恋愛・夫婦の心理学

離婚後の恋愛がうまく進まない理由は「期待の心理」にあるかもね、という話

離婚を経て恋愛関係を結ぶときに起こる「あるある」

例えばこんなケース。

『最近、彼と別れたんです。(あ、私はバツ1です。)

今の関係をちゃんと続けたい(再婚したい)と思ってやってきたんですけど、また別れちゃいました。

別れの理由は大体相手から「一緒にいても楽しくない」「お互い無理をして一緒にいるのは違うと思う」と言われてしまう感じです。

もう一度結婚したいって思っているんですが、なかなか関係が続かなくて困ってます。

やっぱり一度離婚していると次ってむずかしいのでしょうか?

心理的に一度別れていると、気づかない警戒心から彼をはねのけちゃうとか、あるんでしょうか?

または、元夫のことを意識しているから、次の人に意識が向かないといったことも起こるのでしょうか?(そんな話を聞いたことがあるようなないような)

友達いわく「結婚したいとか言ってるけど、そんなに積極的に相手を求めていないんじゃないの?」と言われたこともあります。

そう言われればそんな気もするのですが、でも再婚したい気持ちは確かなんです。

一体どうしたらいいんでしょう?私にできることってありますか?

いわゆる「離婚後の恋愛・結婚(再婚)」にまつわるご相談ですね。

今回の事例にあるように、このようなご相談をいただく方って、比較的「心」や「恋愛心理」について興味を持たれている方が多くて、いろいろとご存じの方も少なくないんですよね。

だから、お父さんとの関係が云々とか、元夫との関係が云々という的確な問題意識をお持ちの方も少なくないわけです。

僕もお話を伺っていて「いや、その考え方はズバリですよ」と思うこともしばしばあります。

ただ、それ以前に気づかれておくと良いこともあるかもしれませんねー、なんて話もありまして、今日はこのネタについて見つめてみたいと思います。

よろしければお付き合いください。

 

恋愛がうまくいかないのは「失望の母」が原因?

実際にカウンセリングでお会いする方って、皆さん魅力的で、もちろん社会性もあり、素晴らしい部分をたくさんお持ちなのです。

ただ、どこかで、「目に見えない幕」といいますか、「目に見えない壁」のようなものを作っているタイプの方もいらっしゃるわけです。

もちろんそれが良い悪いって話ではないのですけどね。

この手の「目に見えないホニャララ」は、基本、防衛的な作用をもたらすものです。

防衛的とは「感じたくない感情、遭遇したくない状況を回避するため」という意味です。

この部分を、今回取り上げている「離婚後の恋愛」ケースに当てはめてみると、次のようなことを僕は考えるのです。

一度離婚という経験をした事自体、必要意地にネガティヴに捉える必要はないのですよ。

ただ、離婚という結末はどうしても「悲しみ」や「わかり合えなかった・愛せなかった」といった感覚を感じさせやすいものでもあるようです。

だから、もう一度そんな経験をしたくない、と構える人がいても不思議ではないのです。

そのときによく使われる発想(手段)が、「失望の母の否定形」なのです。

 

失望の母ってなんだ

「失望の母」とは、僕の学ぶ心理学で「期待」のことを指します。

つまり「期待は失望の母」と言われているのです。

僕たちは「あんなこといいな、できたらいいな」と考えるわけですが、それをガチで期待するとしたら、それが叶わないことで感じる失望も強くなりますよね。

例えば、ガチで「いい男はおらんかいね」と期待すると(「実際に目的を持って探す」じゃなくね)、いなかった事実を前にしたときのがっかり感って半端ないですよね?

だから、最初から「いないよ(期待しない)」と思っていたほうが失望しなくて済む、と思う人も少なくないと僕は考えています。

つまり、先に書きました「失望の母の否定形」とは、ズバリ「期待しない」ってことなんです。

例えば、「いいことなんて起きないよ」「ラッキーなんておきない」「男性(女性)に期待したっていいことない」「いい人なんていない」と思うことで、期待して失望する、というパターンを回避しようと思うわけですな。

そういった人ほど、防衛的な意味で「全ては自分次第」と考えやすくなりますし、何かを望んだってガッカリするのは嫌だと思う分だけ、「そもそも望まない」というスタンスを取りやすくなるんです。

それは恋愛でも仕事でも結婚でも何でも同じです。

それぐらい、今までの経験の中で「欲しい物が手に入らなかった」とか「自分の気持ちを理解されなかった」といった痛みがちょっと強く感じた経験がおありなのかもしれません。

 

「期待しない気持ち」を向けられた相手の気持ち

さて、勘のいい読者の方ならもうお気づきだと思うのですよ。

そうです。

もし、自分が(悪意なんてなくとも)「失望しないように」「期待しないように」といったスタンスで恋愛をしたとしたら、相手はどう思うでしょうか、という話です。

このあたりに、パートナーから「一緒にいても楽しくない」と言われてしまう理由はこのあたりにありそうだ、と思いませんか?

もちろん「期待しない」と思うことや、そのように行動することは、娘人の自由ですよ。

僕もきっとそうするべき事情があるのだろうな、と思うだけです。

ただ、恋愛など「相手がいる状況」では、たとえやんごとなき自分の事情から行動したことが「相手にどう見えるか」も考えておく必要がありそうですよね。

どこかで相手のことを求め、一緒にいたいと思っていても、つい「相手を必要としない」「望まない」「期待しない」「相手の好意を受け取らない」なんてことが起きるなら、なかなか二人の関係は詰めきれない可能性だってでてきます。

かつ、パートナーに期待しないように警戒している状態で純粋な愛情を与えることもまた難しいことなんですよ。

パートナーの反応は期待しないけど、でもなにかしてあげたい、ってちょっと妙ですよね。

むしろ、なんか超切ない気持ちになるとは思いません?

自分から与えたって、相手に受け取ってもらえたって、結局、自分から何かを期待することを避けてしまい、たとえ相手が喜んだとしてもそこに強く反応しなくなるわけですから。

少なからず相手は「本当にこの人は自分といて楽しいのだろうか」と考えてしまう可能性が出てきそうだとは思いませんか?

 

また、人によってはそもそも「期待しない」という感覚が習慣化している人もいます。

それぐらい「望んで失望する」ということを恐れているということでもありますし、欲しいものは手に入らない状況を避けたいと思っているわけです。

が、この場合の「期待しない」って、ほぼほぼ「アテにしない」という意味合いであることが多いので、恋愛や対人関係の中では「相手のことを信じない」というスタンスになっていく場合もありますよ。

 

この話は僕も書いていて切なくなってくるんですが(^^;

もし、恋愛の中で「好きになった相手のことを(大切に思っていながら)信じない自分」がいるとしたら、それだけでもう切なくないでしょうか。

だから、好きなんだけど、好きになりきれないとか。

好きなんだけど、近づききれない、とか。

そんな私が嫌だ、とか。

だから相手がまた離れていくんじゃないか、と感じるとか。

一緒にいてもなんだか楽しめない、とか。

まぁ、いろんな感覚・パターンになって浮かび上がってきても不思議ではないかな、と僕は見ていたりするのです。

いや、切ない。まぁ、切ない。

こういったことはすべて「心の痛み」によって引き起こされることなんですけどね。

 

こんなとき、どうしたらいいの?

では、このような恋愛パターンをより良い方向に変えていくにはどうしたらいいのでしょうか。

一つは「どうしてそんなに『期待しない』という意識を使うようになったの?」という、内面的事情に気づくことです。

自分は「いつから」「どのような理由で」「誰に対して」期待しなくなったの?(失望を恐れるようになったの?)という事情を見つめる。

そして、期待しなくなった誰かとの関係性を見直す、というプロセスを進めると、もう一度「わかり会える関係」を望む(それを目的として行動する)自分を取り戻せます。

それほどまでに僕たちは近しい人、大切な人との関係の中で失望すると、その影響を受けて「もう期待しないように」と考えるようになるものだ、と僕は考えています。

 

しかし、ココロの中に(過去の経験において)強い失望を抱えたまま一人で頑張っていると、ついつい目的を持って行動することより、とにかく失望しない方向で物事を考えがちなのです。

だから、恋愛でもあんまり気持ちが盛り上がらないんです。意識しているものが愛し合うことではなく、失望しないことなのでね。

この考え方が今の自分のパターンや行動に影響を与えていることが多いんですね。

また、ちょっとややこしいのですが、そもそも「期待」とは「目的を持たない」ということを意味します。

「期待しない」=「目的を持たない」と解釈される方も少なくないと思うのですが、そもそも「期待」とは「目的ではない」のです。

期待というのは「願望」であり、時には「そうであってほしい」という思いなんです。

だから、期待自体には実現力がありません。

期待ではなく「目的」を持ったとき、人は、行動し、その目的に向かって歩みだします。

しかし、目的を持たず、その目的を期待に変換してしまうとしたら、おそらく目的を持つこと自体に抵抗感があるのでしょう。

今回のケースで言えば「結婚して幸せになろうと元パートナーを愛した私」だとか、「パートナーのために尽くした私」だとか、「できれば離婚せず親や周囲に心配をかけたくなかった私」といった、「本当に成し遂げたい目的を持っていた自分が過去にいて、しかし今はその自分を否定的に見ている」といった状況があるのかもしれません。

だから、目的を期待に変えてしまうんです。

しかし、実際はその「期待」ですら「しない状態」となっている。

だとしたら、もう何をどうしたらいいのかもわからなくなるんじゃないでしょうか?

恋愛の中で、もう一度二人の未来、ビジョンや二人の目的を設定すること自体難しくなってしまうのではないでしょうか。

人によっては「私は本気で相手のことを、二人のことを愛そうとしているのだろうか?」といった疑問が浮かび上がってきても不思議ではないのかもしれません。

このような状態は、特に「もう一度大切な人を愛したい」と思う心温かな方にとって、かなり切ないものになるような気がしますよ。

 

ただ、もし自分が「期待しない」というスタンスを取るようになっていたとしても、多くの方の中には「大切な人を愛したい」という気持ちが消えているわけではない、と僕は見ています。

むしろ、もう失望したくない(また大切な人を愛せないという思いを感じたくない)、という気持ちが自分をがんじがらめにしているだけではないかな、と思うぐらいです。

そんなときは、じっくり自分を向き合ってみるといいですよ。

自分が何を(どんな失望を)恐れているか、考えてみてもいいかもしれません。

そして、それがなんとなく分かったら、その自分にこう声をかけてみてはいかがでしょうか。

「それでもあなたはまた誰かを好きになり、愛することができるんだね、すごいね」と。

失望を恐れる私は、かつて失望を恐れずチャレンジした自分の一部なのでしょう。

だから、責めたり疑うより、寄り添って認めていくことが癒しになります。

期待しないという防衛的発想を超えて、もう一度目的を持って恋愛ができる私になるための一つの考え方として、なにか参考にしていただければ幸いです。

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