恋愛・夫婦の心理学

「恋愛運がない」って思ってしまう時の気持ちの立て直し方について考えてみた

「恋愛運がない」って思ってしまうときってないですか?

恋愛運がないと思いこむ女性

今日もリクエストをいただきました。

私ってやっぱり恋愛運がないんでしょうか。

いつも彼と別れてしまうし、なかなかいい人と出会わないし、今までいい恋愛をしたことがないんです。

普段から誠実に、人に迷惑をかけないようにしているつもりなんですけど、どうして恋愛だけうまくいかないの?と思ってしまいます。

やはり恋愛って運(運命)による部分が大きいのでしょうか。

もし運で決まるなら、私にはどうしようもないことなのでしょうか。

恋愛と言えば運命論、ではないですけど、いわゆるディスティニー(あえてカタカナ)に身を委ねてしまう方もいるとかいないとか。

確かに長くカウンセラーをさせていただいていると、「私ってついていないんです」というお声を伺うこともありますよ。

確かに僕たちの毎日は「運」によって左右される部分があるといえると僕も思います。

しかし、「運」がすべてだとは到底言えないことだとも思うのです。つまり「運」以外の要因によって人生が決まることもあるんじゃないか、と。

そこで今日は「運がないなぁ」と思いがちな方に向けたコラムにしたいと思います。

よろしければどうぞ。

運が自分の人生に影響することはあるのか?

これは人それぞれの考え方の違いなのでしょうが、私達の毎日は「運に影響されると思う人」もいれば「運なんて関係ない、意思と努力次第」と考える方もいるでしょう。

それにいいも悪いもないんだと僕は思います。それこそ個人の価値観の一部だと思いますしね。

ただ、僕が「ねぇ浅野さん、やっぱり恋愛って運なんですか?」と聞かれるとしたら

「運の要素はあるけど、そこまで大きくはないって考えるのが妥当じゃないでしょうか」

と答えるかもしれません(というか答えてるし(^^;)

つまり、運が自分の人生に影響することはあるのか?と聞かれれば、「きっとそうだ」と答えますが、運がないから幸せになれないのかと聞かれれば「そんな恐ろしい世界で生きるのは嫌だ」と言うかもしれません。(すでに言うてるし・・・)

実はですね、心理学の中の原因帰属という考え方の中に面白い考え方があるのです。

その考え方を用いれば、運が影響しないことはないだろうけど、運が全てであるとは言えない、と考えられるのです。

運がないと考えるのは「問題解決したいから」

詳しい話は省略しながら書き進めますが、心理学でいうところの「原因帰属」とはなんぞやと申しますと、いわば「他者や自分の行動の原因や理由を解釈し、推測する過程のこと」です。

要は、他人だったり、自分自身の行動があって、その行動に至った経緯や、その行動によって起きた結果について「何が理由なんだろうと推測すること」「そのように思うことで問題解決しようと試みている」という意味です。

今日はまずこのあたりの話をサクッと解説します。

運とは「自分の外にある不安定なもの」

もしあなたが、「私にはもはや恋愛運がない」と思うとしたら、あなたは自分を責めているのではなく、運が無いと考えることで「自分の問題解決をしようと試みている」のでしょう。

何も理由を考えず恋愛がうまくいかないと考えても、確かに解決の糸口は見いだせないですよね。

だから「もし私に恋愛運がないとしたら」と考え、その考えを握りしめ(だから運が無いんだと強く思い込み)、その上で「恋愛運が上がるにはどうしたらいいか」と考えるのではないでしょうか。

これは、その方法がいいかどうかは別にして「自分の問題を解決しようとしている姿だ」と見ることができるのです。

ただ、「運」とは「自分ではどうしようもないもの」であり、運がもたらす結果ってとにかく不安定なのですよ

そういう意味では問題解決への精度は低くなってしまうのです。

例えば、運といえば「宝くじ」。それが当たるとするでしょう?

これは「運が悪い」とは言えず、どうしても「運がいい」なるわけですよ、やはり。

が、実際、その運がどれだけの幸せを運んでくるかは別の話ですよね。

いわば何等が当たるかなんて分からないし、コントロールできませんよね。

その結果得られたものが末等だったとしたら、まぁめっちゃ幸運だ!とよろこぶ人は稀かもしれませんよね。

そう考えると、「私には恋愛運がない」と考えてしまうのは「もう自分ではどうすることもできない」という気持ちが強いときなんじゃないか、と僕は思うのですね。

そう思えば思うほど、多少の幸運の結果では喜べなくなるとかね。

なーんていうんでしょう、「もはや人生一発代打逆転満塁ホームランでも打たないと納得できない」みたいな気分になるんでしょうね。

つまり、「自分の運のありなし」だけで自分のあり方を推測してもどうしようもないってことかもしれません。

しかし「自分の運を信じてみる」「運を掴むように日頃から心がける」はいいことなんじゃないか、と思うわけです、僕は。

人生何があるかわからんですからね。不意に意図せず幸運に恵まれることだってあると思うんですよ。

課題の難易度は「自分の外にある、しかし安定しているもの」

実は運以外にも僕たちが「問題解決を図る視点」が存在します。

その一つが「課題(の難易度)」です。

課題の難易度とは、テストで言うなら「テストの難易度」のことですな。

恋愛で言うならば、「今好きな人と関わりよりよく過ごすことの難易度」です。

そのまんまですけど、課題が難しいと結果が出にくく、簡単だと結果が出やすいわけです。

で、この難易度は自分の内面的なものではなく、いわば向き合っている事実などの難易度ですから、自分がどうのこうのできる話ではないのです。

これは、例えばテストの例なら「テストが難しかったんだからいい点取れなくてもしょうがない」と考えやすいことを意味します。

恋愛がうまくいかなかった場合なら「難しい彼を好きになったんだからうまくいかなくてもしょうがない」的な発想に繋がるわけです。

確かに難しいテスト、難しい課題に取り組むならば、それなりの難易度になることは間違いなく、それによって結果が左右されることは事実でしょう。

ただ、いつも「目の前の課題が難しいから失敗する」だとか「難しい彼だったからしょうがない」と思うことで、あなたの気持ちは本当に納得するんでしょうか?

特に本気で取り組んだことならばなおさらに。

その本気、あなたの意思、もっと認めてもいいんじゃないかなと僕は思うのですけどね。

結果はどうあれ、自分を受け入れる、認める方向に進めない人ほど

「こんな簡単な課題、誰でもできるよ(自分ができたことに対した価値はない)」

なんて考えすぎるようになるようですよ?

努力とは「自分の内面にある、不安定なもの」

さて、いろんなお話を伺わせていただいていると、とかく真面目な方から「何でも努力次第で叶うと思うんです」というお声を伺うことがあります。

確かに自分の人生に起きることについて、しっかり自分で受け止め、自分の努力次第で道は開けると信じられることは大変に意味あることだと僕は考えます

そう受け止められるからこそ、自分を成長させられるし、困難と向き合ってもヒヨらず、常に学ぶ意欲も湧いてきますよね。

これ、恋愛でいうなれば「彼とうまくいかなかったのは私の努力が足りなかったから」と考えるってことですよ。

そのお考えはやはり悪いものではなく、「あなたはちゃんと愛せる方なんですね」と僕は捉えることが多いです。

そのように受け止められることにも価値がありますから。

ただし、「何でもかんでも努力でなんとかなる」と考えてしまうと、それはそれで問題になるケースがあります。

極端な例で言えば、気合と根性と努力で巨大な岩石を空手チョップで割るなんてことは難しいわけですよね。

つまり、確かに努力は尊いことですが、何でもかんでも努力でなんとかなるなら誰も悩まないんじゃ?と僕は思うのです。

確かに諦めず継続することに意味がある場合もあれば、さっと手を引く方がいい場合もあるよって話です。

このあたりの見極めがかなり悩ましいし難しいのですけどね。

だから、恋愛でも「もっと私が努力できれば関係改善できると思うんです」というお声を伺う場合、確かにそうなる場合もあるけれど、努力してもどうすることもできない場合もあると僕は見ています。

切ない話ですけどね・・・。

特に人の気持ちや恋愛の相性などに関しては、その人固有のあり方や価値観などが影響するものだからこそ、ある程度努力で変えられることがあったとしても、根本的に異なるのであれば、それはなかなか変えられない、寄せ切れない部分もあると思うんです。

そう考えると「努力次第でなんとかなる」と強く思う人は、確かに現実を受け止めようとされているという意味で素晴らしいですが、それにこだわりすぎることで時間やエネルギーをロスしたり、解決できない問題と直面することもあるやもしれませんね。

才能とは「自分の内面にある、安定しているもの」

最後は才能ですけども、これは自分の内面にある安定しているものですよ。

才能は自分に備わっているものであり、ちゃんと認識していい影響力を発揮すれば、自分の人生を好転させる大きな原動力になってくれます。

だからこそ、才能や魅力は見つけて、受け入れて、表現することがいい感じですよ。

ただ、本当に才能を実感しているとなかなか起きないことですけど、「私には才能があるから」と何もしないとすれば、それもまた考えどころなのかもしれません。

ここが才能の使い方、才能自体の用い方の難しさでしょう。

自分にはできる力があると自覚しているのに何もしない(だから才能はないんだと思い込む)となると罪悪感まみれになることもありますしね。

また、才能あふれる人ほど「周囲から嫉妬されること」もあれば、才能があるがゆえにできないことで苦悩することもあるようです。

ここには「自分の感じ方、受け止め方」がかなり影響していると思います。

また、ときどき「私には何の才能もない」なんてお声を伺うことがありますが、こういった人ほど「自分の身に起きた課題の難易度」ばかりみて、「それを超えられなかった私には才能なんてない」とお感じになっていることが少なくないようです。

この場合は、実は才能云々の話ではなく、いつも自分の内面以外の要素を見て行動してきた、なんて話が隠れていることも少なくないのですよ。

運は一つの要素でしかないのだから

ということで、僕の見解は

「恋愛運というものは存在してもおかしくないけれど、それがすべてだとは考えない」

となります。

これもあくまで一つの考え方ですが、しかし「運以外の要素」も存在するのですから、「運が全てとはいい難い」と僕は考えています。

つまり、運であろうと、それ以外の要素であろうと、その使用上の注意を誤ると自分を苦しめる理由になりえる、ってことですなぁ。

また、そもそもこの話は「原因が確定する」という話ではなく、「自分の行動の結果、その原因を推論する(問題解決する意識を持つ)」という話です。

明確な理由や問題解決方法を見つけ出しているわけじゃなく「自分はこんな理由があるかあうまくいかないと思う」と考えている、という話です。

もちろんそう思う方のお気持ちを否定するつもりはゼロですよ。

ただ、もし恋愛運がないと解釈することが「恋愛における問題解決への意識」だとしたら、それはそれでしんどいと思いません?

だから、できるだけあなた自身がその考え方から早く抜け出せるようになるといいですね。

これは自分自身が感じていることだから、自分がその気にならないと変えられないと思います。

誰かに「あなたは大丈夫だよー」と言われても「うるせー」としか思えないとしたら、まぁ切ないのは自分ですものね。

とここまで読んでいただいても

「でも、私には恋愛運がないとしか思えないんですけど」と思うあなた。

あなたはそれを理由にして、今の現実を理解し、気持ちのバランスを取っているのかもしれませんよ。

そのバランスのとり方を続けると「結局自分は誰にも望まれていないんじゃ」なんて思いかねません。

いわば「運」を「悪い意味」で使うと「全てから見放されている感じ」がしますから。

この状態で「誰かを愛する・与える」とすると、相当ハードルが高くなると思うんですよ。

なので、運は一つの要素でしかないと考えてみるのはどうでしょう。

その上で、自分の努力(自分磨きや自分癒やし)、課題の難易度、そして自分の魅力や才能について考え、良い影響力を使う方向に進んでみるのはいかがでしょうか。

カウンセリング・セミナーを利用する
カウンセリングを受ける

なりたい自分になるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。

カウンセリングのご案内ご予約可能時間のご案内

 

あなたの質問にお答えします

ブログ読者の皆さんからのご質問に浅野がブログ上お答えする「ネタ募集コーナー」は現在も継続中。よろしければあなたの訊いてみたことを↓のページから送ってくださいね。

ネタ募集企画のお知らせカウンセリングサービス・心理カウンセラー浅野寿和です。 いつもご覧いただきましてありがとうございます。 さて唐突ですが、この度このブ...