ほぼ30代からの心理学

不器用な自分を変えたいと努力してもやっぱり失敗はするし、結局評価されるのは要領のいい人だと感じています。

浅野さんへ

私はどの職場へ行っても「仕事が出来ない」レッテルを貼られます。
人から言われたことの要点をまとめるのも苦手だし、集団行動や人間関係も苦手です。(ずっと慣れないことの方が多い)
おまけに要領が悪かったり、たまに見落としてしまったり・・

でも気にくわないのは、自分ばかり出来てない奴扱いされることです。
他の人だって完璧じゃないのに、なんで自分ばかり指摘されてしまうのか
そんなに自分がダメなのかと思うと死にたくなるくらい生きてくのが辛いです。
幸い吐き出せる人がそばにいますが、100%分かってくれるわけではないので、言ったことでより辛くなってしまうこともあります。
不器用な自分を変えたいと努力してもやっぱり失敗はするし、結局評価されるのは要領のいい人で・・

上司から『もう新人じゃないのにこの出来ではまずい。このままでは指導する立場は任せられないから頑張って改善して』と言われていて、できるように頑張るしかありませんが・・気持ちは焦るばかりで、他人と比べては落ち込み、指摘されては落ち込み・・毎日会社や社会から逃げたいと思うばかりで、言われたことしかやる気が起きない、全然役に立たない情けない自分。

どこへ行っても人に批判され、バカにされ、見下される自分。
どうしたら少しでも楽になりますか?

ネタ募集ネーム:怖がりさん

なるほど・・・。

それは辛い気持ちを抱えられても不思議ではないですよね・・・。

どこへ行っても人に批判され、バカにされ、見下される自分。

きっとそう自分自を評価することも辛いと思うんです。しかし、そう思うしかないという状態も実際にあるのかな、と僕は思いますし、それこそ自分を責めている状態と言えそうですね。

自分を責めることで、これ以上自分の中の嫌な気持ち・感情を感じなくて済む(ような気がする)ので、ついつい自分に攻撃性が向いてしまうんですよね。

言い方は妙なんですが、自分を罰することにも意味があると言いますか、自分を罰することで今以上に最悪な気分にならないようにすることもあるわけです。

ただ、そういった状態にはそうするしかない事情があるものだろうな、と僕は思っています。

誰も助けてくれないような気がする。
誰も分かってくれないような気がする。
誰も評価してくれないような気がする。
自分が誰かに助けを求めても相手の迷惑になるような気がする。
過去に自分のピンチでも誰も私を理解しようとはしてくれなかった。
いったい自分ってなんなんだろうか・・・。

可能性として、その内面にこういった思いを持っている事が多いようです。

こういった思いを持つ人ほど「自分から欲しいものは欲しい(助けが欲しい)」と言いづらいと感じる気遣い、優しさ、空気を読む力を持っていることが多いんです。

それは才能として使えば有効なものになるんですけど、相手や周囲の気持ち・空気を読んで相手に合わせる発想しかないと「自分のリズム」として才能を使っていないことになるので、ついつい苦しくなってしまいます。

どこか自分を相手のペースで囲い込んで合わせすぎてしまうんですね。

その結果「自分のリズムが生かせない=自分の潜在的ポテンシャルが使いこなせない」ことにつながっていく事が多いんですよ。

だから、周囲に合わせていくしかないと思ってしまうし、

周囲に受け入れられているとは感じにくいし、やりたいことも思いつかない。

実際、自らの意思で行動しようとすると、それが迷惑なんじゃないか、と感じて二の足を踏んでしまう

そんな状態になることもあり得ると思うんですよね。

しかし実際、自分のリズムを失うことも、自己否定が強まることも、真実ではないと僕は思うのですよ。

本来は、自分のリズムを取り戻し、自己肯定していくことが自分自身の真実の姿に近づくプロセスなんでしょう。

しかし、実際カウンセリングの現場にいますと

なかなかその材料が見当たらない・・・と悩まれている方も多いものですし

こういった自分のリズム・自己肯定の話を知れば知るほど

「それができない自分が悪い・ダメ」と更に自分を責める材料にされる方もいるかもしれませんし。

どうやっても自分を過小評価してしまう癖の中に飲まれてしまうことも少なくないようです。

でも気にくわないのは、自分ばかり出来てない奴扱いされることです。

そりゃそうですよね、頭にくる話ですよね・・・。

ただ、考えてみてほしいのは、自分ばかりできていないヤツ扱いをされることに対する怒り以上に、

自分自身が「自分をできていないヤツ」扱いしていないか?ということなんですね。

そもそも自分が「できていないヤツ」と思っていなければ

人の不当な扱いを「なんで?」と疑問を持つはずなのです。

なんでそんな扱いをされるんだろう?と。

その結果、「なるほど、ここが自分の中で至らなかったのか」と理解し訂正できることもあれば

「ん?それって相手の都合なんじゃ・・・」と何でもかんでも自分が悪いわけでもないんだろう、というバランスのいい意識も持てるようになるんです。

しかしどこかで「きっと自分が間違っているんだろうな」なんて罪悪感や自己否定感が強まっていると、起きることの全てが「自分のせい」と感じてしまうんですよ。

よくたとえ話で「郵便ポストが赤いのも自分のせい」なんて話もありますけどね・・・。

自己否定や自己嫌悪が解放されていないと、ついつい何でもかんでも自分の責任と感じるもののなんです。

その結果、もうこれ以上自分の価値を下げられないと思い「なんだよっ!」と周囲に反発したくなる。

それぐらい自分をついつい疑っちゃって「自分のリズム」・・・言い換えれば「自分の考え方、できること」を自らアテにできない心理状態になっているのかもしれないですね。

この状態は真実ではないと思いますし、続けることは苦しいですから、最初は多少の違和感があったとしても、少しづつでも自分を責める以外の選択を考えて、実践してみてもいいのかもしれませんね。

幸い吐き出せる人がそばにいますが、100%分かってくれるわけではないので、言ったことでより辛くなってしまうこともあります。

そうですね。

実際、こういったお話もたくさん伺いますよ。

「分かってくれる人はいるけど、でも辛い気持ちは変わらない・・・」

ただですね。

これは今までの僕の経験上の話ですが

「自分のことを100%分かってくれないので辛くなる」という感覚って僕は「未経験・未体験」の影響なんだろうと思うんです。

つまり

今まで自分のことを100%を分かってもらえたことがないから辛くなる、というお話は

おそらく「自分が100%人に自分をさらけ出したことがない」ことの影響が強いのだろうな、と思うんです。

それぐらい自立して生きざるを得なかった事情があったのではないか、と僕は見つめることが多いですよ。

 

不器用な自分を変えたいと努力してもやっぱり失敗はするし、結局評価されるのは要領のいい人で・・

もし、この不器用さという言葉を僕なりに解釈するなら

「自分の気持ちをうまく伝えられないこと」ではないかなーと思うんですね。

ここでの要領のいい人とは

「自分の気持ちも優先しながら生きている人」のことではないだろうか、とも思うんです。

そもそもですよ。

多くの人が

「自分が辛いときに、自分の辛さを全て人にさらけ出せるか?」っていい意味で疑がわしいよね・・・

と僕は思っています。

自分が辛いとき・悩んでいるときほど

「自分の思いを伝えても相手の迷惑になるだけだから・・・」

と、自分の心の内を見せていないことのほうが多くないですか?

逆に、自分の心の内をすべて見せたことがあるなら、「その過去の経験」を使って本当に分かってくれる人を探しているはずですし、自分自身も「今が辛くてもちゃんと分かってくれる人がいるから・・・」と自分を支えることができることが多いものだと思うのです。

それぐらい僕たちは周囲にいい意味で配慮して生きているものですよね。

だから「人にわかってもらえない」というお声って

「人に分かって欲しい気持ちが凄く強まっている」ということと同時に

「人にわかってもらうことが申し訳ない」と感じているから

「自分の気持ちを全てさらけ出せず、それが自分自身のパターンになっている」ということでもあると思うんです。

「自分に対して人からなにかしてもらうことが申し訳ない」

これって遠慮のような罪悪感なんですけど、これが強まると自己表現、自己肯定、自分のリズム、全てがなくなっていってしまうんです。

そもそもは処世術であったり、人への配慮だと感じて続けてきたことが、いつの間にか自分を見失う理由になるんですね。

ただ、自分自身をつい否定的に見ている状態で、「人にどう思われているか」を自分の価値基準にするとちょいと厄介なんです。

自分を上手に愛せているなら、人にどう思っているか?という意識も有効に機能するのですが、自分が傷ついているときはときに逆効果になりかねないんですよね。

そもそも周囲の人が、自分のことを誤解して自分を否定してくる人もいるかもしれないし、相手の事情(気分)で自分を否定してくる人もいるかもしれない。

いちいちそこに合わせて自分を肯定しようとしても、やっぱり自分らしさは取り戻せないし、自分の良さはずっと分からないことになる。一時的な安心感は手に入るかもしれませんけどね。

その視点で見れば、「自分の気持ちを見つめて、時には自分の気持ちをちゃんと表現できる私になる」ことの大切さが見えてこないだろうか、と僕は思うのです。

言い換えれば、自分を大切にすること、評価すること、意味を感じることです。

これができて初めて、人に気を使えるようになるんです、相手のために。

そうなれば、自分自身を表現し、自分のリズムを取り戻すこともできますし、もっと自分を肯定する材料も整ってきますからね。

なので

「自分のために時間を使いましょう」「自分の好きなことをしましょう」なんてご提案も出てきますしね。

できるだけ自分が自由を感じ、自分らしくいられる時間を増やすこと。

それは「誰かのようになろう」「普通になろう」とすることではない、ってことを実践していただくとかね。

そのために

日頃から自分のできた部分を認める、褒める意識をつける。

どこか否定的な気持ちが溢れ出してきたら、それは自分の中のなにかのサインと思い、その心の声を聴く。これ以上自分を責めても答えは出ないんだな、と気づく。

それでも自分を責めたなら、まま、それはしゃーないと受け止めて自分を責めないようにする。もしくは、1回自分を責めたら100円貯金する(結構貯まるかも・・・。)

誰かに話を聞いてもらう、分かってもらう。

もう一歩踏み込んで考えるなら、もっと自分を楽にするためのプロセスを自らの意思で踏み出す。

最初のうちはついつい「わかってもらうこと」自体を遠慮して、怖がってしまうこともあるかもしれませんが、こういったことを続けていくと効果的、とも言えますね。

究極的には

「今の自分でいいんだ」と自分に語りかけたときに

「でも・・・」と感じる要素こそが、自己嫌悪・自己否定の部分なんですよ。

そもそも自分自身をそんな扱いなんてしたくないはずでしょう?

だから「どうして私は自分をこう見つめているんだろう」と考えて、その理由を見つめて

「私はどうしたいんだろう」と再選択していく感じ、と言えばいいでしょうか?

とにかく自分に対する否定から入っても気づけないことが多いので

今、自分が感じていることをあれこれ判断せず否定しないことって大切ですね。

そして、あなたにとって安全な場所や人との出会いも大切ですね。

自分ではどうにもなんないときほど、人の助けはありがたいものですよ。まずは人の力を借りて一歩踏み出してみてもいいかもしれませんし。

実は自分を大切にするためのいろいろ選択肢があるんですよね。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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