こんにちは。心理カウンセラーの浅野寿和です。

さて、今日は先月開催しました”心理学ゼミ第2回目”にご参加の方から、ご質問をいただきました。

ブログでの回答をご希望でしたので、こちらで回答しますね。

ご質問内容はこちら

(私は)境界線は引けている方だと思っていましたし、自分軸もあると言われることが多かったのですが、今回のゼミで「あるけれど、使えていないのでは?」と覆る感覚がありました。

自分の価値観や判断基準、好き嫌い、ポリシーははっきりしているつもりです。

けれど、肝心な場面でそれを主張して(伝えて)こなかったのかもしれない、と感じました。

例えるなら、カーナビが目的地周辺まで案内してくれているのに、最後の2割の「到着」まで行かずに案内を止めて引き返してしまう(自分の価値観はあるのに、あと2割の伝えるという最後の一歩を踏み込まない・エンジンを切る)ような感覚です。

また、主張していたとしても、それはアサーションではなかった可能性もあるのではないかと思いました。

そこで質問です。

先生がお話しされていた 「外側の扉を閉じるということは、人と関わらないということ」 について、もう少し具体的に教えていただきたいです。

LINEをブロックする、挨拶もしない、完全に関係を断つ(いわゆる人間関係の断捨離)のような状態は分かりやすいのですが、そこまでの完全シャットアウトではなく、距離が遠くなる・疎遠になるといった“緩やかな閉まり方”も「外側の扉を閉じている」に含まれるのでしょうか。

例えば私の場合、 ・職場で苦手な人に対して、挨拶や仕事の会話はするが、必要以上に自分から席に行って雑談をしたり関わろうとはしない ・以前は自分から誘って会っていたプライベートの友人に、積極的に誘わなくなった ・合わないなと思う方からのお誘いは断る(拒否や拒絶ではなく、「お断り」する感じ)

これらは、自分の価値観や判断基準を大切にした結果の自然な距離の取り方なのか、

それとも「外側の扉を閉じている」状態なのか、判断がつきません。

先生がおっしゃる「外側を閉じる」とは、どの程度の距離感・接点の状態を指しているのか、もう少し詳しく教えていただけると嬉しいです。

さすが、ゼミ受講生さんですね!めちゃくちゃいい質問です。

まず、読ませていただいて僕が感じたのは、

「境界線があるかないか」という話よりも、

『境界線はあるのに、肝心な場面で“使えていない?”感じがする』

ここに本質があるように見えます。

そして、ご質問者さんのこの気づきは後退ではなく、むしろ一段進んだ感じのものだと思います。


「外側の扉を閉じる」とは、どういうことか

実際、心理学ゼミの中で、僕が話した表現に、

「外側の扉を閉じるということは、人と関わらないということ」

という言い方がありました。

ただ、これ、少し誤解を生みやすい言い回しだったかもしれませんね。

もう少し丁寧に言うと、

外側の扉を閉じる=『関わりを止めることで自分を守ろうとする状態』

です。

ご質問にあるように、いわゆるブロックする、シャットアウトする、完全に関係を断つ。

そういう分かりやすい形ももちろん含まれます。

でも、本質は「距離の遠さ」ではなく、“関わり方の動機”の方にあります。


距離が遠い=外側の扉が閉じている、ではありません

ご質問の中に、こんな例がありました。

  • 職場で苦手な人に対して、挨拶や仕事の会話はするが、必要以上に雑談をしない
  • 以前は自分から誘って会っていた友人に、積極的に誘わなくなった
  • 合わないなと思う方からのお誘いは断る(拒絶ではなく、お断りする感じ)

これだけを見る限り、僕にはむしろ健全な距離調整のようにも見えます。

というのも、境界線って本来、

「近づきすぎないようにするためのライン」

であると同時に、

「自分自身や関係を壊さずに接点を保つためのライン」

でもあるからです。

必要以上に雑談をしないことも、誘い方を調整することも、合わない誘いを断ることも、
それ自体は、むしろ成熟した調整の一部になりえます。

ただ、どんな動機でそれがなされているのか、という点がポイント。

人間の行動は「その行動動機」を強化する性質があるので、動機次第では行動の結果の実感が変わってくる可能性があるんですよね。


じゃあ、「外側を閉じている」状態って何?

外側の扉が閉じているときは、距離の取り方よりも、内側でこういうことが起きやすいです。

  • 相手をどこかで「危険」だと感じている
  • 触れたら揺れる、傷つく、飲まれる気がしている
  • 関係を止めることで安心しようとしている
  • 接点を持つこと自体がストレスで、緊張が強い

あえて例えるなら、失恋直後の人をイメージしてもらうと分かりやすいですよ。

あまりにつらいときは、人との接点を持たないようにするでしょう?

普段なら気にしない外側との接点も、この時ばかりは気になるし、持ちたくないとさえ感じることがある。

つまり、まとめるとこうです。

「内側を守るために、外側を止める」

これが「外側の扉が閉じている」状態と考えてみてください。

これは、距離が遠いかどうか、疎遠かどうか、というより、

関わりの中に“緊張”が残っているかどうかが指標になるでしょうね。

ただ、この緊張は自覚のあるものから、そうではないものまでいろいろあるので、考えてもわからない場合もありますけどね。(実際にその状況になって反応に気づく人も多いです。)


「緩やかな疎遠」も“閉じている”に入るのか?

ご質問の

「完全シャットアウトではなく、疎遠になるような“緩やかな閉まり方”も含まれますか?」

ここですが、答えはこうなります。

含まれることもあるし、含まれないこともある。

・・・なに、その回答、って感じかもしれませんが、まぁ、人と場合によるという感じです。

もし判断の分かれ目があるとしたら、距離の程度ではなく、やっぱり動機でしょうね。

たとえば、

  • 「今はここにエネルギーを使わない」→落ち着いた選択(調整)
  • 「関わると揺れるから避ける」→不安回避(閉鎖)

同じ“誘わない”という行動でも、内側の状態が違うわけです。

だから「距離が遠い=閉じている」と決めつけなくていいと思います。

ただ、なぜそこが気になったのかに関しては、ちょっと興味を持っていただいてもいいかもしれないですけどね。


今回の本題は「外側」より「内側」かもしれません

そして今回の文章で、いちばん大事なのはここでした。

「価値観や判断基準はある。でも肝心な場面で主張してこなかったのかもしれない」

これ、外側の扉を閉じるかどうか以前に、

“内側の扉”が半開きのまま、表明を止めてしまう

という形にも見えなくもないです。

例えてくださった「カーナビの最後の2割」の話、あれはすごく分かりやすいです。

目的地の手前までは行ける。

でも、最後の最後でエンジンを切る。

それは、「境界線がない」ではなく、

境界線を“意識する地点の手前”で止まってしまう

というテーマのように僕には読み取れました。


「NO」は必要。でも、それだけで成熟とは限らない

ここもゼミで話した通りですが、

境界線の再設計の初期段階では、NOと言えることはとても大事です。

いわゆる思春期に起きる「親の価値観に反発する」みたいなものに近い部分もあります。

ただ、NOが言える=成熟、でもありません。

NOが言えることは、まず「内側の扉を閉める練習」になる。

今回のゼミでかなり強調した内容ですけどね。

だから、今回のご質問は、

「距離を取れているか」よりも、

「自分を持ったまま、関係の中に自分を置けるのか」

このテーマに近いのかもしれません。


最後に|アサーションの話

最後に、

「主張していたとしても、それはアサーションではなかったかも」

という点。

これも、とても鋭い視点です。

でも、あまりに鋭すぎるので自分に刺さらないようにしてくださいね、とは思いますが。(つまり完ぺきにできていたかを見るところまでは必要ないかも、ということです。)

アサーションは、

  • 攻撃でもなく
  • 我慢でもなく
  • 相手を変えようとすることでもなく

「私はこう感じています」を、関係の中に置くこと

に近いです。

だから「最後の2割」とは、相手を押し返すことではなく、その関係の中に自分を置くことなのかもしれません。

・・・着地、というか、関係の中で座れるか?みたいな話。

伝わりますか?


まとめ

外側の扉を閉じるとは、距離が遠いことではなく、

不安や緊張を下げるために“関わりを止める”状態

を指す、と考えてください。

一方で、自然な距離調整(雑談を減らす、誘い方を調整する、合わない誘いを断る)は、
むしろ健全な境界線の使い方であることも多いです。

境界線は、ある。

でも、その手前で止まってしまう。

・・・よくよく考えてみると、

「誰かに影響を与える距離(立ち位置)、
あるいは、相手の影響が自分に届く距離(立ち位置)に立ってもいい」

そう思える関係を持てるかどうか。

影響を受ける=飲み込まれる、ではない。

影響を与える=加害する・支配する、でもない。

“関係の中に立つ”ということが怖くないかどうか。

そんなテーマにも聞こえなくもないです。

だからこそ、今回の“覆る感覚”は、すごく大事な気づきだったのではないでしょうか。

ただ、この話、疑おうと思えばいくらでも疑える話でもあり(^^;

えー、じゃ、私は人との関わり、その影響を避けてきたってこと?なんて考えてしまうことにもなりかねないんです。

が、そこじゃないかな、と思います、考えるところは。

自分が生きたい人生と照らし合わせて、
今の自分が「それでOKだ」と思えるのか、
それとも少し立ち位置を変化させたほうが今の自分には合うと思えるのか。

そんな話のようにも思えますよ。

またこのあたり、今後のゼミや講座などでいろいろお話できると面白いですね。

ということで、今日はここまで!

ご質問、ありがとうございました。

ABOUT ME
浅野寿和 | 心理カウンセラー/トレーナー
恋愛・夫婦・仕事・生き方の中で、「ちゃんとやってきたのに、どこか噛み合わない」そんな感覚を抱えやすい人のご相談を多くお受けしています。 正しさや結論だけを急がず、今どこに立っているのかを一緒に整理する個人セッション(カウンセリング)が人気。 キャリア16年・臨床実績10,000件/東京・名古屋・オンライン対応。リピーターさまが多いカウンセラー。口癖は「どんなことにも事情があるよね」。
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