ほぼ30代からの心理学

罪悪感と無価値感 〜心理学の用語解説〜

罪悪感と無価値感

罪悪感と無価値感のシンボル

「罪悪感」とは、「自分は罪な存在」「罰せられるべきである」「幸せになってはいけない」などという感覚をもたらす感情です。

「無価値感」とは「自分は愛される価値がない」という感覚をもたらす感情です。

罪悪感を強く感じていると、すべての愛を拒否し、受け取らない、与えない姿勢を示すようになります。

無価値感を強く感じていると、自分をとてもちっぽけに扱い、愛を受け取らず、与えない姿勢を示すようになります。

それゆえにその行動は「補償行為」となり、やがて燃え尽きてしまうことにもつながります。

なお、補償行為とは、なにかを補おうとする、埋め合わそうとする行為です。

簡単に言えば、「自分の悪いところを隠そうとする」心理であり、「隠せばうまくいく」と思っていることです。

※補償行為に関する解説は次のページをご覧くださいね。

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「罪悪感」は罪を償わないと幸せになれないと感じさせる

罪悪感は、幸せを阻む大きな障害になります。

なぜなら、罰せられなければならない自分は、罪を償わなければならないと思うため、幸せを受け取ったり、幸せになることを自分に許すことができないからです。

また、罪悪感を強く感じていると、人の愛を拒絶するようになります。

今の自分は罪深い、幸せになってはいけないと思っていますから、人から差し出された愛や支援を強く拒絶するのです。

だから、自らに笑い、楽しみ、喜び、嬉しさ、といった思いを感じることを許すことができません。

逆に、苦しみを感じながら生きていくことを無意識に選んでいきます。

まるで厳しい修行を行う修行僧のように自らを追い込むことで、やっと罪の償いができると思い込んでいるからです。

また、「罪悪感」は心の様々な層に存在しています。(罪悪感の形態に関しては後述します)

誰もが、罪悪感を感じるのが嫌なために、潜在意識や無意識の中に閉じ込めようとし、普段はそんな思いがあることに気がつきません。

すると、意識の上では、「自分が望んでいないと思っているのに、苦しい状況や不幸な出来事と出会う」といったことが起こります。

「無価値感」はそのままの自分では愛されないと感じさせる

無価値感が強いと 自分のことを過小評価してしまいます。

なお、無価値感が強く感じていると「そのままの自分では人に認められない、愛されない、愛される価値がない」と感じます。

そのため、人の愛や支援が受け取れなくなってしまいます。

今の自分では人に認めてもらえないと思っていますから、人から差し出された愛や支援を疑ってしまい手にしないのです。

また、無価値感を強く感じていると、必要とされない、愛されないという「怖れ」に結びやすくなります。

その結果、疲れても努力をし続ける、何かをやり続ける生き方を止めることができなくなります。 

罪悪感・無価値感とのつき合い方

罪悪感と無価値感との付き合い方についてご説明しておきます。

まず「気づく」こと

罪悪感や無価値感を、自覚できる場合もありますが、無意識に感じている場合、気がついていない場合のほうが多いと言われます。

誰もがネガティブな感情を感じたくないものですが、特に、罪悪感はその大きさが大きいため、無意識に感じないようにしている場合もあります。

だから、もし何か問題が起きたならば「自分は罪悪感や無価値感を感じているのではないか」という視点を持つこと。

それによって「そこからどのように抜けていくか、対処していくか」という方向性が生まれます。 

罪悪感・無価値感を感じていることを受けいれる

 自分が「罪深い」「愛される価値がない」と感じていることを責めるのではなく、無理に変えようとせず、そのままその存在を認めること、受け容れることです。

「罪悪感」「無価値感」をゼロにすることはできません。

人である以上「罪悪感」は必ず感じるものです。

生きている間になくなることはないのだ、と知ることで、上手につき合っていこうという意欲が生まれます。

感じることが妥当な分だけ感じること

罪悪感や無価値感は、感じることが妥当な大きさとなっていることが重要です。

例えば、悪気なくミスをしたときも申し訳ないと感じる、ならば、それは妥当です。

しかし、もう会社にいてはいけない、誰にも顔を合わせられないと思うなら、それは明らかに行き過ぎています。

必要以上に大きくなっている罪悪感や無価値感があるなら、それはまた別の要因の影響で強くなっているのかもしれません。

そのような他の要因や、自分自身への疑いなどがあるなら、そのような誤解を解く、心を見つめ直すことが有効になるでしょう。(カウンセリングなど)

許すことと与えること

罪悪感や無価値感という感情を強く感じると

「すべての愛を拒否する、もしくは疑うという形で、受け取らない、与えない姿勢を示す」ようになります。

ということは

「自分から許せない誰かを許す」
「人の事情を理解する」
「人に与える姿勢を見せる」

などの「許すこと」「与えること」などの行動を取ることで

人の愛を受け取らない、与えない姿勢を解除することができます。

その結果、罪悪感や無価値感の影響を小さくすることができると言われています。

ただし、この難しさは「補償行為」となってしまいがちなところです。

つい、許されたくて、愛してもらいたくて、許したり与える姿勢を見せてしまうと、いい効果は得られません。

心から許す、心から理解する、心から与える。

そんな意欲こそが罪悪感や無価値感を癒やすのです。

罪悪感の種類について

最後に罪悪感の種類、心のの中でのあり方についてまとめておきます。

誰かを傷つけたという罪悪感(加害者)

「誰かを傷つけた」「何かを壊した」「悪影響を及ぼした」といった、最もわかりやすい罪悪感です。

一般的な意味での罪悪感という言葉は、この罪悪感を指すことが多いでしょう。

具体例

  • 妻とケンカしたとき、妻を傷つけるようなひどい言葉を言ってしまった。
  • 仕事で大きなミスをし、取引先・同僚に多大な迷惑をかけた。

助けることができなかった、役に立てなかった罪悪感(無力感)

これは「助けたい」「救いたい」「支えたい」「役に立ちたい」と思ったけれど

力及ばずうまくいかなかった場合に生まれる罪悪感のことです。

「無力感」とも表現できますね。

具体例

  • いつも苦労しているお母さんを助けようとて、いい子にしていたり、お母さんの味方になり励ましたりしていたが、母親は一向に元気にならなかった。
  • 同僚の仕事をサポートしたが、むしろ足手まといになってしまい心苦しい。
  • 困っている人を見ると放っておけず、恋愛でも傷ついたパートナーばかり求めてしまう。

何もしていない罪悪感(見捨てた)

これは「何もしていない罪悪感」と呼ばれるもので、最も手強く、許しがたい感覚をつくる罪悪感です。

いわば、私は何もしなかった、見向きもしなかった、手を差し出さなかった、見捨てた、といったもの。

自分が何もしていないからこそ、誰からも責められないのですが

長く「あのときこうしておけばよかった」「なぜあの時何もしなかったのか」と

強く悔やむことや、日常の中で漠然と「自分が悪いのでは」と感じる理由となりやすいものです。

具体例

  • 子供の様子の変化に気づいてたが「きっと一時的なものだろう」と思って見過ごした。
    しかし後日子供が学校にいけなくなってしまった。
    母親は「なぜあの時気づいていたのに何もしなかったのか」と責めることになった。
  • 社内で周囲から不当な批判や攻撃の的になっている同僚の仲間がいることは知っていた。
    が、自分は何もしなかった。
    その時自分は「自分が標的にならなくてよかった」としか思えなかった。
    後日、その同僚が心を病んで入院し、数カ月後に会社を去ることになったと知った。
    それから「なぜあの時傍観していたのか」という気持ちが消えないままとなった。
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チリツモ型罪悪感

これは、罪悪感を感じる経験が積み重なることで

自分が毒だ、穢れている、幸せになってはいけないと感じるようになる罪悪感です。

この罪悪感は明確な原因が特定できることが少なく、自覚しにくい性質があります。

そのため

「いつの間にか人生がうまく行かなくなっていた」
「気づいたらうまくいかなくなっていた」
「いつの間にか幸せになってはいけないと思うようになった」

という状態つくることが多いです。

具体例

  • 学生時代は人と関わることが苦しくなかった。しかし、就職し困難で責任ある仕事を任されていく内に、次第に人の目を気にするようになり、人付き合いが億劫になっていた。
  • 気づかない内に自己破壊的な行動に出ていることがある。
    (アルコールを大量に必要とする、ジャンクフートばかり食べる、恋人に攻撃的になる、パートナーの重荷を背負おうとする、など)

親・家族・パートナーの罪悪感を背負う

これは「家族、親、恋人、子供を助けたい」という気持ちが強い人に生じる罪悪感です。

人の感情など背負えるものではありませんが

あまりに相手を助けたいと思う人の中には「相手の罪悪感を自らも背負おうとする」ことがあるのですね。

具体例

例えば、仕事で失敗して辛そうにしている夫がいたとしましょう。

その夫が妻に当たり「お前は何も分かってない!」と言ったとしましょう。

すると、助けたい系の妻は「そうだよね、私が悪いんだよね」と思っちゃうわけですよ。

もし、妻が夫の邪魔をして、その結果夫の仕事が失敗したならば、この考え方で筋が通ります。

しかし、そんな事実がないのであるならば、夫の罪悪感と妻の存在は無関係です。

が、助けたい人は助けたい人の中にある罪悪感を受け継ごう(背負おう)とするのです。

ときには、自分の中に同じような罪悪感

「(夫が)仕事で失敗したのは私のせいだ」を自分の中に作ることもあるんですね。

このような方には

「あなたが罪悪感を背負っても相手の罪悪感は消えませんよ」

とお伝えすることになるのですが、なかなかそれでもやめられないのです。

そんなとき、僕はこっそり

「あなたが自分自身や相手を愛してあげると、相手の罪悪感は小さくなるかも?」

とささやくのです。

恵まれていることへの罪悪感

これは「自分が恵まれていること」に対する罪悪感です。

恵まれていることはすばらしく価値あることですが、その価値を受けとれないでいると罪悪感を感じるようになります。

その結果、他人から嫉妬されることを恐れるようになる人もいますね。

具体例

仲の良い友人の中で最初に結婚することになった。
友人の恋愛の話を聞いていると、苦労している友人もいて、その話を聞いている内に肩身が狭く感じるようになった。
また、仲間内では夫の悪口をいい始めるようにもなった。

なお、この他にも「原罪的な罪悪感」のように、さらに無意識的な罪悪感も存在すると言われています。

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