ほぼ30代からの心理学

なにかに期待して傷つかないためにはどうすればいいですか?

浅野さんこんばんは。

恋愛相談ではないのですが、「人に期待しないこと」について、相談したいと思い、投稿させていただきました。

最近、日々漠然と感じるストレスの元はなんだろうと考えていたところ、人への期待なんじゃないかと思うようになりました。

例えば、出勤して笑顔で挨拶しても相手は不愛想だとか、新人育成チームで勉強会を開いても新人達はさっぱりやる気がないとか、友人や彼氏へ誕生日プレゼントを渡したとき喜んでくれなかったり、何だこれ?とかいって笑われたり。笑

彼氏ために(もしくは彼氏と私のために)とった行動が、逆に嫌がられたり、、
相手も私と同じような気持ちに違いないという思いこみや期待から外れると傷ついてしまいます。

相手が悪いという事ではなくて、きっと自分が勝手に傷ついていることだと思います。これは見返りというものなのでしょうか?

そこで、相手に期待しないということは、自分は傷つかなくてよいし、相手にも私の不機嫌なリアクションを見せなくても済むので、「期待しないトレーニング」を意識して人と接していけばよいのかなと思いました。

見返りや共感(相手からの良い反応)を期待ぜずに人と接していく事は、人として成長に繋がるでしょうか。
それでも、人に期待すべき場面というのはあると思いますが、それがどういう時なのか分からないんです。
自分が軸か相手が軸かという事なのでしょうか。

よろしくお願いします。

ネタ募集ネーム:おひるねさん

おひるねさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m今日はあなたのご質問にお答えしますね。

なるほど、人への期待についてですか。とってもいいご質問をいただいたなと思っています。ありがとうございます。

ただ、期待については以前にコラムにした気がしますが、いつ書いたか思い出せない(^^;

過去記事についてはこのサイトの検索機能か何かで探して読んでいただければ、と思いますm(_ _)m

さて、今回のご質問のキモは「見返りや共感(相手からの良い反応)を期待ぜずに人と接していく事は、人として成長に繋がるでしょうか」という部分のように思います。

そして「期待して傷つく」のは期待するからなのか。

期待とは「自分が軸か相手が軸かということ」なのか、あたりがもやっとされている部分でしょうか。

ちなみに僕の考え方では、自分軸・他人軸は「それは自分が心から与えたことか・望んだことか」、それとも「誰かの影響で与えたことか・望んだことか」といった表現になります。

つまり、主体的か、非主体的か、みたいな違いです。

そもそも僕は自分軸・他人軸という言葉は僕はあまり使わないので(きっと以前にカウンセリングサービスを卒業した僕の元師匠が使っている言葉のように思うのですが)、僕なりの言葉で解説できればと思います。

それでは解説編へ。

 

期待とはなにか

僕の学ぶ心理学での「期待」とは、満たされない欲求に対する期待、もしくは、不十分だった自分への期待、のような意味で使われることが多い、そう僕は解釈しています。

そもそも人が期待するものの多くは「欲求」に関することでしょう。

・彼に〇〇してほしいな、とか。
・毎日頑張っているんだから、ご褒美に海外に旅行に行こう!次は〇〇や△△に行ってみたい、とか。
・今の成長した自分なら、昔は諦めた〇〇ができるはずだ、それをやってみたい、とか。

期待の対象が自分か他人かの違いがあろうかと思いますが、そもそも未だ満たされない欲求を満たそうとすることを「期待する」ことが多いのではないでしょうか。

この期待の裏にあるものは「不十分な自分」という自己イメージです。

・「私は不十分なところがある」だから彼に〇〇してほしいな。
・ようやく誰の手も借りずに頑張れるようになったんだから、ご褒美に海外旅行に行こう、次は〇〇や△△に行ってみたい。
・昔は不十分だったけど、今ならできるはず、だからチャレンジしてみたい。

つまり、「自分って頑張っているしそれなりに仕事も恋愛も日常もうまくいくようになっている」のだけど、「未だ自分に確固たる自信を感じられていない」という場合に「期待」が生じると考えられますね。

だから、つい自分にも人にも期待してしまうということが多いなら

実は自分に十分な力も魅力も存在しているかもしれないのに、それを認めきれていないとき

もしくは

実は自分に未だ十分な実力や魅力が備わっておらず、未だ自分磨きや力をつけることが必要になっているとき、といえます。

 

自分と同じものを人に期待するとき

また「自分と同じものを人に期待する」という意味で期待という言葉が使われることもありますね。

よくあるケースとしては

「私だってそんなに自信があるわけじゃないのに仕事を頑張っている。なのに同僚は仕事をしないなんてありえない!」

そのお気持ちは僕なりに痛いほど分かるのですが、これもどこか「自分の実力や才能の十分に認めていないとき」に起こりやすいといえます。

ここには「自分だって不十分なのに」という感覚が見え隠れしますよね?

別のケースでいえば

「自分ができることを部下にも同じように期待して求めていた。これぐらいできて当然だろうと思っていた。すると、どんどん部下が辞めていき、人がついてこなくなった。」

この場合、自分にできることを相手に同じように求めているという部分に期待があるのですが、自分にできることがなぜ人にできないのか、と考えている時点で、自分の価値を認められていない、と考えることができますよ。

また、私たちの中には「自分のルールや規範に当てはめて納得できるものは受け入れるが、価値観の違うものに関しては攻撃する」という方がいます。

自分なりのやり方、正しさが全てで、それ以外のものは間違っているものだから排除したい、という気持ちに駆られるのです。

だから、部下のやり方を排除するために自分のやり方を相手に渡すわけです。

それ自体、「きっと部下のためになる」という気持ちから行われることかもしれませんが、同時に「自分のやり方が正しいのだ、間違っていないのだと誰かにも証明してほしい」といった気持ちが隠れている場合も少なくありませんよ。

逆に言えば、「自分のやり方が相手のためになっていない」という事実を受け入れることがショックなのです。

かなり見えにくいですが、ここにも「自分のやり方、考え方が正しいのか?」という不安が見えてこないでしょうか。

自分のやり方、考え方に本当に自信を持っているなら、横綱相撲じゃないですけど、相手のあり方、考え方を頭ごなしに非難することはないと思いませんか。

自分に自信があるから「自分の意見とは違うけれど、あなたはそう考えているんだね」と受け止めることもできるでしょう。

このように私たちが人への期待を強めているときほど、なぜか自分のことばかり見つめるようになり、相手のことがよく見えなくなるのです。

そもそも期待とは自分の気持ちであって相手の気持ちじゃないですからね。

だから、相手の様子、気持ち、力量を推し量れなくなって、うまく人と関われなくなくなる、なんてことも起こります。

このとき、実は自分の実力を認めているようで、深層心理では「そんなに価値がないもの」と感じている事が少なくないのです。

 

期待しないは、期待すると同じこと

最近、日々漠然と感じるストレスの元はなんだろうと考えていたところ、人への期待なんじゃないかと思うようになりました。

例えば、出勤して笑顔で挨拶しても相手は不愛想だとか、新人育成チームで勉強会を開いても新人達はさっぱりやる気がないとか、友人や彼氏へ誕生日プレゼントを渡したとき喜んでくれなかったり、何だこれ?とかいって笑われたり。笑

彼氏ために(もしくは彼氏と私のために)とった行動が、逆に嫌がられたり、、
相手も私と同じような気持ちに違いないという思いこみや期待から外れると傷ついてしまいます。

相手が悪いという事ではなくて、きっと自分が勝手に傷ついていることだと思います。これは見返りというものなのでしょうか?

そこで、相手に期待しないということは、自分は傷つかなくてよいし、相手にも私の不機嫌なリアクションを見せなくても済むので、「期待しないトレーニング」を意識して人と接していけばよいのかなと思いました。

なるほど。

僕が興味を持ったのは「期待しないトレーニング」って部分。それってどんな感じですか?

それがもし仮に「あまりに人との距離が近くて期待ばかりしてしまっていたから、適度な人との心理的距離を取る」ということなら僕もすごくいいな、と思いますよ。

しかし、もし「自分が傷つかないために期待しないこと=諦める、自分のことだけを考える」という意味ならば、僕はそれをオススメはしないかも。

それはあまり自分にメリットが少ないもの、と考えられるからです。

より人との関わりが減ってしまい、分離が強まってしまうと、自分や人に期待しないようにと思ってもつい期待してしまう状態になってしまう可能性が高いのです。

そもそも期待することって、自分にはない、できない、足りないと思っていることでしょ。

これを諦めるってのはいわゆる我慢するってことですから、やっぱり苦しいし、その我慢はいつか爆発する恐れがありますよ。強い要求となってドババ〜っとでてしまうことが少なくないものですから。

また、そもそも心の世界には「否定形は存在しない」といいます。

「期待しないでおこう」という意識は、「期待の対象に強い興味を持った状態を思考で打ち消している」ということなので、「期待」に対する意識は消えず、むしろ強化されるんです。

だから、期待しない、期待しない・・・と考えているだけで、どんどんイライラしてきます。

期待しているのに期待しないようにするから、イライラするんです。そして期待したものが手に入らないとき、「期待していなかったんだから」と自分を慰めてもがっかりしちゃうものなのです。

そんなときは・・・まぁちょっとやり方があるといえます。

「期待しない」と考えるのではなく、期待自体を不要とする自分に近づけばいいのです。

期待は与えることにフォーカスすれば乗り越えられる

見返りや共感(相手からの良い反応)を期待ぜずに人と接していく事は、人として成長に繋がるでしょうか。

うーん、すごく申し訳ないんですが、見返り共感を求めないことで成長するかどうかは僕にはよく分からないんですよ。

そもそも人って期待するし、見返りを求めたくなることがあって普通だと僕は思っているので。ただ、期待だけをしていても確かに辛くなることは増えるかもしれないんですけどね。

もし、期待の罠を超えることを考えるなら、期待する以上に「自分が与えられる」という自信を感じられればいい、と僕は考えています。

なぜなら、期待の裏に隠れた心理が「不十分な自分」だから。それは真実じゃないよ、という実感が伴えば、期待も自ずと手放せていけますよ。

最もシンプルな方法が「今までの自分の価値を見る、受け取ること」で、その価値を誰かに与えるイメージを持つこと。

例えば、ご質問にあるように「彼にプレゼントを渡してなにこれ?」と言われたとして、傷ついちゃうかもしれないですしそのお気持ちは分かるんですけど、愛を伝えたのは誰よ、という視点は絶対に忘れないでほしいのです。

きっとたくさんたくさんそんな経験をあなたは積んでいるはずなのです。だから、まずその自分を受け入れてあげてください。

これを続けていくだけでも、何かに期待して傷ついたり苦しむことはなくなるものですよ。

そのときに「傷つく自分が悪い」とも考えないこと。悪いんじゃなく「傷つく事情がある」ということなので、その事情に興味を持ってみるといいと思いますよ。

例えば、僕たちが大人になってみて初めて気づく事実ってあるでしょ?

自分って「かつて思い描いたような理想の人間じゃなかった、こんなもんかー」という事実とぶつかって、ちょっと残念な気持ちを感じたことってないでしょうか。

それも一つの自分への期待なんですけど、ここはその自分を受け入れていけばいいんです。あまりいい気分にはならないかもしれませんが、コレも自分だなー受け入れてみる。

その上で、例えば、今の自分が決めた目的をやり抜くという経験をしていくと、自分への期待を確信や自信に変えていくことができますよね。

自分から与える、自分を磨く、結果を出す、そういったプロセスを通じて期待を手放せるようになっていくわけです。

すると、なかなか気づかないんだけど、いつの間にか自分や人への過度な期待は手放すことができるものです。

もちろん、自分の実力や魅力を過小評価してしまっていて受け取りきれていないなら、それを受け取ることで不十分な自分を乗り越えていくこともできるでしょう。

つまり、期待で傷つくことが増えたなら、期待しないことを考えるよりは、今の自分の感覚を信じて、決めた目的に向かって邁進したり、自分なりに周囲や相手のことを考え「心から与える」ことが求められているといえます。

相手への期待(相手がどうこう)ではなく「自分がどうありたいか」「自分が今ある状況をどう捉え、どう解釈するか」と考えられるようになると、人は失望しなくなります。

たとえば、自分の努力などの結果が失敗に終わると、やっぱり悔しいし、悲しいし、しんどい思いをすることがありますが、自分で決めたことならその失敗を受け入れて次につなげていくことができますよ。

しかし、どこか人に期待して決めていることは「自分の思ったようにならない」という結果が導かれたときに失望に変わるのです。

このような事例は本当にたくさん存在します。

例えば「親のために受験して失敗し半端ない挫折感を感じた」「家族が望むからいい会社に入ったがついていけなかった」「彼が望むから希望に応えたけど耐えられなくなって別れることになった」という事例がその典型です。

親のために、家族のために、彼のために、という思いはそれこそ愛情でしょう。それは誰も否定できないことだと思いますよ。

しかし、実際にそれが主体的な決断でなされたことではなかった場合、「自分の思ったようにならない」という結果による失望は、自分に対してだけでなく「自分は親、家族、彼などを失望させたのでは」という自責の念になり、さらに自分に対して強い失望を感じることになる、とわけです。

だから「期待」は「期待はずれ・失望の母」を僕たちの世界では呼ばれているのです。

これを僕は、主体的か、それとも非主体的か、という言葉で表現しているというわけです。

そう考えると「人に対する期待が多くなる」ということは、知らず知らずのうちに自分を信じなくなり、失望という多大なリスクを背負うことにもなるわけです。

もちろん期待すること自体、決して否定的に見つめる必要はないでしょう。

ただ、期待によって苦しい思いをしたり、傷つくことが増えるなら、一度、今の自分の思いが主体的なものなのかどうか、それは本当に自分が表現したいことなのか、などを見つめ直すときといえるかもしれませんね。

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