恋愛と男性心理

続・愛してくれるな男子について ~「自分にしか興味がない」に隠れた2つの意味~ 

更に続く、愛してくれるな男子の話

浅野先生へお礼と質問

以前何度か質問させていただき、ネタにもしていただいたものです。その節は本当にありがとうございます!

15日のブログすごいです!!

元彼のことが手に取るように、わかってきましたから!!

ちなみに、旦那がまさに、優しいけど私が愛しまくって、旦那は私に対してなんにもしないタイプそのものです!で、不倫相手だった人が、まさにブログにあるタイプの男性でした!

このことは 何かを、意味してますか?

また、「自分のことにしか興味が無かったことに男子は気づき、愕然とする」とありましたが、意識上気づかなくて、あるいは、無意識で、愕然として、なのかな?

それで、今度は彼女に対して、何もしない?でしなくなるというか、他で役に立とうとしたり、仕事に打ち込んだり 自分の世界に入り込むんでしょうか?ネタにしていただけたら嬉しいです。

ちなみに浅野先生のブログを読むようになって一年ぐらいですが、お陰で、旦那に対して、何にもしてくれないことに対して今までの私は怒って、なんで、私は あなたに対してこうこうこうしたりするのに、あなたは 全然してくれないの?!と責めてばかりいたし、私は自分ばかり旦那を愛していて、馬鹿みたいって思ってなんにもする気にならなかったりがしょっちゅうあったのですが

だんだん気にせず 自分から愛し続けてみてるうちに、旦那もかなり、旦那なりの愛し方、やり方で私のほうを興味を持ち、役に立とうとしてくれるようになりました。

まあ、元々そうしてくれてたこともあっても、私がそれを旦那なりの愛し方だと気づかず受け取れていなかったから、スルーしていたというのもあるかと思いますが、人は愛されたようにしか愛せないと浅野先生から教わったので、そのとおりの結果が出てる手応えを感じています。

そういうわけで、旦那とは、けっこう今はラブラブで本当に浅野先生には感謝しております。
ありがとうございます!

ネタ募集ネーム:bさん

 

bさん、嬉しいご感想&ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m

ご主人さまとラブラブですか!それが素晴らしい!

なにかお役に立てていれば本当に嬉しいですm(_ _)m

それではいただいたご質問にお答えしつつ、なんやかんや書いてまいります。

よろしければお付き合いください。

 

自分にしか興味がないに隠れた2つの意味

以前のコラムの冒頭で、僕はこう書いています。

そもそも「人は自分にしか興味がない」もの。

しかし、自分に興味を向けたり、自分の影響を引き受けてくれる人に対しては、その相手の影響を進んで引き受けようとするものです、と。

だから、「自分から先に与える・愛する」ことにはものすごく意味がありますよ、って話でした。

ただですね。

「自分にしか興味がない」という言葉、少しネガティヴな意味として響きませんか?

自分にしか興味がない・・・それって愛がないってこと?という風に解釈されやすいと思うのです。

だから「自分にしか興味がない」と人に思われたくないし、そんな自分はいけない、と思うこともあるのかもしれません。

これが「自分にしか興味がない」という言葉の1つ目の意味。

ただですよ・・・。

もし、自分が自分にしか興味がなかったら・・・

自分の考え方や価値観を中心にして生きる、ということになりますよね。

このとき

「人が自分のことをどう見ているか、どう感じているか」という部分への興味が薄れますよね。

つまり

「自分が自分の想定以上に人から愛され、評価されていることに気づかない」

そんな状態になることも少なからずありそうだ、ということ。

「自分にしか興味関心のない状態」を続けることがいいか悪いかは別にして

「自分にしか興味関心がないから、人に愛されていることに気づかないこと」ってよくある話なのではないか、と僕は思うのです。

これがパートナーシップの問題を作っている理由になっていることもありますよ、ということなのですけどね。

※実際にパートナーから何かしら暴力などの被害を受けるなどのケースは別、とお考えください。

 

自分は自分にしか興味がないと自分を罰すると・・・

もし、大人になった私達が、パートナーとの関係を良好にし、「自分は愛されるにふさわしい」と感じるために必要なこと。

それは「自分は自分のことしか考えていない」という部分から生まれる、自分に罰を与えている状況から抜け出すこと、といえます。

ここでいう「罰を与えている状態」とは、罪悪感を自分が感じている(選んでいる)状態。

この状態を抜け出し、パートナーとの間で「自分は愛されるにふさわしい」と感じるためには

「自分に禁止している【たとえば心から与えること】を許す」
「許せない誰かを許す」

この2つの方法がある、と僕は考えます。

ただ、自分は「誰のためにもなっていない」「誰も愛していない・許していない(逆に責めている)」

と思うなら、どうやったって自分が愛されるにふさわしいとはなかなか思えないもの。

だからついつい、自分をひどい存在だと感じてしまうことも多いのです。

僕たちの抱える罪悪感にはいくつか種類がありますが

「自分は愛する人のために何も与えていない・何もしていない」という罪悪感は、自分への罰として作用します。

「自分が愛する人に対して何もしていない」
→「自分は自分のことしか考えていない」
→「そんな自分は愛される価値も、愛する資格もないのではないか」

どこか自分に罰を与え、自分から愛することにも抵抗感が生まれ、自分に愛される価値がないと感じやすくなってしまいます。

だから、自分を責めて「自分は恋愛や結婚に向いていない」と思う人もいれば

「私と、僕と一緒にいても幸せにはなれないと思う」とパートナーから離れようとする人もいれば

「私はもっと頑張らないといけない」と、相手に半ば犠牲的に尽くす人もいるわけですね。

そして、このような「最悪の気分」の時ほど、誰かから愛されても、素直に喜べないばかりか、自分がものすごく惨めな感じがしたり、嫌な気分になって、ついつい人の愛を拒絶してしまうこともあるでしょう。

愛されることが怖い、気持ち悪い、苦しい、辛い・・・そういった状態になるわけです。

その結果、人から愛されることを拒絶するという意味で、「自分を愛する人」ではなく「どこか愛してくれなそうな人」をパートナーに選ぶ人もいます。

その根っこには「自分は十分に人に与えていない」という意味での

「自分は自分にしか興味がない愛されるにふさわしくない人間だ」

という自己概念が存在することが多いのです。

もちろんこれは真実ではない、と僕は信じていますけれど。

ただ、多くこのような自己概念を抱えると

「自分は愛されるにふさわしくない」と思いながらも
「誰かに愛してほしい」とも思うようになります。

そもそも僕たちの中には「愛されたい」という欲求があり、これは消えることがないからです。

誰かに愛してほしいと思いながらも、実際に愛されてもそれを跳ね除けてしまう状態が生まれるわけです。

すると、更に愛されることへの欲求だけが強まって、どんどん苦しくなることもありますよ。

こんな状況があるならば

ここでの「自分は自分にしか興味がない」という言葉は、自分への罰として使われています。

自分に対する批判、なのです。

ただ、もう一つの罰がここには存在すると僕は思うのです。

それこそが「他人の思い(愛情)が全く自分の支え・癒やしにつながらない状態を自ら作っている」ということ。

簡単に言えば、人に評価されても、愛されても、支えてもらっても「悪いな」としか感じない状態ですね。

この状態になってしまえば

頑張って愛しても、それは自分のことしか考えていない罰に対する「償い」になり
愛されると、申し訳ない・悪いと感じ
そもそも自分は愛されるにふさわしくない、という感覚から抜け出せなくなってしまいます。

だから、この罪悪感の影響から抜け出す方法

「自分から与えること・愛すること」が、とても難しい、と感じてしまうのです。

今更、自分が与えても相手は喜ばないだろうと思い。
自分が与えて相手が喜んでくれても、それって同情じゃない?と思ってしまったり。
頑張ったってどうせ無駄さ、と思いやすくなるのです。

それでも自分から「相手のために」と思い、与えることができると、自分を許す(自分から与えることで、自分の素晴らしさを実感できる)ことができるのですが・・・

しかし、自分を罰していると

「愛しても届かない」と思うか
「今までだって頑張ってきた。これ以上どう愛せばいいっていいんだ」と思うか・・・

そのあたりに着地するのです。

・・・今日も長いですね(笑)

こういったものが、いわゆる「愛してくれるな男子」の心理として存在することがありますよ、という話でございます。

 

パートナーとの間で「自分は愛されるにふさわしい」と感じるために

ここまでの話をかなり強引にまとめると・・・・

「自分が自分のことしか考えていない」という状態を罰に使うと、まぁいろんな厄介なことが起きる

ということなんです。

「自分のことしか考えていない」ということを使って自分を罰していると、このように感じやすいものでもある、ということですね。

そもそも僕たちは「自分にしか興味が持てない時期」があります。

成長途中のプロセス、自分の力で生きる力を培う時期がそれにあたります。

そういった時期があって普通だと思うのです。

恋愛でいれば初期段階であったり、夫婦なら、お互いの関わり方を模索している時期、などもそれに当たると思いますよ。

たとえ「自分にしか興味が持てない時期」であっても、自分の経験や知識を振り絞り、自分なりに考えて、良かれと思ったことを行動で示す。

それこそ「自分なり」に必死になって出した最善策ですよね。

だからこそ、僕はそこにも「価値」があると思うんです。

しかし、自分に「自分は自分のことしか考えていない」という罰を与えていると、この罰が終わらない限り「自分のことしか考えられない時期」が長く続きます

だから、自分がパートナーや人から「自分の想定以上」に愛されている、想われているとしても、それが理解できないまま、自分だけの価値観で物事を判断するようになるのですよね。

その結果、悪意などなくても人の好意や想いを拒絶したり、自分が愛されていることがピンとこない、ということにもつながるわけですね。

また、「自分のことにしか興味が無かったことに男子は気づき、愕然とする」とありましたが、意識上気づかなくて、あるいは、無意識で、愕然として、なのかな?

それで、今度は彼女に対して、何もしない?でしなくなるというか、他で役に立とうとしたり、仕事に打ち込んだり 自分の世界に入り込むんでしょうか?

だから、何かしらのきっかけで「マジか、人はこんなにも自分を愛してくれていたのか」ということに気づくと、愕然とするという話につながるわけですね。

また、自分の価値を取り戻そうと、仕事に打ち込んだり、他で役に立とうとすることも起きることもありますよね。

 

最後に

ちなみに、旦那がまさに、優しいけど私が愛しまくって、旦那は私に対してなんにもしないタイプそのものです!で、不倫相手だった人が、まさにブログにあるタイプの男性でした!

このことは 何かを、意味してますか?

人はですね。

「自分が愛するように人に愛されたい」と感じるものです。

その不倫相手だった男性が「愛したい男子出身・愛してくれるな男子」だったのであれば

bさんが「愛したい人」であった、「bさんと同じ熱量で愛してくれる男性を欲していた」と考えられるかなぁ、とは思います。

それぐらいbさんにとって「愛すること」で感じられる「自信」が必要だった時期なのかもしれませんし、そこが報われるほどの男性からの愛情のリターンが欲しかったのかもしれません。

では、旦那さんはどういう人?を僕なりに考えると

「bさんの愛を受け取ってくれる人」ということになりませんか?

確かに愛されたいけれど、やっぱり自分の愛情を受け取ってくれる人がいいなぁ・・・と思いますものね。

 

旦那もかなり、旦那なりの愛し方、やり方で私のほうを興味を持ち、役に立とうとしてくれるようになりました。

でもまぁ多くの人は「自分なりのやり方」で愛そうとするわけですよね。

自分にとって「最も抵抗感がない愛情表現を使う」という感じで。

恥ずかしすぎたり、怖いなと思う愛情表現はなかなか使いませんよね。

このあたりの「自分と相手の愛情表現」を相互に理解できるようになると、関係性は良くなりますよね~。

もちろん相手の言動が自分への否定や攻撃といった形になっていると、とてもじゃないけど愛情があるとは思えないですし、あまりに辛いなら相手と距離をおいたほうがいいケースもありますよ。

が、そうではない状況ならば、お互いの愛し方の違い・男性の愛し方の種類などについて知っておくと、確かにケンカって少なくなるし、不安もガクンと減るだけでなく、「わかりあえている感覚」「相手が私を思っているという感覚」が手に入るので関係性は格段に楽になりますよね。

今回は以上です。

bさん、どうぞお幸せに!

素敵なご感想ありがとうございました!

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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