恋愛の心理学

「どこか他人事」を嫌う優しい女性たちとうまくいかない恋愛

「人としては素晴らしいと言われるけど、いい恋愛に発展しない」というお悩み

Aさんは外見もファッションセンスも行動力も至って普通、いやそれ以上。

性格もとてもいい方で、他者にも寛容な態度で接することができる女性でした。

周囲からの評価はとても高く、特に既婚男性から「あなたのような人がある意味理想の女性だ」なんて言われたことも。

もちろん彼女自身も素敵な恋愛と結婚を、と望まれていました。

が、しかし彼女には大きな悩みがあったのです。

その悩みこそが「いくら努力しても理想の恋愛が手に入らない」でした。

今までの恋愛の話を伺うと「彼に振り回されてばかり」「いつもフラれる」とのこと。

そんなに女性を振り回す男性ばかり選んで付き合ってきたのだろうか?と思い、彼女に質問すると、どうやらそうでもない様子。

今までのお相手は至って普通の男性と言いますか、ちょっと癖はあれど、普通に恋愛できる相手ではあったようです。

が、彼女の恋愛は長く続かないようでした。

(話を伺っていくと、どうやら長く付き合い続けるうちに二人の間にマンネリが生じやすいようだな、という見立てもできそうなのですが・・・。)

彼女はこう言います。

「頑張って彼のために合わせてもダメ。
相手が望むことを与えていてもダメ。
彼に尽くしてみてもダメ。
だから彼の前でちょっとワガママに振る舞ってみた(ちょっとめんどくさい態度をとってみた)ことがありましたけど、それもダメ。

他の女性はどんな風に幸せな恋愛や結婚を手に入れているんだろう?って不思議でしょうがありません。

だから、私のどこがダメで、どうすれば幸せになれるのかが知りたいんです。」

もし、僕がこのようなご相談をいただくとしたら(↑の話は架空の話だと思ってくださいね)

「もうちょっとドライになってみる、という方法もありそうですね」

とお伝えする場合があるかな、と思うのです。

もちろんあくまで一つの要素としてであり、それで全ての問題が解決するとは思っていないのですけども。

なぜこのようにお伝えするかといいますと、このようなケースって

「もう少し自分と相手の境界線を明確にしたほうがいいかも?」

というケースでもあるからなのですよ。

「どこか他人事」を嫌う優しい女性たち

人には様々な考え方、価値観があり、そこに差はあれど、その善悪や優劣ってなかなか判断できないもの。

僕は常々そう考えています。

だからこそ、みなさんがどのような考えを持ち、価値観を持つかに関して(法を犯したり、他者を傷つけたり、他者の権利を侵害しない限り)良い・悪いという観点で話すことはない、といえます。

ただ、もうちょっとだけ異なる考え方、価値観を取り入れて見る方法はあるかもしれないですね、なんてお話をさせていただくことはあるんです。

今回はそのようなケースの一つをご紹介しようと思うのです。

「どこか他人事って冷たくない?」と思いやすい人たち

自分は自分、他人は他人。

そうどこかで思っていても、家族、仲間、友達などのことを考えると、どこか他人事のように思えず、心を寄せたり、相手の気持を想像しては心配になったり、相手のことを自分のことのように喜ぶタイプの方がいます。

一般的な視点で見れば、とても心あたたかで協調的な方、と言えるでしょう。

そんな方とお話をさせていただくと、これもまたいい悪いという話ではないのですが

「どこか他人事」って考え方は冷たくて嫌い

とお考えになっていらっしゃる方がいるのです。

もう少し突っ込んで書くと

自分のことしか考えていないやつが大嫌い!とかね(^^;

冷たい人は嫌いだとか、相手のことを考えられない人って嫌、みたいな感覚がちょっと強めな感じ、とも言えるかもしれません。

だからこそ

「人のこともまるで我が事のように感じる」

そんな傾向を持つ人もいらっしゃるわけですよ。

もちろん、人のことをちゃんと考えることは素晴らしいことです。

相手のことを考えて行動するには想像力が必要。

その力があるということは素晴らしいことだと僕は思うのです。

が、「相手のことを考える」という価値観の裏側で

「どこか他人事だと考えることは冷たいことだ」と思い込みすぎているとしたら。

これは何らかの対人関係や恋愛での問題を抱える理由になる、とも言えなくもないんですよね。

「どこか他人事って冷たい」と思いすぎることで生じる恋愛での問題

もしあなたが「どこか他人事だと考えることは冷たいことだ」と思い込みすぎているとしたら。

「パートナーの身に起きること、考え方、言動などを、どこか他人事(それは相手のこと)と捉えることができないがために、パートナーの身に起きることだけでなく、恋愛の中で起きることの多くが自分ごと(自分の問題)のように感じてしまうことが増えるだろう」

となるんですよね。

その結果、相手のことがよく見えなくなって上手に愛せなくなったり、引き受けなくていい要素を引き受けすぎて恋愛がしんどくなっちゃうなんてケースもあるわけです。

 

繰り返しになりますけど、相手のことを考えることは素晴らしいことです。

が、「相手と自分の境界線が曖昧にする」と、「相手のことを考える」は違うことなのです

この相手との自分の境界線が明確になっていないがために、いわば尽くしすぎてしまったり、相手に期待しすぎてしまったり、相手の問題を引き受けすぎて潰れてしまう、なんてことが起きることもあるのです。

また、恋愛など相手との距離が近い関係の中では、お互いの距離が近すぎてマンネリ感や、お互いに干渉しすぎているようなか感覚を抱えやすくなりやすい、とも言えるんです。

もう少し突っ込むなら、相手との境界線が曖昧であればあるほど「相手は相手の意志でこちらに愛情や好意を向けてくれている」と認識できなくなるんです。

いわば「本当に愛してくれてるの〜?」と思いやすくなると言いますかね。

つまり、「どこか他人事って冷たい」という否定的な観念が強すぎると、親密な関係というよりは「どんなことも他人事にしてはいけないという関係」ができあがる、といいますかね。

心理的に見れば、ちょっと窮屈な関係を作ってしまいやすいようなのですよ。

これはあなたがどれだけ素晴らしい人か、ステータスがあるか、経済的に豊かか、正確が素晴らしいか、という要素で生じている問題ではないんです。

むしろ「どこか他人事という無関心さって優しくないよね」という、あなたの優しさから生じた「優しくないことへの批判」が招いている問題だ、と僕は思うのですよ。

だから僕はときどき「もうちょっとドライになってみてもいいかもしれません」なんてお話をするのです。

(僕のクライエント様なら「あぁ、アサノはそういうこと言うわ〜」とご納得いただいていると思うのですが)

これは、あなたの優しさや思いやりを否定しているわけでもなく、人に優しくすることをやめろと伝えているわけでもありません。

相手との距離の作り方を変えて、自分と相手の境界線をもう少し明確にしていくほうが、お互いにもっと愛し合えるぜ!と言いたいだけなのです。

「どこか他人事」という感覚を少し受け入れるほうがいい理由

ここでの「どこか他人事」という感覚は「相手のことなんてどうでもいいし知らねぇよ」という拒絶ではありません。

相手のことは相手のこと。自分のことではない。

そういった認識が持てるかどうか、という話なのです。

その上で「相手のことを考える」と、比較的恋愛などの関係性はうまくいきやすくなるようです。

むしろ、「どこか他人事って認識は冷たい」と思うことで生じる問題って結構あるんですよねぇ・・・。

自分の意見が言えなくなるという問題

実はですね。

「どこか他人事って認識は冷たい」という思いが強いほど、自分の意見が言えなくなるという問題が生じやすいんです。

 

相手のことは相手のこと。自分のことではない。

そういった認識が持てるとしたら、相手の意見と自分の意見が異なっていることは普通だと理解しやすくなるわけですよね。

だから、相手との意見の一致、価値観の一致が嬉しく感じるといいますかね。

しかし、相手のことを他人事のように感じてはいけない、と思っているとしたら、そもそも「意見や考えは一致していて当然(そうしなきゃいけない)」と考えてしまう人も出てくるのではないでしょうか。

僕自身、この「相手と自分の意見が一致していなければいけない」と思うことほどしんどいことはない、と思うのです。

むしろ「相手と自分の意見が一致していなければいけない」と強く思えば思うほど、自分の意見って言えなくなりません?

そこが違ってたら最悪(自分が悪い・相手が悪い)って感じちゃいません?

だから、恋愛や夫婦関係の中で、自分の意見を言えず苦しんだり、自分の意見・考えを否定しすぎて自分がわからなくなったり、相手に合わせ過ぎたり、逆に相手への要求が増えるなんてことも起きやすいのかもしれませんよ。

「相手の問題が自分の問題になりすぎて胸がつぶれまくる」という問題

先に書いたように、もし「相手と自分の意見が一致していなければいけない」と強く思うとしたら。

あなたにとっての大切な人が何かしら問題を抱えたとき、その問題もあたかも自分のことのように感じてしまう、なんてことも起きやすいのです。

いわば「相手の問題が自分の問題になりすぎて胸がつぶれまくる」というわけです。

だから、相手を自分が思うようにコントロールしたくなる人もいれば、相手の問題で自分が潰れちゃって立ち直れなくなったり、相手を支えきれなくなってしまうことも起きるんです。

これも「どこか他人事」という感覚を否定している人の中にみられること、と言えますかね。

その結果、あなたにとって大切な相手は、あなたの心を押しつぶす人として作用してしまい、自分がうんざりしてしまったり。

逆に「自分が問題を抱えた」としたら、相手に死ぬほど迷惑をかけたような気分になって申し訳なさすぎて自分が潰れちゃう、なんてことも起きる可能性があるんですよね。

相手との適切な距離を取る方法を考える

今回のコラムでは「どこか他人事」という言葉を使いましたが、これは「相手と適切な距離を取る」「自分と相手は別の個体なんだと認識できる」という意味です。

このように相手と適切な距離を取ることができて初めて、いわゆる一体感、親密感、繋がっている感覚が感じられるようになるのです。

そもそも「相手と違っていてはいけない」「相手と同じでなければならない」と認識しているなら、それは「私と相手は違う」という前提が崩れておらず、その上で「だからなんとか寄せて似せなきゃいけない」と思っている、ということではないでしょうか。

そうではなく、相手と自分は違うけれども、分かりあえること、繋がれることがある、と燃えることで、より繋がった感覚って感じられますよね。

いわば、違いを認めて受け入れ合うことを通じて、更に深い一体感を感じられるようになるんですよね。

僕はそう考えるので、あまりに相手と自分の境界線が曖昧になっている場合に

「もうちょっとドライになってみません?」

なんてお伝えするわけです。

それは、長い目で見たときに「一体感・親密感」を得られるように、という意図もあるんですよね。

「じゃ、どないしたら相手との距離が取れるの?」という話ですけども。

あれこれ書き始めると膨大な量になりそうなので、日常でもできることを少しまとめておきます。

ちゃんと「私はこう思う」と伝える習慣をつける

「私はこう思う」「あなたの意見が聞きたい」

このようにちゃんと主語をつけて会話する習慣や、相手の意見を闇雲に判断せず聞く姿勢を持つことは、適切な距離を取るために大切なことです。

つい恥ずかしがったり、自分の意見が間違っているのではないかと不安になって「・・・こう思う」とだけ伝える人もいらっしゃるのかもしれません。

が、それをやればやるほど「その意見って誰のもの?」という部分が曖昧になり、自分もそう認識してしまうようになるんです。

だから、胸を張って「私はこう思う」と伝えるようにしましょう。

それだけでも「私」と「相手」の境界線を意識できるようになることもありますよ。

好き・嫌いははっきりさせていい

自分の好きなこと、嫌いだったり苦手なことは、明確に表現してみることです。

好き嫌いってね、ぶっちゃけ他人にはどうしようもないことなんですよ。そもそも自分が好きかどうか、嫌いかどうか、だけなので。

ここをしっかり明確にしておくこと(嫌いなものを嫌いと表現するのはいいのでしょうが、嫌いだからとdisるとしたらそれは行きすぎかも?)で、人との境界線を明確に感じやすくなりやすいと思いますよ。

人に聞くのではなく、自分がこう感じている、ということを大切にしていく感じですね。

恋愛で言うなら「いくら好きでも、既読スルーとかフェードアウトとかする男ってないわ〜」と思うなら、まず「ないわ〜」といった気持ちを大切にすることです。

それがうまくできないとしたら、また別の要素「振られたくない〜」「好かれたい〜」「他の女に取られたくない〜」「自分が愛される存在だとは思えないし、自信がない〜」といった部分が影響しているかもしれないですね。

他にも相手との距離を明確にしていく方法はありますけどね(満たされていない依存心を解放するだとか、痛みを癒す、罪悪感で人とつながらない!とかね)

まぁ簡単にできることとしては、この2つがオススメでしょうか。

このように適切な相手との距離を取れるだけでも、恋愛や夫婦関係、対人関係はグッとうまくいきやすくなります。

逆に、どこか曖昧で適当な距離感を感じている人を増やすとしんどくなるものかもしれません。

そういう意味では、さまざまな感情に流されすぎず「私」と「相手」をちゃんと認識できる自分になることもまた、絆や親密な関係を作る大切な要素ってことなのです。

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