今回はまとめておこうと思うのです。

どーして彼に合わせてばかりの、我慢や犠牲が募る恋愛ばかりしてしまうのか。その深層心理には何があるのか?についてまとめてみます。

 

「好き」と「失う怖れ」の境界線

先に書いた事例って、まぁ相当切なく疲れる恋愛についての話ですよね。

僕も、そりゃー彼にケンカふっかけちゃいますよね、なんて話ながらカウンセリングを進めていくんですけどね。流石にね、こちらの我慢に気づいていないってやってらんない気分になりますよね。

他にも、婚活で出会った男性と話している中で「僕たち話も合うし、気も合うと思うんですよね」なんて言われた女性が、「そりゃそうだろうよ、私が話を合わせてんだから」といいたくなったけど我慢しましたよ、なんて話を伺うことも実は稀ではありません。

そういった話を聞くと、表情では隠そうとしていますが、僕自身が冷や汗をかくはめになるんですなぁ。ただ、そこで「まだ冷や汗かいてるだけマシですかね?」と自分を慰めようとすると、更に冷や汗をかく事態に遭遇することになることは重々承知していますのでね。

とにかくクライエントさんのお力になろうと意識を再フォーカスすることも稀ではありません。

ま、これは完全に余計な話ですね(^^;

さて、このようなお話を伺っているとき、僕がよーくよーくクライエント様と実際にお顔を見て向き合わせていただき、お話を伺いながら意識している「ある感覚」があるのです。

これ、ちょっとしたネタバレなんですけど、えーい、いつもネタバレばっかり書いてんだから今日も書いちゃえ!と思って書いてしまいます。

それが「でも、その時はまだ彼のことが好きで・・・」という言葉が何を意味しているか、なんです。

これはもはやカウンセラーの勘、いや、野生の勘のようなものなので、言語化することが非常に困難な話なのですが(^^;

もちろん「まだ好き」という言葉自体に込められた気持ちは、「好き」なのです。

相手への好き、という気持ちですね。これは間違いないのです。誰もそこは否定できないっしょといつも思っています。

ただ、その「好き」という言葉に込められた気持ち以外に、なにか気持ちが込められていないだろうか、という部分を僕は感覚的にキャッチしようとするんです。

この感覚は「好き」に違いない。

しかし、ここまで我慢する「好き」だったり、「でもまだ好きで」という感覚にはなにか隠れているんじゃないだろうか?と。

そこを見つめて癒やすことができるなら、きっとこの好きは「純粋な好き」に近くなるだろう。こうなればきっと好きという気持ちをもっと楽に表現できるのではないか、なんてことを考えていることがあるってことなんですね。

 

ここでよく出会う感覚が「失う恐れ」なんです。

ただこれは、「私は愛されない」だとか「好きって気持ちが伝わらない」って感覚のことではありません。

そうだなぁ、こんな感覚と出会うことが多いですかねぇ。

「一度でも相手の気持ちがそっぽ向いちゃったら、もう二度とその気持ちは手に入らない」

もし、この感覚が「好き」という感覚と共存しているなら、おそらく「何が何でも好きでい続けて、何が何でも相手が離れていくなんてことは避けたい」と思うでしょう。

なぜそう思うのか、ご本人も自覚されていないんだけど、でもなぜか「失うことが怖い」って感じちゃって、ついつい相手に合わせ過ぎたり、我慢しすぎてしまうようになっていることが意外と多いんですよね。

だから、彼のことが好きには違いないんだけど、好きだけじゃないなにか、に突き動かされてずっと我慢や犠牲を続けている方も少なくないんですよね。

言い方を変えれば、彼の態度に振り回されて自分自身の自由が失われている、みたいなものです。

だから、限界まで我慢して彼に合わせて恋愛して、いつか心のコップの水(感情)が溢れてしまうわけで、そうなるともう好きと思えないし、一緒にいられなくなるんだけど、でも失うのが不安で長く関係を続けてしまう、みたいな。

その結果、好きでもない人と一緒に居続けている自分にがっかりしつつ、恋愛で疲れ果ててしまうので「もうええわ」と思うようになる、みたいなね。

実際、こう言ったお話って結構な確率で伺うような気がしますよ、ホント。

 

失う恐れが指し示すもの

さて、こう言った恋愛のお話を伺うと、どうしても僕から質問させていただきたくなることがあるわけです。

それがご両親との関係や幼少期のことなのです。

僕の知る限り(全てがそうではありませんが)、親御さんから十分に依存を満たしてもらえてない、いわば甘えを許容されていないタイプの方って、この「一度でも相手の気持ちがそっぽ向いちゃったら、もう二度とその気持ちは手に入らない」って感じやすくなる、なんて考え方があるんですよ。

実は、子供ってのは親に依存を許されること(甘えを許される)ことで、他者との深いコミュニケーションができるようになる、なんて考え方があるんです。

しかし、甘えを許されなかったり、甘やかし(本来求めているものとは違うものをあてがわれる)と、欲しいものは手に入らないわけですわね。

自分はもらえない、愛してもらえない、なんて感覚を覚えるようになるんです。

これが転じて「一度でも相手の気持ちがそっぽ向いちゃったら、もう二度とその気持ちは手に入らない」なんてふうな思い込みになることもあるんですよね。

だから、このタイプの方はなかなか人との深いつながりや信頼関係を作れず、相手に気をつかいすぎたり、心を許すなんてことに抵抗感を感じている方も少なくないのです。

この状態が我慢ばっかりしている状態そのものだと僕は思うのです。

本当は好きな人と、信頼関係を作りたい、心と心を通わせたい、自分の依存(オトナの依存=ロマンス)を感じて満たしたいと思うのだけれど、恐れが強くてそこに許可がおりない。

だから、相手に合わせて、相手の喜ぶことをして、「いつか私の気持ちを満たしてね」と願っているんだけど、しかし相手は一向に喜ばず、気づかないとしたら、そりゃもうガッカリですわねぇ。(まぁ表現していないとしたら相手も気づけないわけですけど)

または、私の気持ちに一向に気づかない人ばかりパートナーにしてしまう(過去の親子関係を恋愛で再現してしまう)なんてこともよく起きるんですよ。

だからいつまでたっても寂しいし、満たされない。でも、失ってしまったら二度と手に入らないんじゃないか、って思うから、我慢したり犠牲するしかない、なんて感じて縛られてしまうんですな。

かつ、こういった経験をしていると「自分から求める・欲しがる」こと自体に失望しているし、求めて手に入らないってことで傷ついちゃう可能性が高いんです。

だから、いつも我慢ばっかり、時には犠牲的な恋愛を続けてしまうなんてことが起きるのではないだろうか、と僕は考えていたりするのですよね。

これ、人を心から愛し、信じたいと願っているのに、それがうまく表現できないという意味で、相当に心苦しいものだろうと思うのです。

 

人との関わりを楽しんで受け取れるように

このようなパターンをどのように変化させるかのアプローチは個別案件なので省略しますが、とかくこの我慢や犠牲のパターンにハマると、欲しいものがあるのに手に入らないという悲しい思いをすることが増えるものですよね。

だから、もう悲しい思いをしないために「期待しない」って手段を使うようにもなるでしょう。恋愛なんてもう懲り懲りって言葉は、その期待を潰すにはピッタリですしね。

でも、それがいい悪いって話は誰にもできない気がしています、僕は。

そうするしかなかった事情もあると思うんです。だからここは否定的に見つめてほしくないよな、っていつも思ってます。

ただ、その悲しみがある限り、また無理をしてしまって、ロマンスを楽しめなかったり、相手を信じることができずにいるとしたら、ここはちょっと自分を見つめ直してみてもいいのではないかなぁ、と思うんですね。

そのために普段から「自分が思うよりも、人は自分のことをちゃんと見ていて、お願いすれば聞いてくれる人もいる」って経験を積むといいんじゃないかな、と思うんです。

「それが難しい」って声が飛んでくるのは重々承知の上で、ね(^^;

人は自分から与えることで成長し、自分を肯定的に見つめるようになりますが、しかし、何か与えないと何もしてもらえない、と思っているなら、その感覚は一度打ち破ってみるのもいいんじゃないかな〜って僕は思いますよ。

これは「自分だけでは全く信じられないレベルで、人はあなたのことを大切に見てくれる人がいる」って事実と出会うことです。

いわば感動体験ですよ。

人は人の中で傷つきますが、人の中で愛され癒やされるもの。

このような愛され、癒やされるような人との出会いがこのパターンを変えるきっかけになることって多いよな、って思ってます。

そのためのカウンセリングやセミナーの作り方を僕も大切にしていますしね。

そもそもこのような我慢や犠牲って、人との愛情のやり取りで作られたパターンなので、人との関わりで癒す方法が有効だろうなと考えているんです。

かといって、また辛い恋愛を繰り返しても傷ついちゃうだけなので、何でもかんでも人と関わればいいってことでもないんですけどね。

いくら自分を肯定しても、与えられるものを増やしても、今の自分の価値観を肯定しても、(その方法に意味も価値もありますけど)実際に人と関わるときに「何かを失う・失敗したらもう愛情は得られない」と感じることだけで、犠牲や我慢は続いてしまうものではないか、と思うのです。いわば強迫観念のようなものとも言えるわけですが。

実際、すんごい素晴らしい人だと評価されている方や、どうみても愛されるタイプの方が、なぜか恋愛や夫婦関係で我慢や犠牲を続けている場合もありますからね。

僕のカウンセリングの経験からも、これは愛情のやり取りで生じた、ロマンスを受け取れないパターンだと僕は思うのです。そして、これからの「人との関わり・つながり」がもっとも癒やしに貢献するものだろうとも思うのです。

カウンセリング・セミナーを利用する
カウンセリングを受ける

なりたい自分になるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。

カウンセリングのご案内ご予約可能時間のご案内

 

あなたの質問にお答えします

ブログ読者の皆さんからのご質問に浅野がブログ上お答えする「ネタ募集コーナー」は現在も継続中。よろしければあなたの訊いてみたことを↓のページから送ってくださいね。

ネタ募集企画のお知らせカウンセリングサービス・心理カウンセラー浅野寿和です。 いつもご覧いただきましてありがとうございます。 さて唐突ですが、この度このブ...