恋愛の心理学

どうしたら「愛される価値もある」と思えますか

「自分には愛される価値もある」と感じるためにできること

浅野カウンセラーへの質問

まめにブログを更新してくださりありがとうございます。
なかなかカウンセリングの予約がとれない浅野さんなので、こうしてブログを読んで時間を埋めています。

愛したい女子のネタ、独身女性に向けた内容が好きです。
パートナーシップにたどり着けないステキ女子を脱却したいので(^^;

今日は最新ブログ「なぜ愛しい人と分かり合えないことがあるのだろう。その答えの1つを考えてみた。」についての質問です。

一言ズバリ、「自分には愛される理由も価値もある」「私は誰かの喜びになれる」とどうしたら思えますか。

子どものころ両親がしてくれたことを思い出し、今の周りの人の優しさに気づき、一つひとつに「ありがとう」というのが鉄板ですか?

私、人の喜びになれる「感覚」がないんです。

自分の何がダメかにとらわれて、自分に罰を与えているうちは相手の気持ちを見逃す、ということは理解できました。

自尊心まであと一歩のような気がしています。

ネタ募集ネーム:セニョールさん

 

セニョールさん、ブログをご覧いただきありがとうございます。また、ご質問ありがとうございますm(_ _)m

とてもいいご質問をいただきました。では早速お答えしたいと思います。

どうしたら誰かの喜びになれると感じられるだろう

「自分には愛される理由も価値もある」「私は誰かの喜びになれる」とどうしたら思えますか。

子どものころ両親がしてくれたことを思い出し、今の周りの人の優しさに気づき、一つひとつに「ありがとう」というのが鉄板ですか?

私、人の喜びになれる「感覚」がないんです。

 

はい、鉄板としては「周囲の愛情を受け取る」ということでも間違いないです。

僕たちは人に愛されることで、自分の価値を感じる側面もありますし、自分から感謝することで自分がより良い存在だ、と感じるようにもなっていきます。

ただ、「私は人の喜びになれる感覚がない」と書いてくださっていますね。

だとしたら、前回のコラムに書いた「正しさ」「判断」と、それによって覆い隠す何かしらの感情の影響があるやもしれません。

こんなときは、「本当の自分の意思」を見出すことが必要かもしれませんね。

日々自立的に生きている僕たちは「正しさ」「判断」に愛を込めるものだ、と前回のコラムにも書きました。

ただ、この正しさや判断は、いわゆる自分が採用した価値観・誰かが見出した愛し方、を意味していることも少なくないんです。

いわば「私が相手にこう言えば、このように行動すれば、きっと私の思いは伝わる」という伝達手段のようなイメージです。

だから、判断や正しさを使った愛情表現をしっかり行っていたとしても、自分自身が「心から相手を愛する意思と意欲を持っている」と感じることが難しくなることがあります。

人の愛情表現方法を使って誰かを愛しても、自分なりに愛したという実感が得られないという、「自分なりに愛したい」タイプほど、この傾向は強くなるでしょう。

それほどまでに自分の力で誰かを幸せにしたいと願うほど、実は自分の中に自分への不信と強い愛情があるということなんですけども。

その結果、自分自身が「相手を思う気持ちで溢れている」という実感を感じ取れず、「自分は自分でいいんだ」「自分なりにうまく愛している」という感覚を感じられずにいる、ということも考えられます。

つまり、自分が失敗はしない、という意味では安心できるけど、自分の心からの愛情を感じながら、相手に感謝したり、愛情を注いでいるとは感じにくくなるんですね。

こういった「失敗しないけど、自分の愛を実感できない表現方法」を採用し続けていくことで、「実は私って人の喜びになっていないんじゃないか?」といった疑いを感じやすくなるものです。

客観的に見れば、十分に愛情もあるし、人の喜びになっていたとしても、自らそれが実感できない、という意味ですけどね。

自分の意志、思い、そしてプロセスをもう一度振り返ってみること

カウンセリングでも

「一度、昔の私を振り返ってみるといいのではないでしょうか」

というご提案をさせていただくことがあります。

過去の恋愛でも、対人関係でも、家族との関わりでもいいんですけどね。

自分が自分なりに誰かを思っていた、大切にしていた、という過去の自分を振り返り、その自分の中にある、たとえ未熟であっても、誰かを思う気持ちを、もう一度自分なりに感じ取ること。

これが「私は誰かの喜びになりたいと感じていた」という自分、を見つけるプロセスになるんですね。

つまり、愛に溢れ、人に愛され、喜びになれるだけの思いを持っている自分を、もう一度感じるプロセスですね。

ここが深く理解できるようになっていくと、自分は自分でいい、誰かの喜びになれるだけの存在だと、自分を許すことも可能になっていくようです。

ただこれ、言うは易し、行うはなんたら、で、そう簡単に自分が素晴らしいとは思えないので「自分って誰かの喜びになれないんじゃないの?」と感じてしまうことも多いわけです。

例えば、過去の痛み。

過去、家族の喜びになりたいと願う自分がいたとして。

しかし自分では、家族の状態をよくできなかった、自分なりの愛を家族に受け取ってもらえなかった、実際に頑張ってみたけど、家族の喜びになれなかった、といった「痛み」を感じた経験があるとしたら、過去の自分を振り返り、その自分を見つめるだけで、胸が痛むことがあるんですよね。

ときには「自分は誰の役にも立てなかった」と自分を責める気持ちや、自分をちっぽけに扱いたくなる気分になることも少なくないんです。

自分はそこに存在していても意味がないんじゃないか、と感じてしまうこともあるでしょう。

このような痛みは、まさに自分の人生を台無しにしてしまう痛みともいえます。

だから、この痛みを伴う経験を学びにして、今現在の「自立的な自分」を培ってきた方って少なくないんですよ。

誰の喜びにもなれない自分を卒業するために、今まで頑張ってきた、という意味ですね。

これも僕たちの心の成長プロセスのひとつなんですけどね。

ただ、こういった思いが強くなればなるほど、未熟な自分って許せなくなります。

人を喜ばせることができない自分を恥にして、ダメ扱いしてしまいます。

実際に、愛する人を喜ばせられないことで、深く自分を責めることもあるんですよね。

本来、自分こそ「誰かの喜びになりたい」と思えるほどに素晴らしい存在なのですが、誰かの喜びになれないと感じることが嫌で、これ以上傷つきたくないし、自分に失望したくないので、過去の自分を封印し、そこにある純粋な思いや、実際に過去の自分が受け取れていたであろう人の愛情をなかったように扱ってしまうわけです。

ここで生まれるのが「正しさ」や「判断」というわけです。

きっとこう愛すれば、うまくいくし、失敗しないだろう、という方法を探すってことです。

きっとこうすれば、相手は喜んでくれるだろうし、失敗もしないだろう、と考えるんです。

しかしここでは、自分を偽っているような、心が動かないような、心から相手を思っているけど思えていないような、そんな感覚に囚われます。

愛している!という実感が薄くなるんですね。

そんな自分を薄情だと誤解する人もいるぐらいです。

 

これはあなたの「投影」とその世界の話

これは社会や周囲の人が変わったわけではなく、自分自身の感情のあり方が変わることで、自分自身の「投影によって作られている世界」が変わっていく、という話です。

この世界の中にいると「自分には愛される理由も価値もある」「私は誰かの喜びになれる」と感じますし、多くの人も同じだ、と思えるようになるんです。

究極的には「この世に問題なんて存在しないよな」と思えるようになるといいますか。

痛みや誤解はあっても、問題はないな、と。

そして、この世界を作るものは、自分の感情のあり方、というわけです。

先程出てきた「投影」の法則です。

そもそも自分が採用している判断や正しさ、そこから生まれる愛し方が悪いわけじゃないんです。

ただ、これはあくまで個人の話。

幸せや豊かさなど「全体の話」ではなく、個人の中で感じている話であり、自立の話なんです。

もし、愛し愛される感覚や、自分に愛される価値もあり、誰かの喜びになれると感じたいと思われるならば、「自分と誰かの幸せ」を考えていくことなんですよ。

※ぶっちゃけた話をすれば、自分だけ愛される価値があると感じる方法って・・・うーん、僕は思いつかないんです。

自分の中にある判断や正しさの領域を超えて、ときには自分の才能やら痛みやらを受け容れて、本来の自分をもう一度感じていくと、さらに「自分も誰かも愛される価値があるよね」と思えるようになっていくんです。

このような癒やしのプロセスをご提供する際に、僕は、「心を癒やしましょう」「過去の自分と向き合ってみてもいいかもしれませんね」なんてお話をさせていただくのです。

このプロセス、人によっては「過去に頑張った私」を思い出して、受け容れてあげてね、という話する人もいるでしょう。

僕なら、あなたの中にどれだけ「大切な人を愛するという意思」があったか、そこに気づいてみてくださいね、と、もうちょっと強めな感じでご提案することになるんですけどね。

これは、あなたが今まで何を頑張って、何を得たか。その結果がどうだったか、ではなくて。

今までの自分の中に「どれだけ人を大切にしたいと思った、勇気ある自分がいましたか?」という質問です。

その自分を、もう許したいと思うこと。
癒やしてみようと思うこと。
大切にしてみよう思うこと。

これが自分を受け容れるということであり、このプロセスこそ、今回のご質問に対する僕の答えになるでしょうか。

すると、過去の自分(その当時の自分)を、見捨てなかった人、仲良くしてくれた人、受け容れてくれた人、応援してくれていた人の「思い」も感じられるようになり、更に癒やされますよ、なんて風にお伝えしたいわけですね。

以上です。うまく伝わっているといいんですけどね。

なにか参考になりましたら幸いです。

あ、ちなみに「パートナーシップにたどり着けないステキ女子」って絶妙な表現ですね。

どこかで使わせてもらっていいですか?(^^)

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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