恋愛の心理学

失恋・離婚・挫折から、もう一度「幸せ」に一歩踏み出すための処方箋

もう一度「幸せ」に一歩踏み出すために

失恋、離婚、挫折などの経験は、ときに大きな心の痛みになることがありますね。

それは「恋愛や仕事、夫婦関係がうまくいかない」という状態によってもたらされることもあります。

このようなご相談は確かに少なくない、とも言えるんですよ。

つらい経験をすると、やっぱり自分でも「大丈夫」と思いたいけれど、実際にはそう思えない状態になることも少なくないのかもしれません。

だからこそ、もう恋なんてしない、結婚はいい、誰も愛さない、もうチャンレンジはしない、と思い、二度とあんな思いをしたくないと心の蓋をしてしまうこともしばしばです。

ただ、僕たちはどこかで、誰かの役に立ちたい、誰かを喜ばせ愛したい、成功したい、といった欲求を持っています。

だから、また誰かを好きになりたいと思うわけですが、しかしそう思うこと自体に息苦しさを感じることもあるようです。

カウンセリングの事例ならば

「過去の失恋の痛みが大きすぎて、もう誰も好きになることはないと思っていた私。その前に現れた、私をとことん愛してくれるか彼。その彼に愛されたいと思うけれど、怖くて一歩踏み出せない。」

「過去に妻に裏切られ、もう二度と結婚はしないと決意している。その自分を受け入れ愛してくれる女性と出会った。彼女はすべてを理解し、受け入れてくれようとしているし、その気持ちが伝わってくる。

しかし、もう二度と結婚は・・・。彼女を幸せにすることができない、と思うと、彼女に対して申し訳なさしか出てこない。」

「一度大きな失敗をしてから、守りに入る人生になった。夢や希望を持たないほうがきっと幸せなんだと信じてきた。

しかし、自分の中で心惹かれる、やりたいことができた。が、チャンレンジする勇気が湧いてこない。やりたいことをして生きている人に憧れるが、失敗が怖くて前に進めないでいる。」

そんなとき、自分から一歩前に踏み出すための処方箋をまとめてみました。

よろしければどうぞ。

 

つらい経験をした自分が悪い?

これは不思議なことのように思われるかもしれませんが、僕たちが本当につらい経験をすると「つらい経験をした自分が悪い、間違っている」と考えることがあります。

感情としては罪悪感や無価値感を感じている状態ですね。

ただ、そういった感情を感じたくないがために、どこか自分を否定的に見たり責めている方がマシ、と感じるものなんです。

自分は大切な人と別れた事実によってもたらされる痛みより、自分を批判したり、ダメだと考えたりすることがある、というわけです。

もちろんすべての人がそうだというわけではないんですけどね。

それほどに別れの痛みは痛烈で、別れた相手が大切な人であればあるほど、受け入れがたい感情を感じるものだおともうのです。

ただ、つらい経験や心の傷は「否定」で癒やされるわけではないんです。

自分自身を否定したり責めることは一時凌ぎのようなものだとも言えますし、逆に過去の傷を押し広げてしまうこともあれば、更に自分の中で否定感が強まり、つい「絶対に負ける形での人との比較(自分の悪い部分と人の良い部分の比較)」が強まったり、自分自身を肯定的に見ることが難しくなることもあります。

〇〇だからこうなんだ!と決めつけたり、私なんて・・・という気持ちを強めると、最も怖れている感情を感じなくてもすむかもしれませんが、自分自身のことを肯定しづらくなってくわけですね。

 

ただ、よーく考えてみるとですよ。

別れはたしかに辛いことですが、しかし、つらい経験をした自分が悪いのか、というと、そうとは限らないはずですよね?

つらい経験をした自分が悪いとしたら、まさに泣きっ面に蜂ですよね。

なかには自分からつらい状況を導いしてしまうこともあるでしょうが、そこにも何かしらの理由があるはずです。

特に、失恋・離婚・挫折など、何かしらチャレンジをしたからこそ、受けた傷も多いはず。

何もチャレンジしていないなら傷つくことはないでしょうから。

もちろんつらい経験自体が絶対的に正しいわけでもないでしょうが、少なくとも傷ついている私、失敗した私を否定的に見つめないことは、もう一度前に進むために必要なことかもしれません。

 

傷ついていることを恥にしない

私達は「自分が傷ついている」と受け入れたくないし、気づきたくないものですね。

いわゆるネガティヴ・プライド(強がり)を使いたくなるものです。

それほどまでに、自分が傷ついていたり、それゆえに怖れていることがあると、そんな自分を恥ずかしいと思ってしまうことも少なくないようです。

ときには「私はこんなに傷ついている」と、一つの被害者意識としては表現されることもありますが、それもまた防衛なんです。

自分が頑張ったこと、その結果傷ついたとを恥にせず、「自分が傷ついていることに気づく」ことって大切なことなんですよね。

 

確かに傷つくことでときに辛い感情を伴いますが、しかしそれ自体恥ずべきことではありません。

誰かを愛したり、何かしらのチャレンジしなければ傷つくことはないですよね。

だから、ここではいつも以上に謙虚に、丁寧に「自分」と向き合ってみるといいでしょう。

 

「つまらない」という気持ちに隠れているもの

たくさん大変な思いや傷つく経験をすると、物事をつまらないものにしてしまうこともあります。

例えば「仕事や結婚生活などに喜びを感じられなくなった」というケース。

 

ある女性は、今のご主人はいい人だけど退屈で、いつも他の男性と関係を持っていた
ある男性は、今の仕事に情熱を傾けられず、退屈な毎日に不満を持っていた

としましょう。

意識としては結婚生活や仕事が「つまらない」と感じているわけですが、そもそもなぜ「つまらない」と感じる対象と向き合っているのか、にも理由があるわけです。

なぜ「つまらない現実が必要なのか」ということ。

 

すると、「好き」「大切」「失いたくない」と感じる対象と向き合うことが怖い、と感じているケースは多いものなんですね。

 

大切なものを失って傷つくぐらいなら、興味を持たないようにする。

興味がないものは愛せないから、自分は十分に仕事やパートナーと向き合えていないと罪悪感を感じる。
それは避けたいから「つまらない」が必要になる、といった感じですね。

 

「もし、自分がこの状況を必要としているとしたら、それはなぜだろう」

 

このように「自分のこと」として謙虚に向き合うことで、もう一度幸せに一歩踏み出す私になるきっかけを掴んでいくことができます。
 

傷ついた自分の事情や感情を理解する

自分が傷ついた分だけどうしても不安や怖れは強くなるものです。

もうあんな体験をしたくないと思うから、ですね。

だからこそ、自分自身の過去、プロセスを見つめ直し、そこにある「感情」を癒していくことが前向きな気持になっていくプロセスでもあります。

もし、本当につらいい経験を味わったなら、そのとき自分がとった行動を後悔するよりは、その時の自分の気持ちをないがしろにせず、しっかり理解してみることです。

そこで辛い気持ちがあるなら、それを否定せず辛かったんだ、と、ゆっくりと無理のない程度から着実に受け入れていくことです。

悲しい気持ちがあるなら、悲しみを。

悔しかったのであれば、悔しさを受け入れていくことです。

自分自身がそうせざるを得なかった選択だってあったかもしれません。
自分なりの思いもそこにあったかもしれません。
誰かを思って真剣だった自分もいたかもしれません。
思うように事が進まず傷ついた自分もいるかもしれません。

自分を向き合ってみることなんです。

ただ、僕たちは傷ついた分だけ、本当の気持ちを否定したくなるものです。

「ガチで頑張ってた自分なんてダサい」
「何も知らなかった自分が情けない」
「自分のチャレンジは大したことではなかった」
「そんなに本気で愛していたわけではなかった」

などと扱い、処理しようとします。

これこそ自分自身を否定していることにお気づきでしょうか。

しかし、ついそうしてしまうのが僕たちの心の反応なのです。

繰り返しになりますが、心の傷は否定で癒やされるわけではありません。

自分なりに努力したこと。
自分なりに誰かを思っていたこと。
自分なりに愛したこと。

こういった前向きな思いが心の傷の影響から解放されることを考えてみてください。

「もう二度とあんな思いはしたくないと」いう思いの向う側にある、本当の自分の気持ちに気づき受け容れることで、更に自分の価値や愛に近づいていくことができます。

そこを感じ、受け容れ、そして許してみてください。

すると、自分自身が少し楽になりながらも、どこか心強く感じられるようになっていきます。

そこでは誇らしい自分に出会えたり、不安や恐れよりも、自分自身の可能性や思いを信じられる渡しに出会えるようになっていきますから。

諦めず、しかし焦らず、ゆっくりと歩んでいくことがポイントになりますね。

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