恋愛の心理学

優姿の自立女子の憂鬱 ~優しさの裏のある感情を解放する~

優姿の自立女子の憂鬱

カウンセリングサービス・心理カウンセラー浅野寿和です。いつもありがとうございます。

さて、僕のカウンセリングをご利用いただく方の中には、とっても努力されている方なんだけど、性格やその気質、言動が穏やかで、優しさにあふれた方も少なくないんです。

いや、むしろ多いかな、と。それこそ優姿という言葉がピッタリな方ですね。

「私は努力家だという自覚があります」「何事もめっちゃがんばります」

というお話を聞かせていただくからこそ、いわゆる「自立系女子」であることは間違いないのでしょうが、僕としては「自立」という言葉がふさわしい?どうなんだろう?と考えてしまう方のお話を伺うことも少なくないんですね。

僕は「その人のあり方、雰囲気はマインドが作るもの」と考えていますので、それほどまでに優しく、穏やかで、愛することをご存じの方、と理解しています。

しかし、そんなみなさんも、なぜか恋愛では厳しい状況が続くこともあるようで。僕もお力になれればと思いながら、仕事をさせてもらっております。

さて、優姿の自立女子の皆さんのご相談を伺わせていただくと、ある共通した心理状態にあることが多いんですね。

この状態をどうにか緩めていくことで、更に幸せに近づけることも少なくないですよ、という話が今日の内容です。

よろしければどうぞ。

自分を評価できないという優姿の自立女子さん

僕たちは「人にどう見られているんだろう?」という意識を持つことがありますね。

まぁ、人の目を気にしても仕方がないという話もありますけれど、人の目を気にすること自体をネガティヴに考えすぎる必要はないと思うのです。

なぜなら、人の目を意識することで、どこかピンと背筋が伸びるようないい緊張感を得ることもできますし、自分自身の影響力について考えることもできます。

「どんな自分をみせようか」と考えていくなら、それなりに人の目や、相手の気持ちを意識しておく必要がある、というわけです。

ただ、人の目をあまりに気にしすぎてしまうと、自分の自由がなくなったり、思うように自分を表現できなくなったり、自分自身を隠しすぎて、自分が一体どんな人7日がわからなくなってしまうこともあるよ、ということなんですね。

何事も度が過ぎると問題を起こす、ということですけども。

さて、こんな書き方もどうかと思うのですが、優姿の自立女子のみなさんって、本当に良いエネルギーを放出されている方が多いです。

雰囲気も、佇まいも、お話を伺わせていただくときの感覚も、とてもステキなんです。

しかし、どうにも「その自分自身を評価できない」というお声も伺いますし、言い方は荒っぽくなりますが「優しいって言われてもね、だからなんやねん」みたいなイメージを持っておられる方もいます。

「だったら、どうして私にパートナーがいないんでしょうか?」

という声なき声を伺うことも、まぁ無きにしもあらずなのです。

そして、そのお声の向こう側には、周囲の目を意識しながら、自分を高め、日々の努力を怠らない、そんな皆さんの姿も見えてきます。

ただ、その努力でなんとか支えてきた、といってもいいような、「深い悲しみ」のような感情と出会うことも少なくないのです。

できる人は放っておかれる?

優姿の自立女子の憂鬱。

その正体は「できる人は放っておかれる」という感覚であるケースって少なくないと僕は思っています。分離感であり、私だけ一人ぼっち、という感覚であるケースも少なくないですね。

そこが僕には「悲しみ」のように感じる部分であり、心理分析的には「無価値感」を刺激するものになると思うんですけどね。

この話は「優等生タイプ」の方にも同じことが言えるんですけど「できる人は放っておかれ、問題がある人ほどかまわれる」という思いって、しっかり者さんほど持つんですよね。

まま、平たく言えば「いい人って損じゃないか!」という意識ですね。

えぇ、もちろんこれは被害者意識ですね。

しかし、優姿の自立女子のみなさんの佇まいからは、その被害者意識や裏に隠れた悲しみはなかなか感じ取れないのです。

思っていても表現できない気持ちであり、自分でもそう感じることを嫌がりますからね。

ただ、この被害者意識を抑圧していると、恋愛の中でどうしても「本当に愛されているの?」「私の本当の気持ちをわかってほしい」という思いが強くなり、実際に男性との中でこのような言動がパターン化されることが多いんです。

だから、本当の気持ちは言わないし、分かってもらえるまで待っている方も少なくないものです。

どこか「傍にいる人に、私の気持ちをちゃんと分かってもらう」ことに大きな意味を見出していくのですね。

その意味は、過去に「自分はできるタイプで人に合わせるいい子ちゃんだった分だけ、放っておかれてた」という思いが強い分だけ、強化されていきます。

だから、恋愛中、寂しかろうが、相手の言動に不満を感じようが、我慢するわけですよね。相手に合わせすぎじゃない?と思えるほど合わせてしまうことも起こります。

恋愛の中での「我慢」よりも、自分が「分かってもらえない」「放っておかれる」「興味を持ってもらえていない」と感じることのほうが避けたい感情だからです。

これが、どうにも解消できない感情であり、未だ受け入れることができずにいる感情でもあるわけです。

だから、実際の恋愛でも、なかなか関わってくれない男性を相手にしつつ「いつになったら私の気持ちに気づいてくれる?」と耐え続けているケースが登場するというわけですね。

過去の取り戻すことに固着すると、今の幸せをスルーする?

このとき、「いつになったら私の気持ちに気づいてくれる?」という思いを解消するには

「分かってくれない男子が分かってくれるようになる」という構図でないと、自分の気持ちはスッキリしない、消化できない、と感じている人も少なくありません。

だから、今、この時点で「本当に私のことを理解してくれる男性」と出会っても、「相手はいい人だけど、でもなんだか刺激が足りないのよね」と感じやすくなります。

自分が抱えていた「分かってもらえない」「放っておかれていた」という痛みや悲しみを解放するには、過去の同じようなシチュエーションでなければ解放できない、と感じやすいものですからね。

だから、例えば、連絡をくれない男性、今は恋愛も結婚も望まない男性などと、果敢に向き合おうとされる女性がいらっしゃると考えることもできるわけですよ。

また、そういった男性との関係の中で傷ついたり、自分に失望してしまうような経験をされ、結果、もう恋愛はいいや、と感じておられる方もいると考えられます。

実は、このような「自分の方を向いて理解を示してくれそうにないパートナー」こそ、過去に「自分自身を放っておいた親や大人」を思い出させる存在なんですよね。

だから、自分を積極的に理解してくれる人では、ダメなんです。

ちょっと手が届きそうにないし、冷静に考えれば「この人難しそう」と感じる人でないと、気持ちが動かない。

むしろ、この人難しそうと感じれば感じるほど、過去の悲しみなどを取り返せるチャンスだと認識するので、意欲が湧いたり、男性にどんどん興味を持っていくわけです。

そういった人に、受け容れられることや、抱かれることによって、過去に抱えていた悲しみなどの感情が解放された、という経験を持つと、そういった男性との関係にある種の依存性を持つこともありえます。

ただ、ここでの「感じたい(取り返したい)気持ち」は、彼への気持ちや彼の愛されたい気持ちよりは「私が今ここにいることに意味がある」という気持ちであることが多いんです。

「私はココにいるよ」ということを誰かに気づいてもらい、その気持ちを理解してもらうことなんですね。

それが本当に自分が感じたい気持ちなら、間違いなく「自分に興味のない人を振り返らせる」より、「そもそも自分の魅力を理解してくれるできた人」と出会ったほうが、幸せになる確率は高まりますよね?

でも、なぜか心がその方向に動かない。どうしても「分かってもらえなさそうな人」に興味を持ちやすくなってしまう。

理解されるより、理解されなかったことを取り返したいという気持ちが強くなっていると、そうなってしまうわけですね。

だからでしょうか。
 
優姿の自立女子さんほど、今となっては「あの人と結婚しておけばよかった!」「昔の彼ほど私を理解してくれた人はいないのに、冷たくしなきゃよかった!」と思う元カレさんとの恋愛経験を持っている方が意外と多いんです。

取り返す感情とその対象は「男性」ではなく、「過去」にある。

このような優姿の自立女子のみなさんの憂鬱をといていく鍵は、今(今から)出会うパートナー(候補)の男性ではなく、パートナー(候補)になる男性の愛をどれだけ受け取れるか、にかかっています。

が、そのまま受け取ろうとしても、なんだか気持ちが満たされなかったり、逆に相手に悪い気がしたりと、様々な抵抗が出てやすいのます。

その理由は、繰り返しになりますけど「今、私はここにいるよ」と感じるために、過去の出来事にこだわっている分だけ、抵抗が生まれやすいのです。

そもそも「私はここにいるよ」と気づいてもらえない自分って、ものすごくちっぽけに感じますものね。

ここを取り返したいと思うか、それとも今の私を大切にして受け入れようと思うか。

この差が、次の恋愛の差になっていくんですね。

ただ、よーく考えてみてください。

もし、「私は放っておかれる」と感じている自分と恋愛してもパートナーは幸せなのか?と考えてしまうのが、優姿の自立女子さんであり、愛したい女子さんではないですか?

だから彼のために頑張っちゃうのではないでしょうか?

ちゃんと愛したいし、喜んでほしいと思うのがみなさんでしょう?

それほどまでに、誰かの喜びになりたいと願っているのも私、なのではないでしょうか。

しかし、もし万が一、うまく頑張れなかったとか、誰かの喜びになっていなかったと感じたとしたら、それこそが自分自身が抱える加害者意識であり、罪悪感であり、「できる子は放っておかれる」という被害者意識で覆い隠している感情であることが多いですよ。

でも、こう考えることもできませんか?

自分は、どこか「放っておかれている」と感じても、できる子でありつづけたのではないでしょうか。

今も昔も、私に変わりはないのではないですか?

そもそも優しい、愛に溢れたあなたが、ほら、そこにいるでしょう?

その自分を受け容れていくことが、自分癒しになると思いますよ。

つまり、今の自分にふさわしいだけの人の愛を受け取り、幸せを実感するには、あなたの中にあるこだわっている感情をゆっくり解き放つことであり、自分を受け容れることであると、僕は考えているんですよね。

もし今回の記事に興味を持っていただけたなら、以下のようなプロセスで自分を見つめ直してみてもいいかもしれませんよ。

参考までにざざっと流れを書いておきます。

・「できる人ほど放っておかれる」と思うなら、そう感じている自分を否定せず、受け容れていく。

・そこにある悲しみ、寂しさ、虚しさなどを受け容れる。(そう感じているのも私だな、と認める感じでOK)

・本当に私は放っておかれたのか、ちゃんと検証する。(ただし些細なことを拾い上げて自分を慰めるようなことはしない。)

・自分が放っておかれていると感じていた時代、自分を理解したり仲良くしてくれた人を思い出して、その人に感謝するイメージを持つ。

・もし、自分を理解してくれた人がいるなら、その人の目になって、自分をもう一度見つめてみる。その人は何を感じているのかを、自分で理解する。(自分の判断で答えは出さないことがポイント)

・もし、自分を放っておいたと思う人がいるなら、その人の気持ちになって、自分を見つめてみる。その人はあなたを放っておいて本当にどんな気持ちだったのか、を理解する。(自分の判断で答えは出さないことがポイント)

・その、自分を放っておいた人を許す。

○自分は誰のために、何のために、何を大切にするために、放っておかれたと思っていても、その状況にい続けたのかを思い出す。過去の自分の「意志」から目を背けないようにする。

・その自分を受け入れ、許す。

※ただし、途中であまりに強い感情が出てきたり、自分が苦しくなるなら一旦ストップ。その場合はできればカウンセラーとともに行ったほうが安全ですので念の為。

以上、なにか参考にしていただければ幸いです。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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