恋愛・夫婦の心理学

「失ったなにか」へ執着とその手放し方

「失ったなにか」へ執着とその手放し方

いきなりですが、実は僕のブログで意外とアクセスが多い記事がこちらなんですよ。

愛情と執着の違いについて愛情と執着の違いについて今日はまとめています。そもそも執着とは「自分のためになにかにしがみついている状態」で、相手を愛している状態とは全く異なるものなのですよ。...

「愛情と執着の違いについて」の記事なのですけどね。

執着という言葉ってどこかネガティヴに響きやすいようで、だからこそ「執着」という言葉に敏感に反応される方が多いのかな、悩まれている方が多いのかな、と思っています。

実際、カウンセリングの中でも「今の気持ちが執着ならば私に問題があるのではないか」というご相談は意外と少なくないものです。(少なくないからこそ記事にしているという側面もあるのですけども)

(※ちなみに「執着」は「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと」であり、「執着心」は「何かを失うことを恐れ、しがみつきたい気持ち」という意味です。)

ただ、執着といいましてもいろんな形がありまして、気づきやすい執着から気づきにくい執着まで様々あるんですよね。

ということで、今日から4回に分けで、いくつかの執着の形とその手放し方についてまとめていこうと思います。

第一回目は「失ったなにかに対する執着編」

よろしければどうぞ。

「失ったなにか」への執着とは

例えば、失恋や離婚、死別などもう会えなくなった人。

自分の過去にあった何かしらの存在。

もう過ぎ去っていったあの頃。

こういった「過去」や「今はもう無くなったもの」に対して心をとらわれて、そこから離れられない状態になる執着の形があります。

「あの頃はよかった」という気持ちもそうですし、別れたパートナーのことを考え続けてしまうこともそうでしょう。昔の成功もそうでしょうし、実際にもう会えなくなった人などへの思いが整理できずにいるばあいもあるでしょう。

これらは「失ったなにか」に対する執着といえます。

このような失ったものに対する執着心は「今あるものの価値」を見いだせなくなるという意味で、僕たちの問題に繋がりやすいものです。

例えば、すでに別れた元パートナーのことがどうしても気になって、今のパートナーを愛せない(魅力を感じない)、とか。

近しい人が亡くなった悲しみがなかなか癒えず、今ある人間関係の価値を感じられなくなってしまった、とか。

昔の成功ばかり思い出しているうちに、今の自分をちっぽけに感じてしまう、とか。

今までの人生の中で「失ったもの」や「今はもう会えなくなった人」などに対して執着するからこそ、今の幸せや物事の価値が見いだせなくなるわけですよね。

最も悩ましいのは無意識的に「いまの自分が関わっている人やモノ(仕事もそう)」など「今あるもの」の価値を下げることにより傷つけてしまいやすいことにあります。

全く悪気はないにせよ、過去と今あるものを比較して、今あるものの価値を見つめることができなくなると、「自分は今あるものの価値を見ていない、むしろ傷つけてしまっているのではないか」という罪悪感を感じやすくなるんです。

ただ、この形の執着は執着は、執着している人も、それを見ている人も、お互いに苦しみやすいことが特徴になるでしょうか。

そもそも失ったものへの執着は「失った物の価値」を感じているからこそ起きることなのでしょう。価値がないものに対して執着することは稀でしょうから。

しかし、失ったものへの価値を見ようとして、しかし実際にはそれに心が囚われてしまうと、意識としては「自分は過去の価値を感じているだけ」にも関わらず、自分や今あるものも価値を失ってしまうのです。

まぁ僕も心情としては「ついそういう気持ちになることもあるよね」と思うのです。

が、この執着を長く続けると「今を大切にできない」わけですから、イメージとしては「自分自身が今あるものを傷つけ続けるナイフのようなもの」のように感じます。

これ、悪意なき(無意識の)ハートブレイカーの典型的なパターンだと言えますね。

 

「失ったなにか」に対する執着はどうして起きるのか

では、「失ったなにか」に対する執着はどうして起きるのでしょうか。

先に「失ったものの価値に見ようとするから執着が起きる」と書きましたけど、実際は「価値を見ているようで、そうではない」から執着になるのですね。

そもそも執着しているときは、自分自身の心が不自由ですし、なかなかいい気分は感じません。

いい気分を感じない状態で本当に物事の価値を感じられるのか、というと、なかなか難しいですよね。

実はですね、この「失ったものの価値を見ようとすること」が、「何かを失ったことで感じる喪失感、悲しみ、寂しさ、痛みなどの気持ちを感じないための防波堤」として作用しているんです。

いわば、失ったことで感じる様々な感情が、未だ整理されず受け止めきれていないときに、この執着は起こる、というわけです。

 

例えば、昔のパートナーの良さを思い出して、今のパートナーの良さを感じられないとしたら、これは自分自身にとって不都合な状況ですし、罪悪感を感じやすいものですよね。

しかし、そこで感じる不都合さや罪悪感より、「すごくいい思い出ばかり思い出す昔のパートナーと別れた(失った)」という事実のほうが痛くて辛いと感じる場合、昔のパートナーのことを思い出すことでその痛みを感じないようにしているのです。

それぐらい「別れた」という事実が辛い、だからまだ向き合えない、という可能性が高いといいますかね。だから人によっては「また、昔のように戻れないかな」と想像の世界に入り込むこともありえるかもしれないですよ。

ただ、いくら「失ったなにか」への思いを強くしても、その「失ったなにか」の価値を見ているわけではないのです。

「失ったなにかの価値を知っている」ということは、「それが幸せになる価値がある」と認識することですからね。

例えば、昔のパートナーの価値を見ているのであれば、「私と出会ってくれてありがとう」といった感謝や「私じゃなかったかもしれないけど、でも幸せになってね」と思えるものです。

むしろ、「昔のパートナーの価値を知っているのは私だけ」は執着です。そうあってほしいと思う気持ちはよく分かりますけどね。

もちろん、大切な何かを失ったことで感じる喪失感、痛みは当然のことながら辛いものです。できれば受け入れたくない、受け入れずに済むなら楽だと感じる人も少なくないでしょう。

しかし、このような感情を受け容れず我慢し続けていると、ふと失った物や人などの記憶に執着し囚われてしまい、結果、「失ったなにか」と「今あるもの」と「自分自身」の価値を見失ってしまうというわけです。

なんとも切ない話ですけど、意外と少なくないご相談案件のひとつなんですよ。

 

「失ったなにか」への執着を手放す方法

この執着を手放す方法は「失ったなにか」の価値を本当の意味で見る、ということに尽きます。

例えば、失ったなにかに対する「感謝」がそれに当たります。

もう会えなくなった人、過ぎ去った過去に対して心からの「出会えてよかった」「ありがとう」などの感謝の気持ちを持つことによって、「自分自身が失った何かの本当の価値」を受け入れることになるのです。

ただ、このとき「失った」「今はもうない(会えない)」という喪失感も当然ながら出てくることがありますよ。

だから、感謝できない、失ったなにかの価値を見て幸せを願うなんて難しい、というお声も飛んでくるのです。

ただ、失ったなにかの価値を見たり、感謝の気持ちを持つこと自体に「自分の気持ちを完了させる」という効果があるのです。

少し想像していただきたいのですが、例えば「どうしても別れたくなかった」と思えるパートナーに対して「今までありがとう」と伝えるとしたら、それって「別れを自分で認めて受け入れることになる」って思いませんか?

これが完了なんですよ。事実を受け入れ、そして認めること。

これが喪失感を刺激すると、ものすごく辛いんですよね。(※だから僕たちカウンセラーがサポートさせてもらってる、という感じでもあるのですが。)

ただ、これを続けていくと、徐々にですが、過去やなくなったものへの執着より、感謝が大きくなり、自分の中で「手放し」が進みます。

ここで本当の意味で「失ったなにか」の価値をちゃんと感じられる自分、つまり「ちゃんと愛せている自分」と出会えるんです。こうなると自分の心はレベルアップしたような状態になりますから、自分自身の価値も感じられ、どこかスッキリと自分を誇らしく感じられるようにもなりますよ。

 

そもそも「失ったなにか」へ執着は、「自分自身が大きな価値を感じていた」からこそ、起こること。

ならば、最後まで「その価値を見続ける自分」でいることが、この執着を手放す方法だということなのですね。

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