恋愛の心理学

「愛しすぎる」ということはあり得るのかについて考えてみた

「愛しすぎる」ということはあり得るのだろうか

愛しすぎる男女

さて、恋愛やご夫婦に関するご相談をいただいておりますと、ときどきこのような意味のご質問をいただくことがありますよ。

「やっぱり私が相手のことを考えすぎてしまうことも問題なのでしょうか」

例えば、彼や夫、彼女や妻、好きな人のことを考えすぎてしまうことが相手に対して悪影響を与えているのではないか、といったご質問です。

その答えを導こうとすると、僕も「結構難しいな〜」と考え込んでしまうこと多いんですよね。

いや、そもそも絶対的に正しい答えはないよな〜と思うのです。

何でもかんでも理論や理屈だけで判断できるものではないし、理論や理屈だけで判断できるなら誰も悩まんよなーと思うわけでございますよ。

例えばね。

大切な人のために心を尽くし、相手のために与える人がいるとしたら、やはりそれが問題、悪いこと、とは言えませんよ。

しかし、自分の愛からくる言動であっても、それによってやたら相手が葛藤するとしたら、その関わり方が正解かどうか分からなくなってしまいますよね。

また、与える側も相手に悪影響を与えたいと願っていないからこそ、自分の言動の結果が悪い方向に向かうことで自分を責めたり、傷ついてしまうこともありえるかもしれません。

その結果、パートナーとの関係が望まない方向に進むとしたら切ないですよね。

ということで、今回は「愛しすぎるということはあり得るのか」について少し考えてみたいと思います。

※以前書いたコラムも参考にしてみてくださいねぇ。

愛情を伝えすぎたから終わった恋愛もある相手が「共感」を求めている時は、共感側に回ったほうがいいというシンプルな話。たとえ私がどれだけ彼を好きであっても、その「好き」で相手が圧迫感を感じれば、ただただ相手の気持ちが冷めてしまうこともあるのです。...

「愛しすぎる」とはどういうことかを考えてみた

愛を届ける女性

さて、まず「愛しすぎる」ということが「あり得る」、そんな仮説があったとしたら、という話からはじめてみます。

もし、「愛しすぎる」ということがあり得るとしたら、「愛する」ではなく「すぎる」という部分が問題になるわけですよね。

愛するということが問題だと思ってしまうと、誰とも関われないし、そもそも人間に好意や愛情などを否定することになっちゃいますものね。

では、この「すぎる」という部分がどのような現実を引き起こすのか、と考えてみると。

僕は「相手を圧倒してしまう(競争に勝ってしまう)状態が生じやすい」ということではないか、と考えるわけです。

ここで働いているのは「競争の原理」です。

ここでの競争とは「いかに愛するか、与えるか、素晴らしいか」を無意識的に相手と競うということです。

言い換えるなら、「自分自身が何もできない、愛せない、頑張れない自分になること」を過剰に恐れていると、たとえ相手が大切な人であっても、無意識的に「自分のほうがうまく愛せているんだ」という証明をしたくなり、ついつい相手を負かしたくなってしまう、ということです。

その結果、いくら頑張っても「二人が幸せを実感できなくなる」というわけです。

つまり、もしあなたが愛しすぎているとしたら、相手はあなたのために何もできなくなってんじゃないのかな?という感じです。

あえてネがディブに響く言葉を使うとしたら「一方的な関係になっている」ということかもしれませんよ。

パートナーシップは対等な関係が理想

対等な男女

パートナーシップってやはり理想は対等な関係です。

お互いの違いを理解し合って、対等に向き合えることがとても重要。

自分だけが勝っても負けても、それはうまくいかないわけです。もちろん相手も同じですよ。

特に、勝ち負け、つまり、パートナーとの関係がいわゆる「競争」の様相を呈してくればくるほど、そばにいるだけでしんどいし、ドンドン一緒にいられなくなります。

その結果、うまく和解できればいいけれど、そうでなければ別れるか、もしくはお互いに自分を殺して付き合い続けるか、なんてことが起こるんですよね。

だから、やはり何事も「すぎる」ということは、お互いのバランスを崩す要因になると言えます。

もちろんこれは何も愛することだけに限った話ではなく、例えば「求めすぎる」「距離を取りすぎる」「お金を使いすぎる」「働きすぎる」「我慢しすぎる」「責めすぎる」なども同じことなのだと思うのですけどね。

やればやるほど二人の間のバランスが崩れる、というね。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」のまんまを行く話ですね。

もし、愛することで相手を圧倒してしまうとしたら

考え込む男女

そう考えると、もしあなたがパートナーを愛しすぎる傾向を持っているとしたら

「それは才能だよ」という視点と

「相手があなたを愛せなくなるリスクがあるよ」という視点

この両面を意識しておく必要があるのかな、と僕は思います。

どんなこともメリットとデメリットがあるように、愛すること(愛しすぎること)も同じなんだと思うんです。

特に先にも書いた「相手を圧倒してしまう(競争に勝ってしまう)状態が生じやすい」ということは、どこか理解されておくほうがいいのかもしれません。

これは「あなたから愛することを止めろ」と言っているのではなく、「相手の様子を窺い知ることも大切ではないでしょうか」というご提案なのです。

もし、愛することで相手を圧倒してしまうとしたら、相手は「あなたのために機能しない存在」となりかねないんです(二人の関係の中で、ですが)。

つまり、相手は「あなたという最愛の人を愛せないという苦しみ」を感じやすくなるよ、ということなのです。

これがあなたを愛する人にとってどれだけ苦しいことか、理解できますでしょうか。

例えば、あなたが怪我をして入院したとしましょう。

するとあなたのパートナーであるならば「すぐに駆けつけたい」と思うことが多いはず。

しかしあなたが「(心配をかけたくなくて)来なくていいよ」とパシッと断ったとしましょう。

その時、相手はどんな気持ちになるか、をすぐ想像できるかどうか。

いや、そこを想像した上で、相手の気持に対する配慮をした上で断っているのか。

それとも、自分の感情や考えだけで判断しているのか。

あなたが「相手に心配をかけたくないから」という気持ちも重要なものです。それが悪いわけでもないでしょう。

が、相手にもあなたに向けた気持ちがあるはずですよね?

ここも大事にする、いわば相手の好意をも大切にするということは常に求められていることではないでしょうか。

もし、あなたが「相手の気持ち」に関して腑に落ちないとか、よく分からないと感じやすいならば、もしかするとあなたは「自分の愛し方にこだわりやすい人」になりやすいかもしれませんね。

自分の愛し方(正しさ)に悪気なくこだわりつづけた結果、「愛しすぎる」という状態になりやすいのかもしれません。

どの結果、相手の気持が宙に浮く、ということになりかねないという話ですよ。

もちろん一生懸命頑張って愛することが間違っているとは言えません。誰もそれは否定できないでしょう。

だからこそ、頑張って愛しすぎるあなたに「ちょっとまって」「こっちのことも考えて」と相手も言いにくいのです。

それは「こちらのわがままだ」と感じる大人は少なくないでしょうから。

つまり、もし全く悪気のないレベルで「相手の気持ちを尊重できない」という事実があるとしたら、それはやはりお互いの不満や不安の火種になりかねないのです。

ここが対人関係、パートナーシップと、自分自身のこととの大きな違いなんです。

そう考えると「愛しすぎる」ということは、その愛情に間違いはないのですが

愛しすぎてしまうほどに「相手の気持ちを尊重できない何かしらの事情がある」ということを示しているとも言えるかもしれません。

【上級編】愛しすぎるということは、ときに依存っぽく映る

愛し合うことがわからなくなる男女のシルエット

ここからは当初書く予定ではなかった話、かつ、ちょっと難しい話です。

実は「一生懸命愛しすぎてしまうこと」が、周囲には「依存的」と見られてしまう場合があるのです。

「えー、だったらもうやってらんねーっす」って感じのかなり切ない話ではありますが、しかし起こり得ることなんですよ。

特に情熱的な方、努力で人生を開いてきたタイプの方に見られることが多いですね。

どういうことかと言いますと

もし、あなたが「愛しすぎる」ということによって相手の気持ちを見落としてしまっているという状況があるとしたら

あなたの愛や好意から生じる言動は「相手によって理解され、受け止めてもらっている言動」となりかねない

ということなのです。

例えば、相手が「あなたはいつも一生懸命こっちを見てくれているから、ちゃんと受け止めないとな」という「理解をし続けている」ことによって、あなたの好意が成立しているような状態です。

言い方を変えれば、相手はもう一手先を見据えてあなたの好意を受け止めている状態だってことでもあります。

ただし、その相手があなたのパートナーであるならば、相手は「あなたに興味を持ってもらえないことで喜ぶはずがない」ですよね。

つまり、この状況が続くと、相手はあなたに「あなたはいい人だけど、僕(私)が一緒にいても幸せになれないと思う」なんて思い始める可能性があるんですよね。

言いはしないけど、要は「あなたはいい人で一生懸命関わってくれるけど、私(僕)の気持ちは見てくれていなかったよね」と思っているわけですな。

うーん、切ない。

でもそういうケース実際にありますよ。

つまり、こちらは相手のために十分愛しているつもりでも、相手は「あなたを受け止める側に回ろうとしながら与えている」とも言いかえられるでしょう。

このとき、二人は与えあっている構図になるように見えますが、実際は相手が「あなたを受け止める」という形で与えていて、自分なりの好意を向け続けているあなたのほうが依存の立場になっている、なんてことも起こり得るのです。

何が言いたいかと言えば、こちらの思いを一方的に伝えるだけでは与える側に回りきれないこともあるよ、ってことなんです。

うーん、これ、やはり難しい話ですよね・・・。だから上級編と書いたわけですけどもね。

ただ、深く関わり合う恋愛、結婚、夫婦関係などでは、このあたりの実感や知識、物の見方がモノを言うことが多いですね。

ここで言えることがあるとするならば

「相手はこんな風に思っているんだろうな」
「こんな気持ちを私に伝えてくれているんだろうな」

こういった受け取る視点や、相手の気持ちを理解する視点を持つこともまた「与えること」である、ということでしょう。

これは、自分の気持ちだけを見ていては気づけない部分だと言えます。

ということで、僕は「私、愛し過ぎちゃうんです」というご相談を伺い、実際に愛しすぎることでパートナーとの関係に溝ができているとしたら

「もう少しあなたが受け取ることを意識する方向で考えてみませんか?」

とご提案することが多くなる、ということですね。

繰り返しになりますが、これはなにも「愛するな」「あなたの愛し方が間違っているよ」ということではありませんよ。

ただ、相手も同じだって理解するだけの「受け取る心の余裕」も必要なんですよ。

そうじゃないと、全く悪気なく「相手の気持ちを受け取らない(気づかない)」という形で相手を傷つけてしまいかねないですからね。

カウンセリングを利用する
カウンセリングを受ける

本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。

カウンセリングのご案内ご予約可能時間のご案内