恋愛の心理学

助けたい恋愛ばかり繰り返す人の心理

自分を嫌う女性

浅野先生 
いつも大変お世話になっております。
ブログにいつも支えられております。

ブログのネタになったら嬉しいと思ってメールさせていただきました。
助けたい恋愛ばかり繰り返す人 についてです。

最近自分が、好きになる人=助けたいと思ってる人っぽい、
ということに気づいたんです。

私の旦那さんは今離婚したいと言い、出て行ってしまった状態ですが、
元々私は旦那さんのことを、こんなに寂しがり屋でこの人生きていけるのかな?
と思っていることが多々ありました。

でも最近1人になって、それは、全部私だったことに気付きました。
助けたいと思いながら、助かりたい、と言いますか。
助けるし、わかってあげるから、だから私を必要としてほしかったんだって思ったんです。

私は独身の頃、バンドマンばかり好きになっていました。
彼の音楽をわかってあげられるし、支えてあげたい。
そんな気持ちでした。
その頃、見返りを求めて音楽を聴いていた自覚はなかったのですが、先日久々に聴いてみると、あれ、なんか、、感想言ってあげなきゃって思ってるな。ってことに気づいて、え、私は純粋に好きで聴いてたわけじゃなかったのか?とすごく凹んでしまいました。

「助けたい=好きな人」という思考から離れたいと切に思い始めていますが、どうしたらこういう思考をやめられますでしょうか。。

ネタ募集ネーム:あやさん

おまたせしましたm(_ _)m

今日はあやさんのご質問にお答えしたいと思います〜。

今日のご質問は

「最近自分が、好きになる人=助けたいと思ってる人っぽい、ということに気づいたんです。「助けたい=好きな人」という思考から離れたいと切に思い始めていますが、どうしたらこういう思考をやめられますでしょうか。」

このあたりでしょうかね〜。

では僕なりにお答えさせていただきたいと思います。よろしければどうぞ。

※今日はかなり感覚的な理解が難しい話を僕なりに噛み砕いて書いております。

が、内容が長くなりますし、何いってんだ?と思われる部分も出てくるかと思います(特に最後あたり)。

が、何度も何度も読んでいただくと分かってきますので、何度も何度も読んでみてくださいませね。

助けたい恋愛ばかり繰り返す理由を考える前に

人が人を好きになる理由も様々ならば、人が人を必要としたり、関わりたいと思う理由もきっとさまざま。

これは僕が長くカウンセリングをさせていただいてきた実感です。

もちろん人の行動動機を分析することもできるでしょうし、それはとても重要なことなのです。

が、恋愛に至る動機も様々であって、それをあーだこーだー言うのは違うよね、と思っているところでございます。

なので、まず「助けたいという動機で恋愛することが問題だ」とか申し上げるつもりはないことをお伝えしておきたいと思います。

これからかなり理屈っぽいことを長々と書きますが、それはあくまで「この状態に対する見方」であって、「これが問題なんだよ」という意識付けをしたいわけではないのです、とお伝えしたいわけでございます。

まずここをお伝えすることが僕の考え、スタンスを明確にすることかな、と思う次第でございますm(_ _)m

助けたい恋愛が問題となりやすい理由

ただし、いわゆる「助けたいという気持ちで始まる恋愛」は確かに「困りごとという意味での問題」となる場合も少なくないようです。

僕の経験上、そう思います。

なぜ問題化するかの理由を深く考えると、まぁ三日三晩程度この記事を書き続けることになろうかと思うので、そこはご容赦いただくとして。

サクッと簡単にその理由をお伝えするとすれば

  • 「私のパートナーは助けたい人」と見ている以上、相手は何らかの問題を抱えていなければならない、という条件がつく。
  • かつ、自分は「相手とは違う助ける立場にいる必要がある」という条件もつく。
  • その結果、お互いが劣等感や無力感を学習してしまう可能性がある。

このあたりでしょうか。

いわゆる理想的なパートナーシップ(恋愛でのね)って「対等な関係」なんですよね。

個性、個人の能力、経済力、生育歴などなどの違いはあれど、お互いの存在価値が「お互いの主観として対等であること」って結構重要なのです。

対等だから尊重できる、向き合える、愛し合える、違いを認め合えるようになりやすいわけですよ。

実際、自分が好きだな、相手のことを愛したいな、そう思えるからこそ対等に扱えるってこともあると思いますしね。

そんなの理想論だろ、というお声も聞こえてきそうですが、確かに文字だけで書くとしたら理想論かもなーと僕も思います。(^^;

ただ、その理想に近づけていく、お互いが対等であろうとすることを意識していくことが、より素晴らしい関係に近づくことではないでしょうか。

さて、ではここで逆のパターンについて考えてみましょう。

好きで一緒になった二人がいて、そこに何らかの価値観がくっついて、二人の間の対等さが失われるとしたら、さて、この関係はどうなるでしょうか。

例えば、パートナーの経済力が未だ十分ではないとか、パートナーは悩みを抱えていて支えが必要だと言ったケースが典型例でしょうか。

ここでどこか助ける側が一方的に「相手のことを思って(相手のために)」という大義名分のもと、「相手をまるで弱い(できない、困ってる、苦しんでいる)存在のように扱う」なんてことがおきたとしたらどうでしょうか。

もちろん悪意なくそう扱ってしまうという意味ですけどね。

おそらく、パートナーから弱いだとか問題があると認識された側は、長く二人の時間を過ごす中で劣等感や無力感を学習しちゃいかねないのですよね。

つまり、「助けられる側」が「助ける側」の役に立てていない状況が続くわけです。

これが「二人の間に対等さが失われた状態」なのです。

もちろん「助けたい側」も、悪意があってそうしているわけではないことが多いでしょう。

本気で相手のためになればと思って頑張っていらっしゃる方も少なくないでしょう。

しかし、その行為をいくら続けても相手の様子は全く好転しない、むしろ二人の間に距離ができるとしたら、、、・

つまり「助けたい恋愛」の中で、助ける側、助けられる側双方が

「相手のことを想い、必要としているのに、二人の時間を過ごすことでお互いが劣等感や無力感を学習してしまう」

そんな可能性が出てきてしまうのです。

よって、「助けたい恋愛」には一定のリスクがあるかもね、と僕は思うわけでございます。

助けたい恋愛ばかり繰り返す理由を考える

さて、ここからは「助けたい恋愛ばかり選ぶ人の心」にフォーカスしていきましょう。

どうして「助けたい恋愛ばかりするのか」ということを考えたときに、ネットでもよく出てくる考え方の中に「罪悪感」「無価値感」「他人軸」「両親を助けたかった気持ちが残っている」などの言葉が使われているかと思います。

僕もその考え方に一定の同意をしているところです。その考え方の根拠も僕なりに理解できますしね。

ただ、それだけ分かりにくくね?とも思います。

もっと簡単なところに答えは転がっているだろう、ぐらい思っているわけです。

じゃその簡単な答えとはなにかといいますと「助けたい」の「逆」なのです。

つまり

「人から助けられるのがめっちゃ嫌!」

です。

言い方を変えましょう。

「同情されるのがめっちゃ嫌!」
「自分を知られるのがめっちゃ怖い!」
「私のことは放っておいて(大丈夫だから)」
「私の何を見て好きとか、そばにいたいとか言ってんねん!私の何もしらないくせにぃ!あーもうムカつく!めっちゃ面倒くさい女(男)になったんねん!」

そんな怒りだの悲しみだのを心の深いレベルで開放せずに抱えている可能性がある、とも言えます。

だから、自分自身が苦手な、嫌な感情を感じないために

私のことを放っておいてくれる(私に関わりきれない・コミットしきれない)、私が助けるべき人をパートナーに据える可能性が出てくるわけです。

場合によっては、パートナーをまるでモノのように扱う人も出てきます。(脱人格化ですな)

※だからといって最初に書きましたけど「相手を助けたい」という気持ちを否定する必要はないのです。それはそれ、これはこれと考えましょう。

更に深く助けたい恋愛ばかり繰り返す理由を考える

ここからは完全や僕の余計なおせっかいと言う名の見解ですが、もう少しお付き合いください。

先に書いた「人から助けられるのが嫌」という気持ちを深く見つめていくと

「私は一人で生きていかなきゃいけないし、人からの助けを受け取るのは嫌なの、それはマズイし苦手なの」

といった感覚・気持ちが眠っている場合が少なくない、と僕は見ています。

これはおそらく「悲しみ」であり「痛み」なのでしょうね。

これは他人が「そんなことたいしたことねーよ」と判断できない、その人が抱えている主観的な悲しみであり痛みのようなものだと僕は考えています。

例えば

誰かの力を借りて生きることを諦めなきゃいけなかったような・・・
自分自身が本当に困っているときに適切な支援や援助をもらえなかったとか・・・
自分がどれだけ人のこと考えても、誰も幸せにならなかったとか・・・

そんな自分の真心が伝わらなかったような経験がもたらす痛み、悲しみが眠っている。

実際にそんなケースも少なくないのです。

そんな痛みを抱えていると、どうしても、もうどうしようもなく

「もう人をアテにしない」「人の気持ちを期待して失望するのは嫌」

なんて風に思い始めるんです。

もう同じように傷つきたくないからね。

このとき登場する「人からの助けを受け取るのは嫌」という部分が罪悪感に相当するのです。

これはニュアンス的に

「誰にも助けてもらえない、気持ちを分かってもらえない、頑張っても誰のためにもなっていない、そんな私は人から愛されるべき存在ではないだろう」

といったインパクトを感じやすいわけですよ。

もちろんこれは誤解でしかありません。それこそ手放すべき観念だとも思います。

が、僕たちは人のためになりたい、誰かにとって価値ある自分でありたいとい気持ちを持つ以上、そうなれなかった自分を許せず、自分の価値を見いだせなくなってしまうことがあるのです。

つまり罪悪感にふさわしいほど自分に価値はないのだ、と感じてしまうわけです。

これは「無価値感」「劣等感」「無力感」などに相当するでしょう。

すると、対等な関係を作る積極性を持てなくなる、そんな人も出てくるんですね。

つまり

「私のこと、ちゃんと求めてくれるなら役に立ちますよ」。でも「必要とされないなら私はいないほうが良いと思うんですよ」。

そう感じやすくなるということでもあります。

よって「私を必要としてくれる人(助けてさせてくれる人)に【私の存在理由(居場所)】を感じる」なんて状態が生じても不思議ではないのです。

※繰り返しになりますが、どんな事情があれ人のために行動している人の気持ちを批判するのは違うと僕は思いますよ。ただ、こーんな可能性があって「恋愛におけるパートナーとの対等さが失われやすいリスクがある」という話でしかありませんからね。

助けたい恋愛から抜け出す方法を考える

ということで、この「助けたい恋愛」が問題となった場合、その根っこには

「自分から積極的に人と関わること」
「自分を開示すること」
「人の支援や愛情などを受け取れること」
「自分からパートナー(人の愛)を拒絶しないで受け入れること」

このような「自立(いかに傷つかないかを考えた上での自分のパターン)に関する課題」がある、とも言えると思います。

もしここで「助けたい恋愛パターン」を抜け出すことを考えるなら、次のようなことを考えてみるといいのではないでしょうか。

  • 助けたい恋愛が悪いわけではない(そんな自分が間違っていると考えない)
  • 助けようとしすぎると「パートナーとの対等さ」を失うリスクがあると知っておく
  • どうして「パートナーを助けよう」としてしまうのか、その事情を知っておく
  • 自分自身の過去や今抱えている感情や観念を見つめて、「パートナーと対等さを感じられる自分」への変化について考えてみる
  • もし自分が「対等な関係を持てた」とするならば、どんな未来が待っているかイメージしてみる

結局は、よくよく自分を知ること。

また、全く新しい、今までの自分にはない価値観を知って、そこでバランスを取る必要があるかな、と思うのです。

もちろん今までの自分を否定する必要なんてないんですけどねー。

また、僕の立場でお伝えするならば

過去の整理、感情の整理を行いながら、自分の認知・ものの見方、感じ方を変えていくアプローチをご提案させていただくことになりますかね。

始まりが「助けたい」でも「真実の関係」になるならそれはそれでいいんでない?という話

ただ、ここでもう一つお伝えしておかねばならないことがあります(これ重要!)

たとえ、その恋愛の始まりが「助けたい恋愛(関係)」であったとしてもね。

互いが心から信頼しあい、相手の気持ちを受け止めあい、相手の存在に感謝し、自分のベストを尽くして相手と関わっているならば、それこそ絆が深まることだってあると思うんです。

だったらそれでええやん、って話だと僕は思うんですよね。

じっくり時間をかけて、お互いが信頼できる関係になるなら、それも素晴らしいことなのではないか、とね。

もちろん、そうなれるようにお互いが「二人のために、相手のために、家族のために」自分のあり方を変えていく意識が求められるとは思いますよ。

例えば、自分が信じたパートナーに、傷つく怖さもありましょうが、自分の強さも弱さも全部パートナーにさらけ出すとかね。

都合のいい部分だけ相手に知らせるんじゃなくて、苦しさも喜びも全て二人で分かち合っていくだけの覚悟と選択が必要になると思うのですけどね。

いわば「いい自分」になろうとするんじゃなく、嘘偽りない自分とその気持ちで愛する人、選んだ人と向き合っていくってことですよ。

それができれば、まぁそこで得られるギフトはかなり大きなものになるんですけどねー。

マジで「最高に幸せだ!」って気持ちになれるんですけども。

(参考)本当のテーマは「無意識の加害からの回避」

さて、ここからの話は書こうかどうか迷ったんですけど、まぁせっかくなので書いたついでに(参考程度に)「今日の話の核心の部分」に触れるとしましょうか。

僕は「助けたい恋愛」をする人ほど、「人は助けるけど、人に助けられるのはめっちゃ嫌だと思いやすい」と書きました。

これ、相手との関係性の概念の中で見たときに、何を意味しているかといいますと・・・

「パートナーの気持ち、愛、を悪意なく突っぱねていた」という話なんです(^^;

ひえ〜!やめて〜!聞きたくない!わーわーわー!って話じゃないですか?

ここと向き合えないと、いわゆる自立の問題、犠牲の問題、燃え尽きの問題などから抜け出すことが難しくなるんですよねぇ。

もし、この「無意識の加害者意識」に気づかず、修正をかけないならば、パートナーに対して「自分が加害を続けること」になるので、相手を愛することがどこか「償い」のようになっちゃったりしますよ。

いわば、犠牲だ犠牲〜!とよく言われてるあの話に近づくんです。

(もちろん相手の要因もあろうとは思いますけどね。)

つまりは

「自分はこんなに愛している(だからわかってほしい、愛してほしい)」と主張するだけでは、うまくいかないわけでございますよ。

あーしんどい話ですね、ガチでねぇ。

でも僕も、この話を素直に「ハイそうですか」と理解して受け入れるって、ちょっと抵抗感あるかもなーと思うのですよね〜。

そもそも相手を助けたいと思うぐらいに、相手のことを思い、優先し、相手に合わせてきたのは自分なのですからね。

めっちゃ苦労して、しんどい思いをしてパートナーに合わせてきたのは自分ですしね。

もう「それでうまくいって!頼むよ!神様!」と思うでしょうしね。

ただねー。

あなたが誰かを愛するように、誰かもあなたのことを愛したいわけでね。

そこを悪意などないにせよ「自分の都合で人の愛を止める」となると、まぁねぇ、そりゃそれで関係がうまくいかない理由になっちゃいますよね。

つまり、あなたが人の愛を受け入れる(拒絶しない)ということを通じて、この問題が解決することも多いってことなんです。

心のなかで葛藤している人、文句を言っている人、あえて関わらないようにしている人。

そんな人があなたの身近な存在にいればいるほど、あなたはおそらく無意識の加害意識を抱えることになる。

だから、まぁ身近な人との関係を修正して許していくことで、結果自分も相手のハッピーな関係になりやすくなるよ、という話なんです。

ただ実際の恋愛では、助ける側だけでなく、助けられる側も同じ無意識の加害の罠にハマっていることもあってですね。

こうなると、どうしても二人がうまく関わり合えず、無意識的に距離のあるような、どこかお互いを拒絶するような関係になってしまうことが多いのでしょうね。

そこを無理やりテクニックだけで距離を詰めたとしたら、まー「ハレーション起きるよなー」と僕は想像しちゃうんですけど、さてどうでしょうか。

そう思うと、理想のパートナーという存在がいるとしたら・・・。

たとえ自分が相手の愛を砕くような加害者になったとしても、それに気づき、素直に受け入れて、自分の本当の気持ちを伝えようと思える相手なんだろうな、と僕は思うのですよ。

それは、ずっと好きでいてくれる人でも、自分を必要としてくれる人でも、何でもかんでも許してくれる人でもなんでもない、と僕は思うのです。

ただただ、自分が素直になれて、自分の愛情も非も認める勇気を持てる相手、ってことなんでしょうね。

それだけ相手に価値をみてるってことですから。

そして、もし自分が誰かに「それだけの価値がある存在だ」と見てもらえる時が来たならば、そこからビビって逃げ出さないことが何より重要なことなんでしょうね。

ということで、余計な話をしましたが今日は以上です。

ま、どんな恋愛関係が正解かなんて誰にも言えないことですけど、あなたが対等な関係を求めたいと思われたら参考にしていただければいいかな、と思っております〜。

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