恋愛の心理学

ロマンティックな恋愛が苦手な人の心理

ロマンティックな恋愛が苦手なのにも理由がある

「私の彼、いい人なんだけど一緒にいてもつまんないんですよねぇ。」

「私の夫はつまらない人。どうしていつも講釈ばかりで頑固なのでしょうか・・・。」

「彼がこう言うんです。
『君の誕生日にちゃんとプレゼントしたんだからそれでいいだろ、それ以上何が欲しいの?』
私、キレていいですよね?もう最悪な誕生日でした!」

などなど、男女関係の中でロマンスの要素を楽しめないばかりに、別に意味で燃え上がってしまったり、つまんない関係だから別れなくなる、なんてお話を伺うことって少なくないですよ。

まぁ、人それぞれ得意な恋愛スタイルってものがありますから、一概にロマンティックな恋愛ができないことが悪い、と言えるものではありませんよ。

「ロマンスを楽しめない人なんて最低」ってのは言い過ぎ、だと僕は思います。

ただ、たしかにロマンスの要素がない恋愛って、気の抜けたビールっぽいよな、とも思う人がいても不思議ではないですよね。

こう、熱く燃え上がる恋愛でもいいし、イチャイチャベタベタする恋愛でもいいし、そっと思いやりを乗せる形でもいいんでしょうけども

愛し合うことの楽しさって大切なものですよね。

だから、ロマンスの要素をどこかに置き忘れたような恋愛って、次第につまんないと思うようになるかもしれません。

そんなお悩みをお持ちの方から

「そもそもロマンスを楽しめない人ってどんな心理状態なんですか?」

というご質問が飛んでくることもございます。

もちろんそれは本人に聞いていただければ一番いいのでしょう。

が、「それが聞けたら(ちゃんと答えてくれるなら)いちいちスマホで検索してないわ!」

という話かもしれませんねぇ。

ということで、今日は「ロマンス(ロマンティック)な恋愛が苦手な人の心理」について軽くまとめておこうと思います。

よろしければどうぞ。

ロマンティックを感じる依存的なマインド

そもそもロマンティック感を味わう、楽しむなど、ロマンスの要素とは依存的なマインドが司っているものです。

みなさんが好きな言葉で言えば「女性性」となるのだけど、そもそもこの言葉は意味として非常に深すぎる言葉なので、今日はあまり使いませんよ。

簡単に言えば

「ロマンティックさを味わいたいなら、ある程度、自分の依存心に許可を出す必要がある」

ってことです。

そもそもねぇ、気合の入ったロマンティックさなんてナイでしょ?

だから、ロマンスを味わうならば、ちょっと惚れっぽくて、大人っぽさも出ていて、同時にどこか初心で純粋な自分でいることが求められる場合も少なくないですよ。

かつ、相手の素敵さ、美しさ、魅力を存分に味わえるマインドが必要、といいますかね。

ロマンティックな恋愛が苦手な人のマインド

つまり、ロマンティックな恋愛が苦手な人とは

『ロマンスの要素を司っている「依存的なマインド」が嫌い、苦手な人』

だと言えます。

自他共に、依存心や依存の要素を「キモっ!」「子供っぽくて嫌」「ウザっ!」「迷惑なんだよ!」などと嫌っている人ほど、あまりロマンティックな雰囲気に馴染めないかもしれません。

まぁ馴染めないから恋愛が難しくなるとは限りませんが、馴染めないことで恋愛がつまんなくなるなんて可能性も否定はできないと僕は思います。

また、依存嫌いな人って、自立的なスタンスに依存している、なんてことが多いんですよ。

いわば、バランス良く自立していると、依存心も許可できたりするのですけど、依存嫌いになるほど依存を否定していると、自立的なスタンスに執着しちゃうこともしばしば起こります。

要は、依存は悪で、自立は正しい、という価値観が出来上がっちゃうんですよね。

だから、いざロマンスを味わおうとしたり、他人がロマンティックな世界観の中で過ごしていると

「ありえない!」「甘えすぎ!」「だからダメなんだって!」

なんて思うようにもなるといいますかね。

まぁこれも僕たちの観念の影響でしょうし、ここにいいも悪いもないわけですけども。

どうしてロマンティックな恋愛が苦手になるのか?

では、どうしてロマンティックな恋愛が苦手になるのか、というお話をまとめます。

誤解を恐れず表現すれば

「依存時代に十分に依存心を満たせなかった」
「依存心は悪いものだという観念が出来上がった」

そんな状態にあった人ほど、まぁ依存心を禁止しやすくなるということなんです。

私達の学ぶ心理学では

依存時代:「いかに愛されるかを学ぶ」
自立時代:「いかに傷つかないかを学ぶ」

そんな考え方があります。

私たちが何もできなかった子供時代(依存時代)から、オトナになるために自立するとき

「えぇい、依存心なんて邪魔だ!何の役にも立たん!」

そんな風に依存心を嫌って、「いかに愛されるか」ではなく「いかに自分で成功するか」「うまくやって傷つかないか」に価値を見出す場合があります。

どこか「自立」に価値や自分が生き抜く方法(傷つかない方法)を見出すのですね。

だからオトナになった今も、どこか「依存」「女性性(優しさ・自愛・寛容さ・理解・包容力など)」に、あまりいいイメージがない、という方がいても不思議ではないのです。

いや、意外とよくある話かなと思います。

つまり、「依存なんてものはろくなものじゃない!(≒自立的なスタンスが正しい)」と思っているわけですからね。

恋愛でも、いわば感情的な要素は切り離し、愛し愛される要素も切り離し・・・

何が効率的で、何が生産的であるか、なんて発想が強くなるんです。

このような人にとって、恋人とベタベタする時間って無意味で非生産的なものになるんですよ。

だから

「何イチャイチャしてんねん!(そこになんの意味があるねん!)」

「イチャイチャするだけで飯が食えるのか!」(そもそもイチャイチャするだけで飯をくおうと思う人はいないと思うのですが・・・)

なんて発想に至る人がいても不思議ではないわけですね。

 

ただ、この声は「そんなに依存的になったらまた傷つくじゃないか」という意味であったりもするのです。

それぐらい「いかに愛されるか」を学ぶ時代で、人の愛や理解などから遠ざかっていた、そんな事情があったということを案に示す場合が少なくないのです。

ロマンティックな恋愛が苦手な人は傷つきたくない人でもある

つまり、ロマンティックな恋愛が苦手な人って、それが恥ずかしいと感じるだけでなく

「依存の要素を許可したら、自分が辛くなる、苦しくなる、また傷つく」

そういった過去から抱えているハートブレイクや観念を抱えている可能性があるんです。

もちろん当の本人さんもその自覚はないと思うのですけどね。

なので僕は

「依存嫌いな人って、これ以上傷つきたくないだけなのかもしれませんよ」

とお伝えすることがあります。

逆に言えば、依存嫌いな人の意見・行動パターン・考え方を否定するとめっちゃキレられるかも?ともお伝えすることがありますよ。

「いかに傷つかないか?」を必死こいて考えて手に入れた「自分を守る要素」を否定されたら、そりゃ怖いし、悲しいじゃないですか?

だから、相手はその恐れや悲しみを感じたくなくて怒るかもね〜と。

そして、そのような方を否定的に見る必要もないと僕は思うのですよ。

むしろ、その気持ちや事情は理解する必要があるよね、と思うんです。

そうでなければ、依存嫌いな人が依存嫌いになった理由、「いかに愛され、理解されるかが手に入っていない」という部分をより強化してしまうことにもなるからです。

だから、ロマンスが苦手な人や依存嫌いな人を闇雲に批判しても、あまりいいことはないかもね?とお伝えしています。

最後に

最後に、「もしあなたのパートナーがロマンスが苦手な依存嫌いさん」だった場合。

まぁ、恋愛ってお互いに対等な立場で向き合うものと考え、「そんなに依存が嫌いな人とは一緒にいられないわ」と思うなら、それもありかなーと僕は思います。

ただ、そうではなく、その相手と一緒にいたいと思うならば

まず、「相手は私によって癒やされる」ぐらいの認識があっていいと思います。

その上で、あなた自身が無理しないように、心の支えや癒やしはたくさん持っておいたほうがいいと思います。

そもそも自立的な発想に拘る人は、傷つきたくない人や失敗したくない人が多いもの。

だから、自立的な発想に拘る人は、失敗しない方法や傷つかない方法をたくさん教えてくれるのです。

今を楽しみ、味わう方法はあまり教えてくれませんし、提案してくれません。

そんな相手のあり方を「もしかしてこれ以上傷つきたくないと思ってるの?」と考ることができるなら、相手の扱い方も徐々に見えてくるのではないでしょうか?

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